ペニンシュラの修羅

 毛糸のぱんつが黒と白の縞模様で、そして兎が100%ではなくヌートリアの毛が使われていて、なおかつそれも少しか使われていなくて、でほとんどが合成繊維でできていて、おまけに股間に穴が開いた男女兼用だからといって、それを履く女たちが例えば身長が低くて胸も薄くてボーイッシュでパワフルだったり、長身にして痩身でお嬢さま風だったり、クールな上にグラマラスだったりしたら、それはそれで素晴らしいと思えるか。

 なるほどパッと見だけならそういった風に思えるかもしれないけれど、中身が傍若無人でイカサマ込みのギャンブルが大好きだったり、お嬢さま然としていて要求が理不尽極まりなかったり、意味不明の四字熟語や故事成語を呟く一方で、ひたすら食い意地がはってたりする女たちだったりすると、やっぱりちょっと臆するというか、半歩か1歩か10歩か100歩下がって、様子見をしたくなるというか。

 それでもそんな彼女たちに付き従わなくてはいけないのが、奴隷という身分にある少年の悲しさよ。少しばかり同情したくもなるけれど、これでなかなかしたたかに会計という才能を活かして、乱暴だったり我が侭だったり無表情だったりする女たちの手綱を、ギュッと握って放さなかったりしているからお互い様といったところか。

 そんな関係にあるシスター・マリカにシスター・ハイナにシスター・墺芭の破壊修道尼僧3人と、タック・テンダースという会計奴隷の計4人が、ペニンシュラ王領の存亡をかけた戦いのために、かつて国を救いながらも訳あって、女王によって腕を切り落とされた挙げ句に放逐された英雄イートン・アンシャルを、当の女王の求めで捜しに行く。

 そんなストーリーを持つのが吉田親司による「ペニンシュラの修羅」(電撃文庫、610円)という小説。いかにも末尾を合わせようと選んだタイトルに見えたりするけれど、だったら次が「アンバサラの婆娑羅」になるかとうと、そういうことはたぶんない。というか何だ、アンバサラって。

 そして物語は、それなりに戦闘能力を持った3人の修道尼僧たちだけに堅調に進んではいくものの、行く先々で騒動は起こした上に、やっとのことで出会えた英雄イートン・アンシャルを相手にした戦いでは、まるで相手に歯が立たず、1人2人3人と順繰りに窓から逆さ吊りにされてしまう。その際に見えるのはだから、白黒の縞模様をした合成繊維が混じった男女兼用のぱんつ。それを見て麗しいかとうと、見える分には楽しいか。だからイートン・アンシャルも心を変えたか。そこは謎。

 どうにかこうにかイートン・アンシャルを山から引っ張り出し、そして始まったペニンシュラ王領を守るための戦闘で、イートン・アンシャルは過去に切り落とされた腕の代わりにつけた複雑な形の義腕を駆使して、圧倒的な戦闘力を見せる。そのテクノロジーはファンタジーの世界にはちょっと収まりそうもない代物で、テクノロジーの正体やどういった歴史をたどって来た世界なのかという設定を含めて、物語にはいろいろと奥や裏がありそう。

 そもそも途中で缶詰が出てきたり、止まった心臓に当ててショックを与え再起動するAEDに似た器具も出てきたりと、現代的で科学的なテクノロジーが出てきて世界への興味を誘う。あるいは何か別の物語と繋がっているのか。ここから何か世界の変遷が語られるのか。想像すると楽しいだけに続きが書かれて欲しいところ。

 それ以上にキャラクターたちが持つ突拍子もない言動が、ひつらに楽しい「ペニンシュラの修羅」。彼女たちの独白を順に綴っていくような形ではなく、彼女たちを傍目から観察する会計奴隷のタック・テンダースが語る形になっている書き方が、どういった心理で彼女たちが動いているのかを読む方に感じさせず、結果として彼女たちに同情のようなものをしないで、その暴れっぷりを純粋に楽しめるようにしている。これはなかなかの発明かもしれない。

 ひとまず解決した紛争がいつまた起こるかも分からない中で、イートン・アンシャルはまた一段の進化を遂げ、3人の破壊修道尼僧たちはその存在感を強烈に高めた。対立の構図にも変化が見られた中で、次にくるのはいったいどんな戦いか? あるいは融和に向けた交渉か? その中でイートン・アンシャルはどんな風に辣腕を振るい、破壊修道尼僧たちはどんな風に武器を振るうのか。その時に履いているのはいったいどんなぱんつなのか。

 尽きない興味を埋めるためにも、ぜひに続きが書かれて欲しい。願うなら合成繊維混じりの縞模様で男女兼用のものではなく、シルクでレースがついた女性専用の純白か、もしくは綿の水玉のぱんつを、ひるがえるスカートの下に見せて欲しいし、吊された脚の付け根に見せて欲しい。そう心から叫びたい。だからやっぱり重要なのはぱんつなのか。


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