Turn
ターン

 核戦争でも疫病でも良いから、人がすべて死に絶えて誰もいなくなった都市に、たった1人生き残って好き放題しまくりたいと思っている手前勝手な人間の目には、北村薫の「ターン」(新潮社、1700社)に描かれている時間の凍りついた世界は、まさに理想郷のように映る。

 交通事故に遭って気がつくとそこは自分の部屋。外に出ると街から人が消え失せ、たった1人であちらこちらをさまよい歩く。明けて翌日の午後3時15分、突然目の前の景色が切り替わり、ふたたび自分の部屋にいる自分に気がつく。相変わらず街には1人も人はおらず、車も走っていなければ動物の1匹もみかけない。それでいて街には物が溢れ、電気もガスも水道も普段通りに利用できる。さんざん暴れ回っても、それこそ暴虐の限りを尽くしても、翌日になれば、実際には「ターン」して戻った前日になれば、すべてが元通りになっている。

 これを理想郷といわずしてなんといおう。時間は巻き戻されても記憶は巻き戻される訳ではないから、図書館から持ち出して来た長大な小説を3日がかりで読むことも、レコードショップの店頭にあった全54話あるテレビアニメのLD−BOXを見ることも可能なのだ。「ターン」するたびに本は図書館に、LD−BOXはレコード店に戻ってしまうため、その都度いちいち取りに行かなくてはならないのが、やや面倒ではあるが。

 だから、主人公で版画家の森真希が、自分だけしかいない世界、そして「ターン」を繰り返す世界に送り込まれて、どうして戸惑うのかが分からなかった。もちろん最初のうちは戸惑っても構わないが、ある程度状況を把握したら、なんだって好きなことを始めればいいではないかと、羨ましい感情にとらわれてしまう。おまけに真希は、自分がおかれた状況を把握したうえでなお、律儀に普通の世界のルールを守って、ものを買えばお金を払い、車に乗る時には免許証を欠かさず携帯するのだ。奇妙としか言いようがない。

 「ターン」する世界を自分がもといた世界と同じものだと信じ込み、いつかすべてが動き出し、どこからか人が現れていつもどおりの世界に戻る、そんな日を思い願って、普段と変わらない生活を送っているのだと考えられないこともない。けれどもすべてを知った時、現世とつながった1台の電話を介して、自分がおかれている状況をつぶさに理解してもなお、現世でもなく、あの世でもない「ターン」する世界で、律儀に現世のルールを守らせている真希の生真面目な性格に、どうにも息苦しさを覚えて仕方がない。

 もっとも、永遠に繰り返される非日常だからこそ、明日になにも残すことのできない世界だからこそ、真希はあくまでもふだんどおりの日常に拘り続けたのかもしれない。気がついて、冷蔵庫から落ちるスライスチーズの袋をながめ、それから外にでて服を買ったり本を読んだり車を走らせたりしてから夜に汗を流して床に就く。明けてまた自分1人の街で自分1人の日が始まり、そして3時15分が、「ターン」の時間がやってくる。今日したことが、明日につながらない悲しみの前では、暴虐も快楽もしょせんは心に刻まれる虚ろな穴でしかないのだろう。

 そんな日常を変えた1本の電話から、明日になれば今日と違った1日が始まる、ありた前の世界に住む、けれども真希にとっては願っても願っても得られなかった世界に住む泉洋平の声が流れ出した時、真希が思った心の安堵を思うと嬉しさに胸が詰まる。「明日やりたいこと、・・・・やることが出来たんですもの。わたし、それのない世界にいましたから」(206ページ)。当たり前の世界を当たり前のように生きている、当たり前の人たちにとってこの言葉は切なくて重い。

 洋平とのホットラインが途絶えた後、そして恐ろしい体験を経て自分の「ターン」にもいつか終わりが来ると知った後、真紀が感じた心の苦しみはいかばかりであったろう。恐怖を敷衍すればホラーとして立派に成立しうるシチュエーションだが、北村薫の筆致はあくまでも優しく、そして希望を忘れない。自分の足跡を残すこと、誰かに自分の足跡を見てもらうこと、そんな他律的な衝動ではない、本当に今自分のやりたいこと、やらなければならないことを見つけることが出来た時、真希は再びメゾチントに向かう。

 「目の前を過ぎゆく一瞬一瞬がたまらなく愛しいものになった」(344ページ)。畑で汗を流し、一心不乱に本を読み、好きなだけ花を見つめるように、真希は心のすべてをメゾチントに向かって彫り上げる。「不毛なのは《毎日》ではなく《わたし》だった」(345ページ)。ああ、なんという厳しさを持った言葉だろう。なんという激しさを持った言葉だろう。ここにたどり着くまでに、「ターン」を繰り返すことのできた真希をただ羨ましく思う。

 「ターン」なき当たり前の世界に生きるわたしたちにも、真希はまだ遅くはないと言ってくれるだろうか。いや、それすら他律的な願望に過ぎない。これからが50年あったとしても、あるいはたった数秒の時した残されていなかったとしても、今この一瞬を、永遠と思って精いっぱい力いっぱい生きていこう。


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