キャッチャー・イン・ザ・オクタゴン

 八角リングでつかまえて。

 それはちょっとヤバいんじゃない? と、格闘技に親しんでいる人なら思うかもしれない。つかまってしまったらあとは引きずり倒され、寝技をきめられ、関節をとられて逆さにねじられタップ、敗北へと一直線。八角形をしたリングは金網で覆われ、ロープもないから、逃げてブレイク、再スタートなんて訳にはいかない。

 だから、八角リングで戦う選手は、つかまらないようにして逆に相手をつかまえるような闘い方をしなければ多分、いけないんだろうけれども、そこは勝負師の心意気。ほらほらつかまえてごらん、という挑発の気持ちをこめているのかもしれないし、鍛錬の果てに得た圧倒的なパワーとテクニックをもってすれば、たとえつかまえられたって、逆転できるという自信をこめて、そう言っているのかもしれない。

 なにしろ著者は須藤元気だ。変幻自在のトリックスターだ。首の怪我さえなければ今も四角いマットの上で、そして八角形のオクタゴンを舞台にして戦い、勝利の凱歌をあげていたかもしれない格闘家。その彼が、自身の過ごした格闘技の世界を舞台に描いた小説作品「キャッチャー・イン・ザ・オクタゴン」(幻冬舎、1300円)のタイトルに込めたのは、自信と挑発の心意気に違いない。

 プロになってまだ3戦しかしていない若い格闘家のケンタに、アメリカの何でもありルールで行われる八角(オクタゴン)リングでの試合に参加するチャンスがめぐってきた。格闘のエリートではなく、そもそも始めたのは高校に入ってアマチュアレスリング部に入ってから。それすらも決して積極的とはいえない理由で始めたものだった。

 新入生歓迎の目的で行われたカルタの大会に、同級生たちと出たケンタは、決勝で当たった進学クラスの女の子チームにあえなく敗北。その中にいた寡黙そうな少女に惹かれ、アルバイト先まで行って告白しようとしたものの、シズコという名の彼女に彼氏がいると分かって初失恋。行き場を失った情熱を燃やす場所をもとめていたら、格闘技のビデオを見せられ興味を持った。

 これはすごい。そう感じたケンタはすでに入学式から数ヶ月経っているのにも関わらず、新入部員としてレスリング部に入り、練習を重ね、先輩のしごきには悪戯で返したりしながら次第に強くなっていき、大会にも出るようになってそしてどうにかプロになる。

 そんな合間に憧れていたシズコに彼氏なんていないと分かり、だったらつき合うかというとやや曲折。それでもどうにかつきあい始めたものの、シズコは会社に入ってバリバリと仕事をしている身。一方のケンタはアルバイトをしながら格闘生活というこの格差。普通だったらそこでいろいろすれ違いもありそうなんだけれど、須藤元気の筆は2人がお互いを認め合い、理解し合っているような雰囲気を、村上春樹を思わせるような乾いて淡々としてどこか面白みもある会話を重ねながら描いていく。

 「話って、何?」「よかったら僕と付き合ってくれないですか」「久しぶりに会ったのにいきなりね。もう少しプロセスを大事にしたらどう?」「理想のファイトスタイルは常に一本かKOなんだ」「今のあなたじゃ、誰に言っても判定負けよ」「KO負けではないんだね」「焦らないでよ。まだ注文も取りに来てもないのよ」

 「ブラックなんだね。知らなかったよ」「あなたこそ、ガムシロとミルクを二つも入れるのね。知らなかったわ」「お互い知らないことばかりだ」「知らない方が幸せということもあるのよ」。そんな具合。ああいえば、こう切り返してそう重ねていく会話から、わきあがる空気のすがすがしさが心地言い。  そして訪れたフロリダでの試合。電話をかけて不安な気持ちを見せるケンタに「まだ、緊張してるの?」とシズコは言い、「うん。かなり。シズコと初めて話したときくらいの緊張かもしれない」とケンタは返すと「時差ボケがまだ少し残っているように」とシズコは容赦なくケンタに告げておののきもしない。

 それでも「甘ったれてないでがんばりなさい」と励まされ、「じゃあね、良い一日を」と言われて臨んだ試合の果て。帰国してケンタはシズコが自分の部屋にいて、掃除をして眼底骨折をしているケンタを優しく包み込んでくれたことを淡々と喜ぶ。

 格闘がテーマの小説にありがちな暑苦しさがまるでない。恋愛ものなのにぜんぜんベタベタしていない。静かで優しい物語。都会的、といった言葉が似合う格闘小説というものに、この物語で初めて出会った気がするという、そんな読者も多いかもしれない。須藤元気が憧れる村上春樹の語り口に似た文体が、須藤元気ならではの主題と重なって須藤元気だけにしか描けない雰囲気を醸し出している。

 フロリダでの格闘シーンの描写は、さすがに経験者ならではの迫力とリアリティ。こうすれば勝てて、そうしなかったから負けた話を格闘経験を持たない作家が描くのは難しい。困難なくらいに難しい。けれども「キャッチャー・イン・ザ・オクタゴン」は、決してそこだけではない。物語の味があり、会話の妙があり得られる心地よさがある。

 新しい書き手の登場を、感じないではいられない。


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