そら
宇宙をかける少女 上巻

 アニメ雑誌の数こそ今とそれほど違いはなかったものの、インターネットで毎日どころか毎秒のように触れられる今と違って、アニメーション関連の情報に頻繁に接することが難しかった1980年ごろは、たった1枚のイラストでも貴重な存在。それがついているというだけで売れ行きにも大きな違いがあった。

 朝日ソノラマから刊行されていた富野喜幸監督自身による「機動戦士ガンダム」のノベライズがあれだけ注目されたのも、作品自体への関心が高まっていたことに加えて、シャア・アズナブルがアニメのままに表紙に描かれていたことがあった。

 ロボットではなく主人公のアムロでもないシャアをそこに起用した意図は分からないが、ストーリーの面白さに加えてシャアというキャラクターのビジュアル、性格、声のすべてが過去の王子様系キャラとは違ったところに好意を寄せて、作品に見入った層も少なくなかった「ガンダム」。それだけに正しいチョイスだったといえる。

 続く2巻3巻ではガンダムが表紙になってしまったが、ガンプラが出てきてメカのカッコ良さに引かれる人の多さも見えてきた時期だっただけに、チョイスとしてはやむを得なかったのかもしれない。

 あとはやはり金髪さん、すなわちセイラ・マスとアムロ・レイの関係があからさまに描かれていたことも、ノベライズに関心が集まった理由のとても大きな部分といえるだろう。絶対に本編では表現できなかったこと。そして誰もが見てみたかったことがそこにあったから、ノベライズは注目され、そして売れた。

 いうまでもなく本編自体が素晴らしかった「機動戦士ガンダム」は、そのまま小説化されていていても売れただろう。だが、せっかくメディアを変えて紡ぎ直されるならば、別の可能性、テレビでは不可能だった部分への挑戦といったところに、プラスアルファの期待が向けられるのも自然の流れ。そして、その期待に答えたからこそ、ノベライズは伝説となり、本編そのものの伝説性とあいまって、「機動戦士ガンダム」を当時のファンの心に強く深く刻み込んだ。

 ここに誕生したとあるアニメーションのノベライズは、秋葉原の某書店で「アニメより面白……」といったPOPが取り付けられて売られていたりするくらいに、アニメと本編との乖離が見られる内容になっている。「面白」のあとに続く言葉が「い」なのか、それとも「くない」のかはアニメを見て、ノベライズを読んだ人が判断することだが、敢えてそう付けられているところから、事情は類推できるだろう。

 さらに、アニメを見ている人たちは、ほぼ確実にどちらなのかを選ぶことができる。そして、ノベライズを読んで冒頭にほど近い22ページにある文章を読んで驚き、慌て、真剣にノベライズへと向き合おうと思うだろう。曰く。「獅子堂家の血を継ぐものは、たった4人となった。長女風音、次女高嶺、三女秋葉、そして末娘の桜。獅子堂財団は、4人の姉妹に託された」。

 獅子堂ナミはどこに行った? ちやほやされ、蝶よ花よと育てられはしたものの、家の力だと妬まれ自信をなくして引きこもり、それでも姉の獅子堂秋葉には勝っていると思って自分を慰めていたら、その秋葉が「宇宙をかける少女」と呼ばれ、姉たちから持ち上げられるようになったのを脇で見て、やっかみ妬み落ち込んだ挙げ句にダークサイドへと落ちていった4女。獅子堂ナミ。

 そこで秋葉に負けない力を得て、貢献も果たして自信を取り戻したとほくそ笑んだのも束の間、壁にぶつかり秋葉や獅子堂高嶺に邪魔をされ、頼っていた存在にも見放され、家族であるはずの秋葉にメイドのアンドロイドの方が大事だといわれ、あまつさえ背中から銃で撃たれるという始末。ストーリー的には不可欠で、見ていて不幸なことこの上なく見える存在感の大きなキャラクターが、ノベライズには登場していない。いったいどういうことなのか。

