縮刷版99年6月下旬号


【6月30日】 今市子さんの趣味炸裂系な「あしながおじさん達の行方」(芳文社、562円)を買う。タイトルに妙な予感がしたものの裏表紙の美女の姿にフツーのラブコメを見せてくれるだろーと思ったら甘かった。施設に育った少年が自分を援助してくれた「あしながおじさん」を探すだけならまだしも「達」とついているよーに、どうにも不思議な性癖を持った複数のおじさんが援助していたことが解るに連れて、話はどんどんとそっちの方向へと流れてく。1巻とあるしどーして「おじさん達」が少年を援助しているのかも明らかになってないから、なおいっそうのドロンドロンした展開を2巻以降に期待していーんだろー。秋吉薫ちゃんが素になっちゃったのは残念なことこの上ないんで、夏海はいーから薫ちゃんの御姿をもっと拝ませて下さいな。

 ジュグジュグと鼻をすすりながら京急沿線で取材してから戻る途中の蒲田で「ケンタッキー・フライドチキン」に飛び込みボトルトップのヨーダを買う。町中あたりじゃ人気で品薄になっているらしく、八重洲とか銀座とかの「KFC」だと実際ヨーダだけ品切れのラベルがついている。ジャージャー、アナキン、網鱈じゃなかったアミダラがほかにあるけど造形の良いジャージャーはジャージャーだし穴金違ったアナキンはゴーグル着けてて可愛くない。アミダラは顔が怖いし手がでっかく大味なのが難点で、その上すでにもらっているんで、是が非でももっとも顔立ち造形の良いヨーダを手に入れたかったところ。偶然にもラッキーにゲットできたヨーダはだけど、やっぱりウツクシくはないなー。「スター・ウォーズ」に美人なし? とりあえずはナタリー・ポートマンの映画での活躍に期待だ。網鱈なメイクのない方で。

 タカラがやって来て新作リカちゃんを拡げて見せてくれる。新聞社の応接ルームでリカちゃんを見比べている記者を、世間だったら「いぢょー」と思って毛嫌いするだろーけれど、すでにしてそーゆー行為を嫌悪感がいささか交えながらも是認されている人間にとって、別段構うところなど一切ない。正々堂々と「いづみ」ちゃんの、アイロンあてると色が変わる新製品の最初は白髪の婆さんが緑に染めた果てのよーな色を持った髪の毛を、櫛削り撫でてニタリと嗤ってみせる。同じ毛替わりバージョンには「リカちゃん」もあってこっちはベースが真っ赤っか。アイロンあてるとピンクになるのかな、もちろん髪の毛しか見ていないから下の方の毛が最初は真っ赤なのが擦れて熱を持つとピンクに染まる、なんてことは確かめてませんのでリポート期待した人はご免なさい、自分で買って脱がせて見てください。

 笑顔シリーズは標準商品として発売した模様で、それぞれの笑顔に合った職業の制服を来た「笑顔のリカちゃん」がそろそろあちこちの玩具店へと並んでいることでしょー。制服と言えばやっぱりあったぜ「スチュワーデス」に「看護婦さん」は前者がちょっとだけ口あけたクスリってなお高い笑顔で後者はウィンクをした「お大事にぃ」ってなお茶目な笑顔。他に破顔一笑な両目をつぶったウェディングどれすや両目を細めたマクドナルドの店員さんがラインアップに登場。流し目系の子が果たして何の格好なのか多分ウエートレスさんだと思うけど髪の毛が派手でみかけ1番ゴージャス。でも選べと言われて選んだのが当然にして絶対の「看護婦さん」だったりするあたりに、なおいっそうの「いぢょー」を回りが感じるかと思ったら「やっぱり」だって、そーなんだなぁ俺ってば。嫁、来ねぇな。


【6月29日】 「ダンスインザウインド 翔竜伝説」(岩佐まもる、角川書店、560円)の残りを夜のうちに読了、結構な話でした。いわゆる競馬の厩舎やら牧場やらを舞台にした現代物をファンタジーの世界に落とし込んだらこうなるかってな設定だけど、ただそれだに止まらず1匹の竜が生まれ育っていく模様を描きながら、15歳にして人の面倒牧場の面倒を見なくてはならなくなった少年の懊悩や、そんな少年の悩みを解っていながらついつい反発してしまう少女の葛藤、そして少年が牧場を継がざるを得なくなった事件とも関わる人物との邂逅といった、人の心に触れる様々な形層の物語を積み重ねていく。

 ともすれば主人公の軸が見失われて一種群像劇に近い展開になってしまうところもあるけれど、さまざまに事情を背負った人間が1つ牧場に集まり1つ目的のために悩んだり怒ったりしながら進んでいく展開の、清々しさには心惹かれる部分が多い。高貴な身分でありながらも、そして自分が決してその場で望まれてはいないと認識しながらも、想いを叶えるために黙って日々の仕事に耐えて来たウリュメルの芯の強さがなんともいじましい。エンディングの開放感はそれだけて1冊のファンタジーの掉尾を綺麗に飾っているけど、せっかくの素敵なキャラクターたちだ、受け入れられたウリュメルと空に舞い上がった子竜のこれからを、今は読んでみたいと思ってる。さてどうだか。

 4冊同時刊行の角川賞物ヤングアダルト月間は最後に「トリスメギトス 光の神遺物」(浜崎達也、角川スニーカー文庫、620円)を読了、これはとにかく圧巻なんで最後に読んだのもまんざら順番としては悪くなかったかも。エジプトの地で修行した魔術師がヴェネツィアへと帰還して街を守る任務に就いたのも束の間、独立独歩のヴェネツィアを倒そうとする勢力の魔手から街を守るための激しい戦いへと借り出される、ある意味ありそうな話ではある。がしかし、神への愛が神を蔑ろにする人間への憎しみにとって代わり、神の遺物をもって秘術を使い人間を滅ぼそうとする方向へと向かいかねない、一種”最後の審判”にも似た人間存在を強く問うテーマが浮かび上がるに至って、美形や美人やマッチョなキャラが活躍する魔法バトルの物語に、強い吸引力が生まれて来る。

 主人公のミカ・ダンドロと仮面の魔術師との出会いから最後の戦闘に至る対立関係をおおまかな軸にとらえつつ、陰謀あり恋愛あり友情ありのエピソードがジェットコースターのように繰り出され、手を置く間もなくラストへと読者を導いてくれる、そのストーリーテリングの冴えはこいつ本当に新人かよと思わせる。寡黙なのかイケズなのか剽軽なのか軽薄なのか、いまいち分かりにくい主人公ミカの造形にちょっぴり悩みはするけれど、体力あって武道もたしなむ美人の魔術師ジーナの圧倒的に立ちまくったキャラや、酒場で出会う天使のように美しく純真な信仰心を持った少年の存在感たっぷりなキャラが、全てに勝って読む物の気持ちを飽きさせない。どうやら始まったばかりらしい戦いがさて、これからどう進むのかを今はとりあえず待とう。しかし表紙も口絵もジーナの腕、丸太みたいにぶってぇなぁ。殴られたら、きっと、死ぬぜ。

 ニフティが出してる雑誌でホソキン氏が、前にネットでイジった大岡みなみ氏にこっちは雑誌でイジり返されてるコラムを読みつつせこせこと仕事。セガが横浜にある「ジョイポリス」に、元(なのか今もなのか不明な)B21スペシャルのヒロミのプロデュースによる「H.factory」ってスペースを作るとかって話を聞いて考え込む。ナンシー関さんの「耳部長」(朝日新聞社)って激烈コラムで上に媚び下に威張るヒロミの行状への批判を読んでいたこともあって、どれほどのバックボーンを持っているのか解らないのに兄貴っぽく自分の趣味を人に語ってしまうヒロミを敢えて起用する、セガの決断に一体どんなつながりがあるんだと不思議に思う。

