神滅騎竜の英雄叙事詩

 なぜ現れるのか。どこから来るのか。はっきりしたことは分からない。それでも現れ来たりて暴威をふるう災厄を相手に、人は戦わなくてはならない。そうしなければ生き延びられない。

 いつまで戦うのか。どれだけ戦えばいいのか。それもやはり分からない。永遠に続くかもしれない、死と隣り合わせの災厄。そんな不安と恐怖の中にあって、戦い続けられる人の気持ちの有り様を、考えてみたくなる物語が、湖山真の「神滅騎竜の英雄叙事詩」(このライトノベルがすごい!文庫650円)だ。

 災曜日という、週の決まった曜日に限って現れて、巨大な体躯で街に甚大な被害をもたらし、そして日付が変わるとともに消える「災神」がいる世界。人間の繰り出す武器では傷ひとつ付けられない「災神」を相手に、人は竜に乗って飛び動き回る者たちを前線へと送り出し、災神を街から遠くへと誘い出して、災曜日が終わるまで耐えることしか出来ないでいた。

 「災神」には、不思議な生態があって、なぜか女性だけを狙っては、頬袋に入れてどこかへと連れ帰っていた。だから戦いの場ででは、そんな「災神」の生態を狙って、少女たちが囮となり、竜を駆って「災神」たちの前に立ち、あるいは飛んで「災神」を誘い出す。いったいどうして「災神」は少女たちを狙うのか? 未だ証されないその理由が、これからの物語への、そして世界の成り立ちへの興味を誘う。

 災曜日が過ぎればしばらくは、平穏な日常が続くことになる。遠ざけては1日が過ぎるまで踏ん張るという展開は、進撃してくる巨人を相手にした、のべつまくなしに緊張感を強いられる戦いとは、少し違った気分を戦う者たちにもたらしている。そんな印象が浮かぶ。数日は気も抜けて平穏を楽しむものの、災曜日が近づくに連れて次の戦いへの恐怖がじわじわとわいてくる。

 前日ともなれば明日自分が死ぬかもしれない、誰か仲間が死ぬかもしれないという思いで全身が震える。常在戦場なら常にハイテンションを維持していれば良いけれど、途中に平穏が挟まることによって、緊張から緩和へ、そして緊張へと気持ちを揺さぶられ、募る恐怖も大きくなるのだろう。

 主人公のコーキ・ヘイルの場合も、自分が率いる班員が明日死ぬんじゃないかという恐怖から、出撃の前日にトイレにこもることが多かった。それを軟弱と見て笑うほかの者たち。実際、コーキ・ヘイルは眼鏡をかけた気弱そうな少年で、災神と戦えそうな勇者にはとても見えない。

 そんなコーキが、オゼット防衛軍飛竜隊に所属する第十三犯の班長として、少女2人と少年1人の上官として戦いに臨んでいたのには訳があった。竜と契約したものだけがなれる<竜騎士>。コーキは若くしてその<竜騎士>となり、人間ではただ時間を使わせるしかない災神を消滅させる力を振るっていた。

 ただし表には出さない。<竜騎士>と知られると、首都へと連れて行かれて栄誉を与えられる。それでは街は守れなくなる。仲間たちを失う可能性が高くなる。だからコーキは隊長と班員には明かし、他には黙って災神を相手に力を振るっていた。

 そこに現れたのが、同じ竜騎士を目指す学校を主席で出て、ミスリンという街にある飛竜隊に班長待遇で迎え入れられた、幼なじみのフレデリカという少女。訳あってコーキがいる街へとやって来て、そして2人は班員の2人の少女も伴って、オゼットに来ていたマデリーンという人気歌手の護衛として、別の街へと向かう。そこで事件に遭遇する。

 「災神」の決して災曜日だけを狙って現れるとは限らない可能性が浮かび上がり、人類を破滅に追い込む「災神」を神とあがめる集団の存在が明るみに出て、人類に新たな恐怖をもたらす。人間と竜の結びつきの深くて強い様子も描かれ、だからこそ信頼が崩れた時に起こる悲劇的な状況も示されて、その上でコーキを中心にフレデリカやアネット、ティナといったコーキの部下の少女たちと「災神」との凄絶な戦いが繰り広げられていく。

 「災神」にまつわる謎めいて奥深さを持った設定や、コーキをめぐって起こる少女たちの心の揺らぎなど、それぞれに楽しめる要素が、巧みに絡み合って作り出されたひとつの物語。フレデリカと災神にまつわる謎めいた過去もそこに加わり、これからいったい何が起こるのかと関心を引く。誰がコーキと結ばれるのかも。

 何百年も続いていた、ルーティンワークのような戦いに大きな楔が打ち込まれ、新たな緊張感をもたらして後、世界が、そして戦う少年少女たちの日々はどう変わるのか。その行く先に永遠の平穏は待っているのか。それが語らる時まで、重ねられる物語を追い続けよう。


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