楽園に間借り

 ヒモになるには覚悟がいる。いや違う。ヒモになるのに覚悟なんで意識はむしろ邪魔になる、のかもしれない。

 20歳にしてヒモ歴5年というルイこと柏瀬塁は、途切れることなく3人以上の女性とつきあっている。半年前に別れた女性からも金を巻き上げ、その行為を「廃物利用」と放言して悪びれない。

 愛なんてあげない。愛嬌だけをふりまき可愛がられて生きている。養われる惨めさなんて意識はゼロ。そんなルイに覚悟だなんて贖罪と決断をない交ぜにした感情なんてカケラもない。

 百輔は違う。ラバーソールの靴しかなく、就職試験で門前払いをくらった夜に出かけた飲み会で、話を聞いてくれた看護士の梨花の部屋に転がり込んで、前から住んでた猫の居場所を横取りしながら、彼女にすがって生きている。

 ルイにはない愛がある。愛しているからすがっても悪くないんだと、百輔は思い込もうとしている。だから迷う。ヒモであり続けることの是非に悩んで、このままで良いのかという葛藤にぶち当たる。

 黒澤珠々による「第3回青春文学大賞」の受賞作「楽園に間借り」(角川書店、1300円))は、その賞の名前とは正反対に、青春につきものの熱さやひたむきさとはてんで無縁の物語。ダメ男のどんよりと停滞したヒモ生活が描かれて、何者にもなれそうもないどん詰まり感にとらわれた若い奴らの心を刺す。

 でも、自立すれば誇れるのか? 金があれば女を幸せにできるのか? 百輔はそう考えた。転がり込んできた幸運が、百輔にプライドを示すチャンスを与えた。しかし。

 百輔と梨花の気持ちはすれ違う。隔てられ離れていってしまう。自立なんて関係ない。背伸びしたプライドなんて、女には鬱陶しいだけ。そこにいて欲しいのは、覚悟とは無縁のいとおしい存在だけなのだ。

 男にすがりたいという女の気持ち。男を慈しみたいという女の情動。それがあって男のヒモは存在し得る。ヒモと女性との関係によって形作られる“天国”は、男の愛と覚悟によってのみ成り立つのではない。すべてを赦す女と、そのふところに抱かれた男の諦念が混じり合って浮かび上がった、刹那の空間であり関係なのだ。。

 可愛いがりたい女心に付け入り、ふところに潜り込んで夢を見させ続けるルイこそが、ヒモの中のヒモなのだろう。百輔にはそれができなかった。だからすべてを失った。ヒモになれば気楽だと思うことなかれ。安易な気持ちでは絶望しか得られない。

 もしそれでも夢を見たいなら、百輔の美貌の姉を求め続けて10余年、ついに彼女を射止めた巨漢をこそ目指すべき。鬱陶しがられも拒絶されても、思い続けることで相手を押し切った。ヒモになるより簡単だ。踏まれても逃げられても愛を貫く、覚悟さえあれば良いのだから。


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