 そこで浮かんだのが、ほらヒロミって夜中の帯番組で大竹まことさんと一緒にトークをやってたってことで、そのスポンサーが確か「ドリームキャスト」、ってことはなーんだ秋元康つながりなのかと無関係かもしれないけれど多分そうだ絶対そうだってな結論に落ちつく。所ジョージほど趣味の爆裂具合を感じないヒロミにさてはてどれくらいの客が集まるのかは知らないけれど、たとえ下司の勘ぐりでもこーゆー繋がりが透けて見えてしまうと、今時の裏読みな子どもは白けてしまうんじゃないかな。どーせだったら大竹まことの「シティボーイズ」の常打ち小屋でも新宿ジョイポリスとかに立ててくれれば、毎日だって通うんだけどね。常滑川まことの部屋とかってのも、いーかも。

 株主総会があちらこちらで開かれて景気の悪い会社はそれなりにお灸を据えられたみたい。単年度で何億円ってな赤字を出してただでさえたまっている累積損失をさらに積み上げ、債務超過寸前にまで会社を追いやりつつ出してくる企画は、企業の社会的な責任から大きく外れる拝金主義一辺倒、それを嫌って大勢の、おそらくは1割を越える人材が流出しているのにも関わらず、役員が誰ひとり変わらず悠然と総会を乗り切るなんて会社が、あったらそれはもはやこの株主向け広報が行き届いている時代、物言う株主が増えている時代に、奇跡に等しい所業だと思うねえ。もちろん現実にあるはずがないと信じたい。うん信じたい。そう信じたいんだよ俺は。


【6月28日】 新藤悦子さんってトルコ関連の旅行記を多く書いている人の初の小説「時をわたるキャラバン」(東京書籍、1600円)を買って一気読み、うんこれはいける。舞台はやはりトルコ、とゆーか今で言うところのイスタンブールに、東京の画廊で見かけた古い絨毯の切れ端から感じた匂いの元を手に入れるために出向いた女性が、偶然同じ匂いのする新品の絨毯を手に入れたのも束の間、謎めいた女性に奪われ慌てて現地で知り合った医大生の青年と追いかけ13世紀のイスタンブール、とゆーか当時言っていたところのコンスタンティノポリスに、時代を越えて迷い込んでしまった所から、匂い立つ絨毯を巡る様々な愛の物語が幕を開ける。

 「匂いは、追わないと消えますよ」。画廊で出会った老人のそんな言葉にようやく端緒に付いたスタイリストの仕事をなげうってトルコへと飛ぶ主人公の、若さ故の過ちなのでは絶対にない若さ故の猛進ぶりにとても惹かれる。と同時に同じ絨毯を巡るトルコのスルタンと女性とのロマンティックな物語が、最後美しくも哀しい結末を迎えたことに、絶対に変えることの出来ない歴史の残酷さを感じ憤る。匂いとゆーものに視覚や聴覚、言葉といった感覚なりコミュニケーション手段を越えて運命を見出す描く物語から、牧野修さんの「偏執の芳香」でややもすれば恐怖を植え`付ける匂いへの認識とは異なる、もっとロマンティックなイメージを喚起される。画廊で見かけた古い絨毯の切れ端と、トルコで手に入れた新しい絨毯との関係つまりは匂いの根元に考えが及ばず悩むけど、匂いを媒介にして手に入れた最愛を思えば、それも含めた運命の象徴と匂いを捉えることが出来るだろー。あまり見かけない本だろーし版元なんで気を付けよー。

 第4回角川スニーカー大賞で読者賞と奨励賞を受賞した中川圭士さんの「セレスティアル・フォース 天国から来た特殊部隊」(角川書店、600円)を読む。ドジだけど頑張り屋の天使が悪魔を退治する特殊部隊に潜り込んだ途端、悪魔が脱走して地上へと逃げ出す事件に巻き込まれ、逃亡した悪魔を追って地上へと降りて向かった先が、悪魔に襲われ悪魔の波動を身にまといつつある寺の住職の息子・真のところ。このままでは地上も滅茶苦茶になるし住職の息子も悪魔に体を乗っ取られてしまうとあって、とりあえず協力して悪魔を探すことになり、天使は寺に留学生として居候して真と同じ学校に通い始めることになりましたとさ。頑張り屋だけどドジなら特殊部隊なんて入れませんぜ普通。

 そんな真に幼なじみの少女・希がいて、天使なんだから当たり前に美貌のエアエルに嫉妬なんかしてみる展開もまーお約束。やがて本格的に活動を始めた逃亡悪魔たちとのバトルが激化し、その中でエアエルと真と希との三角関係が描かれるのも、さして意外感はなくむしろ「またか」と思われる可能性の高い設定と言えるかも。追いつめた悪魔と天使&少年の戦いが「ハルマゲドン」なんて大袈裟さなど微塵もない、中国マフィアと特殊警察との銃撃戦くらいにしか感じられないくらいに、悪魔が人間っぽ過ぎるのにも首が傾く。シャブラドニグウじゃないけど人間と魔物って普通、比べ物にならないくらいに火力兵力の差があるもんじゃないのかなあ。裏切りの理由も悩みの度合いが浅すぎるよーな。

 とはいえラストのドンデンの事を考えると力が拮抗している(ように見える)のには意味があることだと言って言えないこともない。こと銃撃戦のシーンとなると、「ジオブリーダーズ」の伊藤明弘さんにイラストを依頼するだけあって好きらしく結構読ませるし、最後の最後に訪れる怒りと哀しみを巻き起こす展開にもなかなかにゾクリとさせられる。その解決策がこれまたキマリ過ぎているのが趣味の分かれるところだけど、ラストまで一気呵成に読ませる流れの良さといい、エピソードの積み重ね具合といい、デビュー作でこれなら次は、その次はと持たせる期待も小さくはない。伊藤さんの絵だけでもファンならオッケー、って言ったら著者に失礼か、いやそこはやっぱりキャリアの差もあるんで仕方のないところ、後は頑張って下さいな。

 こっちは第3回角川学園小説大賞受賞作の鷹野良仁さんは「新任艦長はいつも大変 フィールド・オブ・スターラト」(角川書店、540円)も士官学校入りを目指しながらも落ちこぼればかりが集まったクラスが、美人の女生徒を艦長に個人個人の隠れていた能力を目一杯引き出してエリート学校を打ち破るってゆー、さっきの話以上にありがちな設定で大人だったら村上春樹よろしく「やれやれ」と思って読まずに捨てる、かもしれないけどとりあえずそれは早計と言っておこう。何せデビュー作なんだし、それにしては物語として真っ当、大きなつっかえも違和感もなく最初から最後まですんなりと読ませてくれるから、流石は大賞受賞作って言ったところでしょー。さっきと同じ意味で期待は持ち続けられる。

 例えば学校対抗のバンド合戦とかクラス対抗の合唱コンクールで同じドラマを展開しても、同じテーマを語れてしまいそーに思えてしまうのが、与えてくれるインパクトをちょっぴり減殺している気がしてならない。これが最初の出会いとゆー読者だったら引き込まれても、過去に累々の「落ちこぼれ組頑張る」系の話を読んで来た人を引き込む事は難しい。読むとさらに先へと繋がる可能性も示唆されているけど、同じ系統の話を重ねる訳にはもう行かない、だって士官になっちゃったんだからドジじゃー拙いでしょ、死ぬもんね。どーして戦いが続いているのかどーして皆が士官になりたがるのかを、死とゆーあまりにリアルな設定を踏まえつつ、同じトーンのコメディタッチで描いていければたいしたもの。そーゆー展開の中で読み手に戦いの意味を肯定でも否定でも与えられたら、早計と言った甲斐もあるってもので、やっぱり頑張って頂きたいものですね。