 こういうことだった。瀬尾つかさによるノベライズ版「宇宙をかける少女 上巻」(一迅社文庫、619円))。ここでも獅子堂秋葉は明晰な風音、強靱な高嶺、天才の桜を上下に見つつ自分にはなにもないといじけている落ちこぼれだったりする。ずっと世話をしてくれているナビ人の妹子ことイモちゃんという仲良しもいる。ここまでは同じだ。

 しかし、アニメのようには秋葉とイモちゃんはベッタリしておらず、学校で授業を受けているイモちゃんを置いて、秋葉はかつて自分に「最初から不要な人間などいない」「ぼくだけは、絶対に信じよう」と言葉による「魔法」をかけてくれた誰かと再会を約束をした場所に行くために、アルバイトをしてお金を稼ごうとする。

 出かけた先で警備員として現れたのが下山むつみという少女。導かれて入った倉庫で、秋葉は何者かによる襲撃を受け、むつみを置いて荷物ごとどこかへと引っ張り込まれる。気がつくと現れたのはピラミッドを上下に重ね合わせたような8面体。レオパルドと名乗り尊大な口調で喋るその不思議な物体は、目的のために自分を手伝うよう、秋葉に協力を強要する。

 基本線ではアニメと似通った部分も少なくないが、なにもないと諦め、ただ日常からの逃避を望んでいたアニメの秋葉と違って、ノベライズの秋葉は過去に誰かと交わした約束を果たしたい、そして自分を前へと進めたいという動機が最初からある分、行動に芯が通っていて、それが強さになっている。

 日常を抜け出したいとレオパルドのもとに行ってはみたものの、苦しいことばかりが続き、自分にはできないと投げだし、最後にすがったのがいつも慰めてくれるイモちゃんだけだったのに、そのイモちゃんが消えてしまってパニックに陥ってしまったアニメとは違い、ノベライズの獅子堂秋葉は、どんな困難にぶち当たっても、最初こそ逃げ出したくはなってもちゃんと踏みとどまる。

 そして、50年前から闘ってきた河合ほのかや、むつみ変じてICPの捜査官の神凪いつきと一緒に、なにかを成し遂げよう、そして魔法をかけてくれた人との再会を果たそうと、前向きさを持って生きている。

 レオとネルという謎の兄弟が急成長しながら知識を吸収し、いずれその記憶と経験が強靱なボディーへと転写されることになっていながら、2人の間には少しばかりの、そして決定的な気持ちの違いが芽生えたエピソードも最後に登場。これもノベライズ版の大きな特徴であり、物語世界の全体像が明らかになる時を楽しみにしてくれる設定だ。

 状況を理解し、受け入れ発展させたいレオと、それを望むプロジェクトの責任者らしい赤毛の女性がひとつの極となり、倫理もなにもないそのやり口に疑問を感じ止めようとする、赤毛の女の妹らしいナミという名の金髪の女性とレオがもうひとつの極となって始まった諍いが、時をこえ、新たな乗り手を擁して再び始まり最終決戦へと向かう、といった筋立てに整理されているから、どちらが正義でどちらが悪かはともかく、全体像を理解してどちらかに身を添えつつ、展開を追っていきやすい。

 さらに上巻の最後に繰り出される衝撃の展開。そこはいったいどこなのだ。これからなに起こるのだ。そんな期待も膨らませながら続刊を待てる。「琥珀の心臓」のあまりにも無体で苛烈な展開に、とてつもない才能が現れたと期待され、「クジラのソラ」でさらに苛烈な運命に挑む少年少女の強さを見せて、喝采を浴びた瀬尾つかさならではの、顴骨堕胎でも再構築でもないノベライズ版「宇宙をかける少女」は、ノベライズの世界に新たな動きを呼ぶだろう。

 いっそ「宇宙をかける少女」という作品自体にも新しい動きをもたらし、テレビとは違った展開へと映像を向かわせることになったら、さらに面白いのだが。


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