さよなら西郷先輩

 織田信長が現代に蘇って総理大臣になるような漫画なら過去にあったし、三国志の英雄たちが現代に転生して戦い合うような漫画もあってアニメーションにもなって人気となっている。だったら幕末維新の英雄たちが現代に蘇ってユルんだ政治に活を入れるような物語だってあって良さそうなものだけれど、2018年で明治維新から150年程度しか立っていない状況では、親類縁者もまだ多く存命の中で高杉晋作や吉田松陰や井伊直弼や徳川慶喜、そして西郷隆盛が転生して中には美少女化して暴れ回るような物語は書きづらいのかも知れない。

 いやいや、だったら文豪たちが現代にそれぞれの創作物を異能として持ったまま説明もなしに登場して、バトルを繰り広げるような物語はどうなんだという話になるけれど、作家はそれ事態がフィクションの主人公のようなものだから、あまり違和感がないのかもしれない。ともあれ幕末維新の英雄たちの転生譚がなかなか描きづらい状況で、だったらいっそ幕末維新の英雄たちと同じ名前の高校生たちが登場し、幕末維新のような状況にあって行動する話を書けば問題もない、とでも考えたのだろうか。

 ここに登場した出口きぬごしによる「さよなら西郷先輩」(610円)は、いきなり神奈川県立・薩摩工業高校という、どうして神奈川で薩摩=鹿児島なんだといった理解しづらい設定の舞台が繰り出され、その上で西郷隆盛なるバンカラがいろいろと活躍をするストーリーが展開される。それも幕末維新の出来事をハイスピードでなぞるように。

 大島アイカなる腐女子がBLに耽溺したあげくに勉強ができず、工業高校に進んだところで出会った同じ中学校の出身者が村田新八という男。ここまでなら歴史に詳しくなければハッとはしないかもしれないけれど、巨体を誇る番長が島津斉興で傍らに侍る彼女の名前が由羅というあたりからオヤオヤといった思いが浮いてくる。そして通りがかる新入生からカツアゲしようと待ち受けるヤンキーたちに脅され、迫られていたアイカを助けた破れた学帽にすり切れた学ラン、そして素足に下駄というバンカラな男が西郷隆盛と名乗ったところで、そこに幕末の薩摩藩が重なって見えてくる。

 西郷に助けられたことで1年生の番長筆頭に祭り上げられたアイカに接触してきたのが大久保利通というキレ者の男で、さらに番長の座をかけ挑んできたのが桐野利秋だったあたりで、幕末の薩摩藩に生きた者たちがそのままの名前で通う学校だといった舞台設定も見えてくる。村田新八も桐野利秋も幕末の薩摩藩が倒幕へと乗り出した時に西郷隆盛に付き従い、そして西郷が下野して薩摩に帰り兵学校を作り西南戦争を始めた時も、西郷に味方して戦争の中で死んでいった。

 大久保利通ももちろん維新三傑の1人で明治政府の立役者で、後に西郷が西南戦争を起こすと政府軍を派遣してこれを鎮圧した。そうした歴史上の出来事が、歴史上の人物の名前をそのまま借りて神奈川県から東京都あたりを中心にして、高校生たちの覇権争いという形で描かれるのがこの「さよなら西郷先輩」という物語。読めば幕末維新のおおまかな流れが人物の生き様とともに理解できる。本当に? 本当に。

 面白いのは、歴史上ではお由羅騒動から西南戦争まで約四半世紀に及ぶ時間が、大島アイカの1年生時代に凝縮されているあたりで、斉興の後を継いで幕末の四賢侯と呼ばれた島津斉彬の名前を惹いて出てくる男は、幕末まで生きられなかった実際の斉彬同様に急逝してしまうし、西郷隆盛も全国総生徒会ビルヂングにいるモダンな佇まいの月照の身に迫る危険を察知し、共にプールに飛びこんで自殺を図ろうとして月照だけが死んでしまう。表紙にだって描かれているキャラクターなのに。

 篤子こと篤姫は徳川家定の彼女にさせられ、西郷に恋心を寄せて彼に工業高校の設備でナットを作ってもらい、それを指輪のように指へとはめて嫁いでいく。舞台を生かしつつ歴史は踏み外さない展開は、全国を統一する広域暴走族「幕統」を打ち破って総生徒会を打ち立てながらも、世界のヤンキーを相手に戦う気満々の大久保たちの思惑に乗れず、はじき出された西郷が薩摩工業へと戻って迫る総生徒会を迎え撃ちしそて……といった具合に猛スピードで歴史を再現する。ヤンキーと暴走族と生徒会による戦いという形で。

 坂本龍馬も桂小五郎もしっかり登場して薩長同盟の下りを理解させてくれるけれど、おおまかにはやはり幕末維新の歴史や人物やその背景を、薩摩の立場から眺めていくようなストーリー。その途中に実際の歴史を解説する文章も挟み込まれて、どういった事件や事態がモデルになっているかもしっかり分かる。読み終えればもう薩摩通。2018年のNHK大河ドラマ「西郷どん」を観る前に人間関係を理解するのに役立ちそう。むしろ「西郷どん」を観なくても、これを読んでおけば十分といった気にもさせられる。

 島津斉彬も月照もしっかりと殺してしまったストーリーから、たとえ薩摩藩ではなく薩摩工業高校の生徒に過ぎない西郷隆盛や村田新八や桐野利秋や篠原国幹だからといって無事で済むとは思えない。いったいどうなるのか。それは読んでのお楽しみ。そして一応のヒロインともいえる大島アイカの運命は。彼女の歴史上での立場などはきっと「西郷どん」で分かるだろうから、演じる女優の顔を大島アイカに重ねて見るのも面白いかもしれない。二階堂ふみ。合っているような、違っているような。


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