 その意味でまだ途中読みながら第4回角川スニーカー大賞優秀賞の「ダンスインザウインド 翔竜伝説」(岩佐まもる、角川書店、560円)は、竜のレースが行われている世界を構築してそこに当然あるだろー競走馬ならぬ競争竜の牧場を考えだし、そこの主人公に父親が急死したため15歳にして皆を率いて行かざるを得なくなった少年を据え、感情と経済の板挟みになって悩み苦しみながらも少しづつ成長していく少年の姿を描きなおかつ、少年の父親が死ぬ理由となった彼の地を統べる王族との関係も描いてみせていて、設定には目新しさを覚え展開には卓抜さを感じる。西村博之さんて人のイラストも超グッド、いやホントに可愛いぜウリュメル喋りが少なすぎるけど。

 読み終えての感想は明日にでも。角川スニーカー大賞は同じ優秀賞の「トリスメギトス 栄光の神遺物」(浜崎達也、角川書店、620円)が残ってて、こちらは魔法世界物で第一印象でのありきたり度は高いけど、優秀賞なりの理由がきっとあるんだろー。これも感想は明日以降。しかしぞくぞく出てくる新しい書き手を、もっと広い正解に紹介したいと思った時に、作者に”普通小説”を書いてとお願いするのか、それとも”ヤングアダルト”を読めと読者の方に呼びかけるのか、さてどっちが正しい方法なんだろー。前者には説得なり納得に時間がかかるから、今はプライドを捨てられない新聞の文化部とか一般誌の書評コーナーに、YAの世界から登場した新しい書き手を紹介し、育った時に「おれが1番」とかって威張るよーな甲斐性をもっと見せて頂きたい。「ブギーポップ」だけじゃ、ないんだぜ、多分。

 また1人の逃亡が判明。別の1人は念願適ってスポーツ関連の雑誌に転籍し、ほか2人も親会社へと転籍していく状況に、唯でさえ少ない人間がさらに減って一段の労働強化が懸念されることも事実だけれど、そこは行く人たちに気持ちよく行ってもらうために、キツイ辛い大変心配といった事は大声では言わず小声でチクチクと言うに止めておく。優しいねえ。しかし、1カ月前にも若手が1人辞めたばかりだし、自分と同じチームなり直属の上司に当たる人たちでは、今年の初めに経済部長が辞めてその前にデスクが辞め、その前には兵隊が辞めてさらにその前にもう1人兵隊が辞めている。およそ普通の新聞社だった到底考えられない異常な事態が、恒常的に起こっている現実を前にしながら、一向に事態の打開が計られている、つまりは人員の補充が成されようとしてるとように見えない辺りが、遠くない将来の臨界点突破を示唆しているよーで息詰まる。局次長経験者がデスクになったり部長経験者が兵隊になる事態が仮に起こったとしたら、臨界点はググッと近づくかも。恐怖の大王ってもしかしてこれだった? ちっぽけで取るに足らない大王だけどね。


【6月27日】 いしかわじゅんさんの表紙に惹かれて「俺はどしゃぶり」(須藤靖貴、新潮社、1400円)って本をワシワシと読む、うーんなるほど「小説新潮長編新人賞」受賞だけあってテンポは小気味良く会話は軽妙で内容も上滑りせずかといって横滑りもせず真っ当に真っ直ぐに、私立高校の落ちこぼれ気味な生徒を集めてアメリカンフットボール部を立ち上げ、ボロボロにされながらも最後はなんとか立ち直る、ってな「がんばっていきまっしょい」風世界を描き切ってる。主人公の教師と生徒たちの関係に、遠く離れた思い人との絡みも挟まりちょっぴり酸っぱくでも甘い、スポーツありラブありの青春ストーリーに仕上がっている。ただそれだけ。

 書き下ろしの主人公がまだ大学にいた頃のキャプテンになれなかった挫折からの快復や、濡れ衣を着せられどん底に落ちて女性にはフラれて最後に表題作へとつながる出会いもある2つの短編もあって、なるほど部活に入ってなかったし恋愛沙汰もからっきしだった自分には無関係ながら、或いはあったかもしれない学生時代を思い起こさせてくれてズンと来る。ただ決定的にのめり込ませる要素がなんだかあまりなく、今のこの学級崩壊なんて日常茶飯事に言われる錯綜した時代に何ともこぎれいな展開にややもすれば鼻白む。「がんばっていきまっしょい」の頑張ってる少女たちに比べると、親父が主人公な「俺はどしゃぶり」は親父の思い込みがややむすれば勝ち過ぎていて身にすんなりと入らない。

 或いは単純に自分の親父化して昔を懐かしむ姿がそこに現れているよーで、近親憎悪から悪感情を抱いているだけなのかもしれず、ある一定の歳なり経験を経た元体育会系な野郎共には、共感と賛嘆を持って受け入れられる可能性のある小説なのかもしれない。アメリカンフットボールってスポーツを持ち込みその複雑な内容を小説の中で説明しつつ展開していくスポーツ小説物としての面白味はある。ポジションを当て込まれる少年たちが計算尽くの個性で当てはめられているよーなのも愛敬、これなくしては物語が締まらないから仕方がない。後半の2短編をフラッシュバックのように入れ込んで長編仕立ての映画か何かにすると良いかも、但し若者受けは厳しいけど。「でぶ」いっぱい集めるの大変そーだなー。

 届いた「ハイパーなんとか」って飛行機の玩具のテストをしに草履をひっかけて近所にある公園へ。とにか空を飛ばすものだけに広い場所を見つけなくっちゃいけないんだけど、そこは都会から遠く離れた土地に住んでる者故の僥倖、加えて雨も降り出しそうな曇天とあって公園は寝ている親父と暇なのか友達少ないのか(自分棚上げ)ベンチに座って菊地秀行さんだかを読むハズれた文学セーネンくらいしかおらず、悠々を機体を組み立てポンプでしゅこしゅこと気室に空気を放り込み、プロペラを指でちょいとはじくと「ブーン」とうなり声を挙げてプロペラが回り始めたんで、さあと勢いを付けて飛行機を空中へと放り投げる。すると。

 全然前へとすすまずさらにはずどんと地面に墜落、どーしたと思い手にとりプロペラを指で押して気が付いた、ありゃまーこりゃ逆に回ってる。前へと風が出てどーして空へと飛ぶものか。再び空気を入れ直して今度は順風の方へと出るよう矢印に従ってプロペラを旋回、そして手を離すと今度はちゃんと前へと向かってすすみ始めた、ただし20メートル。機体が発泡スチロールで軽く仕上げてある分、曇天に吹きすさぶ風にも左右されてしまうためどーにも今日のよーな低気圧ってる日には上手く飛ばないみたい。何度やっても空へと舞い上がる快感は味わえず、仕方なしに箱に詰めて自宅へと持ち帰る。なるほどアメリカーンな青い空と広い場所を吹かない風の最中で遊ぶにはもってこいの夏の玩具であるけれど、梅雨まだ開けない曇天の都会ではなかなかに厳しいところがある。季節と場所を選ぶ高貴な玩具をさて、真に楽しめる日は果たして来るのか。会社首んなって毎日がスタンバイ? そりゃ生臭過ぎだよ。

