OP−TICKET GAME

 「誰にも見せないパンツは腐敗するのだ。ダヴィンチ曰く、鉄も使わねば錆び、水も用いらざれば腐敗し、寒冷にあたって凍結する、と。女子のパンツもこれと同じで異性の視線に晒されなければ退化し腐る」。そう、上級生で美少女の生徒会長が訴え、男子下級生に女子のスカートめくりをさせるという小説が存在する。本当だ。

 そして美少女生徒会長は、「ゲーテ曰く、泣いてパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない。つまり泣いてスカートをめくった者でないと、パンツの真実はわからないのだ」とまで言って、下級生の男子に今度は女子のパンツをじっくり見ろと煽る。そんな小説が実在する。本当なんだって。

 美少女生徒会長はこうも言う。「ぞうきんはどんなに綺麗なぞうきんでも布きれの価値でしかない。しかし、パンツはどんなに汚れていてもその価値を失わないのだ」。そうまで言って、嫌がる女子生徒までをも説得して、女子どうしがスカートをめくってパンツを見せ合う行為のどこかに優劣を付けるゲームを繰り広げさせる。

 何のために? それはパンツのためならず。男子生徒が女子生徒のおっぱいを揉むためのチケットをゲットするために。そんな小説があるのか? あるのだ。あって良いのか? あって良いのだ。楽しいから。そして燃えるから。

 その小説、土橋真二郎の「OP−TICKET GAME」。(電撃文庫、590円)を読めば誰もが感じ入るだろう。たかがおっぱいでもなければ、されどおっぱいでもない、崇高にして偉大なおっぱいを、相手の了解も得て公然と揉むことができる権利のために、男子がスカートをめくりあい、女子がパンツを見せ合うという、パッションとアクションとが渾然となった、汗と涙のほとばしる青春のスペクタクルというものに。

 電脳世界を使ってみたり、リアルな社会にルールを持ち込んだり、孤島のサバイバルに当てはめたりして、そこに一定のルールを持った一種のゲーム的な空間を作りだし、そのルールに従いながら行動する者たちが、あるいは勝利を目指し、あるいは脱出を目論んで戦い、あがく姿を描いてきた土橋真二郎。時には人だって死ぬし、権力に絡め取られる仲良しに見えた人たちが仲違いもするような、ドロドロとした情念が描かれることもあった。

 けれども、「OP−TICKET GAME」は違う。実にあっけらかんと思春期のパッションがぶちまけられて、読む者たちを青い官能の世界へと誘ってくれる。舞台は高校。コンプリートしたら、そこに書かれた女子生徒のおっぱいを揉めるという「おっぱいチケット」が男子生徒の間に配られる。

 誰が始めたのか、どういう目的なのかは分からない。本当に揉めるかどうかすら怪しいと男子たちは戸惑う。そこに現れたのが、生徒会長の速水千草という美少女で、男子を集めてこれは本物だと言い、実際におっぱいを揉んだ副会長を呼んでその感触を語らせると、もう男子たちはいてもたってもいられなくなる。なぜならその副会長の言葉には、揉んだ者だけが放てる響きがあったからだ。

 そして男子生徒たちは、トレーディングカードゲームのようにおっぱいチケットを交換を始める。けれども、憧れではなくても見知ったあの少女のおっぱいが、他人に揉まれるなんて許せないという思いを浮かべて交換を止める者も出たりして、なかなかコンプリートする者が現れない。

 ルールとは別に、情動も要素として加わって複雑さを増すゲーム。膠着状態に陥って、諦めすら見せ始めた男子生徒たちを奮いたたせようと、生徒会長の速水千草は、男子生徒と女子生徒がペアを組み、別のペアの女子生徒のスカートをめくって、男子生徒がその女子生徒のパンツの柄や色を言い当てたら、彼女とペアになっている男子生徒が持っているおっぱいチケットを奪えるゲームを提案する。

 男子生徒が女子生徒のおっぱいを揉むために、男子生徒が女子生徒のスカートをめくり、パンツを見る。男子にとってそれは明白でも、女子生徒にとってまるで意味不明で反発も出る。そこで炸裂するのが冒頭のセリフだ。

 実にばかばかしい。とてつもなく空々しい。けれどもあり得ないと斬り捨てられない説得力がそこにはあって、男子はおっぱいチケットを集めて、女子のおっぱいを揉まなくてはならない気にさせられるし、女子はそうした男子のただならぬ雰囲気に、スカートめくりをする男子につき合い、さらにはパンツを見せ合う勝負に付き合わなくてはいけない気にさせられる。

 そんな言葉の持つ不思議な力に加えて、扇風機から得体の知れない液体から、さまざまな道具がそこに持ち込まれたスカートめくり勝負で、絶対の勝利を目指す条件を探ったり、女子どうしがパンツを見せ合う勝負で、生徒会長がなにを要素にして勝敗を決めているのかを探るミステリー的な要素も持ったこの小説。推理力がなければ勝ち残れないその勝負を、登場人物たちといっしょに推理し勝利を目指す楽しみを味わえる。

 そこまでして得られるご褒美が、ばく大な財宝だの世界を牛耳る権力だの誰でも傅かせることが出きる異能だのといった、あれば嬉しいとは思えても、まずあり得ない実現性の乏しい願いなどではなく、すぐそこにありながらも壁に阻まれ、手の届かないおっぱいというところがとても良い。

 眼前に見えて揺れてみたり、谷間を作ってみたりするそれに手を伸ばしたくても、自重という心理的な枷があって手を伸ばせず、猥褻的な行為に対する法律という壁もあって伸ばした手を引っ込めざるを得ない。そんなジレンマを、公然をぶち破ってくれるご褒美を、ぶら下げられれば誰だってやってみようと思うだろう。思うはずだ。

 勝利への道を推理し、勝利して得られる喜びを想像しながら読もう、そして考えよう、本当にあったとしたらおっぱいチケット、それで誰のを揉むのかを。いったい誰のを揉みたいのかを。


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