月の石
Tsarens Juveler

 大人と子供のどちらが人間として立派かと聞かれれば、身勝手で世間知らずで我侭で、大人たちの庇護がなければ生きていけない子供より、身の程をわきまえ世間にもまれて思慮深く従順な大人たちの方が立派と、誰もが答えることだろう。

 だが、ノルウェイの作家、トールモー・ハウゲンが書いたファンタジー「月の石」(細井直子訳、WAVE出版、1600円)に登場してくる大人たちは、誰もが己の欲望に実直で、そのためには他人も家族すらも騙し傷つけて平気な、醜く荒んだ様を見せつける。読者の多くを占めるだろう子供には、そんな大人たちの姿が自分の未来を暗示しているように映り、成長することを止めてしまいたいと思わせかねない懸念をはらむ。

 主人公の少年ニコライは、美術品を扱う貿易商を営む父マキシムと、美しい母親リディアの間に生まれ育ち、傍目から見れば裕福な暮らしを送っていた。しかしマキシムには宝石の密輸という影の仕事があり、リディアはリディアでそんな夫の隠し事が自分への不信に見え、経済的にピンチだった知人親類たちと図って、夫の宝石を奪おうと画策していた。

 裕福だが目いっぱいの愛情を注がれず、若くして世間を達観したかのように日々を過ごすニコライに、ある時大きな試練が訪れた。同じ世界の上なのか、それとも別の幻想界なのか判然としない荒野の果てにある「半月宮」で、月を見守って来た巫女たちから、失われてしまった「月の光」を甦らせるために、手を貸して欲しいと頼まれたのだった。

 ニコライの曾祖母、マキシムにとっては祖母に当たるフロリンダは、高齢ながら存命で同じ街に暮らしていた。彼女は幼い時に帝政時代のロシアから革命を避けてノルウェイへと逃げ、そこで娘のイドゥンをもうけた。しかしイドゥンは様変わりした故郷のソ連へ、幼かったマキシムを置いたまま旅立ち今に至るまで行方知れず。フロリンダはマキシムに亡くした夫や失踪した娘を思い出すため一緒に暮らせず、マキシムを外へと預け、以来ずっと独り暮らしを続けていた。

 「月の光」を甦らせるために必要な「月の石」と呼ばれる宝石が、ロシアのニコライ王家からフロリンダの家へと伝えられている可能性があった。だが、ニコライ2世と父親が知り合いだったフロリンダでも、幼い頃の出来事故に記憶にない。増してやこちらは何者かに脅されて「月の石」を探し始めるマキシム、夫を捨てて自由になれるだけの金になると「月の石」を探そうとするリディアにとっても、在処はおろか形さえ想像のつかない代物だった。

 孤独に震えるニコライを置いて、身の安全や自らの欲望のために「月の石」を探して回る大人たちの姿に、大人が決して人間として完成した存在ではなく、身の程を知ったが故に欲望をかきたてられ、世間にもまれたが故に汚れてしまった心を持つ、一部が欠けたり一部が膨らんだ壊れた存在なんだという事実が浮かび上がる。

 「半月宮」の神殿からさらわれ「月の石」の秘密を教えるように迫られた男が語る7つの宝石にまつわる物語も、アダムとイブが犯した原罪の物語あったり、宝石のような瞳を失った娘を放逐する王の物語であったり、最愛の妻のために空中庭園を作っても妻の故郷からもたらされた石ほどには喜びを与えられなかった王の物語であったりと、どこか大人たちの小賢しさ、権威にへつらい欲望に溺れる醜さがうかがえる。

 だからといって、子供がいつまでも子供のままでいることは出来ない。ならば。マキシムやリディアのうろたえる姿、7つの宝石にまつわる物語に描かれる大人の世界の残酷さが反面教師となってくれる。世間にもまれ地位や役職に縛られ、それでも子供の純真さを失わないでいられるか。我侭さではなく正直さで、世間知らずではなく何事にもとらわれない闊達さで、世界を歩いていける大人になれるか。そんなことを子供には考えさせ、大人には居住まいをたださせる。

 伝説として語り継がれる悲劇の王女アナスタシアも登場し、アジアやエジプト、南米など各地の神話や伝説に題材をとり、独自の味付けもされた7つの宝石の伝説が部分部分で語られて、読者の興味を引っ張り続ける構成の妙がまず光る。ニコライが美少女と連れだって街をかけまわるシーンの何と胸躍ることか。「月の石」が見つかり世界が救われ巫女たちが喜ぶ様子には、心からの喜びがわき上がる。
 一方では、祖母から疎まれ母親は失踪し父親も行方知れずの家庭に育ったマキシムが、息子のニコライとうまく接することが出来ないでいる様子には、核化どころか分裂さえしている家族が向かいかねない可能性が示唆されている。決してハッピーではないエンディングは、問題が容易に解決しないことを如実に示す。だが少なくとも、小賢しい知恵や曖昧な笑みの向こうに問題を包み隠ししてしまう「大人の解決」はなされていない。

 大人になるのではなく、人間になれと教えてくれる。大人でいるのではなく、人間でいようと気付かせてくれる。欲望の渦にまかれ、世界が混沌に沈もうとしている今、この本がタイトルどおり「月の石」になって欲しいと心から願う。


積ん読パラダイスへ戻る