 今敏さんが「千年女優」 なんてアニメを作っているのを別に記念はしておらず、近所の古本屋で偶然目にした「千年女王」(松本零士)をまとめ買いして安息の午後を潰してみたり。なーんだこれって1999年を舞台にしたたんだって読んで驚くタイミングの良さ、但し惑星ラーメタル(懐かしい響きだなあ、アニメでよく聞いたなあ)が近づくのは7月じゃなく9月だからもう少し先だし今ん所惑星が近づいてるって話も各地の天文台から入ってはないから、松本先生渾身の作品もオーゥエルの代表作を同じく起こり得る未来から間もなく起こらなかった過去へと押しやられてしまうんだろー。でもまだ解らない2カ月前に突如ってのがSF的伝統あるいは政府はすでに脱出ロケットって筋書きもあるから、注意して政府の動向を見なくっちゃ。重要法案なし崩し成立ってのも或いは大惨事を前に治安維持をしっかりしておこうって陰謀なのかも。

 森博嗣さんの「そして二人だけになった」(新潮社、2000円)も読み終えてたけど謎ってーか腑に落ちない部分があって再読の要を感じてる。いや何もうその設定のダイナミックさには存分に感嘆していて、身代わりな2組が交互に語る物語になっている意味を知って唖然呆然とさせられたけれど、「そして二人だけに」なる以前の「だから二人だけに」なる蓋然性の部分で、現実に米国あたりで頻出している小説にもノンフィクションにもなってる数々の出来事を考えた時、ちょっぴり都合の良さを覚えてしまってどうもいけない、ってーかたまたま最近仕事でそっちの本を読んだのがまずかたんかも。そーゆー「人が書けてない」(かもしれない)部分は気分の問題で「ミステリィ」として逆転などんでん返しを楽しむ分には読んで価値のある話。蓋然性の部分も再読すれば違った道が見えるかもしれないんで、来週の名刺交換会までにも1度読み直してみてみましょう。


【6月26日】 謎めいた打ち合わせをこなしてから帰宅して日記アップして始まった「朝まで生テレビ」を朝の4時まで見続ける。「盗聴法」に関する討論は田原総一郎さんの相変わらずのどっち付かずに挑発してまぜっかえす仕切りが禍してか、論点が出たなって辺りでスリ変わったりして消化不良、そのうちに厳格化要件さえ満たされればオッケーかってな風潮になって、けれども結局のところ立会人に裁判官とか弁護士なんて忙しくって出せやしないとか、警察は本質的に信頼ならねーとかいった現実的な運用の部分で畳を返されたり。3時間もかけて説得力のある結論を出せない番組って時間の無駄じゃん2時間で熱たっぷりだったこないだの討論会の方が有意義じゃんとも思ったけど、昔っからそーゆー番組だったから仕方ねーか。

 推進派な元警察庁審議官が共産党議員盗聴とかの事実を検察は認めてもどーして警察は認めないのかと突っ込まれると「知らない」と繰り返す、その無責任ぶりってーか責任回避ぶりはヒシヒシと伝わって来て滑稽だったけど、共産党議員の「善良な市民が云々」なんて突っ込み甲斐のある非現実的理想論は反対派には逆効果。こーしてメディアには「討論させました」ってな既成事実が見えない場所だけに積み上がって、それを免罪符にしつつ表の部分ではさして大キャンペーンも張らずにすんなり法案を通してしまう、悪客観報道がまかり通って行くんだろー。例のダイオキシン問題での楔もちょっと前に打たれてたし、結局のところ免許事業なんて首根っこを抑えられた岩の下の孫悟空、はめられた頭の輪っかを占める呪文は今日も永田町がら聞こえて来ますブツブツブツブツ。

 ろくろく寝ずに蒲田へ。ナムコが株主総会を公開し始めたのは去年からで、子供を呼んで奥さんも呼んでゲームで遊んでもらったりイタリアン・トマトの巨大なケーキを食べてもらっているうちにお父さんは株主総会に出ていてね、ってな趣向は今年も健在で、入るとテーブルの上にズラリ並べられたケーキにむしゃぶり付く子供たちがどっさり。後ろには「ドリームキャスト」で動く「ソウルキャリバー」で遊びながら剣を振り回してブチ倒す快感に寄ってるキケンな子供とか、戦闘機を操縦して敵を打ち倒す訓練に勤しんでいる愛国者候補な子供もいたけれど、ってこないだ見たCBSドキュメントの影響を受けた物言いになっているけど反対側には体感マシンとかプライズマシンで楽しそうに遊ぶ子供もいて、ゲームってホントいろいろな面があって使いようのあるハサミだなーとの印象を持つ。

 一芸社員によるアトラクションでは広報・石井さんの手品が堂に入ったもので大うけ。合間に株主さんに総会の議場へと入って下さいとアナウンスする勤勉さもあってなかなかに見せますな。他の一芸社員は集まっていた子供の方が多分絶対に上手いと思う「ハイパーヨーヨー」とか、出だしで何度もしくじっていたキーボード弾きとか格好は一流だったけど技は見なかったリフティング野郎とか千差万別。こんなことなら是非とも「環八のマサ」にご登場頂き未だ衰えぬ運転技術を披露して頂きたかったけど、彼のお人は実写のベンツは運転してもドライブシミュレーターが上手いかどーかは別だし総会の議長も務めなくっちゃならないから無理か。セガのフェラーリに対抗してこっちはベンツのシミュレータ、作っちゃえば、マサの一芸披露のために。

 京急蒲田とJR蒲田の多分間くらいにある大通りに面した古本屋を時間があったんでのぞくと今は結構珍しくなったかがみ・あきらさんの「鏡の国のリトル」と「サマースキャンダル」(徳間書店、450円・480円)が各250円で出ていたんで救出、どちらも初版で美麗だけどどっちもこっちに持ってるんでそのうち布教に使おう。10年寝かせれば価値が出るとも思えないのがちょっと悔しいなあ。古本屋なのに入り口には「スター・ウォーズ」の関連グッズが売られてて、蒲田と言えども(失礼)「スター・ウォーズ」熱に沸き立ちかけてるってことをヒシヒシと感じて改めてその偉大さを知る。帰宅してそーいえば今日はオールナイトで先行上映をやる劇場が山とあるとか聞いていたけど、2週間もすれば昼間に堂々と見られるし4週間もすれば並ばなくってもコスプレしなくっても広々とした劇場で最高の席に座って見られるよーになる、はずだから急がない。その時に「やまだくん」まだやってるかな?

 新聞を呼んでいると民間機の一般路線に自衛隊員が何十人も迷彩服で登場する事態が頻発しているとか。「周辺事態」での民間機による輸送をシミュレートするなりガス抜きをしておくといった意図が取りざたされているけれど事実は知らない、単に着替えるのが面倒くさかっただけ? 意図があるんだとしたらこちらの思想信条はともかくとしてちょっとあからさまで格好悪いんで、1つ対抗するパフォーマンスでも組織して茶化してやりたいってな気分がムラムラ、ほら時期も良いんで10人くらい「ストゥーム・トルーパー」を組織して背の高い奴を「ダース・ベイダー」にして引率させて朝1の「スカイマーク」で福岡に行って帰って来させるとか。国内線だから別にコスプレしてたって文句は言われないだろーし料金も安いし。トミーの「ライトセイバー」って機内持ち込み可? 「ダースモール」のは長いからダメ、かもね。


【6月25日】 村下孝蔵さん急死とか。大昔のまだ高校生だった冬に名古屋のNHKの土曜日昼からやってた番組にゲストで来たのをナマで見たのが最初かな、まだデビューしたての村下さんは確か「ゆうこ」を引っ提げての登場で、前から曲は聞いていて何て良い声で唄う人なんだろーと思ってどんな顔かと期待してたら出てきたのがグッチ裕三で、って当時はまだグッチさんもビジー・フォーもウガンダが有名ってくらいしか知らずグッチさんの顔も知らなかったからそれはなかったとして、何とも真面目そうな青年で喋ると熊本だかの言葉が出る不思議なキャラクターに驚いた事を未だに鮮明に覚えている。同じ日のゲストがあと真咲ようこだったことも覚えているぞ、歌は何だったか知らないけれど。

