オツベルと水曜日

 実はあまり覚えてない内容を、青空文庫で読み返してみて、どこか不条理でどこか高尚な展開に、これが1926年という時代に日本で書かれた小説なのかと、思う人もいそうな宮沢賢治の創作童話「オツベルと象」。それが下敷きになったという成田良悟の「オツベルと笑う水曜日」(メディアワークス文庫、570円)には、原型のような寓話性は余り見えず、割とストレートにミステリーであり、アクションであり、エンターテイメントでありといった賑やかな雰囲気の話に仕上がっている。

 あるいは、タイプがまるで違う男女が出会って恋に……はまだ落ちたとは言えないけれど、反発はせずむしろ寄り添い互いに関心を向け会っては、新たな関係を築いていく雰囲気がのぞいている。つまりはボーイ・ミーツ・ガールのラブストーリー。若しくはガール・ミーツ・ボーイか。だから、男性女性のどちらの立場に立ってもいて、そういう出会いがあると人生楽しいかもなしれないと、男性女性の両方に思わせてくれる。

 さて登場人物。まずはオツベルから。乙野辺ルイという名前を持った女性で、略してオツベルと呼ばれている。元政治家で今は政治評論家をしている父親を持ち、母親もなかなかのやり手だったりする関係で出版社に顔がきいて、それで絵本が中心の出版社にあってひとつの週刊誌を任されていたりする。「週刊ラストウィーク」という誌名で、芸能ゴシップから猟奇殺人からUFOから河童から何から何まで扱うという内容で、世間からそれなりの評価とそして同等以上の侮蔑を浴びていたりする。

 まさに毀誉褒貶。けれどもオツベルは一向に気にせず、むしろ家で揉まれているよりも社交の場に出るよりも生き生きとしてゴシップ集めに奔走し、時には現場にも出て百戦錬磨の記者たちと渡り合いなおかつへこませる。つまりは超やり手。そんな彼女を編集長に仰ぐ部署だけあって、部員の誰もが戦々恐々として日々を送っているところに、やって来たのがもう1人の主人公とも言える喜佐雪弘。何でも母親がルイの母親と知り合いらしいということで、そちらの伝で送り込まれて来たらしい。

 その出勤初日、編集部に現れた喜佐雪弘を見て誰もが驚いた。巨漢。190センチはゆうに超えていて、もしかしたら2メートルくらいあるかもしれないという巨体は、やせぎすではなく格闘家としても通用するくらいの太さ、分厚さを持っていた。なおかつ顔には大きな傷が。着ているスーツも白系で、そんな人間に町で会ったら誰もがそういう職業の人だと思うだろう、暴力であったり“ヤ”がつくものであったり。

 オツベルも一瞬そう思った。とはいえ、日頃からそうした相手とも渡り合っているだけあって、臆さず怯まないで喜佐雪弘に対峙し、いつも新人に課しているテストみたいなことをやらせる。河童でも捕まえてこいとか、芸能人のキスシーンをとらえてこいとか、あるいは巷で噂の包帯男という、コンビニばかり襲う謎の強盗のインタビューを取ってこいとか。そんな無茶なと誰もが思って反論しそうになるところを、喜佐雪弘はいっさい口答えをせず、分かりましたと行って出ていって、そして見事に包帯男のインタビューをとって来てしまう。

 いったいどうやって捕まえたのか。そもそもどうやって犯行場所を見つけたのか。そこがひとつの推理のポイント。そして、見かけによらず冷静でロジカルだった喜佐雪弘のそんな思考力が、後に包帯男へのインタビュー成功に関連して発生した厄介事に巻きこまれそうになったオツベルを助けるために大きくものを言う。

 また、オツベルが別に追うことになった、10年ほど前に恋人だった少女の双子の兄を殺して服役した少年が、出所したあとで行方を眩まし、そして起こり始めた少年を犯人だと指摘した証言者たちが殺される事件で、真相をつかんだオツベルがとった行動が裏目に出た時にも、喜佐雪弘の思考力と判断力が物を言い、なおかつその巨体から繰り出される力も助けとなって、風前の灯火だったオツベルの命を救う。

 とはいえ、巨体だけれど根は極めて善人な喜佐雪弘を象に例え、彼を散々に利用する乙野辺ルイを、そのあだ名どおりにオツベルに例えて「オツベルと象」になぞらえた時に、向かう先は決して平穏とはいえな5度目の日曜日。いつかそこへと陥る時が来るのか、といったあたりにひとつの興味が浮かぶ。とはいえ、今はまだ水曜日で2人とも笑って向かい合っている。それが続くことを願って止まない。

 連続殺人の真相へと迫っていく展開はスリリングで、誰が探偵として推理をする訳でもないけれど、描かれたシチュエーションから自分ならではの真相を考え、それが正解だったかを答え合わせしながら、展開を追っていけるところはやはやはりミステリー。なおかつ、首なしライダーに禁酒法の時代から生きているカモッラに、佐渡と新潟を結ぶ橋に島で発生したウイルスにと、成田良悟の数多ある作品とも重なる部分があって、そこを糊代にしてそちら方面への興味を広げていける。

 もちろん、単独で読んでも十分に面白い物語。猟奇や怪奇はすべてゴシップ誌のヨタ話として処理される。それとも過去に書かれた作品がすべてオツベルたちによる創作だったとか? それはどうやらなさそう。逃げた濡井村というヤクザな男が潜り込んだ先は、越佐大橋の途中にある人口島。そこでいったいどうなるのか。池袋最強の男はどうなっているのか。そんな興味からめくるめく成田ワールドへと向かっていくのも良いだろう。それは太洋のように広がっていて、泥沼のように読む人の足をとらえて引きずり込んでは、人生のほとんどにに等しい時間を奪うことになるけれど。


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