千葉県立海中高校

 喪うのは哀しい。離れるのは寂しい。別れるのは辛い。

 けれども、なにも喪わず、どこからも離れず、誰とも別れないで生きて来られた人なんていない。壊してしまった宝物だったり、置き去りにして来た故郷だったり、死んでしまった家族や友人といったものの記憶を人は、心に刻んで生きてきたし、これからも刻みつけて生きていく。

 だからこそ、喪い離れ別れる物語は胸に刺さる。青柳碧人の「千葉県立海中高校」(講談社、1000円)でも、物語に描かれる喪い離れ別れる哀しみや寂しさや辛さが、強く激しく心を揺さぶって感涙を誘う。

 時は現代とそれほどは離れていない近未来。舞台は日本。東京都港区にある高校に勤める化学教師、牧村光次郎のところに、学校新聞に載せたいからと、青春時代にまつわる文章を頼んできた女子生徒がいた。

 書いてはみたものの、テーマから内容がズレてしまって、そのままでは載せられそうにないと生徒に言われる。だからといって、書き直してもらうのは心苦しいと、女子生徒は牧村から昔のことを聞き出し、自分で原稿を書くからと言って、牧村のそばに出入りするようになる。

 生真面目で、まるで面白みのない化学教師に、女子生徒がそこまで執心して青春時代のことを聞こうとしたわけ。それは、牧村がかつて千葉県の東京湾沖に存在していた海中市に暮らし、そこにあった千葉県立海中高校に通っていたからだ。

 かつて、ということはつまり、牧村が教師をしている時代に、海中市も海中高校も存在していない。10年前に消滅してしまった。なぜなのか。その“事件”へと至る直前、牧村が生徒だった時代の海中高校の様子が、夏波という名の女子生徒の視線によって描かれる。

 海中に都市が作られたのは、環境問題の解消と深い関係があった。地球温暖化の問題から、新たなクリーンエネルギーが求められていたいた時、海流を使った発電の技術が開発され、利用への期待がふくらんだ。

 一方で、地上では酸素の影響ですぐに劣化してしまうが、海中なら劣化しない特徴を持った、汚泥をリサイクルして作ることができるコンクリートが発明された。この2つを組み合わせれば、省資源でクリーンな都市を、コストをかけずに海中に造れるのではと考えられた。

 こうして生まれたのが千葉県海中市。やがて人が移り住むようになり、商店街ができた。20年ほどが経って、そこで生まれ育った人も出てくるようになり、学校ができた。牧村が通い、彼からは1年後輩になる夏波が通っていたのが、その頃の千葉県立海中高校だった。

 なにしろ海中だ。アクアラングを着込み、海中を走る原付で学校に行き、建物の中に入ってアクアラングを脱ぎ捨て、生身になって部活や勉強をする。帰りは再びアクアラングを着て、海中を走り家へと戻る。面倒なようでも、慣れてしまえば日常となってしまった暮らしは、魚が泳ぎ回る光景とともに、夏波の心身にすっかりとけ込んでいた。

 もちろん、海中に暮らしていても、女子高生であることに変わりはない。彼氏が出来てデートにも行って、けれどもちょっぴりしっくりこなくって、そこに風変わりな先輩が現れて……といった具合に、夏波の女子高生らしい青春の恋模様が、物語では描かれていく。

 ところが。海中市と海中高校の未来に暗雲が垂れ込め、物語を一気に緊迫した状況へと追い込む。それは、未来という言葉すら悠長なくらいに緊急の事態。そこから喪失と、離散と、別離の悲哀を描くドラマが繰り広げられていく。

 数年を保たずに、海中市が消えてしまうという事実を突きつけられて、夏波は迷う。地上に比べれば不便でも、日常となってしまった暮らしが終わってしまう。住まれ育った場所が消えてしまう。未来を否定され、自分自身を否定されたような気持ちに悩む女子高生の心の動きが、どうにも切なくて愛おしい。

 なぞらえられるのは、ダム建設によって湖底に沈んでしまった村々に暮らした人たちの思いであり、八ツ場ダムに代表される、建設中止なのかそれとも続行なのか判然としないまま、宙ぶらりんとなっている、工事現場の周辺の住民たちの思いだ。現実にも起こっている故郷との離別の問題が、海中市に暮らしている人たちの“喪失”の念と重なり、失われていくものへの哀惜を誘い、失わせてしまう存在への憤りを喚起する。

 一方には、地球規模での温暖化防止といった目標があって、最初はそれに最高の形で答えるものだったはずだった海中市が、結果的には温暖化防止の犠牲になってしまうのだという、避けられない現実も突きつけらる。交錯する納得と感傷の先に、より良い未来をどう作っていくのか? といった思考を求められ、考えさせられる。

 テクノロジーの可能性と限界を示した上に、その上で起こる出来事から思弁を求める社会派のSFとして存分に楽しめる物語。ボコボコとアクアラングから空気を吐き出しながら進む海中に広がる街並みの描写や、アクアラングを着込んで撮れるプリクラや、海中の壁をスクリーン代わりにして楽しむ映画館といった道具立てが素晴らしく、あり得るかもしれない海中での楽しそうな暮らしぶりを想像させ、住んでみたいだろうと誘いかける。

 そうした舞台の上に、故郷を愛し恋に焦がれる夏波たち女子高生の日常を描き、そこから10年を経て明かされる夏波のその後を描いて、青春の甘くて苦い様を味わわせる物語でもある「千葉県立海中高校」。青春小説としても強い吸引力を持って、青春に生きる人たちと、青春を過ごした人たちを共に引きつける。

 クライマックスで繰り広げられる、押さえつけようとしていたものがあふれ出し、爆発するシーンの何と熱情的なことか。誰にだって喪い、離れ、別れてしまった記憶がある。そんな記憶を引っ張り出して、夏波たちと同様の歓喜を誘う。頭の中に鳴り響く「千葉県立海中高等学校校歌」を聞きながら、感動のフィナーレを味わい、落ちる涙にむせぼう。


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