さよなら流星ガール

 前作の「青春ダストボックス」(メディアワークス文庫)は、完璧美少女と4人の少年たちとの絡みを連作にして、そこから少女についての物語を浮かび上がらせながら、個々の短編で、4人の少年たちのそれぞれの問題を描いた内容で、同じ時間を過ごす少年少女たちの、離れていそうでちょっとづつ触れあっていもいる関係が、テクニカルな構成の中に見えた。

 今作「さよなら流星ガール」(メディアワークス文庫、550円)では、お隣どうしの家に、同じ日に生まれた僕と茉莉(まつり)が、いっしょに成長していきながらも、茉莉が抱えていた病気のせいで、深く重なり合うことはできず、いっしょに老いることも難しい中で、それでも懸命に触れあえる時間を過ごし、会話し、星について語り合う日々が綴られていて、そこから、かけがえのない時間というものが持つ大切さを、強く激しく感じさせられる。

 幼いころから星を見るのが好きで、宇宙に魅了されていた茉莉は、僕と連れだって夜の空を見上げたりして過ごしていたけれど、生まれながらの難病を抱えていたこともあって、茉莉は学校に通うよりも長い入院を繰り返していて、四六時中一緒にいることはかなわない。まだ幼かったころは、茉莉の願いに引っ張られて彼女を病室から連れ出しては、病状を悪化させてしまうこともあったけれど、長ずるに連れて理性も育ってきたからか、お互いを認めながら、深い関わりを避けるようなものになっていく。

 吹奏楽部で出来た後輩から僕が、茉莉少女が好きなのかと聞かれて違うと答えたり、茉莉が同じような難病を抱えて入院して来た時に知り合い、そのまま中学生くらいまで成長していった明人という美形の少年に告白されて断りながら、僕がいるからとは言わなかったり。幼なじみだからこその遠慮、というには淡泊で頑なな雰囲気。茉莉が抱える病気の行方を僕がうっすらと感じて、茉莉の少ない時間を自分だけに縛り付けることを避けようとしたものなのか。一方で茉莉も自分という限りある存在に、僕を縛り続けることが嫌だったのか。

 そんな関係でいながらも、やはり心の底では強くつながっていた僕と茉莉。やがて訪れたその時を過ぎて、茉莉が僕に残した言葉に触れた時に僕は感じる。お互いの思いの強さを。見上げていた宇宙への関心を。

 太平洋戦争らしい戦争が現実から少しだけ長引いて終わったことで、北海道がおそらくはソ連に半分くらい持って行かれて、やがて日本の方に残った側と壁で仕切られるようになる。そんな状況設定が「さよなら流星ガール」にはまずあって、この設定が、北海道の地でロケットの打ち上げ実験が行われ、茉莉の気持ちを宇宙へと向けさせる背景になっている。

 それと同時に、宇宙開発競争の活発化というものがあって、月どころかスペースシャトルで大気圏外に人を送り出すことすら厭うようになった現実とは違って、月をはるかに越えて火星へと人を送り出すプロジェクトを、世界が争って推進するような世界になっている。そんなプロジェクトの中に生まれたある障害が、茉莉の抱えている難病とも重なり合って彼女の運命を左右し、また彼女の決意を促すことに繋がっていたりする。その意味ではこの物語は、現実とは違う架空の世界なり社会の設定を持ち込んで、揺れ動く人や状況を描いたSFだと言えるかもしれない。

 茉莉のように入退院を繰り返していた明人がたどった運命は悲しいけれど、真っ暗な中に見つけた光明に向かって歩き、少しの猶予を得たという意味で、彼は嬉しかったのかもしれないし、やっぱり悔しかったのかもしれない。似たような経過を辿ることになる茉莉は、果たしてどうだったのか。スプートニク2号に入れられた犬のライカが果たした役割を、自分も果たせたと宇宙好きとして喜んだのか、やっぱり寂しさと悔しさに苛まれたのか。

 覚悟というものを未だしたことのない身には、なかなかつかめない心境だし、僕の側に立ってひとり置いて行かれる寂しさと悲しさも、それほど味わったことがないけれど、ずっと並んで歩いてきた2人の間に流れる心の動きに触れ、淡々としているようで諦観しているように見えて、ところどころに滲む感情の在処に迫ることで、2人の気持に近づけるかもしれない。不思議な世界観の中で綴られる、ピュアな関係にやきもきしながら、どきどきしながら、読んでそして感じよう、星の彼方へと消えた少女の願いを、そんな願いを追い続ける少年の想いを。


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