小さいおじさん

 地球に隕石が落ちてくる訳でもないし、世界が大恐慌に訪れる訳でもない。家が火事で燃えるといったこともないし、身内に不幸が相次ぐといったことでもない。ドラマチックにはほど遠い、エキサイティングさの欠片もない、誰にだって普通に訪れ過ぎていく日常。けれども、そんな日常の中にちょっとづつある心配事が、生きている人の心を知らず傷つけ、痛めつけている。

 気にしないでいよう。忘れてしまえばいい。そう思っても、心配事は止まず毎日のように降りかかっては積もっていって、やがて自分を埋めてしまう。あるいは切り刻んでバラバラにしてしまう。

 そうならないために大切なこと。それは繋がりを持つこと。そして前向きになること。尾崎英子の「小さいおじさん」(文藝春秋、1600円)は、そのためのヒントがいっぱいに詰まった物語。今のこの社会を、安全だけれど潔癖過ぎて、明るいけれども眩しさが身に刺さると思っている人も、自分を目一杯に出して生きていけるようになれるだろう。

 登場するのは主に3人の女性。年齢は28歳。中学校がいっしょだったけれど、決して仲良し3人組だった訳ではなく、何となく見知っていたという程度で喋ったことすらあまりなかったかもしれない。それから14年が経って、3人のうちの曜子という女性は、住宅メーカーに入って設計の仕事をしていた。

 注文を受けて図面を引くこともあって、風水にやたらとこだわるお客さんの物腰の、柔らかいけれども絶対に譲るものかといった頑なさに辟易としながら、それでも仕事だからと受け入れて毎日を送っている。家を出てひとり暮らし。実家には兄と母親がいるけれど、その母親が最近急に近所のスナックに入り浸っては飲んだり歌ったりしていて、そんな姿は今まで見たことがなく、何があったのかと心配している。

 もう1人の紀子は結婚していて子供もいて、主婦業のかたわら近所のカフェでパートをしている。生活に不満はなかったけれど、暮らしているマンションの近所にタワーマンションが幾つもできて、そこの住人たちからどこか見下されているような気分を覚えていて、集会とかに出て友達になって語り合うといった息抜きが、あまり出来ないでいた。

 ママ友が欲しい。いっしょに子供のこと、家庭のことを打ち明けて話せる友達が欲しい。そんな気分を抱えて毎日を過ごしていたある日、中学校の同窓会でクラスの人気者だった朋美という女性が、近所の神社で「小さいおじさん」を見たという話を聞いた。実は憧れだった朋美と今、改めて繋がりが持てないかと思い、紀子はその神社を訪れ雰囲気を味わい、様子を朋美にメールで伝える。

 最後がその朋美。総務のアルバイトを経て出版社の契約社員となったけれど、すでに婚約者がいる編集者とつき合っていたのが上司にバレて会社を辞めなくてはいけない羽目となって、今は実家で何もしないで暮らしている。

 別れることにも辞めることにも、とりたてて不満はなかったように見えるけれど、ただひとつ、心に引っかかっていることがあった。それは別れた彼氏のその後。ある出来事を経た今、朋美は携帯電話に残された彼の携帯電話の番号を時々ながめ、けれども押せない気持ちをずっと引きずって生きていた。

 そんな3人の女性たち。ドラマティックな運命もエキサイティングな毎日も彼女たちとは縁がない。けれども、というよりだからこそ、誰もが自分とどこか重なる部分があるかもしれないと感じるところがあるだろう。普通の女性たちが普通に抱えているもやもやが描かれていて、多くの人の共感を誘うだろう。

 そして、曜子や紀子や朋美が辛いなあ、苦しいなあ、嫌だなあと感じている諸々が、さまざまな経験と、ちょっとした出会いを経て、すうーっと晴れていくところに、多くの人の賛同が読んで心地よさを感じるだろう。もちろん女性に限らない。男性も老いも若きも誰でも、読んでいろいろと感じるところがある物語。自分は28歳でも女性でもないからといって、読まないでおくのはもったいない。

 曜子の兄や母親がずっと押しこめていた感情など、今の時代なら別に気にするほどのことではないかもしれない。朋美が引きずっている感情もそう。とはいえ、当事者となったらやっぱり大変だ。そうした感情を心にため込んで潰れそうになっている身が救われ、解放される。「小さいおじさん」をきっかけにして。

 本当にいるかどうかなんて関係ない。そもそも都市伝説であり、なおかつ鬱屈した気分から出た根拠のない話でしかない。けれども、そうした伝説が伝説として成り立って、広がっていくにはやっぱり理由がある。求められているから。望まれているから。そうした期待に答えて「小さいおじさん」は、ちゃんと皆を導いてくれた。救ってくれた。

 だからもう嘘じゃない。不在でもない。もしも心に不安があったなら、そして苦しんでいるのなら神社に行って探してみよう、「小さいおじさん」を。もしも見つからなくっても大丈夫。本屋さんにけばそこにある、「小さいおじさん」という物語が。ページ開けばそこには見えるだろう。小さいおじさんが駆け回っている姿が。本当に? 本当だとも。


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