すべてが至福の海にとけますように

 2006年4月7日から24日まで、渋谷にあるパルコギャラリーで開かれた展覧会「都会犬(。V・)/」から数えて、日本国内では実に8年ぶりになるタカノ綾の個展「すべてが至福の海にとけますように」が2014年3月5日から4月2日まで、元麻布にあるカイカイキキギャラリーで開催となった。

 海外のギャラリーを回って個展を多く開催して、グローバルに活躍していたアーティストが、2011年3月11日の東日本大震災を経験して、日本という国と、そこに暮らす人々への関心を改めて強く抱いて描いた作品が並んだ展覧会。静謐な中に終末から再生へと至るようなビジョンが繰り出され、見る者たちを沈思の時間へと誘う。

 団地に工場に発電所が廃墟のようなたたずまいを見せ、繁栄から衰退を経て崩壊へと向かっているように映る文明を背後に、浜辺で少女たちが戯れ、横では祭りが繰り広げられるのを羊や豚やライオンといった動物たちが見つめる表題作。背後には空がひろがり、雲がたなびき、そして宇宙が広がっていて、火星に木星に土星が浮かんで悠久の広がりを感じさせつつ、すべてを混沌の至福へと呑みこんでいくような様を、3枚の方形を並べた横長の巨大なカンバスに描いている。

 そんな「すべてが至福の海にとけますように」と対をなすよう、畳が敷かれた座敷の奥には浜辺から海を眺めた、これも横に長い「賛歌」という絵が飾られている。ボッティチェリが描いたヴィーナスのように中央に女性が立って、足下でカップルが愛を確かめ合う、その後ろでは彗星が空から落ち、海に浮かぶ祭りの船が燃え、鯨やイルカが砂浜に打ち上げられて息絶えようとしている。そんな風に見える。

 終末のビジョン。けれども滅びへの鬱々とした恐怖はない。むしろ必然として起こり女神によって誘われ導かれていく、穏やかな滅亡といった感じがある。これはあくまでも表層のモチーフから受ける印象で、「賛歌」というタイトルから想像を喚起させれば、逆に苦難を避けて女神の下に寄り集まった人々や動物たちが、震災で混沌とした浜辺から立ち直っていく姿を描こうとした、滅びよりむしろ再生を意図した作品なのかもしれないと思えてくる。

 そんな多様な解釈と解読を呼ぶタカノ綾の絵たち。巨大なカンバスに散りばめられた多彩なモチーフの、どれひとつとして無駄なく画面に配されていて、シュールだけど優しい世界がそこに浮かび上がる。画集でゆっくりとモチーフを振り返ることはできる。解釈にはそれが最適かもしれないけれど、やはり大きなカンバスを浴びるような場所に立って、筆遣いも含めてその作品世界を体感してこそ、得られるメッセージというものがあるような気がする。

 ほかにも個展では、大きく描かれた女性が車の窓を半開けにしてこちらを見ていて、その車の窓ガラスに街並みが写り込んでいたりする、大胆かつ繊細な構図を持った絵もあって、それからコンビニのファミマの前で、トラックから降りてきたような女性が中央にひとり立ち、左右に見切れて1人づつ立っているのを、それこそ地面すれすれの視点から煽ったような構図の絵もあってと、画面構成に工夫を感じさせる作品が多く見られた。

 花が散りばめられた真ん中に座って、猫を肩に乗せて少女がこちらを見ているポートレート風の絵もあったし、描いた絵の上に別の絵を描いたセル画を重ねて、イラスト風に仕上げた絵もあったりして、作風にも作法にも多彩さが見えて、多才ぶりを感じさせる。8年前はまだ、心に浮かぶ風景やシチュエーションをおもむくままに自在に描いていた感じがあったけれど、今は絵という物に向かい合い、描こうとする行為に思いを込めた感じが伺える、そんな展覧会だった。

 黒と白の女神だか天女だかが中央に大きく向かい合って、周囲を様々なモチーフが踊る曼陀羅みたいな仏画みたいな絵もあって、背景がどこか着物の柄のようで和風のテイストが見え隠れ。それは「すべてが至福の海にとけますように」にも言えることで、歌川国芳の描くクジラと海のような様式が取り入れられていたりした。同じ絵に立つ祭り衣装の4人組がまとった浴衣か法被か何かの柄も素晴らしく、日本という国、和というモチーフへの意識が感じられた。

 展覧会のカタログであり画集でもある「すべてが至福の海にとけますように」(カイカイキキ、2762円)を開けば、2011年以降に描かれた作品に祭りや和風の小道具が多く登場していることが分かる。街に動物といったモチーフと絡み合って、この日本という国を形作る諸々への関心が伺え、同時に見る者たちのそうした諸々への関心を誘う。

 2011年3月11日を間に挟んで8年ぶりの日本での展覧会。そこに凝縮され絵画として昇華された日本という国への思いはこれから、どんな作品を形作っていくことになるのだろうか。竹やりマフラーがついた車やデコトラといった1980年代的ヤンキー文化への関心も見え隠れする最近の傾向もふまえて、その進化を想像してみたい。次はだから8年後といわず毎年でも、作品を見せてもらいたいものだけれど。この日本で。


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