たかがビールされどビール
アサヒスーパードライ、18年目の真実

 げに恐ろしきはサラリーマンの嫉妬心という奴か。

 好きかと言えば決して好みではないアサヒビールのビール「スーパードライ」。だが商品的には大成功して、最下位一歩手前に来ていたアサヒビールを蘇らせ、果ては王様キリンビールを抜いて業界トップへと押し上げる原動力となった。昨今は安価な「発泡酒」や「第三のビール」といった商品、悪く言えば人造ビールの台頭に押されて売れ行きに一時の勢いはないものの、ビールというカテゴリーにおいてはやはりそれなりの存在感を持ち続けている。

 その「スーパードライ」を仕掛け大成功へと導いた立て役者、アサヒビール元マーケティング部長の松井康雄が書いた「たかがビールされどビール アサヒスーパードライ、18年目の真実」(日刊工業新聞社、1900円)によると、この成功がどれだけの逆風を押し分けて達成されたかが分かり、同時にこの成功も20年近い昔に登場した”老舗ブランド”の「スーパードライ」に頼り切ったものであって、アサヒビールの未来は決して明るいものではないのだということが伝わって来る。

 著者の松井康雄は、思い立ったら突っ走るタイプの人物で、上司や役員にあまり根回しをすることもなくただ成果のみを追って猛進。その結果、さまざまなところで疎まれ妬まれ、三ツ矢サイダーを成功させたにもかかわらず、大阪へと左遷される。ところがそこで新しい商品の案を思いつき、マーケティングの責任者となって開発したのが「スーパードライ」。すぐには本発売とはならず、それまで展開していた主力のビールと食い合うという理由から、当初は首都圏だけに販売を限定される。

 それでも女神は松井康雄に微笑んだ。旨いものに飛びつく消費者が「スーパードライ」を支持した。ジャーナリストとして活躍中だった落合信彦をCMに起用し、ハードで躍動的なイメージの中でキレのある「スーパードライ」の味を強調して、一般大衆の大いなる支持を集めた。人生の大逆転は企業としての大逆転も生み出して、晴れて「スーパードライ」はアサヒビールの看板商品となり、松井康雄もアサヒビールの看板になった、かというとそうではなかった。

 松井康雄の癖のある性格を見極め使い、「スーパードライ」の誕生に貢献した社長、つまりは住友銀行から来てアサヒを立て直した樋口廣太郎が会長へと上がり、後任の社長が勢力を伸ばして来ると、松井は途端に閑職へと追いやられ、研究所から食品メーカーへとたらい回され挙げ句に、退任を強要される。目立てば足を引っ張られ、伸びれば頭を叩き潰される、これがサラリーマン人生という奴なのだ。

 樋口廣太郎は病に倒れ回復しない状況が長く続く。守護者を失った松井康雄。ならばと思い立ち、アサヒビールの迷走する今を憂いて「たがかビールされどビール」を著した。ひとつの企業が成長し、そして衰退していくのは何故かを白日の下にさらけ出した。ほとんどが匿名になっているにも関わらず、松井康雄を目の敵にして追いやった人たちについて、その名前が明示されているのは、相当に感じ憤るものがあったのだろう。

 「スーパードライ」の成功のために取り入れたマーケティングの手法が、すぐさま否定されひっくり返された挙げ句に、出てくる後発商品のほとんどすべてが失敗に終わった現実が、松井康雄の有能さを示すとともに、松井康雄をを飛ばした人々の無能さを示唆する。それがとがめ立てられもせずに、未だおそらく頂点でアサヒビールを仕切っている状況から予想される将来は、果たして明るいと言えるのだろうか。

 アサヒビールは2006年1月現在、ビールに「発泡酒」「第三のビール」を合わせた”ビール類”(この表現の何と欺瞞に満ち溢れたことか)のシェアを約39%確保している。一方のキリンビールは36%とアサヒに肉薄。この差はキリンにヒット商品があれば逆転は可能だ。

 「スーパドライ」に「黒生」と発泡酒の「本生」シリーズを擁して、ブランド面には以前として根強いものを持っているアサヒだが、「ラガー」「一番絞り」に発泡酒の「淡麗」シリーズを餅、これに第三のビールとなる「のどごし<生>」も加えて攻勢をかけるキリンには勢いがある。アサヒにもう1本の柱となる商品の登場が必要となっているのだが、新しく登場した「新生3」はどうもその柱にはなりそうにない。

 もっとも、こうした厳密はビールとは言えない「発泡酒」「第三のビール」を並べて競い合っている日本のビール会社の姿が、世界から見て果たして正しいのだろうかという疑問も浮かぶ。「バドワイザー」のみを前面に打ち立て、世界を席巻しているメーカーがある。しかるに「スーパードライ」がそういった世界的に誰もが見知っているブランドになったのか。画期的な商品を生み出し育ててきても、シェアに変動があるとすぐに巻き返そうと新商品を送りだしては失敗する繰り返し。これでブランドが育つはずがない。

 「スーパードライ」のドラマとして楽しめる本であり、アサヒビールの喉元に匕首を突きつけ思い出せ、思い返せと迫る建白の書でもある「たかがビールされどビール」は、妬みそねみ、年功序列に先例主義が幅を利かせる日本の企業社会の暗部を照らした書と言える。同時に、シェア争いに躍起となって新商品開発にのめりこんで、ひとつのブランドを、ビールという食文化を育み広く浸透させていくマインドを失いつつある日本企業の未来を伺わせる書でもある。


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