屋根の上の魔女

 表紙に惹かれる。シャガールのような淡いパステルのような色使いの中に、シャガールが描くサーカスの人々のように幻惑的なフォルムを持った人々が浮かぶ。名を武富健治という人の「屋根の上の魔女」(ジャイブ、950円)という漫画の単行本。表紙から浮かぶファンタジックな内容の物語だろうという印象は、扉を開いて良い意味で裏切られる。

 確かにファンタジックだが、それは童話的な方向ではなく猟奇的な方向へと傾いている。「暗黒神話」の諸星大二郎とも共通する、歪みながらも狂ってはいない絶妙のタッチで描かれた、これも諸星大二郎が得意とする現実に幻想が重なる不思議な短編群が収められている。

 表題作ではとある青年が同人誌に発表した小説のとおりに、人が金串によって貫かれ殺される事件が大学で続出する。犯人は哲学の授業を撮っていた女子らしいと分かる。そして動機も。授業に出ていない生徒が要領よく単位をとって、まじめに出ている生徒がその様に絶望していく矛盾への反発。ひとの命を殺めるにはまるで説得力などない理由なのに、不真面目さが真面目さを呑み込み簒奪していく現実を見たとき、そんな理由が殺意へとふくらむことにも理解が及ぶ。

 何故かは分からないけれども、そういう技能を持った男性が、何人かで女性を担ぎ上げて放り出して飛ばすことが行われている世界が舞台になった「M」。飛ばなくなったか、落ちて怪我をして意識を失った女性を看病するために、男性たちが千羽鶴を折って励まそうとしていたが、長引く闘病に1人また1人と欠けていく。最後は女性の呼吸器を外し、一同沈痛な気持ちの中で見送ることになるストーリー。現実に照らせば不条理な設定ながらも、描かれる感情はピュアで深かい。

 手を使ったサッカーが普通のサッカーとして呼ばれるくらいに人気になり、手を使わない普通のサッカーがハンドレスサッカーと呼ばれ、マイナー競技に堕した世界が舞台の「J」。それでも旧来のサッカーにこだわり競技を続ける青年たちが、エキシビションとしてハンドサッカーの弱小チームの2軍と特別ルールで試合することになった。架空のシチュエーションが持つ不思議さに驚かされるが、その上で繰り広げられる人間のドラマは真摯で、やかり深い。

 ハンドレスサッカーのキャプテンにに絡むハンドサッカーの選手が、そのキャプテンと学生時代に試合をしたことがあったらしいが、どういう理由か高校に進学する時にハンドサッカーへと進み、2軍ながらもプロになったことを試合中に明かす。単に目立つ方へと向かったのか、キャプテンの学生時代のプレーにハンドレスを断念したのかまでは分からないが、照れを伺わせる言動からは、キャプテンの存在が何か理由にあるようにも取れる。

 しかし、試合の途中からなぜかハンドレスのルールでプレーしはじめたその男の技量は、決してハンドレスが専門の選手に劣らず、むしろハンドレスチームのキャプテンが見ても巧いと思うくらいのものだった。自分たちが本家であり、絶対なんだと思い込むことでマイナー競技にこだわる自分たちのプライドを守ろうとすることの愚かさ。それでも頑張り続けることの大切さ。不条理なシチュエーションだからこそ、余計に強く浮かぶメッセージもある。

 巻末に上下で収録された「蟲愛づる姫君」はさらに凄い。岡野玲子が「陰陽師」で描いたような、平安調のビジュアルと平安ならではの空気感をもって描かれた物語は、心優しくて少しばかり洒落っけのある貴族の男性と、心強くてピュアな女性とが出会い、関わり合っていく様を描いていて、1度ならず2度、3度と読み返さずにはいられない感動を与えてくれる。

 主人公は右馬の佐という成り上がった貴族の息子で、不自由はないものの父親のように官位を得て栄達に励む気概にはやや欠けていて、絵巻物を描いている姉のアトリエへと行き、そこでアシスタントのようなことをしている。平安ながらも少女漫画家の仕事場みたいな雰囲気を持ったアトリエの描写が面白いが、主眼は別。右馬の佐が大学僚の時の友人達と戯れていた時に聞いた、仲間の1人の中将がつきあっていた「蝶愛づる姫君」の隣に住んでいる「蟲愛づる姫君」の話が浮かぶ。

 姫君のことは姉のアトリエでも噂になっていて、毛虫のように眉をそらず残し、歯黒にもしないで大口を開けてげらげらと嗤いながら庭で集めた虫たちを見て喜ぶその奇矯な振る舞いが、仲間にもアトリエの女たちにも馬鹿にされていた。しかし右馬の佐だけは、そんな女が気になって仕方がなかった。

 未来に茫洋とした気分を抱いていたところに湧いた興味の対象に、右馬の佐は細工物の蛇を作ってまずは送りつけて反応を見ると、これが奇矯な様でなかなか筋が通っている。ならば1度は顔が見たいと、中将と連れ立ち女官の格好で屋敷へと出かけ、脇からのぞいていたところに、童子が捕まえた虫を見ようと御簾をあげ、外へと姫君が出てきた。

 その眉はなるほど剃られず、現代から見てもなかなかに太い眉。けれども面立ちは整いなかなかな美しさ。且つ虫を好み身分の差など関係なしに童子たちを相手に戯れる姿が、さらに右馬の佐の心をとらえたようで、その場で歌を詠み、代筆として形ばかりの返歌を得ても懲りず、去り際に熱烈な思いを詠って去ると、姫君からそれへの返歌がしばらくして届けられる。

 どこかモラトリアム気味な男性が、熱情を傾けられるものを得て少し大人になり、ずっと童女のようでいて、これからもそうなのだろうと半ば開き直っていた女性が、自分を理解してくれる存在を得て、やはり少し大人になっていく。

 プライドがあるが故に譲れないまま、泥沼にはまっていく貴族という存在の愚かさ、悲しさ、情けなさをトーンとして描きつつ、そうしたプライドなんて生きる上では無関係、思うがままに生きることが大事なんだと、高らかに歌い上げた物語。読めばどんな立場に置かれた者でも、思い通りに生きるんだという気持ちにさせられる。

 絵のタッチの荒々しさがかえって姫君の瑞々しさを引き出している印象。この絵でこそのこの物語、ということなのだろう。あとがきには上下の短編はパイロット版で、長編化を希望とある。是非に読んで見たいもの。なれそめを詳細に描くも良し。2人が結ばれて生まれた双子の少年と少女が虫の声を聴き、虫を操って都に起こる怪異を退ける冒険の物語を描くも良し。新たな「蟲愛づる姫君」の物語に見えられる日が遠からず訪れることを、期待を込めて強く願う。


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