柳生黙示録

 「人としての情けを断ちて、神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬り」と、ドラマ版「柳生一族の陰謀」の中で、己が心得を唱えていた柳生十兵衛。ドラマや映画で千葉真一が演じて造った十兵衛の像と、剣の道を究めるためには、あらゆる欲望を断ち切る剣豪という属性から、寡黙で苛烈な人物なんだという認識を、ついつい当てはめてしまいがちになる。

 剣を振るえば向かうところに敵は無し、立ちふさがる敵のすべてを斬り伏せ、うち倒して進んでいく武人だと、信じて構えていた目にだから、荒山徹の「柳生黙示録」(朝日新聞出版、1800円)に登場して活躍する柳生十兵衛は、意外なほどに親しみやすく、近寄りやすそうな好人物として映る。

 寛永10年、1637年に起こったキリシタンたちによる反乱「島原・天草の乱」と、柳生十兵衛との関わりがメーンとなったこの物語。始まりは、平戸へと入港したオランダ船から、驚くべき積み荷が見つかったことで、徳川幕府は急ぎ真実を確かめるべく、積み荷を江戸へと運ぼうとする。

 その積み荷とは高山右近。キリシタン大名として知られた彼は、豊臣秀吉の時代にキリスト教への弾圧が強まったことで、隠棲して加賀で暮らしていたものの、徳川家康の治世となっていた1614年、キリシタンの国外追放例が出されたため、自らフィリピンのマニラへと渡って、そこで程なく息を引き取った。享年64歳。

 それが、将軍も3代家光となった時代に、どうして生きていたのか。そして日本にやって来たのか。マニラへと渡った右近は、そこで自分を追放した徳川への遺恨を募らせつつ、勇猛な武将だった時を知る家康が、遠くマニラまで追っ手を差し向け、叛意を殺ごうとするかもしれないと考え、自分は死んだと世に信じ込ませることにした。

 それから右近は、近隣諸国のキリスト教が布教の手を延ばした地域を訪れながら、いつか来る反抗の時を、虎視眈々として待っていた。なるほどだからかと、「柳生黙示録」の物語を読んだ人は考えるだろう。遂に右近が日本で反抗ののろしを上げるために舞い戻ったのは。柳生十兵衛もそう考えた。江戸の柳生家から派遣されてきた、長之介という弟子から右近の企みをほのめかされ、その身を捉え討ち果たそうとして追いすがった。

 そこに現れたのは、キリシタンの洗礼名を持った不思議な力を操るハポン騎士団の一党で、右近を守っているのかと思いきや、どこか様子が違っていた。そして明らかになった真相。十兵衛の意表を衝く場所に潜んでいたキリシタンの刃。物語はそこから、天草四郎を名乗る少年と、十兵衛との深い因縁によって結ばれた関係を描き、天草や島原でうごめく陰謀に立ち向かう十兵衛の姿を描いて最後に、島原・天草の乱の結末の、空前にして絶後の“真相”を描く。

 多々ある逆転の展開を存分に楽しめる上に、不思議な術を操り十兵衛たちを苦しめる、キリシタンたちとの戦いに驚けるこの「柳生黙示録」。鬼に逢っても神に逢っても斬り伏せていく豪傑、というイメージでしか浮かばなかった十兵衛が、最初はどうにかしのいでいても、より不思議な技を繰り出してくる神聖ハポン騎士団や、その名前の意味を知ると微苦笑も浮かぶビルゼンダアデ少年剣士隊に、手も足も出ずやられてしまいそうになるところが、面白くも目新しい。

 堅物に見えながらも、右近が連れ歩いていた、褐色の肌を持って手にした小太刀で十兵衛の直弟子をもいなし、弟ですら対当に見る美少女剣士ヤスミナ姫に心を傾け、己の危機を救ってくれたヤスミナ姫を相手に、より深い思い抱くようになってしまう、十兵衛の感情の生々しさも、「柳生黙示録」には描かれる。まさに人間。人としての情けは断たずに、人間としての感情をのぞかせる柳生十兵衛という男の姿を、見せてくれる物語だ。

 興味深いのは、キリスト教というものへの、激しい言葉が連ねられている部分。「そこに現出していたのは、神の愛が支配するキリシタン王国ではなく、白人キリシタンが現地の人間を奴隷の如く使役する無惨な植民地だった。彼らの態度ときたら呆れるほどに傲慢で、敬虔さの欠片もなかった」と、かつてキリシタンとなりながらも、今は棄教した老人に語らる。

 そして、「我が国にやって来た宣教師どもは恭謙な物腰で神の愛を説いたのではなかった。さなり、あれは日本人を瞞着する方便に過ぎなかったのだ。嘘偽りの仮面をかぶていたのだ。それにころりと騙された愚か者の筆頭が、このわし」だと叫ばせる。神の教えて日本の民を誘い、その犠牲を重ねた上に自分たちの王国を築こうとしている、スペインやポルトガルの宣教師達を非難し、キリスト教の持つ恐さを訴える。

 それはある時代において、真実を得ていたことかもしれない。インカもメキシコもキリスト教を御旗に掲げたスペイン人たちによって蹂躙された。日本がそうなった可能性も皆無ではなかったなかで、危険を察知してキリスト教を国外に追放した、豊臣秀吉や徳川家康の施策は意味があったと考えられる。とはいえ現代、かつての所作をそのまま引き継いでいると咎めるのは宜しくないし、英国のように旧教を廃して国教を立てたり、カトリックではなくプロテスタントを選んだオランダのような国もまとめて、キリスト教だからと不審の目を向けるのも間違いだ。

 そうした言及も「柳生黙示録」にはあるし、そこで非難されているのも、スペインやポルトガルの覇権への欲と旧教とが結びついての行動だったといった理解もできる。何より驚愕の結末が、御心というものの純粋で高潔だった様を指し示す。そこから人は非難されたのはキリスト教ではなく欲望なのだと知り、何を信じ、どう振る舞うべきかを考えれよう。


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