惑星の影さすとき

 ダイソン球体に地球貫通トンネルと、SFのそれもニーヴンだとかイーガンだとかベンフォードといったハードSFあたりに出てきそうなアイデアや、ヒルベルトのホテルと名付けられた無限集合、ユース・バジルと呼ばれる特定世界の膨らみといった用語を、可愛らしい女の子とか眼鏡のお姉さんとか鳩の頭の男たちとか得体の知れない存在だとかが並び現れる物語の中に盛り込んでは、センス・オブ・ワンダーの物語を漫画によって紡ぎ上げる。

 そう聞くととても小難しそうだけれど、語り口が判りやすく何かが起こっていると感じさせてくれるから、あとはその展開に沿って読んで行けば驚きを得られて理解ももたらされる。これぞハードSFコミックの金字塔にしてメルクマールと言えるのが八木ナガハルの「惑星の影さすとき」(駒草出版、1050円)だ。

 「2.999」は正しくは2の999乗として表記すべきタイトルの作品で、ひとりの少女がじゃんけんで999連勝すれば終わるという、それだけの作品だけれどそれだけの数を連勝するためには、いったいどれだけの相手が必要かが問われている。

 負けたらあとは参加できないルールだったら、32連勝するためだけに43億人、それこそ地球の人口に近づくくらいの人数が必要になってくる。間に合わなくなったら少女は宇宙へと出てダイソン球体、恒星の周囲をリングワールドめいたものがぐるりと取り囲む星へと出向いてそこで60勝目を上げる。

 まだ60勝。999勝には遠く及ばない。銀河ですら90勝がやっと。このあといったいどうなるの? そんな興味に挟まって、偶然性物理学なものが生み出した車、すべての分子が完璧に再現されてどこも壊れていないにもかかわらず動かない車なんてものが語られる。

 その動かない車を分子レベルで完全にコピーしたものなら動くといったエピソードが後の短編に盛り込まれているように、宇宙や物理をめぐる不思議なエピソードがそこかしこに挟まれ、読んでいるうちに何か教えられたような気になる。やがてじゃんけんの行き着いた先に現れたのは? それは宇宙がいったいどういうもので誰のために作られたものかを示していた。

 そんな物語を、2008年のウルトラジャンプという商業誌でも王道に寄った雑誌で掲載してしいたのだから、八木ナガハルも集英社もなかなか凄い。ウルトラジャンプでは「地球貫通トンネル」というものも掲載していて、地球のコアを貫くトンネルを掘ったら者を投げ入れれば途中まで自由落下で落ちていき、そして引っ張り上げられるようになって反対側に速度0で到着するといった甘言に乗り、政府が掘った穴に大気が吸い込まれて大変なことになるエピソードが繰り広げられる。

 コアとまではいかないけれど、地殻を湾曲に掘り抜いて重力で走らせる弾丸列車の構想など、20世紀のドリームにあった落とし穴が描かれる。帰還が50年後になるのを承知で遠く離れた星へと戦争に出かける青年たちが戦う相手は、人間の頭を使った戦闘兵器だったりするエピソードもある。

 そうした商業作品とは別に、同人誌即売会のコミティア向けに用意された短編では、無限工作社なる存在、子ども達が仕切ってテクノロジーを与えては惑星を大きく変えるようなことを繰り広げている集団を追って、かつて星を滅ぼされたドキュメンタリー作家が取材を続けるエピソードも綴られている。衆人だけが繰らす惑星を尋ねてリポーターが知ったことは脇に置き、外にも世界があると知ってなお囚人として惑星に止まる少女の決断に、冒険より安住を求める心理を見る。

 目が一つしかないからこそ、相手の心理を読むことができる人たちの話。いったん着火したら絶対に消えず惑星すら燃やし尽くしてしまう火の話。驚きの現象やガジェットが繰り出され、そして無限工作車によるとてつおないテクノロジーが提示され、個々のエピソードをつないで宇宙全体に謎をもたらす。そんなSFコミックが詰め込まれた「惑星の影さすとき」が、日本SF大賞や星雲賞にノミネートされる時は来るか。見守りたい。


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