チュウは忠臣蔵のチュウ

 判官贔屓の日本人にとって、赤穂浪士はいつまでだってどこまでだって正義の象徴。主君の仇を討って本懐を遂げた英雄だってことで、300年経った今も賞賛が絶えない。

 もっとも、討たれた吉良上野介が治めていた愛知県幡豆郡吉良町では、上野介は黄金堤って堤防を築いて水害を防いだ名君だったと讃えられていたりする訳で、そんな主君を奪った暴徒だって赤穂浪士を非難する声が、やっぱり今も残っていたりするらしい。

 立場を変えれば見方も変わるというのが世の常で、それは忠臣蔵だって同じこと。そんな歴史の一幕を、ホラーから伝奇からユーモアから落語まで幅広く手がける異才の田中啓文が、独特の視点でもって描いたのが「チュウは忠臣蔵のチュウ」(文芸春秋社、1619円)。それだけに、浮かび上がる真相はもう驚天動地の一言。そうだったのかと目から鱗がボロボロと、剥がれ落ちる気分を存分に味わえる。赤穂だって吉良だって吃驚だ。

 時は元禄。誰もが知ってる江戸城の殿中は松の廊下での刃傷沙汰。朝廷の使節饗応に関して上野介に情報を止められ、失敗させられそうになった仕返しに、浅野内匠頭が斬りつけたというのが通説だけど、「チュウは忠臣蔵のチュウ」では浅野内匠頭をハメたのは吉良とは違った一味。それによって元よりヒステリックな部分のあった内匠頭、自分が鯉にそっくりだって誹られていると勘違いして、通りかかった上野介に傷を負わせて責任を問われ、切腹へと追い込まれる。

 ここからが陰謀の本番。切腹したのは別の人間で、当の内匠頭は印籠を掲げる場面と入浴シーンが有名な時代劇でお馴染みの、白い髭をして杖を付いた謎の老人に助けられ、密かに生き延びてしまったからたまらない。それとは知らない赤穂浪士は、半ば自棄になった大石内蔵助に率いられて吉良邸に討ち入り、本懐を果たそうとして、髭の老人が企む幕府転覆という壮大な計画への片棒を、それとは知らず担がされる羽目となる。

 もっともそこは幕府もさるもの。吉良邸で起こったとある出来事というのも勘案したのか、討ち入り後の四十七士に歴史とは違ったことをさせる。そして起こった天変地異にも似た出来事。再び行われる討ち入りは、誰もが知ってる討ち入りとはまるで正反対というか、まるで真逆の構図となって読む人をゲラゲラと笑わせる。

 これは痛快。ある意味ではまるで“忠臣”蔵ではないけれど、諫言といものが世にあるのだと考えるのなら、これこそが真の忠臣蔵だと言って言えなくもない。

 歴史にもしもはないけれど、それでももしもがあったとしたら、こういう事態だって起こっていたって不思議はない、というのはさすがに言い過ぎ? それでも空想の中でだったら何でもありだ。奇想天外な忠臣蔵にプラスアルファの元禄時代劇大群像劇。お楽しみあれ。

 ところでこの後で吉良はいったいどうなったのだろう。赤穂浪士が引っさげてきた堤にうなずきよくやったと誉めていたら? それもまた奇妙な光景で。


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