サクラコ・アトミカ

 「祈れ。命に不可能などない」

 生きてさえいれば。命さえあれば。必ずは明日は来ると感じる。絶対に未来は開けるのだと知る。それが、犬村小六の「サクラコ・アトミカ」(星海社FICTIONS、1100円)という物語を読む者が、等しく至る境地だろう。

 すべての冒険が終わり、戦いが終わった果てに据えられた、強くて激しく、熱くて愛おしい言葉は、強烈な輝きを放って世界を照らし、生けるものたちすべてを鼓舞し、導いていく。

 それは、「とある飛空士への追憶」(小学館ガガガ文庫、629円)でも、身分という絶対の壁を通してなお響く、恋情の強さを描いた犬村小六ならではの、ひとつの哲学であり、メッセージ。生きよ。愛せよ。それのみが人を、命を明日へと、未来へとつないでいくのだと教えられる。

 「サクラコ・アトミカ」という、得体の知れないインパクトを持ったタイトルのこの物語で冒頭、いきなり繰り出される設定がすさまじい。「彼女の肉体を構成する全細胞を核分裂物質に置換し、TNT爆薬50万トンに匹敵する原子の矢を敵都市に放ち出す」

 そんなことができるのか。できるからこその天才科学者にして天才独裁者のディドル・オルガは、中心にある丁都へと、周縁に7つある国のひとつ、阿岐ヶ原から、世に鳴り響く美貌の持ち主だった姫、サクラコををさらって、丁都に建設中の高い塔に閉じこめ、非道にして理不尽の塊のような、原子兵器の完成を急がせている。

 逃げるのはまず不可能。かといって、塔から飛び降り死のうとしても、そうは易々とはいかなかった。ナギ・ハインリヒ・シュナイダーという名の少年が、外壁の棚で待ち受け、飛び降りたサクラコを空中で受け止め、抱えて元の場所に戻す、その繰り返し。サクラコがいくら泣いても、または誘惑してもナギは動じない。同情すらしない。

 見れば欲情するか、ひれ伏すかどちらかという、究極にして絶世の美少女サクラコを見ても、いっさいの情動を発しないナギ少年の正体は、一種の怪物。ただ殺すために作られた生体兵器。あらゆることを、ただ思うだけでかなえてしまうディドル・オルガにこそかなわないものの、それに迫る力を持って、今までに出合って来た敵を退け、サクラコを連れ戻しに来た阿岐ヶ原の間諜も退ける。

 かといって非道ではなく、冷酷でもない。サクラコは守護する対象として丁寧に扱い、逃がしはしなくても話し相手にはなる。けれども決して、情を通わせ合うことのなかった2人の間が、一気に深まる。それは、サクラコ自身にもあった出生の秘密を、少年が知った時だった。

 愛に形はいらないし、思いに距離なんて必要ない。そんな、真理にしてメッセージが物語りからあふれ出し、愛に迷う者たちに勇気を与える。

 サクラコとナギの逢瀬に挟み込まれるようにして描かれ、進んでいくひとつの事件がある。身の丈数100メートルにおよび、紅蓮の炎をまとった巨人が、あらゆる攻撃を蹴散らして、丁都へと迫る。すべてを思うがままにできるディドル・オルガを擁しながらも、どうしてそんな危機が丁都に及ぶのか。そこに、進撃の巨人の正体を探るヒントがある。

 そして、巨人の悲劇に満ちたドラマが、サクラコのたどった運命と重なった時に、愛は形を越え、距離も無関係に成就して、そして未来へと向かって一歩を踏み出す。感動。感涙。こんな話を読んでなお、甘いだけのコメディを読んでいられるか。シチュエーションだけのバトルを読んでいられるか。

 戦いに理由があり、愛に困難があって、そして結果へと至るドラマから放たれるメッセージを噛みしめた後、ありきたりの物語など読んでいられなくなるだろう。すべての読書家は覚悟せよ。

 異質さと迫力、熱さと激しさに溢れた物語。これを、リリカルな純愛の物語「とある飛空士の追憶」で世に響く犬村小六に書かせた、星海社FICTIONSというレーベルの慧眼に恐れ入る。今をとらえ、今に売るなら、こうした苛烈なテーマを持った作品にはきっとならない。なるはずがない。

 あるいは、リリカルなラブストーリーをメーンに据えた作者と思われがちな犬村小六が、かつて「レヴィアタンの恋人」(小学館ガガガ文庫)で描いていたような、異形の者たちによる熱い恋にこそ、作者の本質があると見抜いたのだろうか。もしくは、リリカルに見える「飛空士」シリーズに滲む、壁を突き抜ける恋情の熱をくみ取ったのだろうか。

 いずれにしても、星海社FICTIONSから登場した「サクラコ・アトミカ」は、犬村小六という作家が持つ情念を、熱く滾った生命への賛歌をすくいあげ、物語の形にして世に問うた書。これは違うと最初に思った者でも、最後にはきっと理解する。その境地に絶対にたどり着く。そしてサクラコとともに叫ぶのだ。

 「祈れ。命に不可能はない」

 祈ろう。己のために。未来のために。


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