早春賦

 架空の歴史の上で、架空のキャラクターたちが活躍する異世界ファンタジーの魅力が、どこへ連れて行かれるのか分からないところにあるのだとしたら、歴史上の事実から逸脱できない時代小説は、想像の世界に浸る魅力とは相容れないジャンルということになる。けれども本当にそうなのだろうか。

 違う、そうじゃない。薄っぺらい歴史の本に書かれてある事実なんてごくごくわずか。そこに生きた大勢の人たちの生き様を、時間の中から削り出したり、残されている記録に付け加えていく彫刻家のような想像力が時代小説には込められていいる。そして読み手は異世界ファンタジーと同様に、深い想像の海に漂うことができるのだ。

 殺された父親の後を継いだ少年が、父の仇を討ち仲間たちを助けるために強大な敵に戦いを挑む。山田正紀の時代小説「早春賦」(角川書店、1700円)の始まりは、渡瀬草一郎の大河ファンタジーで、全12巻を持って完結した「空ノ鐘の響く惑星で」(電撃文庫)と良く似ている。ただし「早春賦」で主役を張るのは良家の王子ではない。郷士という半分は武士だけど実質的には農民の家に育った風一(かぜいち)という少年だ。

 1603年に徳川家康が江戸に幕府を開いてから10年ほど経った時代。武田信玄の流れを組んだ武田家から徳川家に主君を替え、八王子に拠点を置いて金山開発を担当していた大久保長安に拾われた旧武田家臣団は、「千人同心」と呼ばれる組織を作って八王子一帯に暮らしていた。

 そんな「千人同心」の家に生まれた風一は、武士としての栄達なんて願っていない。父親から戦い方の手ほどきは受けていても使うチャンスなんてない。それよりも暮らしを楽にするために「一升でも二升でも米の収穫を多くしたい」と考えていた。そこに事件が起こる。長安が死に、彼が誇っていた権勢を一気に削ごうと謀った幕府によって、長安の一族は子も重臣も幕府によって処刑された。史実に残る「大久保長安事件」だ。

 長安の家臣たちは、幕府に徹底抗戦しようと準備を始め、「千人同心」にも参戦を求める。けれども元は武田家の家臣だった「千人同心」には、長安の家とともに幕府に挑んで滅ぼされる気はなかった。逡巡していたところに長安の家からやって来た使者が、風一の父親や「千人同心」の指導者たちを斬り殺す。さらには徳川家から派遣されて代官が、風一たちに長安の家臣団を討ち果たせと命令する。

 受けなければ家臣団もろとも滅ぼされる。かといって敵は八王子城に立てこもって容易なことでは倒せない。どうするか。風一や幼なじみの少年たちに、決死隊となって城に潜り込んでは、城に渡る橋を上げ下げする綱を切って来いと指令が下る。

 父に鍛えられたといっても敵は武士。戦闘のプロを相手にした戦いの困難さは、徳川から新しい代官として送り込まれて来た萩原と剣を交えた場面で克明に描かれる。槍を突くのではなく横殴りに振り回し、衝撃で相手を戦闘不能にしようとする萩原の戦いぶりは、武器の扱い方として理にかなっている。

 ファンタジーなら剣の一振りで何十人もの首が飛ぶ。それはそれで面白いかもしれないけれど、伝奇小説ではない現実がベースとなった時代小説では使えない。だからといって夢が描けない訳ではない。槍はどうして横殴りに使った方がいいのか、剣はいったい何人まで敵を斬れるのか、といった理由を事細かに書いていくことで、ファンタジーとはまた違う驚きをそこに込められる。

 キャラクターも「空鐘」に負けず劣らず魅力的だ。よそ者の子として村に拾われ育てられた林牙という少年は、「解死人」と呼ばれる立場にあって、村に生殺与奪の権を握られている。そんな立場を嫌っていたはずなのに、「解死人」の身分を解かれた後も風一といっしょに八王子城へと向かい、彼を慕っていた少年に刃を向ける。そのひねくれた心情に、林牙が育った時代や環境の過酷さが見えて来る。

 やっぱり風一と一緒に城へと向かう修行僧の山坊は、高僧と慕われながらも実は俗物だった師匠の和尚を、それと知った後も尊敬しつづけ教えに従い危地へと身を投じる。何ともカッコ良い。王位とか武力を持たなければ何もできないなんてことはない。難局をどう認識し、どう動くかによって自分自身をとことんまで発揮できるんだと、少年たちの振る舞いが教えてくれる。

 風一や林牙や山坊が存在したという記録はないし、「大久保長安事件」の時に「千人同心」たちが長安の家臣団と反目したかも分からない。そこにSF作家やミステリー作家として活躍してきた山田正紀の想像力が入り込む。歴史の本に刻まれなかった“生”の有り様を物語の形に彫り上げ、驚きと感動を呼び起こす。

 異世界ファンタジーが持つ広がりにワクワクするのも良いけれど、時代小説がもつ深みにドキドキするのも悪くない。「早春賦」はそんなことを教えてくれる1冊だ。


積ん読パラダイスへ戻る