θ 11番ホームの妖精

 丸の内と八重洲に挟まれて建つ東京駅には、11番ホームが存在しない。でもそれは、地上から2200メートルほど上空に浮かんだ場所にあるだけのこと。女性から男性が「11番ホームで会いましょう」と言われたら、男性は自分で気球を操り空へと浮かぶなり、お金を稼いで飛行機を借りるなりしてたどり着けば良い。

 でも、そうやって頑張って2200メートルの空へと上がったのに、東京駅の11番ホームが見つからなかったら? 嘘だったんだ、やっぱり実在しない場所を示して、体よく振ろうと女性が企んだだけだったんだ。そう思って諦めかける前に、籐真千歳の「θ(シータ) 11番ホームの妖精」(電撃文庫、590円)を読んでみよう。

 東京駅の11番ホームへとたどり着く方法が書かれてあるから。

 飛行機でもたどり着けそうだけれど、確実なのは「高密度次元圧縮交通(C.D.)」に乗って鏡状門を抜けること。駅に行って、切符を買って、東日本旅客C.D鉄道(J.R.C.D)という鉄道会社の列車に乗り込んで、鏡を抜ければそこはリオデジャネイロ、ケープタウン、ニューヨーク。地球の裏側にだって数時間でたどり着ける列車が、あなたを東京駅11番ホームへと導いてくれる。

 問題は、そのC.D.が誕生するには、もうちょっと時間がかかりそうだってことだけど、「θ 11番ホームの妖精」を読んでおけば、かかる時代の社会や政治や、外交や経済の有り様を見通せるようになるから大丈夫。このC.D.の技術はどうやら日本だけが持っていて、威光をバックに極東の島国でしかないのにも関わらず、世界に対して大きな発言権を持っていることも分かる。

 すぐ隣には半島があって、央土があって、氷土があって大陸の東端の覇権を争っている。大陸の南には南と北の印国があって日本とは良好な関係を築いている。西には欧州があり、太平洋を挟んだ反対側には北米があってそれぞれに勢力を維持している。力こそが正義の世界情勢にあって、資源のない島国が没落も衰退もしていないのは、C.D.の技術を独り占めしているからだ。

 だからT.Bと東京駅の11番ホームは狙われたのかもしれない。T.Bとは少女の名前で、J.R.C.D.で「東京駅11番ホーム」を担当する駅員として、たったひとりで上空2200メートルのホームに詰めている。いっしょにいるのは言葉を話す狼の義経と、駅を管理するコンピュータのアリスだけ。そんな仲間たちに囲まれて、T.Bはもう150年も、東京駅11番ホームを守って働いている。

 そう。T.Bは生身の人間ではない。とある事情で肉体を損傷し、とある事情で永遠の命を保障される身となって、老いない機械の体を得た。そしてとある事情から、敢えて「11番ホーム」の駅員になって東京駅に立っていた。

 その事情がもたらしたものがとてつもなく大きかっただけに、なおかつもたらされたものがT.Bの存在と大きく関わっているだけに、誰もT.Bを「東京駅11番ホーム」からは連れ出せない。たとえ社長であっても。内閣総理大臣であっても。

 けれども記憶は風化する。打算は心を惑わせ乱す。T.Bの命すら危険にさらすような事件が次々と起こって東京駅11番ホームを破壊する。まずはC.D.の技術を海外に持ち出そうとした技術者の逃亡劇。どうしようかと迷った挙げ句、T.Bは逃亡を認めようとするものの、いろいろあって一件落着、無罪放免。事件の中で発動した力が、単に見目麗しいだけではないT.B.の凄さを示す。

 さらに、磁気データなんて時代遅れのデータを中に満載した貨車が、東京駅11番ホームへと送られてきては、地上へと持って行かれる直前、圧縮されて単分子結合した窒素の槍で貫かれ、爆発四散する事件にも巻き込まれる。

 どこかから東京駅11番ホームへとやってきた美少女、十三月の出生故に持ち得た力の暴走を止め、送り込まれてきた敵の放った窒素の槍を何とか退けようと、T.Bは全霊を込めて奮闘する。その最中、T.Bが世界を結ぶ鏡状門の存在と大きく関わっていることが示唆される。

 “どこでもドア”や“四次元ポケット”に匹敵するテクノロジーを創造し、そこから生まれた窒素の槍のようなガジェットを創造してみせる着想力に、まずは感嘆。且つ、そうしたテクノロジーの存在が世界の国々の力関係に及ぼす影響を考察して、ストーリーの中に織り込む構築力も、新人には見えない確かさを感じさせる。

 日本に近い国々が示すエキセントリックな行動は、つまりそうした国々をエキセントリックに見たい意識の現れと取れないこともない。もっとも、1国が技術を独占して150年も経てば、そうした地勢的なシチュエーションが訪れても不思議ではない。弧状列島の西側が大陸の庇護化にある世界が舞台の高岡しずる「エパタイ・ユカラ」(ビーズログ文庫)という小説もある。バランスの変化がもたらすアジア状勢の未来を考える一助として読むのも良いだろう。

 むしろ気になったのは、売るにしても守るにしても、大切に守らなくてはテクノロジーが消滅してしまう可能性すらありながらも、それを平気で遂行してしまえる人たちがいる、ということ。無知の怖さか、それともテクノロジーへの畏怖か。これもまた150年という時代が、ことの重大さを薄れさせてしまったと見るのが良いのだろう。下っ端風情には想像もつかない重大事など、ままあるということ。そう理解するしかなさそうだ。

 自らの想いと、与えられた立場によって永遠に近い再会までの時間を永遠に生き続けることになってるT.Bが、これから先に出会う事件はどんなものになるのだろう。そしてそこから何を考えさせてくれるんだろう。期待しながらこれからの物語が紡がれるのを待とう。発明の天才ながら性格は破滅的な美女、西晒湖涼子の天才ぶりと阿呆ぶりにも注目をしつつ。


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