サイハテの救世主 PAPER1:破壊者

 達観というか、早見えというか、世の中の仕組みが先の先まで見えてしまって、どうせそうなるんだというやりきれなさから、逃げ出したり、停滞へと突入してしまう人がいる。

 現実には世界はそんな単純ではなく、日々どころか刻一刻と流転して、どこにたどり着くのか分からないものだし、人だって日々成長するため、決して見えたようにはならないもの。けれどもそう言うと、結局人は死ぬ、死んだら何も残らないといった答えを勝手に導き出しては、何をしても同じと停滞し続け、あるいは停滞すら終わらせようと、この世界からの逃避を試みる。

 分からないでもないし、おそらくは古来より多くの賢人から愚人までが考えてはたどり着いた答えでもあって、ぼんやりした不安だの、神は死んだなどといっては世を儚んで、この世から身を退いっていった人は、挙げればそれこそきりがない。

 その一方で、生老病死の四苦も、愛別離苦に怨憎会苦に求不得苦に五蘊盛苦の四苦を加えた八苦も受け入れ、身に刻んで今生を生き抜いてこその人間だという教えもある。何より生きて味わう数々の楽しさを、どうせ死ぬのだからと捨ててしまうのは勿体ない。

 見えてしまって、どうにかできるかと考えて、どうしようもないと落ち込んで、何もかも捨てて逃げ出して、それでも諦めきれずに懊悩していた少年が、やっぱりどうにかできるかもと甦り、行動へと向かったきかっけも、多くの人たちが生を謳歌しているこの世界を、終わらせてしまうのは勿体ないと考えたからかもしれない。

 そんな岩井恭平の「サイハテの救世主 PAPER1:破壊者」(角川スニーカー文庫)を読むことで、達観だの早見えだのといって世界を投げ出し、自分を逃げ出す愚かさを知り、世界に向き合って自分を取り戻す意義を知ろう。

 沖縄に暮らす濱門陸たちの近所に、沙藤葉という名の少年が引っ越してきた。前に暮らしていた老人から、アメリカ旅行の際に出会った博士か誰かが、その家を買い受けたという話は伝わっていたけれど、それでやってきたのがまだ少年だったから皆が意外に思った。

 おまけに葉は、自分は飛び級で大学も出た偉い博士で、アメリカ大統領から勲章をもらった凄い人間だと自慢話をまくしたてる。とはいえ開放的ではなく、何かに怯えているようなところがあって、暑い夏の沖縄で窓を閉め切って、部屋に閉じこもろうとしては、明け透けな陸たちの乱入を招いて、憤りながらも世話を受けていた。

 葉は本当に博士なのか。実は本当にそうだった。世界が壊滅へといたる道を見出してしまって、その危険性をホワイトハウスで訴えたこくらいの天才だった。そんな葉どうして日本の沖縄へと逃げ出してきたのか。理由はプレッシャー。見えすぎてしまった目には、他の誰もついて来られない。世界の危機が見えたとしても、そのことを誰も分からない。だから自分がその対処をしなくてはならない。

 誤れば至るのは人類滅亡の道。何十億人もの運命がその細い身にかかって、耐えられる人間なんていない。それは天才でも同じ。だから逃げだ。逃げ出して引きこもって震えていた。

 けれども世界は動いていた。葉以外の人間たちが生きて集まって動かしていた。西瓜を食わされ、巨大なイカを贈られ、お茶をもらって過ごす沖縄での暮らしから、自分以外の大勢の人が生きている現実を知った葉は、恐怖から凍り付かせていた心を少しだけ融かして、元々あった頭脳をフル回転させて「破壊者」なる存在が何を企み、そしてどう動くのかを予測し阻止へと回る。

 相手も葉の研究を盗みだし、研究していて、葉の何手も先を読んで動くから容易には覆せない。そんな天才どうしのスリリングな頭脳戦を楽しみながら、世を儚むだけでなく、守るものを得ることで、人が強くなっていく姿を見て、人がこの世界に生きる意味の重さを知る。

 本当に、ちょっとしたきっかけで世界が揺らぐのかは分からない。葉が見通した方程式のような展開が起こり得るのかも分からない。もとより過去から幾度と無く世界は、さまざまな要因が絡み合い、ドミノ倒しのように連鎖し合って大混乱に陥ってきた。過去よりも情報の伝わる速度がはやく、物資の移動も早くなって、なおかつ兵器の性能も上がっている現在、大混乱が滅亡へと至らないという補償はない。

 それでも、どこかで誰かが英雄となって連鎖を断ち切り、ドミノ倒しの連続をせき止めて世界を救ってくれると思いたい。それが葉のようなたった1人の少年である必要はない。事が起こればそれを認め、挑み跳ね返そうとする大勢の意志。それがあれば世界は救われるのだと信じたい。これまでの戦いと、これからも続く危機をしのぐ葉たちの頑張りに、方策を学び意志を得よう。


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