う ば ぢ か ら
祖母力 オシムが心酔した男の行動哲学

 「祖母力」。題字から受ける印象そのままに、清水義範の「やっとかめ探偵団」シリーズよろしく、妙齢というよりは高齢の女性たちが集まり、起こる難事件を重ねた年齢にふさわしい、知識と経験と人脈を使ってあざやかに解決していく、高齢化社会に相応しいオールドボイルド・ディティクティブ・ストーリー、では全然ない。

 著者は祖母井秀隆で、その彼が人生において見せてきた力をつづった本が、この「祖母力(うばぢから) オシムが心酔した男の行動哲学」(光文社、1500円)。ではいったい祖母井秀隆とは何者か。長く中堅から下の成績で停滞していたサッカーJリーグの老舗チーム「ジェフユナイテッド市原・千葉」に、最初は育成担当として迎え入れられ、ゼネラルマネジャーとなって欧州の優れた監督を立て続けに招聘。その延長として、あのイビチャ・オシムの監督招聘に成功し、ジェフ千葉を一時ながらも屈指の強豪へと変えた立て役者だ。

 オシムといえばその言葉、その人生が1冊では収まらない本になるくらいの人物。それだけに、祖母井がオシムをジェフ千葉へと招聘するまでの、ある日とつぜんに舞い込んだファクスに手応えを覚え、日本から毎日電話をかけ続け、最後はオーストリアのグラーツへと飛び膝をつき合わせて談判し、近所にある酒場で代理人など交えずサインを交わしたエピソードも、ひとつの本になりそうな深みと重みを持っている。

 それより以前の、ズデンコ・ベルデニックやジョゼフ・ベングロシュの招聘にも、立派にひとつのストーリーがあるし、阿部勇樹や山岸智といった後の日本代表選手を、ユース時代から育て上げた経歴や、07年からフランスの2部チーム「グルノーブル・フット・38」に、日本人ながらGMとして就任した経歴のどれをとっても、立派に1冊の本になる。

 けれども、祖母井秀隆の力はもっと昔から発揮されていた。読売クラブへの入団が決まりながらも、海外へ行くチャンスがあると聞き契約金を返上してドイツへと留学し、そのまま10年を過ごしながら様々なものを吸収していった若き日々。ドイツから帰って来て、大阪体育大学のコーチになったものの、ドイツ仕込みの合理性が時代錯誤の練習を課す1軍の監督とぶつかり、追い出されて2軍を率いさせることになり、それなら自分たちは2軍で日本リーグを目指すんだと奮起し、鍛え上げて奇蹟の日本リーグ2部参入を決めた時代。読めば決して諦めず、目標に向かって突き進むパワフルさ、アグレッシブさが響いてくる.

 日本リーグ2部参入については、大学側は認めながらもおそらくは1軍の横やりか何かがあって辞退させられるというおまけがつく。何という無様な旧体制。もっともこの旧体制との戦いが、祖母井のその後の、そして現在も含めた人生に大きく関わってくる。

 乞われ赴いたジェフ千葉でも、大阪体育大学に負けない、むしろ歴史と伝統を持つ古河電工サッカー部が母胎となって出来たチームだけに、より激しい旧体制との戦いが待っていた。練習を見に来る観客が多い休日に、オフィシャルショップを休日だから閉めようと言う幹部。現場で選手たちが練習しているのに、ゴルフ場から電話をかけて来る幹部。100万円を超すタクシー代を使って平気な幹部。訴えても認められず、むしろ疎んじられる体質の中で、祖母井はすこしづつ改革を行っていった。

 日本サッカー協会にも及ぶ旧体制の影響力に、いわれのない中傷を受けたこともあった。そんな経験があったからこそ、イビチャ・オシムの代表監督就任にあわせて協会入りを誘われても、それを名誉などと受け止め喜ぶことをせず、一緒に仕事はしたくないと断ったのだろう。もっとも、そこでオシムをかくも恐ろしい伏魔殿へと送り込んだ時に起こるだろう事態を想定して、無理を飲み込み付き従っていってくれていたら、オシムの病魔にも即座に対応ができて、監督の座にもそのまま止まらせることができて、2010年という目先ではない10年、30年、50年先の日本のサッカーを見据えた改革が進んでいたのかもしれない。そう思うと、残念な気がしないでもない。

 ジェフを率いていたイビチャ・オシムが、06年に日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンの不用意な一言をきっかけに日本代表へと引き抜かれていった経緯を、半ば当事者としてつぶさに語った一文もあって、オシム好きなら当然にして読まなくてはいけない本。そうでなくても日本のサッカー界が、Jリーグ発足から15年近くが経ったとはいえ、いまだに旧態依然とした派閥によって壟断され、独立したプロスポーツのチームとしてえはなく、企業の宣伝子会社的な位置づけで運営されているサッカー界の実態が浮かび上がって来るから、スポーツの行く先に少しでも関心がある人なら、絶対に読んで学ぶべき本だ。

 08年1月の時点でGMを勤めている「グルノーブル」には、親会社で日本企業のインデックスが経営難からチームを手放すという話が伝わっている。他の日本企業に売却されるという話もあるが、どこに落ち着こうとも祖母井は信念を貫き、己の仕事を果たして行くことになるだろう。よしんばフランスでの冒険に支障が出ても、日本にいくらだって職場はある。むしろその「祖母力」は、今の日本にこそ必要なもの。戻り来て発揮してくれたら2050年まで日本は安心なのだが。


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