海辺の小さな町

 豊橋にある大学に、名古屋から2時間かけて通っていた。下宿するという選択肢もあったのだが、日々の生活に追われるのが億劫だったのと、実家から離れることに臆病になったことから、結局4年間を通いで通した。

 電車が豊橋駅に着き、改札を抜けて駅の北口に降り立つと、正面には大通りが山の方に向かって延びていて、その真ん中を路面電車が走っている。大通りの両脇にはビルが立ち並んでいるが、10階にも満たないビルばかり。上には晴れていれば抜けるような青空が広がっている。通りの広い名古屋でも、よく空が広いと思うことがあるが、豊橋の町はいっそう空の広さと空気の柔らかさを感じさせてくれる。

 はっぴいえんどの「風をあつめて」という曲に、町はずれの路地を散歩していたら、靄ごしに起きぬけの路面電車が海を渡っていく姿が見えたという歌詞があった。路面電車は海辺を走っておらず、逆に山の方へと向かっていくのに、豊橋を起点に伊良湖岬や三河湾へと遊びに行った記憶と重なりあってか、豊橋と聞くとなぜだかいつもこの歌を思い出す。

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 宮城谷昌光といえば、直木賞を授賞した「夏姫春秋」をはじめ、「重耳」や「晏子」といった、中国の歴史的な人物を主人公にした小説で知られている。しかしこうした「中国物」で認められるまでには、長い下積み時代があって、東京での大学生活や社会人生活を経た後、たしか蒲郡だったと思ったが地元に帰郷して、雌伏何年かの後に、再び小説を書き始めたと聞いている。

 今度出た小説「海辺の小さな町」(朝日新聞社、1500円)を読んで、宮城谷が中国史に題を取った小説を書き始める前、地元で写真にのめり込んでいたことをはじめて知った。はじめは水彩画をたしなみ、続いて絵筆をカメラに持ち換えて写真を撮り続けた5年余りの時間。写真雑誌の月例コンテストに応募し続け、最後には年度賞を獲得するほどの腕前を身につけたという。そこからアマチュア写真家への道を本格的に歩むかと思いきや、一区切りがついたと小説の道へと舞い戻り、歴史小説の書き手としての才能を、一気に開花させた。

 そんな宮城谷が、珍しく書いた現代小説「海辺の小さな町」は、決して宮城谷の自伝小説ではないにしても、ストーリーのそこかしこに、宮城谷自身の体験がうっすらと映し出されているような感じを受ける。

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 主人公の少年は、東京の石神井に住んで、大学を豊橋から電車でごとごとと走った「海辺の小さな町」に選んだ。同じアパートに住む金沢から来た少年と仲良しになって写真の道へと入り込み、町の写真クラブに加盟してモデル写真や風景写真を撮るようになって、そのうちに月例コンテストの常連になるまで腕を上げる。実家を離れ、東京の大学に通っていた宮城谷の学生時代の甘かったり苦かったりする思い出や、帰郷した後に趣味で始めた写真のことが、4年間を「海辺の小さな町」で暮らした少年たちの体験を通じて語られている。

 下宿先の大家の娘、よく行く喫茶店でひと夏だけ働いていたウエイトレス、新幹線で偶然乗り合わせた美少女。すべてが事実ではないにしても、ディティールのどこかに、宮城谷自身の学生時代の思い出が反映されているような気がしてならない。億劫さというよりは臆病さゆえに下宿をあきらめた自分にも、もしかしたら経験できたかもしれない甘酸っぱくほろ苦いエピソードの積み重ねを読み進むうちに、なにかとても大切な物を置き忘れたまま、今のこの歳までを過ごして来てしまったような気になって、とてもいたたまれなくなった。

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 写真に迷った主人公は、父親と何らかの関わりがあった女性が、かつて婚約していたという元写真家をたずねるが、邪見にされて引き返す。事情を知ったその元写真家から、すぐに謝りたい、助言したいと言われるが、写真はひとりでやるものと決心したから助言はいらないと断言する。目上の者であっても筋を通して決して媚びない、その芯の強さに、宮城谷という人の真面目さ、志の高さを見てとることができる。だからこそ初心を忘れず、東京を離れて後も小説の道へと舞い戻り、今の成功を収めることができたのだろう。

 まだ間に合う。そう、まだ間に合うのだ。自分にとっての「海辺の小さな町」を心の中に取り戻し、かつて見た夢を再び追い始めることにしよう。


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