徳は孤ならず 日本サッカーの育将 今西和男

 凄まじい本が出た。

 ドラガン・ストイコビッチの人生を描いた「悪者伝説」に始まり、イビチャ・オシムの足跡を追った「オシムの言葉」や、世界と日本で活躍する様々なサッカー関係者に取材した「蹴る群れ」といったノンフィクションで、上からの目線ではなく市井の視線から、サッカーに関わる人々の諸々を書き綴ってきた木村元彦による「徳は孤ならず 日本サッカーの育将 今西和男」(集英社、1800円)だ。

 サッカーの元日本代表であり、サンフレッチェ広島を東洋工業の時代から作り上げてきた今西和男について書かれた評伝。そこで木村元彦は、今西が後半生でFC岐阜というクラブチームに携わっていた時期に起こったある“事件”について、Jリーグという組織が見せた官僚的で居丈高な言動を浮かび上がらせ、告発している。

 それは「Jリーグによるクラブへの人事介入」。具体的には、FC岐阜の運営会社で社長を務めていた今西と、GMだった服部順一をJリーグがイニシアティブをとって引きずり下ろしたらしいということ。経営がうまくいっていない上に、その改善に“消極的”だったと、ライセンス発行を担当するJリーグの部局が判断し、運営母体の岐阜県に働きかけて役人を煽り、知事を動かして2人を解任に追い込んだ。

 本当に経営が危なくて、そして今西や服部にサッカーチームとしての体制整備とはまた違ったスキルが求められる、企業経営の能力が足りていなかったというなら解任も仕方ない。けれども、木村元彦による調べでは、徐々に経営改善は進んでいたらしい。

 今西が来る前のチーム設立の過程で、FC岐阜は大垣市にある西濃運輸を蔑ろにして、西濃財界からの協力が得られにくいようになっていた。チーム事態のガバナンスも酷く、選手はダラけてファンサービスをまるで行わず、県内の各地に行っても不遜な態度を見せていた。このためチームは県内の企業や各地域のサッカーコミュニティの支持を失っていた。

 そうしたもつれを今西が懸命に解きほぐし、服部も走り回って地域の理解を得ていった。そして最大の懸案だった西濃運輸との関係改善も果たして、会社を率いる田口義嘉壽会長と話が出来るまでになった。間に入ったのは、今西が大学時代に同じ研究室で学んだ後輩で、岐阜県の体育協会にいた人物。つまりは今西の人徳と人脈が結びつけた縁だった。服部も言葉を尽くし、礼を尽くして田口に窮状を語り、ビジョンを語ったからこそ和解があった。

 そうした2人の努力が、程なく実を結ぶかもしれないと思われた時期に、Jリーグはなぜか執拗に今西と服部の解任を進めていった。いったい何があったのか。Jリーグなり日本サッカー協会の誰かに今西が怨みを買っていた、といったことはなさそう。もっと機械的で独善的に、Jリーグのライセンス発行という権限を握った部局の誰かが、あるいは部局そのものが存在感を示して権威を誇示しようと蠢いた。その生け贄に今西と服部が挙げられた。そんな印象が漂う。

 酷いのは、そうやって今西と服部の解任をプッシュしたJリーグの人間が、即座に今西のパスを取り上げスタジアムの選手たち関係者たちがいる場所に入れなくしたこと。チームのために貢献して体裁を整え、人脈も作り大勢から尊敬もされた人物だけに、解任されてもしばらくは引き継ぎのために止まらせておくのが普通だろう。それなのにJリーグでは、「社長、GMのAD証回収」を「必ず実施してください。必ずです!!忘れてはいけません!!」とメールに書いてバラまいた。

 人情のカケラもないどころか、チームのアイデンティティを踏みにじる行為を、本来ならチームの発展を支えるべき立場のJリーグという組織の人間がやってのける。なおかつそうした行為の責任を認めず、逃れたまま他のスポーツ団体へと横滑りして地位を保つ人間もいたりする。人として許されるものではない。

 そんな仕打ちを食らいながらも、今までいっさいの愚痴も非難も今西は口にしていない。芯が強いというか、男気があるというか。だからこそ過去、東洋工業時代から名前を変えたマツダ時代、プロ化したサンフレッチェ広島時代、そしてFC岐阜の時代も含めて出会った大勢の若い選手たちを育て、導いて送り出した。チーム事情からクビにしても恨まれずに慕われ続けているのも、誠心誠意、嘘をつかずに選手たちと向き合って来たからだろう。そんなエピソードを読むにつけ、スポーツチームというのは企業ではあっても、人の繋がりが何より大切なのだと思い知らされる。

 桐山周也くんというU−13に所属していた少年が、遠征先で海水浴に言って亡くなってしまったという、それこそチームの存続に関わる事件が起こった時、今西とそして服部は誠心誠意、礼を尽くして両親に謝り続けた。その心根は今も続いて、桐山くんがつけていた背番号13番は、全てのカテゴリーで永久欠番となっている。命日には追討の行事も組まれ、それに両親が怨みや憤りも示さず参加しているという。

 憎悪の連鎖は何も生まない。木村元彦が旧ユーゴスラヴィアでの取材を通じて感じ、オシムとの対話からも感じただろう真理がここで実践されている。その根っこに今西和男という人物がいたということを、この本が改めて教えてくれる。

 そんな本を木村元彦が書くことになったきかっけが、訪ねてきた電通のスポーツ局にいた部長による口説き落としだったとう点が興味深い。電通といえばどちらかといえば体制側で、サッカー協会なりと結託して官僚めいた組織運営をしていそうだけれど、その部長は岐阜県出身者として、FC岐阜で今西と服部に対して行われたことが許せないと憤り、木村元彦に今西のことを書いてと訴えた。

 結果、こういう本が書き上がって刊行された。電通がJリーグのマーケティングパートナーになってしまった今、電通に止まっているだろう部長の立場も大変かもしれないけれど、そうした業務面を含み置いてもなお、許せず告発を促すくらいにJリーグの状況が酷かったということになる。今は改善が進んだのだろうか。あるいは電通の力が働いて、改善へと向かっていると思いたいけれども、果たして。

 これだけの功績を残しながらも今西和男が、日本サッカー協会の要職に就かずむしろ遠ざけられているところに、実力や人望とは違ったベクトルが組織というものには働いているのだといったことも思い知らされる。もっとも、家族の問題や信念から、中央で偉くなることより現場で人を育てることを選んだ今西が残してきたものは、中央にいるサッカー関係者の誰をも超えていると言って過言ではない。

 改めてその功績を認め、同じような信念を誰もが取り戻すことで、人気も実力もどこか下がる傾向にある日本のサッカー界、そしてJリーグを盛り上げられるのではないか。そんな思いを誰もが抱き、一丸となって進み始めるためにも読まれるべき本。その結果、一新された心によってもたらされる変化を見たい。心から。


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