東京開化えれきのからくり

 SFって可能性の物語なんだだと思う。科学があるとかいった本質を左右する基準も別にあるけれど、直感というか反射神経のレベルで「SFって何?」って聞かれた場合、たぶん「あったかもしれないことを書いてある話」って答えてその場をしのぐことだろう。

 歴史小説とか時代小説とかだったら、なかったことはおいそれとは書けない。銭形平次という人が個人レベルで実在してたかって話じゃない。銭形平次が500円玉を投げてたとか、徳川の将軍とナポレオンとが会談をしてたとかって話を、歴史小説時代や小説として書けばやぱり非難は避けられない。歴史の論文だったら赤点落第は間違いない。

 けれどもSFだったら大丈夫。ワシントンが幼い頃のトラウマを癒しに日本中のサクラの木を切り倒すんだって黒船に乗って攻めて来たって、それはあったかもしれない可能性の1つとして認められる。大名がジャスにのめり込んで家臣一同と演奏会を開いたって全然平気。だってそれってとっても楽しい話だから。

 もちろん徹底的に突飛な話にしたって構いはしないけれど、可能性というレベルからあんまりかけ離れてしまうのも考えもの。江戸時代にエレキテルは生まれても、原子力は多分存在しなかっただろうし、馬車はあっても自動車ともなると眉に唾をしてしまう。突飛さへと至らないぎりぎりの部分で踏みとどまった想像力の方が、まことしやかに人をその世界へと引きずり込んで、わくわくドキドキさせてくれる。

 草上仁の明治時代、らしき時代を部隊にした「東京開化えれきのからくり」(早川書房)は、そんな臨界突破ぎりぎりで抑制された想像力が、絶妙の味を醸し出してて読者にその世界を存分に楽しませてくれる小説だ。らしき、というのはなるほど明治時代と銘打たれてはいるけれど、自分たちの経験して来た明治時代とは微妙に様子が違っているから。なるほどガスはあったかもしれない。新聞も電信も汽車もビールも明治6年には日本に存在していたらしい。

 でも”あの人”がいたって事実はどうやらない。「たます」っていう名のアメリカ人。本編の主人公で元岡っ引き、今は警察組織の下働きみたいな仕事をしている善七と、別居している女房のおせんとの間に出来た息子のステ吉が、掏摸に合い道に迷って困っていたところを助けけた「たます」はどうやら日本にある物を探しにやって来ていたらしい。そのある物とは。世界不思議発見。

 とやってもいた事実がないんだから答えの書きようはないけれど、その「たます」の存在が、明治初期の文明開化に沸き立つ東京を震撼させた事件に繋がるんだから、やっぱりいたことにしてしまおう。ちなみにその事件とは、1つは煉瓦の建物がようやく建ち始めた東京で頻発していた木造家屋が燃える火事で、もう1つは炬燵の中で死んだ時に出来る痣が全身に出た、指に黒い炭をつけた男が川で死体となって発見されたこと。

 一件何の因果関係も見えない事件だけど、謎の死体が上がった事件を、善七がかつての上司で今も面倒を見てくれる宮本警部を助けて追ううちに、1つの線となって結びついてくる。貪欲に文明を採り入れようと突っ走り、それこそ金に糸目なぞつけなかったエネルギッシュな明治初期の日本では、うまく立ち回りさえすれば現実世界の三菱、三井といった財閥のように、莫大な富を得ることができた。「東京開化えれきのからくり」の舞台となった架空の明治の東京でも、どうやらそんな陰謀が巡らされていたみたい。

 じゃあいったいそれは何? といったところで持ち上がってくるのが先のアメリカ人「とます」の存在なんだけど、だったら彼はいったい誰? といった答えとともに後は読んでのお楽しみ。元岡っ引きが「探偵」となって事件を追いつめていくミステリー的要素に加え、警察と消防との仲違いといった社会風俗的要素とか、親に反抗しながら自分のやりたい道を探して悩むステ吉と善七の親子の葛藤と愛情の物語といった要素も加った、エネルギッシュな時代に相応しいエネルギッシュな人々による、まことしやかに嘘っぽい「明治」のワンシーンを堪能しょう。

 これも史実と比べて本当に存在していたのかと悩むけど、ブルースだかジャズだかをその持てる遺伝子の発露によって明治の日本にひろめた、「ばるば」という名の不思議な言葉遣いで話す黒人のおいらんが魅力にあふれて、物語を前へと強く引っ張ってくれる。そんあ「ばるば」に「とます」に善七ステ吉おせん宮本ほかいろいろな、権力とはややかけはなれた市井の人々がチームを組んで挑んだ相手が、もっともっと凶悪無比で難攻不落な怪人だったら緊張感も増したと思うけど、どこか抜けてる相手の方が話も進むし読んで楽しいのも事実。突飛さよりは「あったかもしれないい可能性」の方に、人が惹かれるこれも1つの現れなのかも。


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