スターティング・オーヴァー

 10年、時間を巻き戻せたとしてあなたなら、何時から何時へと戻りたいだろうか。

 高校とか大学の受験に失敗して、それがきっかけとなって人生があまりうまくいってないと悔やんでいる人なら、受験の前に戻って勉強するなり、風邪を引いたとか道に迷ったとかいった失敗の原因を取り除こうとするだろう。浮気がバレて愛人だけでなく妻も子も財産もすべて失ってしまった人なら、バレないような取り繕いをしに時間を遡りたいと考える。

 もっとも、10年という時間は決して短くはない。ちょっと前の失敗を取り戻そうとして、10年も前に戻ってしまったらきっと、そうした失敗をする時点にすらたどり着けないまま、前とは違った時間の上を歩んでいくに違いない。今日選んだ道が違い、明日選んだ道が違うだけで、辿り着く先はまるで違ったものになる。それが10年、繰り返された果てにたどり着く10年後が、前と同じであるはずがない。

 三秋縋の「スターティング・オーヴァー」(メディアワークス文庫、530円)で、20歳から10歳の頃まで10年もの時間を巻き戻した男性もやっぱり道を誤った。彼はやり直したかった訳ではない。学校では人気者で勉強も出来て彼女までいて、希望していた学校にも入れた幸福でたまらない人生を、そのままやり直したいと思って、巻き戻った10歳の時点から前とまったく同じ人生を歩もうとした。

 巻き戻された10年分の記憶が彼にはちゃんと残っていたから、同じように歩むことはそんなに難しくないように見えた。もっと幸せになろうとか、ちょっとした間違いを直そうとかとは考えないで、ひたすらに同じ10年を繰り返そうとした。

 けれども、2周目の彼の10年間はまるで違ったものになってしまった。恋も、勉強もすべてがうまくいかなかった。1周目では告白したら彼女はすぐに応じてくれた。だから、今度も告白すれば絶対に応じてくれると信じて、どこか態度や言葉に甘さが出ていたのかもしれない。恋人になるはずだったツグミという名の少女とは仲良くなれず、それが強いダメージとなって、主人公の日々のやる気を大きく削いでしまう。

 そして、彼の人生は一変する。勉強もふるわず半ば引きこもり気味で中学・高校時代を過ごし、誰も友人を作らないまま大学へ。そこで恋人になるはずだったツグミを見かけ、彼女に寄り添う男性を見ていったい誰なんだ、どうして自分にそっくりなんだと訝り憤り、殺してしまおうとすら思い至ってツグミの後を着け始めた。

 もう最悪。とてつもなくどん底。それでも踏み切れないまま悶々としていた中で、彼は気づいた。道を踏み間違えたことに。そして理解した。やり直せるかもしれないということに。

 読みながら浮かんだひとつの可能性は、今の自分をとても不幸だと思っている主人公の男性は、実は自分が理想とした人生のレールに乗れない寂しさから、理想を現実だったと考え、それをかつて経験したと思い込んでいるだけなのかもしれない、ということ。1周目に過ぎない今の人生を2周目だと思って、不幸を嘆いているだけなのかもしれない。

 どうやらそうではないらしいけれど、実際に理想と重ならない自分の人生を嘆き、諦めてしまっている人は少なくない。それはとてもつまらない。理想が抱けるなら、それを現実にすることだって出来るはず。主人公が繰り返そうとして踏み間違えた人生が、悔恨の果てに出会いを得て新しいものへと向かう様から、自分にとっての最良の人生とは何かを考えてみたくなる。

 同じような道を歩めなかったということは、これから歩む道だってどこにつながっているか分からないのだから。どこまでも無限の可能性を秘めている。ジョン・レノンがアルバム「ダブル・ファンタジー」に収めて発表した「スターティング・オーヴァー」という歌で唄ったように、人は人生を新しく始めることができるのだ。

 あとはどうやって、そこから最良を選び出すかだけ。はるか先、幸福だったと終えられる人生が待っていると信じて歩め。それさえ出来れば、誰だって理想へと、幸福へとたどりつけるのだから。


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