天才少女の孤独と葛藤を描いて評判になった「ハロー、ジーニアス」のシリーズを電撃文庫で書いている優木カズヒロが、場所をメディアワークス文庫に変えて刊行した「私と彼女と家族ごっこ」(アスキー・メディアワークス、590円)は、120%フィクションでファンタジーで妄想で空想の夢物語だと断言して良い。

 別に異世界に行って戦士となってチートな異能で世界を征服し、何ダースにも及ぶ美女を侍らす話ではないし、遙か宇宙へと跳んで幾つもの銀河を脅かす敵を退け、やっぱり美女たちを手中に収める話でもない。それらは確かにファンタスティックではあるけれど、起こる可能性はゼロとは言い切れない。宇宙にはまだまだ不思議なことがあるのだから。

 対してこの「私と彼女と家族ごっこ」は、小学5年生の少女をまだ若い男性教師が好きになり、学校からも家からも彼女を連れ出し逃避行の果てに男性教師の恩師だった悪食で鳴る老教授が管理人もやってるアパートに逃げ込み、1つ部屋で暮らすという展開。なんと羨ましい。違った、絶対にあるはずがないし、あって良いはずがないシチュエーション。即座に通報されて捜索され、発見され検挙されては社会的な制裁を受けるだろう。

 だからファンタジー。そしてフィクション。妄想。夢物語。なのだけれど……。

 だからこそ描ける、家族が求め合い、慈しみ合う素晴らしさに気づかせてくれる物語、なのかもしれない。手に手を取って逃げ込んだアパートで鷹場季貴という名の男性教師と三好環姫という名の少女は、同居人たちもいっぱいいる中で不思議と警戒はされず、捜索の手も及ばないまま、ひとつの部屋に寝泊まりをして普通の生活を送り始める。

 世界中の食を探して歩く聖橋万博教授は傑物で、咎め立てもせず事情も聞かないまま2人をアパートに迎え入れる。季貴とは幼なじみでアパートに入居している剣豪女性の光元兎織や、エロディックな雰囲気で男女構わず迫る井浦真琴という名の女性、かつて神童と呼ばれながらも今は部屋にこもってオタク生活に入っている古塚弘巳という男性、部屋の外に出てこずお掃除ロボットを介して会話をするマッドサイエンティストの定國八雲も、2人を厭わないで受け入れる。

 なおかつ不思議なことに、疑似を通り越した家族ごっこも始める始末。聖橋教授は環姫を孫だと思い、兎織は環姫を本当の妹と思い、古塚は自分をアパートに買われているペットだと思い込み、そして真琴は季貴を兄だと慕って一緒にお風呂にも入ってくる。羨ましい。だから違う。どうやら何か妙なことが起こっているらしい。

 それは、何か曰く因縁を持った場所に立つ、そのアパートだからこそ起こる神秘なのかもしれない。もっとも物語はそちらを探求することはせず、疑似でも家族関係から得られる幸せな気分、満たされる心境を示しつつ、やがて誰もがそれが虚構だと気づくことで、少しづつ綻んでいく展開を見せる。

 疑似な疑似で押し通せば幸せは続いたかもしれない。けれどもそれは絶対に本当の幸せではない。聖橋教授の孫は環姫ではなく別にいる。そして教授はずっと疎遠だった娘との仲を回復させて、胸のつかえをスッキリとさせる。真琴は市議会議員をしている父親との確執をどうにか収束させる。マッドサイエンティストの八雲も生まれたというか、生み出されたことへの葛藤を捨てて母親との和解へとこぎ着ける。

 そして環姫自信は……。そこは明らかにされていなかったけれど、エンディングから想像するにきっと彼女にとって良い道が開かれたということなのだろう。季貴も父母の顔すら知らず施設で育てられた過去をどうにか振り切って、ひとつの家族を得てそしてアパートの住人たちという家族も得て、疑似の頃を超えた結束を得ていく。

 なるほど、導入こそ小学生の少女をさらうという、犯罪にも近しいいシチュエーションだったかもしれない。そこさえ辿らなければ、自分を見つめ直して今を開くという道を得ることを、探って誰が咎めよう。誰だってそうしたいに決まっているのだから。そのための道を、あるいはそうすべきだという動機を、この物語が与えてくれる。

 ひとり、剣豪で正義感が強くアルバイト先でチンピラたちと戦いを繰り広げ、撃退してしまった兎織だけはあまり救われていない印象。だからこそ環姫は戻ってきて、兎織に寄り添う道を選んだのかも知れない。失ってしまった穴は埋められなくても、その上に新たな山を築いていくことは可能なのだから。


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