トマソンの罠


 犬に噛まれた弟の付き添いで、週に1、2度、豊田市にある病院に通っていたことがある。小学生の時だ。家で留守番していてもよかったのだが、わざわざ1時間近くもバスに乗って遠くの病院までついていったのは、病院の待合い室に置いてあった「少年ジャンプ」を読みたかったからだ。

 少年マガジンの「三つ目がとおる」や、少年チャンピオンの「魔太郎が来る」など、待合い室で読んだ漫画は結構あるが、彼らビッグネームの作品以上に、僕は少年ジャンプに連載されていた諸星大二郎を「暗黒神話」読んで、今に至る大きな影響を受けてしまった。

 古代日本の謎に満ちた歴史を、想像力によって再構築していくその手法に、僕はすっかり虜になった。遺跡を見れば中にタイムカプセルが残っていないかのぞいてみたくなり、古墳を見ればなにか埋まっていないか掘り起こしてみたくなる。遺跡、遺物、古文書、因習。現代につたわるいにしえの痕跡から、葬り去られた闇の歴史を想起する。

 後に活字のSFを読むようになり、半村良の「闇の中の系譜」に連なる「嘘部」シリーズに「暗黒神話」で受けたものと同じ、古い時代の日本への、恐れと憧れを感じた。それは多分、あまりにも画一化された、あまりにも定式化された、あまりにも鯱張った今の社会への不満から、引き起こされているのだろう。

 文藝春秋が季刊で発行していた漫画雑誌「コミック94」(あるいは「コミック95」「コミック96」)に掲載されていた、とり・みきの短編の幾つかに、古い時代の日本への、強いオマージュを示した作品があって、久しぶりに「暗黒神話」や「嘘部シリーズ」を読んだ時のような感覚に襲われた。

 24年間も人身事故を出したことのない航空会社に入社した社員が、社長直々の嘆願を受けて秘密の仕事に就く話(「エリート」)、雪国の温泉旅館でアベックが遭遇した張形を操る不思議な人たち(「雪の宿」)、神隠しに会った少年が家に帰る話(「帰郷」)等など。怪談とは違う、また都市伝説とも違う、古い時代からの「言い伝え」が持つ恐ろしさ、すさまじさに背筋がゾクゾクとしてくる。

 そして最後に収められた「石の声」を読んで、ゾクゾク感は一気に頂点へと達する。地下鉄の工事現場で発見された巨大な石。なにかのために埋められたと見られるこの石を、工事に邪魔になるからといって排除したところから、古い時代の日本が封印してきた、闇の力の逆襲が始まる。知り合った地方紙の記者と、石の謎に挑んだ果てに、彼女が見たものは・・・・。

 「ある長編の序章として」と副題が付いているこの作品の本編が描かれ、完結した暁には、「暗黒神話」のように20年以上にわたって、僕にとってのベスト作品であり続けるはずだという予感がしている。

 古い時代への恐れと憧れという意味では、とり・みきが、かつてSFマガジンに連載した「山の声」も、同じような興奮をもたらしてくれた作品だった。少年チャンピオンなどでギャグ漫画家として活躍していたとり・みきが、漫画雑誌で使っていた太いペンタッチとデフォルメされた人物描写から一転して、細く緻密な線で、スクリーントーンを使わずに描いたこの「山の声」は、ペンタッチと内容とが見事にマッチしていた。

 タイトルから想像するに、この「山の声」と対をなす作品になるであろう「石の声」もまた、ペンタッチに変化はみられるものの、同じように緻密な線を織り重ねることで、光りと闇の交わる雰囲気を醸し出している。作品によって描線を変えられ、しかし全ての作品でアイデンティティーを保ち続けられる漫画家がどれだけいるだろう。やはり驚かずにはいられない。

 そしてなにより、これだけの漫画家が大部数を誇る漫画雑誌に連載を持っていないということに、憤りを感じずにはいられない。僕が「少年ジャンプ」に連載されていた諸星大二郎や星野之宣(「ブルーシティー」!)から受けたような影響を、今、こうした漫画雑誌を読む子供たちは得ることができないのかと考えると、なんだか寂しいものがある。

 少年漫画誌にとり・みきを! 「てりぶる少年団」の復刻を! とり・みき全集の刊行を!

 やっぱムリかなあ。


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