プラネットウォーカー 無言で歩いて、アメリカ横断17年

 2009年8月30日の衆議院議員選挙で民主党が大勝利し、鳩山由起夫総理による新政権が誕生して以降、環境に関係する話題が以前にも増して増えた。

 鳩山総理が温室効果ガスの25%削減という、現実的には困難極まりないと思われそうな目標を、国連の場ででぶち上げたことがまずひとつ。ここに、勝ち馬にだけ乗り群がるメディアの体質も重なって、国民が支持する鳩山首相の言うことなすことすべて善、そんな雰囲気になっていった。

 もちろん、温室効果ガスの削減は急務。けれども、上から目線で「さあ減らせ!」と言われると、とたんに反発したくなるのが人間の気持ちというものだ。電気はこまめ消そうと告げるテレビが、誰も見ていない真夜中も休まず放送してるのはいったい何だ? レジ袋は良くないとスーパーが言うけれど、同じ系列のコンビニで売られている1人用の小口パックの方が、よほど資源のムダではないのか? そんな言葉を返したくなる。

 結局は電気もつけっぱなしで、レジ袋ももらいっぱなしで、コンビニも自動車も使い放題。口先だけで訴えても、人の心には響かない。

 では、どうすれば人の心に響かせられるのか、人を動かすことができるのかというと、答えはひとつ、行動あるのみ。それも声高ではなく静かに、着実に行動することだけが、周りを変え、世界を変えるのだ。と、そんなことを伝えてくれるモデルケースがここにある。

 サンフランシスコの海に原油が流出した事故を見たジョン・フランシスという青年は、自動車には絶対に乗らないと誓って、徒歩での移動を自分に課す。最初は近所を歩いていただけだったけれど、やがて故郷を出てアメリカ大陸を歩き始める。

 ひとりの人間が車に乗らなかったからといって、どれほどのガソリン消費を抑制できるものでもない。ただの独りよがりと見なされ、自動車を必要とする人たちから自分を否定するのかと見なされ、嫌味を言われ、非難も浴びていた。

 それでもジョン・フランシスは止まらなかった。カリフォルニアを出て西海岸を北上し、そこからアメリカ大陸を横断する旅を続け、その行動がメディアを通じて紹介されるようになって、フランシスの行動に共感を示す人たちが増えて来た。

 声高に話しても、それはテレビのCMと同じで相手の心に響かない。かえって疑心を浮かばせることになる。そういう配慮もあったのだろう、絶対に喋らないという沈黙の誓いを立たフランシスは、手振りや身振りでコミュニケーションを取りながら、アメリカの大地を進んでいく。

 それでいて、大学を経て大学院にも入って博士号を取得するほどの行動力を見せる。研究テーマは、原油の流出がもたらす環境と経済への影響といったもの。時流にも乗り、あちらこちらの論文に引用されるようになり、環境問題の第一人者と見なされるようになったジョン・フランシスは、今はNPO法人を作り、歩きながら世界を変える運動をする一方で、環境に役立つ仕事をしている。

 「プラネット ウォーカー 無言で歩いて、アメリカ横断17年」(尾澤和幸訳、日本ナショナル・ジオグラフィック)は、そんなジョン・フランシスの手記とも言えるものだ。読めば声高に上から目線で叫ぶより、もっと意義深く、そして意味のある行動があるのだということが見えてくる。

 自分がそうしたいから、そうしているのだと示すこと。それだけが、周りに何かを気づかせられる。

 自動車は捨てられないけれど、ほかにできることが自分にもあるのではと考えさせる。気付きの輪は世界へと広がり、少しづつ環境を変えていく。ひとりが自動車に乗らないから何だと最初は言われたし、実際にそのとおり。けれども、ひとりひとりが自動車に乗らなかったり、何かをやった集合体は、決して小さいものではない。

 そういうことなのだ。

 ひとりの青年のアメリカ徒歩縦断記として読んでも、厳冬期の山をサバイバルする冒険があり、様々な人との出会いもあって楽しめる。その上で、世界のために自分が何をできるのかを考えるきっかけを与えてくれる、さまざまな奇跡がカタマリとなってつづられた宝石のような手記。読み終えれば、次の駅まで歩いてみたくなる。

 それが何になる? 何かになると信じよう。そこから世界は変わり始める。


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