PREZENTO WO AGERU
プレゼントをあげる

 プレゼント? もらったことあったかなあ、最近はもらってないなあ。もらって嬉しかったなんて、だからちょっと解らないなあ。でもね、あげたら楽しいって気持ちは解るなあ、ほら、相手が喜んでいる顔って、何だかとっても心地良いじゃない、だから、プレゼントをあげるのは好きだなあ。

 えっ、プレゼントをあげるのは、プレゼントが欲しいからじゃないかって? あー、それはある、嘘偽りなくいえば心の片隅には、ちょっとだけ、ある。でもね、それは決して唯一の、絶対の、ストレートな願いじゃない、ホント、ほんとだよ。

 信じてもらえないかもしれないけれど、プレゼントをもらって喜んでいる、相手の気持ちを想像するほうが、お返しなんかしてもらって、逆に申し訳ない気持ちになるより、ずっと心地よいんだよね。

 それってつまり、相手より高みに立って、優越感にひたってるってことじゃないかって? うーん、それはお返しが欲しいって気持ちより、もう少しだけ、強いかな。強いけどでも、口にしないし態度にも出さないし、すぐに忘れてしまうから、やっぱり目的じゃない。純粋に「気持ち」、そして「お心遣い」。それが僕の、プレゼントをあげる、理由。

 吉野朔実さんの絵本「プレゼントをあげる」(大和書房、1300円)の女性は、ちょっと違うみたい。プレゼントをあげる行為より、プレゼントをあげる相手が好きって気持ちの方が強いみたい。たぶんそれが、本来あるべき「プレゼントをあげる理由」、なんだろう。そうできない、そう言い切れない僕は多分、理由をつけないことで傷つくことを避けている臆病者、打算を込めないふりをしてその実下心を燃やしている自意識過剰な人間、ってことになるんだろうね。解ってて言うあたりが、なおのこと打算的、なんだけど。

 ある雪の日、送られて来た宅配便の宛名が彼女のものじゃなくって、電話した本来の受取人が宅配便を取りに来て、そして。黄色いリボンをほどいて、箱をあけて、ドライフラワーをかきだして、使い込まれた手袋を取り出して、泣き出した。昔、大好きだった女性にあげたものだった。2人の思をつないでいたものだった。もういらなくなってしまった。思いが途切れてしまった。だから涙をこぼした。

 男性が女性にあげた手袋のプレゼント。それは2人の関係をつなぐ物だったから、送り返されたことはそのまま、関係の途絶を意味した。そんな光景を目の前で見て、彼女は母親が贈ってくれたプレゼントを趣味じゃないからと厭い、母親を泣かせた子供の頃を思い出し、海外旅行のお土産として配る予定で買ったのに、未だに手元にある心のこもっていないプレゼントを思い出した彼女は、だからこそプレゼントの意味を考える。

 残酷なプレゼント。送り返された手袋とドライフラワーでも、羨ましいと思う気持ちがプレゼントの意味に気付かせてくれる。「水が欲しいと思う。だから誰かに水をあげたいと思う。あげようと思う」。そっか、打算的でも良いんだね、純粋な気持ちに素直だったなら、ぜんぜん構わないんだね。欲しいからあげるんだって言っても。欲しいものをあげても。「『欲しい』と『あげる』は一卵性双生児のように似ている」。

 突き返されるかもしれないけれど、それだって思い出、なんだよね。犬を飼って、犬が死んでしまって、辛くって、でも飼わなければよかったなんて思わない。送り返されて来た手袋を受け取って、でも男性は「その人に会ったことは、私の大切な時間だったんです」と言った。臆病さを自意識過剰の鎧に包んで無関心を装っていては、絶対に伝えることのできない思いがあって、作ることのできない思い出がある。だから。

 彼女はクロッカスにリボンをつけて、笑顔といっしょにでかけて行った。彼女は思いを伝えられたのかな。たとえ伝えられなかったとしても、彼女は後悔なんかしないだろう。だって、プレゼントをあげたいって思える人に、出逢うことができたんだから。ホクホクとわき上がる気持ちを抱いた人がいたという、思い出を作ることができたんだから。

 プレゼントをあげることが好きなだけじゃダメ。プレゼントをあげたい好きな人がいなけりゃダメ。それでもやっぱり、疎まれるよりは喜ばれたいって気持ちが強い、僕ってやっぱり臆病なのかなあ。あなたには今、プレゼントをあげたい好きな人が、いますか?


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