昭和な街角 火浦功作品集

 奇跡を見た。それも21世紀最大に近い奇跡を。

 あの書かない作家、そしていつしか存在そのものが疑われるという、驚天動地の境地に至った作家の火浦功による新刊が、2016年2月という、21世紀を10年以上も経った時空間に現れた。

 第6回ハヤカワSFコンテストで「時を克えすぎて」が参考作となり、「SFマガジン」の1981年1月号にデビュー作の「瘤弁慶2001」が掲載されてから35年を経ての新刊は、同時期にデビューした大原まり子や岬兄悟の活動が、やや聞こえなくなっている中での快挙と言える。神林長平が今だ現役バリバリなのは別にして。

 そして収録された作品が、過去の焼き直しではなくすべてが新作、とは言えないところが残念ながらも、単行本や文庫本には集録さていれなかった幻の作品がほとんどというのは、過去から火浦功を知る者にとっても、すでに幻となって以後、その名を伝説として聞いた者にとっても嬉しいことに違いない。

 そんな素晴らしい1冊が、ミューノベルから出た「昭和な街角 火浦功作品集」(毎日新聞出版、920円)だ。開けば冒頭から火浦節ともいえる戯れ言が繰り出されは、火浦功が存命(今だって生きているけれど)で、毎月のようにだなんて今ではとうてい考えられないハイペースで作品を発表しては、読んだ者たちを脱力させ呆然とさせ微笑ませていたあの時代へと引き戻してくれる。

 夫がカエルになって娘が家出して、その娘を連れ戻しに探偵が赴き感動の再会を果たしたような、そうでないような帰結を迎える「ただのバカ一代」に始まって、七面鳥について軍人が語りSF作家が聞く「聞いた話」、誰もがそうだと気付いた中で迎えるその日を描いた「終わる日」などなど、ナンセンスがあればシュールもあってリリカルもあるといった具合に、短い中に火浦功さんという作家の筆の多彩さ、そして短いけれおも鋭い切れ味といったものを感じさせてくれる。

 中には「花の遠山署シリーズ キャロル・ザ・ウェポン」という、交通課の婦人警官と現場に生きる刑事と定年間際の老刑事とボスと呼ばれたいキャリアの署長が出たり入ったりして、いったいこの個性的な奴らにやよって何が始まるんだと期待させておいて、さらりとまとめて唖然とさせる、必殺ちゃぶ台返しを見せてくれる作品もあるけれど、そんな楽屋落ちやら内輪受けやらも含めて受け止めるのが火浦功という存在。それがすべて味わえるこの本が奇跡でなくて何を奇跡と言えば良い? なおかつ注釈や後書きめいた言葉は新品。それだけでも価値がある。国宝級の。

 最長とも言える「明るい世紀末の過ごし方」は、「終わる日」にも近くセンチメンタルでリリカルな雰囲気を漂わせた作品。尾道であり少女であり過去といった繰り出されるモチーフから浮かぶ、大林宣彦映画の雰囲気を味わいつつ、イラストレーターと映画の美術とサラリーマンという、まるで違った生業の3人が若かったころを思いだし、引きずりそんな過去に向かおうとしてあるいは阻まれ、あるいは取り込まれていくストーリーに浸っていける。

 1988年から1989年にかけて連載された「明るい世紀末の過ごし方」は、バブルのまっただ中で紡がれたものであるにも関わらず、お立ち台でミニスカートのボディコンがセンスを振り回すようなゴージャスさはなく、夜の繁華街でタクシーの1台も止められないような殺伐とした雰囲気もない。

 クリスマスに一等地のスイートルームで若い男女が過ごすような華やかさも出て来ない。普通に中年となった世代の腐れ縁的な日常が、カラリとした女性との関係も含めて描かれていて、今読んでも古さを感じさせない一方で、デジタルデバイスが溢れて刹那のコミュニケーションに誰もが必死となる、今ならではの最端ぶりも抱かせない。

 つまりは人間に普遍の物語。携帯電話もメールもインターネットもないけれど、普通にコミュニケーションは図られそしてドラマは進んでいく。周辺の小道具で時代の空気感や登場人物の世代感を出そうとせず、言葉と行動によって青年から壮年へと移り変わろうとしている男たちの、モラトリアムに溺れつつ過去に惹かれつつ明日を求めて歩もうとする気分を出している。今そのまま映像として描かれても、含まれたメッセージは違和感なく受け止められることだろう。

 巻かれた帯がまたふるっている。「奇跡、起こしちゃいました」という言葉は、自虐と自嘲と自尊の入り交じったいつもながらの韜晦。それとは別に、劇画村塾で火浦功を教えた漫画原作者の小池一夫が「火浦クンと同時発売、師弟対決だって!? 勝負には負けンぞ!! でも、ハンデくれ!!」と、その才能を大いに買ったコメントを寄せている。

 同時発売とは前に小池一夫が書いた伝奇小説「夢源氏剣祭文」が、やはり劇画村塾出身の漫画家で、「うる星やつら」の高橋留美子の表紙絵で復刊されているというもの。そんな2冊が積み重なった本屋の店頭は、彼方から巨大隕石が落ちてきて人に当たらないというくらいに奇跡的な状況だと言えるだろう。

 そうでなくても、もしかしたら今世紀で最後の光景になるかもしれない、火浦功の新刊が書店に並ぶという状況。これはやっぱり誰もが書店に走って確認しておく必要があるかもしれない。いっそ8Kで撮影してBDに焼いて未来に永遠に残しておこう。そして22世紀、奇跡を強調するそんな映像を観てそして、店頭に並ぶ火浦功の新刊とやらを見ながらいったい、火浦功とは本当に実在しているのかと誰もが訝る、そんな奇跡のビジョンを想像して胸躍らせよう。


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