smile スマイル

 小説のコーナーには似つかわしくない、海辺の裏返しになったボートが写った写真が表紙の、ペーパーバックに似た装丁をした低価格本「smile」(永井宏、サンライト・ラボ、505円)は、読み始めた時に思った「モラトリアムのハーレクイン」という印象が、やはり最後まで変わらなかった。

 「ハーレクイン」と例えると、何だか「ハーレクイン」のファンも「smile」の著者も小馬鹿にしていると思われるかもしれないから補足したい。青春のある時期、夢を抱いて生きていられた時期に立ち返り、実際にはあり得なかったモテモテなシチュエーションの中で、自分自身の進む道を不安と希望の入り交じった気持ちで探る。そんな贅沢な気分に浸らせてくれるという意味で、あり得ない男女のゴージャスな愛を描く、というものらしい「ハーレクイン」の神髄と共通しているような気がして、ふっと浮かんだ印象に過ぎない。誉め言葉だと捉えてもらって構わない。実は「ハーレクイン」は1冊も読んだことはないのだが。

 海辺の別荘に始まる物語は、主人公を含む2人の男性と主人公ではない男性の彼女、およびその友人2人の女性3人をめぐって進む。主人公は映画を撮っていたことがあり、今は映画に関するライター仕事か何かをしている。会社勤めが億劫でフリーに転じた、まさしくモラトリアムの典型を行くような人間。そしてそんな彼を女性たちは何故か慕い、彼氏がいる女性も含めて3人が3人ともあからさまに、あるいは物陰に隠れるようにして主人公に好意を寄せる。

 一応は3人のうちの江美子という女性と恋人関係に主人公はなる。学生時代に撮っていて最後まで完成されられなかった、「スマイル」というタイトルの映画を作れとせっつく江美子に対して、主人公は乗り気ではなく止まったままでいる。完成させることによって映画に封じ込めたまま永遠の中断を漂う青春に別れを告げることが怖かったのかもしれない。才能のなさをそれで露呈するのが恐ろしかったのかもしれない。いずれにしても主人公は過去を引きずりその中に沈んだまま、なかなか先へと進むことが出来ないでいる。

 やがて主人公は江美子との結婚を決心する。だが江美子は何か思い残したことがあるのか、主人公が中途半端で放り出した映画「スマイル」に今度は自分が取り組むと言い出す。封じ込められた永遠を解き放ち時計の針を進めようとする所業なのか、それとも永遠を再構築して思い出のなかでいつまでも夢を見続けるための手段なのか。大人への岐路に立ち、社会への入り口に立ってあらためて振り返った時に、過去を封じ込めたままでモラトリアムをさまようべきなのか、それとも過去を噛みしめそれを糧としてたままいつまでも同じ気持ちを持ち続けるべきなのか。妥協せず巻かれもせず、かといって止まりもせず逃げもしない新しい大人のあり方が見えて来る。

 タイトルの「スマイル」は、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンがレコーディングに挑みながらも遂に完成させられなかった幻のアルバム「スマイル」に依るもの。主人公が学生時代に撮り溜めした自主映画を完成させられないモラトリアムな気分を描く意味で。映画に付けられたものらしい。

 音楽の断片を想像の中で膨らませても結局は1人では完成させられなかったアルバム「スマイル」のエピソードが、映画「スマイル」の再びの完成に向けて動き出した2人の男と3人の女性たちの姿を通じて、仲間がいることの素晴らしさを惹起させる。思い出の多い人間には懐かしさの中で今を見つめ直す意味を与える小説と言えるだろ。

 けれどもそういったシチュエーションと無縁だった人間には、思い出と言うより得られなかった楽しさへの憧れを呼び起こして止まない。もう間に合わないのか、それともこれからだって十分に間に合うのか。たぶん間に合うと信じたい。これからだって「スマイル」は作れるんだと思いたい。止まるより進む、なれ合わずに、妥協もせずに、進めばきっと見えて来るだろう、自分にとっての「スマイル」が。

 表紙の写真が現すように、綺麗な人生の断片を詰めて固めた気分のタイムカプセル、読んで嘲笑するも良いだろう。理想の鏡と揶揄するのも結構だ。嘲笑の意味で「ハーレクイン」と呼ぶ声も出て来よう。けれどもそういった非難を受け止めてでも、「smile」に描かれるモラトリアムならモラトリアムらしい、理想的ではあっても我が身に到来して欲しいその生き様に、羨望し涙するのもまた楽しい。


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