 そのあと「はつ恋」で大ブレイクしてベスト10番組にも頻繁に登場するよーになって顔はともかく歌声とギターの腕前なんかを見せてくれたっけ、何時だったか何かのラジオ番組のライブで演奏してくれたフォークギターでやる「キャラバン」ってのが冒頭のドンドコドコドコってなドラムか何かの音までも、弦を慣らしながらボディーを叩いて出す力技だかを聴かせてくれたっけか。1人で複雑な曲をそれも弦の固いフォークギターでやるその腕前、最近だと「夜もヒッパレ」でグッチさんとのデュオなんかでも披露していたよーないなかったよーな。とにかくギター上手くて歌上手くて顔はともかくコンサートを開けばチケットが完売してしまえるだけの人気も備えた実力派シンガーの急な死を、悼んでことに追悼の言葉を贈りたい。作りかけだったアルバム、出して欲しいなあ。

 そんな訳でもう1年以上も行ってないけどカラオケに行く機会があれば唄ってあげましょー「ゆうこ」「はつ恋」を高らかに。なになに及びじゃない? こりゃまった失礼、さて朝なんで仕事へと言って一昨日のデジタル・メディア協会こと旧マルチメディア・タイトル製作者連盟の会合で久々に会ったビー・ファクトリーって会社の人んところに近況などを伺いに行く。メインは通信関係のサービスがよーやっと立ち上がって会社も何とかなり始めてまっせって話だったけど、こちらとしては2年くらい前から準備を進めていた2Dと3Dを合成したアニメーション「MONKEY MAGIC」がアメリカで去年から放映され始めてそれなりな人気になってるらしー状況を、張本人として語って頂きたいと思って青山墓地のそばにある事務所を訪ねた次第。

 さてもこの「MONKEY MAGIC」聞けば解るよーにかの「西遊記」を題材にした、ってーか「西遊記」をまんま忠実にアニメ化した作品でキャラクターは「ファミ通」の表紙やオリックスのキャラクターで知られる松下進さん、音楽は喜多郎さんて日本人的にはメジャーな人が担当してる。米国で放映がスタートしたのが去年の9月で、13話だかの1クール分を繰り返し放映する米国では間もなく4クール目の放映に入ることが決まっていて、実に全米100局もの独立局にシンジケーションから配給されていて、朝の6時半とか8時とかに放映されている。にも関わらず「ポケモン」の大ヒットは伝わって来ても、純国産の2Dと3Dの融合された手法的にも当たらし目な作品が、全然注目されてないのはやっぱり間に太平洋があって水がどっぷんと溜まっているからなんだろー。「ポケモン」が圧倒的ってこともあるけれど。

 作ったビー・ファクトリーを説明すれば、あの幻のCGアニメ「ビット・ザ・キューピッド」を作った人が独立してバンダイなんかの資本を受けて設立した会社で、だから「ビット」でもキャラを担当した松下さんがそのままキャラに参画してる。何かにつけて新し物好きな性格が禍してか、「ビット」は泣かず飛ばずで終わりちょっと前に出した「ビーバス・アンド・バッドヘッド」のゲームも当時はまだこれから売出ってな段階だった「ロンドンブーツ1号・2号」が声を担当していた関係で、今ほどは注目されずに終わってしまった。それでも「ビーバス」今もってオーダーが来るらしーから流石は外国の人気キャラ&ロンブー。それを思うと我らがアラマタさん原作の風水物「闇吹く夏」を題材にしたCD−ROMは数万もいかずに店頭から消えて今じゃー本当に幻になってしまってるから哀しいねえ。アラマタニストよ立ち上がりゲーム屋で注文せよ。溜まればプレスしてくれる、かもしんないから、さ。

 見せてもらった制作中のプレイステーション版「MONKEY MAGIC」は横スクロールタイプの思い出すなら「ドンキーコング2」っぽい奥行きはちょっとだけあるけど基本的には2Dっぽいフィールドを、ひたすら進み飛びよじ登り降りていく展開で、聞くと2Dのアニメキャラを3Dにすると相当な違和感が生まれてかえって逆効果ってことで、渋るSCEアメリカを納得させて制作にゴーを出してもらったとか。噂の「バージンフリート」も「ファミ通」じゃ3Dになった途端にどうこうって評が載っていたからなー、うんその気持ちは良く解る。「西遊記」らしく氷の壁には全身を熱くして挑まないと凍ってしまうとか、魔法っぽい展開もあってなかなか楽しそう。とはいえ肝心要のアニメを国産なのに日本で放映してない以上はゲームの登場も未定のさらに先。アニメ版のビデオを査収したんでどんなアニメか興味のある人は、言ってくれれば一緒に見てあげます僕の部屋で埃と黴にまみれながら。

 64版「エヴァ」が出たんで買う、それはもう大人の義務であるとしか言いようのない行為である。残念ながら都営地下鉄で売り出したゲームのジャケットをデザインしたTカードは買い逃す。大人の責任を果たせずに泣く。しかし即日完売とは露出度こそ衰えたとはいえ「エヴァ」の人気は未だにまだまだ健在なんだねー、連載再開なった「少年エース」もこれで盛り返すかねえ。さてもゲームの方はマスクROMって制約を考えるとペラペラな影像ペカペカなサウンドは致し方のないことで、その割にはちゃんとセリフも入っていればアニメっぽい絵も入っていて、それなりな納得度は得られる作りになっている。アニメをCGに置き換えた絵も例えば山の端から自衛隊だかのヘリコプターが後ずさりする場面でサキエルがドンドンと現れるシーンも目に懐かしい。ドスンとヘリが落ちる演出は何だけど。

 ボタンを押しても殴り蹴りが出し辛く動きに割かしバリエーションが乏しいのが今だけなんか先までなのかちょっと不明、現時点ではとりあえずプレイしていて操縦しているシンクロ感がなくレスポンスも走り殴りの場面でジリジリ感が残る。それでも戦闘シーンのフィールドやエヴァに使徒の3Dの造形は某SS版よりはるかにとてつもなく良く出来ていて、慣れてくればそれなりに場面に入り込めるのはやっぱり根が「エヴァ者」なんだろー。とりあえずはミッション1をクリアしたものの2はあっけなくエネルギー切れ、暴走も始まらずゲームオーバーになってしまったんでコントローラーを置く。ラストまで行けば”真実のエンディング”とかが見られるらしいんで、暇を見つつしこしこと頑張っていこー。仕事しろよ。


【6月24日】 アスキーの「リナックスマガジン」最新号の「Qt」とかゆーソフトのスクリーンショットにある来栖川芹香の文字は何? ってのはさておきTBSの「ニュース23」でやっていたなー「盗聴法」「総背番号制」に反対する若手文化人らのアピールのニュース。ちらちらと背中越しに見ていたんで自分が果たして映ったかは不明だけど、のっけから東浩紀さんの激しいアピールがバチッと出てたりしたのが印象的で、今はまだアナログとはいえメディアに属する会社として、将来台頭の予感ありありな電子メディアをバクリと食い潰す可能性のある「盗聴法」の危険性に気付き、ことさらにその点を主張していた東さんにスポットをあててみたんだろー。

