シグナル

 弱すぎるし、甘すぎる生き方に見えて仕方がなかった。読み進めている途中、感情を添えて共に悲しみ、共に嘆き怒ってそして喜べなかったのは、登場する人の弱さと甘さが見えてしまったからだ。

 もっとも、大勢の人がいれば悩みの原因はたくさんある。それを受け止めて何を感じるかも、大勢の人の数だけ存在する。他人にとっては弱さにしか見ええないその態度も、当人にとっては支えきれない重さゆえのことなのかもしれない。甘すぎる感情も、徹底した優しさが現れたものなのかもしれない。

 そう考えれば、共感まではできなくとも、納得はできると思い直せた。いつか自分が弱さにつぶされ、甘さに泣いた時に浴びせられる非難にも、理解を及ばせられるのかもしれないと思うだけで、胸のつかえもとれると感じて、関口尚という作家の「シグナル」(幻冬舎、1500円)を読み進め、読み終えて感涙に及んだ。

 外には臆病でも内では大いばりで、家族に暴力も辞さない父親が、放蕩の果てに家を飛び出し、後に借金だけが残った。返済のために母親は身を粉にして働き、長男の恵介はどうにか高校を出て、自分で働き金を稼いで東京の大学へと通い始めた。

 ところがそれも行き詰まり、かき集めた金で休学の手続きを済ませてから、実家のある田舎の足利へと戻って、学費を稼ぐことにした。その最中、シネマコンプレックスに押されて閉館が相次ぐ中で、駅から近い立地のおかげで生き残っていた映画館「銀映館」へと出かけて、張り紙を見つける。

 アルバイト募集。時給は1500円。田舎にはありえない割の良さから、即座に支配人に働きたいと希望を伝える。聞くと、働いている映写技師が足を怪我して重たいフィルムが運べなくなたため、治るまでの間という条件で働いて欲しいということだった。休学中で毎日でも働けると伝え、面接に望んだ恵介は、そこで支配人から仕事上の注意を聞かされる。

 一緒に働くことになる映写技師は、杉本ルカという女の子で、もう3年ほど劇場から1歩も出ないで映写室で生活しているという。そんなルカの過去を詮索してはいけないし、月曜日になると神経質になるルカを見ても干渉はせず、そしてルカを好きになってもいけないと約束させられる。

 会うと結構な美少女だったルカ。出された条件と、現在の生活から過去に何かあったことは推測できる。けれども恵介は言いつけを守り、祖父から仕込まれたというルカの映写技師としての技術を叩き込まれながら、映画館での仕事に明け暮れる。

 自分から積極的にはルカの過去を知ろうとはしなかった恵介だけど、映画館で働く女性でルカのことをあまり良くは思っていない人から、うわさ話を聞かされた。詮索好きの弟からもせっつかれ、心惑うことも迷うこともあった。さらに、目の前に現れた得体の知れない青年の存在が、ルカの過去を浮かび上がらせ、厳しくても楽しかったルカと恵介の日々に、暗い影を落とし始める。

 どうしてルカは映写室にこもったままなのか。月曜日に神経質になる理由は。明かされた過去から浮かび上がってくるそれらの理由は、強くて自分に確信を持てる人間の目には実にみっともなく、単なる逃げに映ってしまうかもしれない。どうしてそんなことくらいで引っ込んでしまうのか。毅然とした態度をとれば負けるはずなんてないじゃないか。そんな思いが立ち上り、弱さに沈む姿に苛立ちが募る。

 けれども、他人が思うほど人は強くはない。強くありたいと願ってもそうはなれない人も少なくない。親しかった人に起こった悲劇を結果として掘り起こしてしまって、その人をおとしめるようなことになっては意味がないという優しさ故の心理も、浮かんでいたのかもしれない。成熟した大人の目から見れば子供じみたわがままでも、まだ未成年の心には、とうてい太刀打ちできない権力に見えてしまうことだってある。

 それを弱さと誹るのは容易いけれど、弱さにつながる幼さと優しさも合わせて感じ取ってこそ、世界に生きる大勢の様々な気持ちに近づける。そこから弱者への慈愛を知り、強者への毅然とした態度を学んで今一度、生きる上で大切なことを学び直すことが必要なのだ。そして「シグナル」という物語には、己を見つめ直し他人を知り直してそして、ふたたび世界を歩み始める道筋が示されている。

 強いように見えて恵介も、父親との確執を引きずった、ある種の弱さに苛まれている人間だ。ときおり顔を出しては金をせびる父親の横暴を、毅然とした態度で拒絶できない母親を持って、恵介は心をモヤモヤとさせたままでいた。その気持ちは、ルカとの出会いとルカからの告白を経ても、大きな変化には至らなかった。ルカ自身にも大きな変化はないように見えた。

 けれども、何かが起これば何かが変わる。ルカ自身の勇気ある1歩が刻まれ、恵介の沈滞したままだった心を動かし、未来へと目を向けさせる。それが更なる大きな変化を将来に生むのか、単なるひと夏の経験値として刻まれるだけなのかは、「シグナル」という物語からは分からない。それでも確実に生まれた動きは、先への期待を、それも前向きでポジティブな期待を抱かせてくれる。

 印象としてはやはり弱いし、そして甘いルカの気持ちや行動だが、それも理由あってのことだと、読み終えれば理解が生まれる。そんな心理を埋めようとしたのか、心底からの意志なのか、映写技師という仕事にかける情熱の強さは激しく伝わってくる。映画という人に感動を与えるメディアを扱う仕事が、携わる者に満足感や充実感を与える描写にも心惹かれ、似た仕事への憧れを誘う。

 読み終えれば、人生に広がる新たなスクリーンに刻まれる、未来のシーンを感じ取れるはずだ。


積ん読パラダイスへ戻る