Good−bye Debussy
さよならドビュッシー

 舞台が名古屋。だから傑作。

 などと言ってはまるで脈絡がないからこれは遠慮。舞台は名古屋でなおかつテーマが音楽で、そして強いメッセージと主題と驚きの結末を持った物語だから傑作と、中山七里の「さよならドビュッシー」(宝島社、1400円)を断じるに、いささかの遠慮も不要だ。

 何しろ「『このミステリーがすごい!』大賞」の第8回の大賞受賞作。それも選考委員絶賛の1作というから、傑作の評に間違いがあるはずもない。とある家庭に生まれ育ったピアニスト志望の遙という娘がいて、その家に父親の妹の娘というから、遙にとっては従姉妹のルシアという同居人がいた。

 ルシアは、インドネシアに移り住んだ夫妻の子として生まれ育った。けれども、インドネシアを襲った大津波で父母が共に死んでしまい、一足早く日本に来ていた彼女だけが助かった。帰る場所もなく、祖父の家に引き取られ、同居する遙とその父母といっしょに暮らすようになった。

 祖父は会社を経営し、近隣に土地も持っている富豪で、体を悪くした今は、経営はしつつも家ではバリアフリーの離れを作り、そこに起居して模型作りの趣味に没頭する日々を送っていた。遙とルシアは、遙の父母が出かけた夜に、不用心だからと祖父のいる離れで寝起きするよう言われたが、それが仇となってしまう。

 火事が発生。祖父は焼け死に、遙とルシアも巻き込まれ、そして1人だけが全身に重い火傷を負いながらも、命を長らえる。着ていたパジャマから遙と分かった生存者は、全身に皮膚を移植され、顔立ちも以前のままに再生されて、どうにか社会復帰を果たす。ただし、事故の前から得意にしていたピアノの腕が、術後の後遺症でうまく指先を動かせないため、ひどく衰えてしまっていた。

 すでに遙は、高校の音楽科に進学が決まっていた。火事の後も、そのまま進学を果たすものの、学科が学科だけに、ピアノを弾けなくては退学を余儀なくされてしまう。それはまずいと、遙の母親が躍起になり、少女も新進気鋭のピアニスト岬洋介の特訓を受けることによって、ピアノの腕を上げていく。

 リハビリなどでは単に指が動くようになるだけで、プロの音楽家になることなどとうていおぼつかない。洋介によって少女が課された特訓は、指が普通に動かせるようになるだけではなく、音楽の本質を理解し、それを表現できるようになるという、健常者でも困難なほどの深さと激しさで行われる。

 その激しさは、時に少女の気持ちをくじく。けれども少女の心を奮い立たせて、絶望の淵にいた少女を、栄光のとば口まで引き上げる。

 スポーツを題材にした作品ではよく見る特訓の光景が、ピアノという優雅な世界でも繰り広げられて、読む人にそれほどまでにピアニストの世界は厳しいのだと教え込む。そして、音楽というものに携わることのすばらしさに気づかせる。優れた音楽青春ストーリーだ。

 加えて、ミステリーの新人賞を獲得した賞に必然の、謎に迫る展開もしっかりと用意されている。歩くのにも松葉杖が必要な少女の周囲に起こる、階段の滑り止めが外されていたり、松葉杖の高さを調整する機構が壊されていたりといった事件。誰かが少女を狙っていた。

 祖父から遺産の半分を受け取ることが遺言で決まっていたから狙われたのかも、という推理が浮かぶ。さらに、少女をピアニストとして大成させたいと臨んでいた母親が、石段から転げ落ちて死んでしまうという事件も起こって、少女が受け継ぐことになっていた遺産との関わりが、さらに色濃くなっていく。

 誰が少女を狙っているのか。本当に少女が狙われているのか。

 ここで岬洋介が鋭い推理力を発揮し、探偵役となって事件の真相を解き明かす。その結末には、なるほどといった驚きがあり、それしかなかったのかという悲哀があり、けれどもここで終わりではないのだという希望があって、どん底から絶頂へ、そして再びどん底へと流転しようとも、生きて頑張ることが大事なのだという、強いメッセージを感じ取れる。

 藤谷治の小説「船に乗れ」なり、二ノ宮知子「のだめカンタービレ」ややまむらはじめ「天にひびき」といった漫画作品に描かれる、プロフェッショナルとして音楽に携わる者たちが迫られる、才能や努力との戦いのドラマもあり、また音楽そのものに向かう姿勢がどうあるべきなのかといった情報もあって、学ぶところの多い1作。加えて強く放たれる“生きろ”とのメッセージに感動できる1作だ。

 なおかつ名古屋が舞台。傑作というより他にない。


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