心空管レトロアクタ

 ずっとウソだったなんてことはない。分厚いベールの奥に隠されていた訳ではない。原子力発電所が壊れれば放射性物質が飛び散ることは分かっていたし、原子力発電所からでる放射性廃棄物の保存が大変だということもずっと前から言われていた。そのことを書いた本も出ていたし、何とかしようと運動をしている人もいた。

 問題があるとしたら、そんな可能性なり情報なりに気持ちを向けようとしなかった己のスタンスの方。それすらも認めず、気持ちを向けさせようとしなかった誰かが悪いんだと外に責任を押しつけるなら処置なしだけれど、今それを言っても仕方がない。起こってしまった事態をどうするか。それが求められている。

 だから、こうやっていっぱいの危険が世の中にあったことに気づいて、それに対して何かしなければと思う人が増えたこの機会をとらえて、これからの世界をどう作っていくかを考える方が今は大切だ。安全神話をタブーとしないで、危険は危険を認めて制御する技術と理性を育むなり、抑制された暮らしや代替エネルギーの推進へと舵を切るなりして、人類として生き延びていく道を探る。そんな岐路に人類は立たされている。

 ヒントになりそうな本がある。もちろん、そこに描かれたテクノロジーがそのまま実現するというものではない。なぜなら羽根川牧人のファンタジア大賞金賞受賞作「心空管レトロアクタ」(ファンタジア文庫、580円)が、電気に代わる次世代のエネルギー源と位置づけているのは人の心。体の中にある臓器で生成され、放出されている「心空子」なる物質を集めて力に変える装置・心空管が発明されることによって、人類は電気を失った世界から復活を遂げた。

 どうして電気を失ったのか。それは電気を使うとミクロの生命体があらわれ、それが寄り集まって巨大な怪物となって人を襲い始めたから。いくら戦っても電気があり電子機器がある以上、絶滅させられない怪物を鎮めるために、つまりは生き延びるために人類は電気を捨てた。そこで大きく文明を後退させたけれど、電気の代わりになる心空管のおかげでかつてのような繁栄を取り戻そうとしていた。

 もっとも、過去の異物を求めて現れるのか、絶滅した訳ではなかった怪物<邪禍>の襲来は続いていた。主人公のクウゴは街を襲ってきた<邪禍>によって両親や妹を奪われ、今は街を離れて島に暮らしながら、両親の研究を受け継いで心空管を操る管律技師になろうとがんばっていた。

 ところが、電気文明のかけらも残っていないはずのその島に、なぜか<邪禍>現れては島民たちを襲おうとする。その時は、発生を予見してやって島に来ていた心空機士、つまりは豊富な心空子を強大な武器に乗せて戦うことができる戦士たちが<邪禍>を撃退してくれた。ただ、これからも島を守る代わりに、クウゴを都市の学校に引き取り心空機士として差し出せと言い出した。

 それというのも<邪禍>との戦いで、心空機士たちが持ってきていた5つの心空管を搭載して、とてつもない力を発揮することになっていながら、前の持ち主を失ってから誰も使えなかった特別な剣を、クウゴが発動させて強大な力をふるっていたから。そしてクウゴは、都市へと赴き心空機士を養成する学校に入って鍛錬に明け暮れる。

 もっとも、都市へと来たクウゴは、ちょっとした<邪禍>の襲来を受けた時、島での危機では動かせた剣をなぜか全然使えなかった。どうしてなのか? その理由が明らかになった時、クウゴとともに戦う少女の心空機士メリナの過去も浮かんで重なり合って、強大な敵を倒す力となる。

 真空管ならぬ心空管というガジェットがユニークで、それを使ってさまざまな装置を作りだして使っている街の様子が面白い。心が燃料なだけに思いを乗せることもあるらしく、それによって使い勝手が違っているところもただのエネルギーにはない特徴。だからこそ心空機士のような存在になるには、相当の適性が求められているのだろう。

 設定もなかなかに奥深そう。電気を使わなくなったはずなのに<邪禍>が滅びない理由、それを解消するために求められている、クウゴの父親たちが開発に取り組みながら意半ばで世を去り、何者かによって保管されたテクノロジーの可能性、そんな世界の裏で暗躍する、十三貴族の本当の狙い。それらが見えて来た時、世界は単に<邪禍>と人間との戦いにとどまらず、欲望に駆られた人間を相手にした解放の戦いにも発展していくことになりそうだ。

 もちろん、人の心を力に変えるような装置が、現実に生まれることはない。代わりに何か自然なり特別な燃料なりを使ったエネルギーが生み出されることになるのだろう。けれども、それだって決して万能ではない。万能だと思わせながら裏に何かあるかもしれないことは、半世紀以上前に実用化されて人工の太陽を人類は手に入れたと喧伝され、鳴り物入りで導入された原子力が、その後に示した様々な問題が如実に表している。

 現在の繁栄を後退させてでも生き延びる算段をする苦悩。そうやって得られた境遇もまた何か欺瞞に満ちたものであるかもしれない可能性。ずっとウソだったんだと後でまた、同じ繰り言を吐き出さなくても済むように、ひとたびの繁栄をもたらしながら、どこかにウソが隠れていそうな心空管の行方ともども見極めていかなくてはならない。

 クウゴたちはどうなってしまうのか。人類は<邪禍>に勝てるのか。勝ってそして安全と平穏を得られるのか。そんな未来を想像しつつ次の展開を期待したい物語。少年と少女が出会い競い合いながら、敵と戦い仲間を得ながら成長していくドラマともども楽しんでいこう。


積ん読パラダイスへ戻る