うみまち鉄道運行記 サンミア市のやさしい鉄道員たち

 JR西日本の福知山線で2005年4月に起こった事故のことを思うと、遅れそうだからといってスピードを出す鉄道のことを、あまり誉めてはいけないという前提をまず置いて、そこはしっかりと安全な範囲を守りつつ、やれることをやって乗客をミュージカルの開演に間に合うように送り届けようとしたサンミア電鐵の運転士、メグ・クラックスの行為を、よく頑張ったねと誉めてあげたい気はしている。

 そんな思いを起こさせてくれた伊佐良紫築の「うみまち鉄道運行記 サンミア市のやさしい鉄道員たち」(富士見L文庫、620円)という物語。オンボロというか、同じ運転士だった父親にも縁のある車両を改装した「リトル・フェアリー」という名前の列車の運転台に乗り、父親が母親と知り合うきかっけにもなった「お芝居特急」の再来を演じてみせたメグのその行動を、規則違反だからという観点からも咎める気にはあまりならない。メグの両親の今を思えばなおさらに。

 というか、メグの両親に今はない。しばらく前にサンミア市を襲った大震災で、母親は家の下になって死亡し、父親も運手していた列車の運転台に落ちてきた屋根の下敷きになって死んでしまった。メグは帰ってこない父親を待って駅に暮らすようになって、そして数カ月が経つ。娘は母親ともども死亡したという発表もあって、会社で父親だった同僚たちも気づかなかったメグの生存を、父親のパートナーだったマルコ・ルチアーニが知るエピソードはやっぱり泣ける。人が永遠の別れを感じる瞬間は、とても辛いものだから。

 それでも、どん底の境遇から救い出され、大好きな鉄道に囲まれながら成長していったメグは、同じように震災孤児だったシャーリーを車掌に迎え、父親が運転していた車両を改造した「リトル・フェアリー」を駆って、同じようにミュージカルを楽しみにした人たちを乗せて目的地へと送り届ける。メグは今幸せか? そこは分からないけれど、少なくとも乗客たちは幸せだろう。大好きなミュージカルに間に合った訳だから。それが多分1番大事なこと、サービス業に働く人たちにとっては。

 そういう理解があるから、メグの無茶な運転を世間もあんまり咎めようとせず、むしろ協力すらしてみせたのだろう。普段は絶対に入れない貨物線へと入れてもらっては、鈍行列車を追い越し、横を走るライバル鉄道の特急列車すら上回るスピードを出しても、安全の範囲内にあるならそれを認める心意気。規則に縛られ、時間にガチガチな今の鉄道では決して起こらない“奇跡”だろう。

 福知山線の事故だって、規則だの何だのといった融通の利かなさが、まだ若い運転士の焦りを呼んで取り返しのつかないミスを招いて、大惨事を引き起こしてしまった訳で、他人のために自由な振る舞いを認めるサンミア電鐵とは、事情がまるで正反対。だから、ここは認めてあげても良いのかも知れない。メグの運転も。鉄道の出発が遅れて、メグが急がなくてはならない原因となった無賃乗車の子供の事情を忖度して、切符を与えて未来を与えてあげたことも。

 電車の運行というテクニカルなテーマも織り込みながら、その上で働く人たちのがんばりを描いていくエピソードはほかに、メグといっしょに震災孤児として駅に暮らしていたレオン・ジョーゼットという男性が、とある少女を列車に乗せてその目的を叶えてあげるために無茶をし、街で困っていたその少女の元にわざわざ駆けつけ電車へと誘う、名実ともに騎士のような働きを見せる話、現金を輸送している列車に賊が押し入ったのを、車掌のシャーリーが察知して、大冒険の果てにどうにか賊を退け、お金を守るのに成功する話などがあって、どれもスリリングな展開と、やさしい気持ちの発露を味わえる。

 誰かの最良の選択が、素晴らしい人材を生んで、そしてその人材が見せる選択が、さらに良い人材を招く連鎖が描かれているのを見るにつけ、縛るより緩くして、楽しくそして明るくやっていく方が、絶対に素晴らしいと思わされる。けれども現実は、どんどんと世知辛くなる一方。だからこそこの「うみまち鉄道運行記 サンミア市のやさしい鉄道員たち」は、多くに読まれるべき物語かもしれない。第1回ラノベ文芸賞の審査員特別賞受賞作。ライトノベルの軽やかさに、しんみりとするエピソード、スリリングなサスペンスが加わった極上のエンターテインメントだ。


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