女に生まれて男で生きて
女子サッカー元日本代表エースストライカーと性同一性障害

 ワールドカップイヤーだった2006年は、バルセロナの中心選手でブラジル代表のロナウジーニョ選手の自伝や、ドイツのブンデスリーガの歴史を辿った本などが書店のスポーツコーナーに並んで賑わった。

 ワールドカップが終わってからも、サッカーの日本代表に就任したイビチャ・オシム監督に関連する書籍が何冊も発行されてこもれ人気に。未だそれなりの売れ行きを誇るプロ野球関連本と並ぶくらいに、サッカーに関心を持つ人が増えて来ている現れだろう。

 そんな中にあって、極めて高い意義と価値を持つサッカー関連書籍が刊行された。タイトルは「女に生まれて男で生きて 女子サッカー元日本代表エースストライカーと性同一性障害」(河出書房新社、1300円)。書いたのは水間百合子。サッカー女子日本代表として90年の北京アジア大会を始め、数々の試合に出場したフォワードの選手だったが、そのタイトルを、見れば単に女子サッカーの歴史を振り返る内容でないことが分かる。

 著者は、子供の頃から自分の性別に違和感を持っていた。いわゆる性同一性障害(GID)というもので、子供の頃はそうした状態があり得ることを知らず悩み、知ってからも外に向かってはなかなか言い出せないまま、現役生活を過ごしていた。引退し、今は水商売の道へと入って、それなりの成功を得て、年齢を重ねてきたこともあったのだろう、自らのGIDをカミングアウトした。それが本書ということになる。

 だから内容の半分近くは、学校時代の服装で女性とが着るような服を着られずジャージで通い続けた話とか、周りにいる女性たちに感じる自分の嗜好が、相手の感情と相容れるものなのかを悩んでいた話、たまに現れる理解のある相手と関係を持ちながらも、結局は表沙汰に出来ないまま苦しんだという、GIDの人が発表する手記と大きな違いはない。

 水商売の仕事を始めてから付き合った、こちらは男性ながら心は女性というGIDの人との心と体があべこべになった関係も告白している。心だけでなく体も重ねようとした時に起こった何とも言い難い感情などは、想像して浮かぶビジュアル的な不思議さとは正反対の、なかなか理解されがたいシビアさを孕んだ問題があることを示している。外野が下卑た感覚で思うことと、当人たちの感情は大いに違っているのだ。

 スポーツ選手でそれも一線級のアスリートだったこともあって、周囲が女性ばかりという環境に置かれ抱く複雑な感情と、そんな感情を押し殺して相手とどうやって接するのかという難しさも書かれてあって、興味深い。

 これはスウェーデンだったかノルウェーだったか。女性サッカー選手が、自らをレズビアンだとカミングアウトして、女性の恋人を連れて歩いているニュースが出回った。そんな選手をチームがどう遇しているのか、他の選手たちがどう思っているのかが知りたくなった。理解の深い北欧の国ならではの気安さで受け入れられたのだろうか。それとも見えない苦労が耐えなかったのだろうか。

 あと、80年代から90年代にかけて、女子サッカーが置かれていた環境の過酷さも描かれていて、女子サッカーの歴史について関心を持っている人たちにとって、大変に貴重な証言が詰まった本だと言える。今でこそ「なでしこジャパン」と持てはやされて、女子サッカーに関する情報も溢れているが、「L・リーグ」元年となった1989年より前となると、なかなか接する機会がない。

 所属していた浦和本太レディースというチームが、元がママさんチームでジュニア登録に変えてもやっぱりアマチュアチームだった中にあって、代表にも呼ばれるくらいの実力を持った選手時代の著者が、練習したいと悩みつつも果たせず、開幕したL・リーグの波を横目に悶々としていたエピソード。移籍しようと考えながらも、世話になった監督の強権もあって出られず苦しんだエピソードは、スポーツの世界が今もどこかに抱えている徒弟制度的、部活的なしがらみの根深さを浮かび上がらせる。

 同じ頃に代表で活躍していた木岡二葉選手、手塚貴子選手、鈴木政江選手、本田美登里選手といった面々が、引退して今はサッカーの評論をしたり、日本サッカー協会の仕事をしたり、自ら「L・リーグ」のチームを率いて戦っていたりと、サッカーに関わる仕事をしている一方で、著者は完全に袂をわかって、10年近く沈黙していた。それが今、どうしてカミングアウトをしたのか。

 「なでしこジャパン」として盛り上がりを見せている女子サッカーの世界に、何か波風を起こしたいといったものでは決してない。そんな気持ちがあるのだったら、2004年に「なでしこジャパン」が長年勝てなかった北朝鮮を破り、アテネ五輪出場を決めて人気がピークになった時にやっている。やって世の中の関心を集めようとしている。そん素振りは著者には微塵もない。

 社会がGIDといったものに理解を示すようになったことが、ひとつにはあるのだろう。また、女子サッカーというものが一般にも知られ始める中で、そこでかつて活躍していた1人の選手というバリューから、本書を興味を持って読んでもらった人に、世界にはこうした悩みを抱えている人間が大勢いるんだということを、知ってもらいたい気持ちが働いたからなのかもしれない。

 代表のメンバーとなり、リーグでも主力選手として活躍した著者だけに、大勢の有名選手たちと関わりを持っていたことだろう。そうした固有名詞を、この本では一切出していないところに、かつての同僚たち、そして女子サッカーへの著者なりの親愛と配慮が感じられる。

 女子サッカーやあらゆる女子スポーツに関心がある人にとっては、女子のそれも決してメジャーではない競技がおかれている環境の厳しさを、知ってもらえる意味のある本。同時にGIDを始め、様々な悩みと思いを抱えた人がこの世の中には生きているのだという厳然とした事実を、大勢の人に知ってもらおうとした意義深い本。どちらかに抱いていた興味が、もうひとつの世界への理解に繋がっていくはずだ。


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