 後で個別にインタビューも撮っていて、テレビ取材には慣れていなかったそーだけど、インタビューされるのを横で聞いていたら長いセリフもつまらず慌てず堂々と話していて、あはりタダモノじゃーないとの印象を持つ。本業が哲学でアニメも語れて電子メディアにも強くかつ若い、とあって比べるとどっちも怒る可能性があるけど平野啓一郎さんと双璧で、「現代の若者」の最先端を行く例として何かあった場合にコメントしてちょってな便利屋的にメディアに使われる可能性も感じたけれど、どっちつかずを曖昧に言ってお茶を濁すタイプとも見えなかったから、簡単には貪欲なメディアには呑み込まれはしないかな。どうかな。

 しかしこれだけの人々のアピールをどこの新聞も取りあげていなかったのは驚きで、って自分の新聞は棚に上げるのは出したところでウン万ってなレベルじゃーお話にならないからで、下手したらこっちのページの1カ月のアクセス数の方が多かったりする(のか?)し、行数だって現実に新聞に出た場合の軽く10倍は越えているから、嗤って見逃してもらおー。恐ろしいのは大手の新聞に陰も形も出なかったという事実から、あれだけのアピールが一般の人々に伝わらないまま「なかったこと」にされかねない点。TBSに出たのはそれでも幸いと言えるけど、エスタブリッシュを自認する奴らが危険視するのはやっぱり新聞それもAとかYとかって部数がバックにある奴で、そこに出てない以上は誰もアピールの存在を認知できない。

 あるいは存在は認識していて、にも関わらず出なかった、あるいは新聞社が意図として書かなかったと考えた時に推進勢力が頭に思い浮かべるのは、当然のことながらアピールの否定および「盗聴法」「総背番号制」の追認だろう。それが本当だとすれば文句の付けようがなく、そーゆーメディアを今後は政治官僚ともども標的として闘うようにしなければいけないんだけど、やっぱり影響力がある以上使いたくなるのは人情であり当然の戦略。議員会館でのアピールが伝わらなかったとするならば、次は否がおうでも取りあげざるを得ない状況に、メディアを追い込む戦略を取るしかない、ってことでここは現在あらゆるメディアが注目している麻布で猿退治をしながら反対運動をしてみるとか、何かをやるってーとテレビカメラが全局集まるソフトバンクと合弁会社を作るとか言って記者会見にマスコミを集めるしかないかもなー。日経ばっかだけど。

 それとゆーのも午後になって突然ソフトバンクが会見をやるとかで、またぞろインターネットの会社でも作るのか資本金ばっかりガメて取り込みドロンかよ、ってな言われもない中傷を心の中で思いつつパレスホテルに行くと、そんなこっちの醒めた気持ちとは裏腹に今や世界の「フォーブス」が注目するインターネット魔人こと孫正義さん、注目の度合いはやはり並外れて大きくってほとんど全ての民放ともちろんNHKのカメラがズラリと後ろに並び、部屋には100人は越える報道陣がわんさと詰めかけジョージ・ルーカスでも出てくるんじゃないかと思わせるくらいの大賑わいを見せていた。ところで孫さんとルーカス、どっちが今んとこ金持ちなんだろ?

 さても会見の内容はバンダイ、タカラ、トミーにエポック社の玩具大手とバンダイ系の卸会社のハピネット、それにトイ・カードってプリペイドカードを出してる会社ともちろんヤフーが共同で出資してインターネットで玩具を売る会社を設立するって話で、出席しているメンバーを変えるとまんまこないだのインターネットで本を売る「イー・ブックス」と同じじゃん、単なるバリエーションの世界じゃんと解り勇んで乗り込んだ気持ちがグッと萎える。

 なるほど小売さんにしてみるとネットで玩具売られちゃ商売上がったりになるよね、って外野的な発想も出来ない訳じゃないけれど、爺さん婆さんに連れられデパートの玩具売場に行って買ってもらう楽しみってーか、大中小と様々な形種類の縫いぐるみを触りまくって選ぶ快感ってーのは、おそらくネットじゃー不可能な楽しみ。そーゆー玩具を買う時の心理シチュエーションを提供できる品揃え店構えにしておけば、リアルなワールドの玩具店だって十分以上にネットに対抗できるんじゃなかろーか。そこは中身がどれを買ってもどこで買っても変わらない本とはちょっと違う点、かな。趣味で決めて買う人とか、忙しい時に頼んでコンビニで受け取り替えって渡すってな子供の迷惑(いらねーもんもらっても、ねえ)を考えない親とかが、ネットを使う可能性はあるわけで、その辺うまく住み分けが出来れば共存共栄も不可能じゃーない。

 トーハンの参加に書店の組合が反発した轍を踏まえたのか今回は一応は玩具の流通チェーンとかには話を通してあるとかで、「業界の総意」とは言い過ぎのよーな気がしないでもないけれど、大手がどかんと参加して子供の欲しがる、ってことは店も欲しがる商品を一手に握った上で「反対したらわかっとろーな」と暗黙のプレッシャーをかけつつネットに進出されたとしたら、反対のしよーなどありません。一方ではソフトバンクとヤフーが大枚はたいて検索しやすい玩具の電子カタログを作ってくれるんだと、思えばそこで探して買うのはお店ってなユーザーも出ないとは限らず、相乗効果も得られるんじゃなかろーか。いずれにしてもあたしゃ店で探して触って買いながら、来ている子供の女の子を眺めるのが趣味なんで、絵と字しかないネットは絶対に使わねー。遊んでる場面の絵とかもネットに載るんだったら考えちゃってもいーかな、例えば女児向けビニールプールとか。


【6月23日】 バンダイの記者会見は「ワンダースワン」に携帯電話を接続して、インターネットの情報を見たりメールをやりとりできるようにするって話。モックアップが展示してあったんで眺めていると、横にした時の右側に向かって絞り込まれていく表面の少しだけ盛り上がった部分と実に見事に連動したデザインに、合体させる部分のデザイン処理がなされていて、なるほどバンダイ最初から画策してやがったとの印象を持つ。

 まあ前からインタビューの時にはいずれはなんて話はしていたから遠からずとは思っていたけど、前提として本体が普及してキャリアな会社がサポートしてくれることってのがあったから、ここに来て6月末で70万台だかで夏過ぎには100万台は固い、バンダイ曰く予想通りで販売店曰く見込み以上のセールス結果が、本体発売から約4カ月での携帯電話接続キット発表へと至ったんだろー。よくは知らないけれど、4980円の携帯型ゲーム機が「TCP/IP」をサポートしてるのって相当に凄い事? 「PPP」に「PDC」もサポートしていて、見ていると普通のパソコンなりCEマシンとさほど違わない操作感覚でネットにアクセスして、ブラウジングしているよーな印象を受ける。やっぱり凄いことなのかな。

 電子メールは100通くらいまで保存可能でそんなに頻繁にやりとしりなければ持ち歩き用のメール専用端末として使っても悪くはなさそー、合間には「GUN PEY」だって出来ちゃうし、ネットワークからゲームを取って来たり、相手とネットワークを介して対戦することだって可能になっているから。何か新しい遊び方を提案してそれがジョシコーセーなりヤングアダルトな層に受ければ、既に携帯持ってる層に「テガッキー」なり「ポケットボード」よろしく普及していく可能性だってあるかも。その何かってのが1番難しいところなんだけど。

 こんなイベントがあったんで普段滅多な事では寄りつかない永田町へと出向く。衆議院議員会館のロビーに入ると、とても陳情に来た中小企業や農村のおじさん達とは思えない若者層がわんさといて、知っていたからこいつは宮台真司さん目当てだな、いやいや宮崎哲弥さんシンパだろうなんて予想も出来たけれど、知らないお父さんやら警備のおじさんは一体何があったんだろー、もしかして集団で衆院を破壊工作に来た全学連かと(古過ぎるぅー、責めて全共闘と言え)、思って昔取った杵柄が疼いたかもしれない。

