竜門の衛

 最近おもしろい時代劇が少ないとお嘆きの貴兄に(貴弟が貴姉で貴妹でも無論OK)、とっておきの時代劇をお贈りしよう。

 といっても残念ながらテレビの時代劇ではなく、印篭も入れ墨も鬼のお面も三味線もその華やかさその格好よさその迫力その美学を目の当たりにすることはできないけれど、その分は次々と繰り出される迫力のバトルに謎へと迫る迫真の展開が補ってくれるから大丈夫。とにかく一読願えれば、テレビの迫力に優るとも劣らないストーリーを味わえること必定だ。

 歳の頃なら1959年生まれというから結構なものながら、これがほとんどデビュー作に近い上田秀人の書き下ろし長編「竜門の衛」(徳間書店、648円)の面白さといったら、全編これ午後8時45分の大活劇と言っても過言ではない。圧倒的な展開力と奇跡的なキャラクター造形力で、読んでいる人を物語の世界へと引きずり込んでは絶対に離さない。

 例えるならノンストップのジェットコースターに乗せられて山あり谷ありのコースを一気に連れていかれた感覚か。途中で止まるなんてもっての他で、読み始めたら最後まで読み切らなければ胸に欲求不満が溜まって仕方なくなること請負だ。縄田一男の「ページを繰るのももっどかしい。読んで後ひく痛快時代劇」というコメントは、まんざら嘘じゃないどころか逆に大人し過ぎるといえるだろう。

 大岡忠相の配下で南町奉行所の見回り同心として若いのに活躍していた三田村元八郎は、八代将軍徳川吉宗の嫡男で次の将軍と目されている徳川家重の暗殺を画策する謎の一味を撃退した功績を買われ、さらにはかつて忠相の下で隠密同心として働いていた父親から続く因縁もあって、寺社奉行に転じた忠相に雇われ、将軍家の世継ぎをめぐる陰謀を暴く仕事を命じられる。

 町奉行所の同心時代に、ちょっとした手がかりから増上寺へと参内する家重への襲撃を見抜くもと八郎の姿に推理小説ならではの楽しを味わえるし、冒頭から登場する謎めいた美女とのラブストーリー、朝廷とのパイプを太くするため京へと上った元八郎が出会う皇族なのに気さくで思慮深い親王との友情物語、陰謀の側にあって元八郎を襲う薩摩示現流の使い手とのバトルといった、王道を行くような人間ドラマの深さ、多様さもあって、冒頭から結末までを一気呵成に楽しめる。

 なにより朴念仁に見えてもその実一子相伝の剣法の使い手で、むらがる敵をばったばったとなぎ倒していく元八郎の格好良さが、眼鏡を取ると実は美人だったり軽薄に見えて実はやり手だったりする、といった具合に世の人間が抱く「本当の自分」への憧れを喚起して、読み手の心を強くくすぐる。

 吉宗の時代を揺るがした「天一坊事件」への言及や、町奉行とか同心とか与力とか寺社奉行とかいった江戸時代に特有のシステムについての分かりやすい解説もあって、いわゆる同心物だったり岡っ引き物だったりする時代小説をこれから読もうとする若い人たちにとって、入門書としての役割も果たしそうだ。

 歴史物としての厳密さという面では、当時の人たちの心理描写なり、一介の同心が与えられる仕事の大きさなりでもしかすると面白さを優先するあまりに欠けてしまった所があるかもしれない。それでも圧倒的な面白さの前では理屈など霞んでしまうし、そもそもが時代劇に理屈はいらない。現実には漫遊などしなかった水戸黄門に遊び人の金さんではなかった遠山金四郎の例を引くまでもなく、時代劇が最優先するのは与えてくれる楽しさであり解放感。活字で読む時代劇と「竜門の衛」を見るならば、読者の娯楽を求める期待に十二分に応えているといえる。

 社会の荒波にもまれ人情の機微に涙できるようになった年配者に、どちらかといえば時代小説は受ける傾向があるけれど、推理小説としても「努力・友情・勝利」の方程式でいっぱいの漫画的エンターテインメトとしても一級の「竜門の衛」なら、若い人でも存分に楽しめること確実だろう。これがヒットして時代小説に新しいファン層を呼び込めれば、池波正太郎に柴田錬三郎に司馬遼太郎に吉川英治が国民的作家だった時代の再びの訪れを期待できる。

 時代小説隆盛の尖兵として上田秀人にかかる期待は極めて大きい。1作だけで判断するのは早計かもしれないけれど、「竜門の衛」で見せた持ち前のストーリーテリング能力に魅力的な人物造形力があれば、別の話でも別の時代でもきっと、面白い小説を書いてくれることだろう。個々は再び縄田一男のコメントを引いて期待を表明したい。「早く次作を」


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