オルキヌス 稲朽深弦の調停生活

 突っ込んだら負けという勝負を受けて、鳥羽徹の「オルキヌス 稲朽深弦の調停生活」(ソフトバンク・クリエイティブ、600円)を読んで勝利できる者が果たしているだろうか。

 端的に言うなら物語の主題は異文化コミュニケーション。幻獣(オルカ)の暮らす惑星オルキヌス。知性があるが、なわばり争いもするオルカたちの間に立って調停する仕事の資格を得た若い稲朽深弦が、さあやるぞと意欲も満々にやって来たら、師事するはずの先輩調停員、秋永壱里は1年ばかりの旅に出て行方知れずになっていた。

 だからといって代わりのベテランを派遣してもらおうものなら、新人を置いておく余裕はないと追い返されない。これはまずい、頑張ってせっかく合格したのが無駄になってしまうと考えた稲朽深弦は、そのまま壱里の事務所に居残って、新米ながらも頑張ってオルカたちの調停に乗り出すことになる。

 こうして始まった始まる新米調停者の奮闘記。現れるのは人魚にケンタウロスに土蜘蛛にハーピーにケットシーと、まさしく地球のファンタジーや伝奇やホラーや神話に登場するような姿形をした幻獣たちながらも、それぞれがしっかり知性を持っていて、それなりに社会を作って暮らしている。

 なまじ知性があるだけに、稲朽深弦に親切にしてくれることもあれば、逆に面倒をかけて困らせることもある。そんなオルカたちの思いを汲み取り、プライドをくすぐり、鼻っ柱をへし折りながら争い事を治めていく、若き調停員の四苦八苦ぶりを楽しみながら、異文化コミュニケーションの大変さと楽しさを味わえる。

 卓袱台に湯飲みとお茶菓子を持ち出し、やってきたばかりの稲朽深弦をもてなしてくれる土蜘蛛に、己が美丈夫さを誇って周囲の迷惑をまるで考えないケンタウロスの若者といった具合に、どこかズレたところのあるオルカたちとのやりとりは、ああ言えばこう言う漫才のようでコントのような言葉の応酬で、読めば誰もがそんなのありかと思わずにはいられない。突っ込んだら負けの勝負には、だから誰も勝利できない。

 とにかく大阪人の間に放り込まれたようなボケとツッコミの絨毯爆撃。あらゆる会話にボケとツッコミが入りまくって、1ページに3回は笑え、読み返してまた笑える。それでいてしっかりと成り立つ異文化コミュニケーション。笑いは世界を平たくし、関係をなめらかにするというわけか。

 その世界では誰もが笑いの帝王の如くにボケて倒し突っ込んでコケる。最初の土蜘蛛からして出会い頭に冗談をかまし、新任の仕事に意気軒昂な稲朽深弦をおののかせる。いっしょの船でやって来た、やはり新米の調停者のセシル・ファルコナーは誰もが羨む美貌の持ち主のくせをして、それを隠して自動販売機に郵便ポストに電柱といった着ぐるみ姿で動き回る。

 さらにはクライマックスとなるケンタウロスとの対決で、ボケとツッコミの応酬がそれこそオルカの社会を揺るがす大事件の沈静化に必須の道具立てとして使われていたりするからたまらない。知性をくすぐるボケとツッコミは、武器を使って血を流しあう戦いを超えて、世界を平和に導く可能性を秘めているのかもしれない。

 笑いをもよおす異文化とのやりとりという部分では、人口が減って衰退に向かう人類に代わるように現れ、びこってきた小人たちと人類との間を取り持つ職務に振りまわされる少女が主役になった、田中ロミオ「人類は衰退しました」(ガガガ文庫)に似たフォーマットを持つ。ただし、小人のようにシュールな言動でひたすらにボケ倒しっぱなしな相手と違い、オルカたちとのやりとりは性格や立場も勘案した上で、それに見合ったボケなりツッコミが必要とされる。

 実に知的なゲーム。それほどまでに優れた知性を持つオルカたちの間に立って、調停の責務を担うのだから調停員には、類希なる知性と相手の心理や性格や習性に関する膨大な知識、そしてどんなボケが来てもツッコミが襲って来ても、受けて返すだけの知性の瞬発力が求められるのだろう。

 そうした調停員にあって、希代の存在を憧れられた秋永壱里はいったいどれだけの凄まじいノリっぷり、ボケっぷり、ツッコミぶりを見せていたのか。いつの日にか戻ってきた秋永壱里にその神髄を披露してもらえれば、あらゆるコミュニケーションを可能にするスキルを身に着けられるのだが。

 しかし、そんな秋永壱里も、稲朽深弦の“正体”にはズルリとコケて見せるのかも。知性では人に負けず、目の数なら人の8倍もある土蜘蛛でも、秋永壱里に遣えて多くの難題に関わってきた経験を持つ物言う鳥のオリーブでも見誤ってしまったのだから。


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