 しばし待って現れたお兄さんから傍聴券らしきものをもらって会議室へ。さっさと入って席を確保しトイレなんかをうろついていると、後ろからどんどんと人が溢れて来て入り口前には長蛇の列、これはやっぱり5月革命かと思った警備のおじさんに、20人ばかりがロビーで阻止されたとか聞いた時には、鯱張った対応もそーだけどむしろ大半を占めた若者層の事態への関心の高さを感じてちょっぴり勇気づけられた。田中康夫さんファンが半分ってことはないよな、グルミットファンならいざしらず。

 とゆーのも田中さん、噂には聞いていたけど想像以上に巨大なグルミットの人形を抱えて登場して、パネラーに入っていたのに来なかった人の席の上にドデンと置いて、さらに1人のパネラーみたいな顔をグルミットにさせていたから驚いた。雑誌なんかだと真面目な顔して喋り真面目な顔だけ掲載しているけれど、こーゆー場に巨大な縫いぐるみを持ち込み隣りに置くそのセンスには、僭越ながら米国より1メートルもの長さを持つコモドドラゴンの縫いぐるみを抱えて帰って来て、最近では「ティンキーウィンキー」と添い寝する(ヤバっ)、我がお茶目心とどこか通じるものがあるよーな気がして親しみが湧く。それでも後で「ペログリ日記」を読んで、今日もPG明日もPGそれも美人のスッチーばっかってな記述にやっぱり許せんと憤るんだけど。「ティンキーウィンキー」とじゃあやれんもの。

 さても本題は例の「通信傍受(盗聴)法案」及び「住民基本台帳法改正案(国民総背番号制)」に対して若手有力文化人がこぞってアピールしようとゆー内容で、集まったメンバーはリストにもあるよーに宮台真司宮崎哲弥のみゃーみゃー(猫みたい、名古屋とも言うか)コンビに田中康夫さんにジャーナリストの藤井誠二さん、宮台さんとは同居人なジャーナリストの速水由紀子さん、コミケ主宰の米沢嘉博さん、そして若手の哲学者ではピカ1な実力と人気を兼ね備えたデリダ研究でつとに知られる東浩紀さんら。ターザン山本さんは来なかったなあ。入っている理由も不思議って気もするけれど。

 口火を気って宮台さんがこれまで店晒しにされていたヤバげな法案が審議されすすーっと衆院を通ってしまったかについて、公明党の路線変更を真っ先に挙げて寝返りとも批判し、「中身なんかをどうこうしている間に法案は成立してしまうから、ここは批判を公明党に集中させて応援なんかすると当選できないイメージが付くぞと言おう」ってな、批判はあるだろーけど現実的かつ効果のありそーな提案をして、永田町を舞台にした21世紀に語り継がれるであろーパネルの火蓋が切られて落ちる。

 さらに続けて宮台さん、政治家の責任を云々する前にまず、日本のこーした危険な法案が出され成立していくメカニズムの根幹に「官僚ロビー」の存在があることを挙げ、政治家の無策に触れつつ高度成長時代は経済発展を担う大蔵省なり通産省が持っていたイニシアティブを、社会が成熟した最近では旧内務省系の警察庁なり法務省なり自治省が持とうとしている現状を指摘する。加えてオウムの問題、公明党の揺れ、サミットでの外圧といった要因がそれこそ「惑星直列」的に重なってしまったが故の、なし崩し的な法案審議へと至った事情を、象牙の塔な印象が張り付く学者のくせにいつそんな生臭いことを勉強しているんだろー的的確さでもって暴いていく。

 でもって「盗聴法」、「総背番号制」についての発言となりここでは内容を監視できなかったり予備的な盗聴が認められていたりして厳格化要件が不足している点を危険と指摘、でもって「総背番号制」については不正利用した場合の罰則がなく、基本台帳以外の例えば病歴逮捕歴等のデータと「結合」されてしまった場合の罰則規定がないことを、これも厳格化要件に問題があると言って斬って捨てる。「いずれ政治家が標的になる」とは頭に血の巡る人だったら誰もが気付く真理であり真実。なのに気付いていない人が議員会館の上で大勢昼寝している現状を見るにつけ、なるほどこれはとてつもなく怖い時代になっているんだと、震えが全身を包み込む。ぶるぶるぶる。

 続く藤井誠二さんも無力感を表明しつつとにかく賛成している奴等の名前を忘れるなと強調。党利党略で弄ばれる下っ端議員の無に等しき自意識を差してけしからんとゆーのも可哀想な気がしないでもないけれど、そーゆー奴が大人になって(議員的大人って意味)官僚の言うなりになって下っ端議員に全てを押しつけるトコロテンみたいなベテランになると思えば、芽は早い内に摘んでおいた方が良いのかも。宮崎さんは報道を除外しない法案にジャーナリストはどーして反発しないんだろーとの指摘。でもって「21世紀に向かって相応しくない法案」とこれも厳しく切り捨てる。某「SAPIO」最新号で、宮台さんの横で朝日の旗の下に立って反対を訴えている小林よしのりさんのマンガそのままなのが、小林さんの絵がまた逆説的な説得力を持っているだけに共感と同じくらいの笑いを呼んでしまうのは勿体ないというか。絵は小林さんやっぱ上手いわ。

 さて東浩紀さん。たまたま偶然座った席の真正面に座ったのが東さんで、50センチも離れていない場所で見るとなるほど髭が結構濃そうだってのがよく解った。いやそれは本題じゃあ全然なくって、話した内容の実に今という時代がおかれている社会的、技術的状況を踏まえた上で、2つの法案が引き起こす重大な問題について触れていたのが勉強になった。集まっていたおじさんおばさんな議員にとっても大変な勉強と啓蒙になったんじゃないかな。

 具体的に言えば今回の法案について、旧来のメディアが電話なりを外から電線を引っ張る成り無線で電波を拾うなりして盗聴する「3K」なイメージがメディアなんかで取りざたされ、まさか警察も暇じゃないから自分みたいな一般人の所にまでやって来て、冷房も効かない車の中から盗聴をするなんて手間暇はかけないだろーとの”安心感”に繋がり、「我関せず」な無風状態を作り出しているんじゃないかと懸念する。けれども例えばインターネットのプロバイダーが根こそぎデータを押収される例が頻発している現状で、ハードディスクをとりあえずガボッと押収しておき、後で個人に問題が生じた場合に検索して探し出すってな「盗聴」も可能になるとゆー恐怖を、電子メディアを駆使する身より生じる懸念から想起して一般にアピールする。

 過去のたとえば小さな掲示板でポロリと漏らした「政治家ってバカじゃん」ってな発言が、5年後10年後に引っぱり出されて「反政府活動に荷担してたんだな」と言われ迫害される材料にならないと何故言えよう。すべてがデジタルとなり保存される社会ではそれが起こり得る、言うなれば「電子メディアデータベース法案」だと2つの法案の二人三脚な危ない関係を、知識と実践より想像して指摘する。議員の一人が言っていた、「後ろを絶えず振り返りながら生きていかなくてはならない」社会がさて、住み易いかどーだろーか。

 キーボードを触るのもイヤだ、なんておやじが幹部として幅を利かせるマスメディアで、こーゆー発想から未来を考えるなんてまー無理な話、だけどメディアだってすでにホームページで情報を提供していたりするよーに、電子化の流れから身を避けている訳にはいかないだろー。例えば米国なんかだとヤバげな法案が通りそうになった時に、20年からの熟成期間を経たコンピューター関連知識を持つジャーナリストが声を挙げて反対し、世論を動かすだけの土壌が育っている。そんな状況を踏まえて日本にも、「技術の社会的インパクトについて話ができる人間を増やしていくこと」を重要と訴える。耳が痛いが、やらねばと思う、その時だけは。

