始皇帝、日本に起つ!

 2004年の第3回集英社スーパーダッシュ小説新人賞で送り出された福田政雄の「殿がくる!」は、あの織田信長が現代にやって来てはその八方破れな性格と、進取の気風で政治に経済に進出していくという話だった。3巻までシリーズ化されて最後は確か昔いた時代へと帰っていって、歴史に名を残した本能寺の変による横死へと至ったはずだけれど、それでも現代で散々っぱらやりたいことをやり尽くしてみせたその振る舞いの格好良さに、さすがは信長と喝采を贈りたくなった。

 それより以前に漫画で「内閣総理大臣 織田信長」というのもあって、これは信長やその一族が政治の世界に出て世を引っ張るというものだった。「殿がくる!」と同様の破天荒そ漫画ならではの破茶滅茶さが、笑いをもたらしその中にしがらみに縛られ欲得にまみれた現代人では出来ない改革を、やってのける信長への憧れを感じさせた。いずれも現代の混乱する政局に必須の書。なのに今、読めるかというと……。残念というよりほかにない。

 そんな、「殿がくる!」や「内閣総理大臣 織田信長」の伝統を、今に甦らせたかのように登場したのが、田辺わさびによる「始皇帝、日本に起つ!」(集英社スーパーダッシュ文庫、560円)だ。内容はといえば、タイトルどおりに中国は秦の始皇帝が、現代の日本にタイムスリップしてくるという話。ただし「殿がくる!」のバリエーションかと思うのは早計。普通に歴史のままの始皇帝がやって来たところで、焚書坑儒をやったり兵馬俑を作ったりして狭い日本では大騒ぎになるだけだから。

 そうではなく、やって来たのは別の次元の始皇帝。だから少女。それも美少女。それなら「戦国コレクション」で美少女の織田信長とか今川義元とか伊達政宗がやって来たじゃないかというのもなし。とりあえず一応は過去の別次元の中国でも、統一を果たして初の皇帝となったという歴史上の事実は踏まえているようだから。「戦国コレクション」もそれは同様? その当たりはちょっと分からない。戦国武将の美少女たちが過去にどんな戦いを繰り広げていたか、あまり描かれていなかったから。

 ともあれ美少女の始皇帝が、やって来たのは現代人の戸塚裕馬という、ひとりぐらしをしている高校生の家のお風呂場。そこにバシャァァァァンと落ちてきたから、ちょうどお風呂に入っていた裕馬は驚いた。なおかつ少女は朕と自称し始皇帝と名乗ったからさらにビックリ。当然嘘だと思った裕馬だったけれど、話を聞くとその言を信じるに足る情報がわんさか出てきて、そう思うしかなくなった。

 聞くと始皇帝、どうやら徐福という家臣が不老不死の妙薬を探しに行くといって開いた魔法陣を、追いかけるようにくぐったらそこに出たらしい。とはいえ一緒にゲートに入ったはずの宰相の李斯は見あたらず、現代の日本にひとり放り出された恰好の始皇帝だったものの、そこはあすがに始皇帝だけあって順応が早く、夜の内に家電製品の使い方はもとより情報機器の使い方も覚えて、ネット通販とかでDVDを買いまくったり秦のホームページを立ち上げたり。

 いやそれはちょっと早すぎると思われそうだけれども、「殿がくる!」の信長だって情報機器を使いこなしてその決断力で株を売り買いして大儲けをしていたという記憶。天下を統べる者には等しく、現況を踏まえ理解しそれに合わせて行動する才覚が備わっているのかもしれない。いや単に話をサクサクと進めるためにとてつもない適応力を付けたのかもしれないけれど。その方が面白いし。

 さて、始皇帝を追うように時間差で宰相の李斯が落ちてきて、やはり見目は美少女ながらもその底知れない毒舌ぶりで家主の裕馬を罵倒し誹り、唖然とさせ呆然とされシュンとさせ、さらにもう1人の家臣で武人の蒙恬もやって来ては、なぜか風呂場で全裸をさらし出てきても全裸になろうとする。そういう性格。まったくもってそんな連中がどうして中国を統一できたのか。歴史だから仕方がない。そういうものだ。

 そんな連中をどうにかなだめ率いて裕馬は、徐福が今どこで何をしているか探すというのがとりあえずのストーリー。現代に来て困ったとか迷ったとかいった当たり前の設定はすっ飛ばし、テンポよく進めた上で身も蓋もない状況を描いてみせるその筆は、ラブこそないもののコメディーとして極めて極上。読んでグフグフと笑えてそして、次にどんな大玉を用意してくるのかを探る楽しさに満ちている。

 裕馬とは幼なじみの少女の卑屈で被虐的な態度もアクセントとしてなかかな。真っ当なのは裕馬だけというこの一行が、次にいったいどんな騒動を起こすのか。期待して待とう。ということは帰らないのか始皇帝? どうするんだ中国統一。


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