−Saki−

 どちらが表でどちらが裏かはともかく、2007年を迎えた1月1日の夜に民放の2局がともに芸能人による麻雀の試合を放送していたのには驚き呆れた。なるほど麻雀だって立派に頭脳を駆使するスポーツであり、囲碁や将棋やチェスといったゲームともどもスポーツの1つとして、オリンピックの種目に認められてしかるべきだという論議もある。

 けれども麻雀にはどうしても賭け事というイメージがつきまとう。点棒になぞらえられてリアルマネーがトレードされることを世間が認めてしまっている節がある。これは立派に法律違反。けれどみ何故か黙認されてしまっているアンダーグラウンドな世界へと、見る人を押し出す可能性が完璧ではなくてもほとんどの割合で排除されないうちは、麻雀の番組が元旦に堂々と放送されるに相応しい内容かは判断が難しい。

 もしもこれが芸能人の強豪といった存在ではなく、中国のチャンピオンや日本のチャンピオンが卓を囲み、最高峰のゲームを見せてくれる番組だったら学ぶところもあったかもしれない。それで視聴率が稼げるかという疑問には、だったらそれで視聴率が稼げるところまで麻雀というゲームが本来持っている魅力を、視聴者に理解させ興味を抱かせるまでに教育し、育成するのがメディアの役割だと反論したい。したいけれどもこうした頭脳スポーツはおろか、サッカーやバスケットボールやバレーボールといったスポーツですら、本来の魅力を伝える努力をしないで芸能人の煽りに頼るテレビに頼んでも無理だと分かっているからやりきれない。

 何であれ競技を競技としてリスペクトする風潮はもはや育たないのか? その意味で言うなら、小林立による漫画「咲 Saki」(スクウェア・エニックス、505円)は、麻雀を健全な知的スポーツとして昇華させようという意図が込められているように見受けられる。清澄高校に入った宮永咲は、クラスメートの京ちゃんに誘われ、学校にある麻雀部へと引っ張り込まれる。家族麻雀でお小遣いの危機に常に直面し続けた結果、麻雀があまり好きではなくなった咲だったけれど、通学途中に見かけた美少女で、同じ1年生の原村和(のどか)が麻雀部にいると知って興味を抱き、ちょっぴり幼げでタコス好きという片岡勇希も含めた4人で麻雀を打ち始める。

 その試合。和が中学生チャンピオンとしての実力を見せて抜け出す中で、咲も何とかおっつけプラスマイナスゼロで半荘1回目を終了する。これはあんまり強くないと皆思わせた咲だったが、2回目、3回目ともやっぱりプラスマイナスゼロで上がったことから麻雀部の部長に目を付けられる。どうしてか? そんなことがあるはずないからだ。偶然も左右する麻雀で、並の実力を持ったプレーヤーが常に点数を計算しながら、プラスマイナスをゼロに合わせてゲームを終えることなんて不可能だからだ。

 咲は弱くない。とてつもない強さで手を選び点数を計算しながら打っているだけだ。そう効かされ、舐められたと感じて怒りった和は咲に挑む。そして咲は、和との対局する中で、家族麻雀で負けるとお小遣いを奪われ、勝つとそしられる日々を続けた果てに植え付けられた勝利への恐怖を払拭し、勝利する喜びを初めて味わって深く噛みしめる。力いっぱいプレーして良いんだ。相手に勝っても良いんだ。そう気づいた咲と、咲を良きライバルとして認めた和とで立ち上がった清澄高校麻雀部の最強が挑もうと決意する全国大会。そこには、離婚した咲の父母の母側について家を出て言った姉の宮永照も出場する。是が非でも出場したいと願う咲だったが、その前に県大会の強豪たちが立ちふさがった。

 雀荘でのアルバイト中に出会ったプロ雀士ですらかなわなかった強敵も待ち受ける県大会に向けた、咲と和の2人の挑戦は、全国への道をつかみそして最強伝説を刻むことができるのか? スポーツ漫画にも似たライバルとの戦いとそして勝利、そして更に先に待ち受けるより強い相手との戦いを仲間の助けも借りながら乗り越えていく王道的な展開に心浮き立ち期待がふくらむ。

 麻雀のゲーム性を紹介する内容にはまとまりがあって、素人が読んでも何となく理解できる。そんなゲームを見せるのが、油っ気をギトギトとさせたギャンブラーたちではなく、制服姿も可愛らしい女の子たちというのがまた楽しい。雀荘ではメイド姿のコスプレをして打ってみたりもしてくれるから楽しさは倍。開いた胸の谷間に牌を挟み込んでおく、といった漫画にありがちなイカサマを見せることもなく、そういった淫靡さを好む人には物足りなさを感じさせるかもしれないけれど、その分麻雀が持つゲーム性が強調され、前面へと押し出されるのも有り難い。

 咲と和がアルバイトをする雀荘が賭け事禁止なのは、連載されている漫画誌の読者層に配慮してのことだろうけれど、それ以上に描き手に麻雀の面白さそのものを伝えたいという高い意志があってのことだと信じたい。中学生で麻雀の全国大会があって、高校でも大会があって学校に麻雀部があるのが普通という設定も、麻雀が大人の賭け事ではなく、学生が遊んでしかるべき頭脳スポーツとして認められ、称揚される世界の訪れを願ってのことだと思いたい。そんな描き手の意欲がこれからの展開の中でどれだけ表現されるのか。それが読者にどこまで伝わるのか。期待しつつ展開を見て行きたい。


積ん読パラダイスへ戻る