黄昏まぼろし 華族探偵と書生助手

 昭和7年。西暦なら1932年という時代について、どれだけのことを知っている訳ではない。昭和16年、西暦で1941年に始まった太平洋戦争まではまだ9年があって、戦時下にあるということではなさそうだけれど、昭和6年、1931年に起こった満州事変を経て、中国東北部に満州国が建国されたのがまさしく昭和7年。戦後の歴史を知った目で振り返るなら、日本がどんどんと尊大になって、中国本土への野望を見せ始め、結果として昭和20年の敗戦という悲劇を招くに至ったて激変が、まさに起こっていた時期だったということになる。

 もっとも、当時の目で見た場合、1910年、明治43年に韓国を併合して列島から外へと出始めた日本が、いよいよ大陸に地歩を得て、これから西洋列強に肩を並べる大国へと進んでいこうとしている勇ましさが空気に漂い、誰もが高揚感に溢れていた時代だったのかもしれない。5月に五・一五事件が起こって、軍部による政治への介入も強まり始めたけれど、それが後に日本を敗戦へと至らしめる糸口になると、当時どれだけの人が思っていただろう。

 今となってはそれは分からない。過去について人間は、結果論からしか語ることしかできない。ただ、現代において紡がれる過去を描いた物語において、当時の空気をそのまま拾い上げる必要は絶対のものではない。そのままの空気にもしも明るいものがあったのだとしたら、結果からこっそりと忍び寄る暗澹への諫めとすれば良い。今から振り返って暗いものが見え始めていたのだと書くのなら、それを現代において繰り返さない戒めとすれば良いのだ。

 有栖川有栖による推薦を得て登場した、野々宮ちささによる「黄昏のまぼろし 華族探偵と書生助手」(ホワイトハート講談社X文庫、630円)は昭和7年、1932年をどちらかといえば軍部による政治への介入が見え始め、統制へと向かいつつある状況下にある日本といった雰囲気で捉えて描いている。左翼運動への傾注は一生をかけての闘争と等しく、表だっての活動は不可能で、誰もが地下に潜って死を覚悟して挑む過酷なものとなっている。

 もうひとつ、貴族という存在がまだこの日本にはいて、庶民とはかけ離れた意識を持ち、立場にあって生きていたといった感じに描かれている。京都にある第三高等学校、通称三高に通いながら、紡績会社の社長宅に書生として住み込んでいた庄野隼人という青年、というより飛び級で入ったからまだ満16歳の少年が、社長に呼ばれて赴いた私室で紹介されたのが、そんな華族に連なる高倉伯爵家の次男で、高倉敦之という名の青年だった。

 その敦之の前で隼人が、社長に近況を聞かれ、読んでいる小説の中に小須賀光という作家の書いたものを気になる作品として挙げながら、内容は期待外れで、気取っていてペダンティックだと言ってのけると場が凍り付いた。それもそのはず、そこいた敦之こそが小須賀光で、次男であるため継ぐことのない伯爵家を出て、作家として活動していからだった。

 もっとも敦之こと光はそれで激高することはなく、なぜか隼人を自分の助手にすることを決めたと社長に告げる。もしかしたら少しはペダンティックだという自覚があって、けれどもプライドが邪魔してそのことを認められない中で、あっさりと指摘してのけた隼人に一目置いたのかもしれない。そうではなく、生意気な子供をこき使ってやろうと思っただけかもしれない。

 ただ、物語の中で隼人が見せる活躍を、しっかり支えているところを見ると光は、純粋で権威に臆さず、まっすぐに物事を見られる隼人を買っていたのかもしれない。そして助手となった隼人は、光の執筆の手助けではなく、光の伯父という鹿嶋子爵から持ち込まれた依頼に応えるために、京都やその近隣、そして大阪までを範囲にいれて走り回り、依頼の解決に取り組んでいく。

 その依頼とは、鹿嶋子爵の家で秘書を務めていた青年が、何も言わずに失踪してしまった事件を解決して欲しいというものだった。調べると秘書は、ふらりと出かけた先で事件や事故に巻き込まれたという感じではなく、部屋を整頓して余計なものは残さず、金品も持って消えていることが分かった。子爵はもとより誰からも好かれていた秘書なのに、どうして消えなくてはならなかったのか。

 どこに行き、誰と話して来いという光の細かな支持に従って調べていくうちに隼人は、消えた秘書が抱えていた出生の秘密を知り、厳しかった境遇を知り、そしてどうにかたどりついた場所で感じた幸福と、けれども決して越えられない壁の存在を知り、そこに追い打ちをかけるように秘書を襲った暗雲を見る。昭和7年、1932年という時代、ただの人間と貴族との間に厳然として横たわっていた身分という壁。それを突破することの難しさが浮かび上がる。

 一方で、左翼活動への弾圧といったものも見えて、そういう時代なのかとも思わせる。太平洋戦争まではまだ遠く、昭和初期のモダンな空気をまだ引きずっていた時代でも、だんだんと息苦しさを増しつつあったのかもしれない。そう感じさせる。本当にそうなのかは、だから今となっては分からないけれど、そういう空気を現代に改めて感じるきっかけは与えてくれる。そんな設定だ。

 ミステリーとして言うなら、派手なトリックを解くような展開も、入り組んだ謎に挑むような展開もなく、どこまでも地道に聞き込みと、証言を元にした推理によって秘書の境遇に迫り、居場所に近づいていく。その味は、昭和の時代にはまだあった、足で稼いで証拠を固めていく刑事ドラマのよう。加えて、最後に示された驚きの展開が、ひとつの悲劇を得つつも、残された者たちの幸せにならなくてはという意識を感じさせ、悪くない読後感を与えてくれる。

 有栖川有栖が帯に寄せた絶賛に遜色のないストーリーを持った小説。もしかしたら野々宮ちさは、相当な才能を持った書き手なのかもしれない。

 「黄昏のまぼろし 華族探偵と書生助手」を第1作として、第2作の刊行もすでに決まっている様子。口は悪く横柄で高慢ながらも才能はあり、作家という仕事に全勢力を傾けながらも、他人から頼られると答えてしまう複雑な性格の小須賀光探偵と、純粋で熱血だけれど食べなければヘタってしまう欠食少年の庄野隼人助手が、次に挑むのはいったいにどんな事件なのか。今から刊行が待ち遠しい。


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