 田中康夫さんはさすがエンターティナーで、「ペログリ日記」ですべてをさらけ出している身からすれば別にすべてが暴露されたって自分にとっては痛くもかゆくもない、むしろ一部に制限を設けるなんてことが問題で、公開するなら総理の食べたものから出した大便の色つやまでも見られるようにするべきで、ジャーナリストが制限を付けろというのも思い上がった考えと手厳しい。だいたいた新聞社なんてキオスクに新聞を置いて貰えなくなるかも、広告が入らなくなるかもと懸念して事故ばっかり起こしているJRを糾弾できない体たらく。ハリウッドがメジャーで大枚はたいて「エネミー・オブ・アメリカ」なんて問題をえぐる話をエンターテインメントとして作ってしまうのに、日本の映画会社はきっと怖くて作れないだろーと嗤う。そのマスコミ観は辛辣だが実は正しい。アイタタタタ。

 とにもかくにもすっげーメンバーのアピールがさて、どれだけのインパクトを与えるのかは解らないけど、リアルな新聞が10行で済ますところを、バーチャルな瓦版ではこーして長大な文章にして活動を報告できる、つまりは東さんから下の世代が日常的にツールとして使いこなすネットなりのデジタルコミュニケーションの世界で、デジタルコミュニケーションの特質利点を知り尽くした人々がアピールの意味を認識し、立場を表明していく活動がチェーンのよーになって広がれば、たとえ今国会でなし崩し的に法案が成立しても、そしてその可能性が現段階で強くても、次の選挙では世界をいささかなりとも革命する力になる可能性は皆無じゃない。あるいは5年後、10年後を暗黒にしないためにもだ、ここにこーして採択されたアピールを引き写して、ネットな人に見てもらい、考え未来を想起するための一助としてもらおう。

 以下引用。共同アピールより。「私たちは、一人ひとりが自由な個人です。情報化とは、この個人を支えるものでなければなりません。でも個人情報が自分たちの手を離れたならば、情報化でプライバシーが消えてしまうかもしれません。そんな管理のための情報化を、私たちは望みません。私たちはプライバシーを守ったうえで、個人どうしがコミュニケーションをするための、ほんとうの自由化を求めます」

 東さんとは帰りがけに名刺を交換させて頂くものの、後ろに名刺を求める長蛇の列(嘘、2人くらい)が並んでいたので話もせずにさっさと帰る。まー表の名刺で表の名前(でも漢字で書いただけなのに)だったから、例えば仮にここん家に寄って頂いたとしても、気付いてもらえなかった可能性が大だけど。しかしよほどここでの人格と、リアルな人格風体(髭禿丁髷)って相違があるのかなー、街を歩いていて誰も「キャー」とも言ってくれないんだよなあ。「ギャー」と言って逃げる奴ぁいるけど。


【6月22日】 25万円のソニー犬を買い逃した悔しさを思えば100円200円なんて銭形平次の投げ銭ほどにも惜しくないとばかりに無駄金を使いまくっている昨今の、イチオシな無駄遣い物件が「カードダス」の「神風怪盗ジャンヌ」版。21枚あるとかゆーカードを最初の6回しでどーにか20枚まで集めたのは良かったけれど、残る「ナンバー1」のカードを出そうと躍起になり始めた途端、5枚10枚の100円玉がにっくきカードダスの自販機へと吸い込まれて行き、にも関わらず今に至るまで「ナンバー1」のカードにお目にかかれずにいるのがどうにも腹立たしい。

 こうなると意地でも出したくなるのが普通一般的な人情、秋葉原のラジオ会館6階ボークス前とか池袋西武7階玩具売場とか亀戸「トイザらス」とかイトーヨーカ堂船橋店4階玩具売場とかを責めて頑張ってゲットに励もう。職場の大手町近辺にないのが正直言って辛いところで、最近増えて来たカクレおたくな若手社員の昼休み向けとかに、ビルのテナントに「ガシャポン・カードダスセンター」でも作れば良いと思ってしまった今日この頃。集まらなければ交換すれば良いって言うけど、じゃあ誰とすれば良いんでしょーか「デジモン」だって2つ買って対戦させてたこのオレが?? やっぱり大手町に同好の士の集うスペースが必要だぁ。

 「マリオゴルフ64」はプラムのキャラでリングくぐりを全てクリア、最後のコースのピーチ姫指輪くぐりとドーム山2つ輪っかくぐりに果てしなく難渋したけれど、それぞれにだいたい1時間くらいをかけ風向きの悪い時にはいったんホールアウトしてから良いコンディションに切り替えてしまう逃げのスタンスで臨んだおかげで、最も難しいと思われたドーム頭な2つ輪っか抜けで見事3オンなんて超絶美技を達成し、恥ずかしいけど2パットで沈めてよーやっとクリアできた。非力なプラムで全クリってのは果たして珍しいのか普通なのか。

 途中でゴリラなキャラクターもゲットできたけど、こいつ飛ばす割にはクラブ片手だしタイミング合わせがバリきついんで繊細な技が求められるリングくぐりには使えない。でも全コマ埋めるにはいつかはやらなくっちゃいかんから、いずれ暇が出来たら挑戦しよう、会社に来なくて良いって言われた後とか。パターゴルフはちょっとなアンダーパーでは経験値がでねえのが何だか。全バーディーで抜けろってことか、時間取られ過ぎだけど止められねぇ。いかん朝ってにゃあ「64エヴァ」も発売だ、本読めねぇ。

 五反田の「東京デザインセンター」で開催されたアトラスの新製品内覧会をのぞく。冬のAOUでも展示された爪にネイルアートを”プリント”してしまう機械が7月7日から正式に発売されることに決まり、完成品をよーやっとお披露目したのが今回の目玉で、その意気込みが伝わったのか集まったオペレーターさんたちのおじさんなのに爪をさし込み上から花柄やら猫柄やらをプリントしてもらっては、マジマジと見入っていたのが妙でした。ブームが過ぎたとは言え決して廃れてはおらずブームが大袈裟に言えばカルチャーへと移行した感のある「プリント倶楽部」のようにコレクションしたり交換するといった行為が出来ない分、とりあえずは一過性でもブームを作り出せれば面白い商品ってところかな。歌舞伎町とか銀座の”お店”にホステスさん向け話題作りツールとして入れるって手もあるそーな、どーりで見学にそれっぽい美女がいた訳だ(って違う? ほんと?)。

 目玉とはやや道がズレるけど、こちらはアイディアというより「目のつけどころ」が勝負になるプライズ関係で2つほど話題に残りそうな品物を発見、1つはトヨタの「Cami」のCMで腰をふりふりしているブキミな「ダンシングベイビー」のキャラを人形にしたり携帯ストラップにしたりシールにしたりTシャツにした一連のシリーズ。博品館には電池でぐりぐり動く奴も売っていたけどプライズは腰にバネが入っているのか触ると上半身がゆらゆらと揺れて、質はやや違うけどそれっぽい感じは出している。ふと思ったけどこの「ダンシングベイビー」の脹れっ面、「老人Z」のDVD化も間近なアニメの北久保カントクをふと思い出してみたり。2度しか見たことがないんで全然違う可能性もあるんで、関係者な人は比べて見てみて下さいな。

 こちらは破壊度抜群な「鈴木その子ちゃん」人形も登場の予定、縫いぐるみ人形やらキーホルダーの仕上がったその子ちゃんは顔も手足も抜けるよーな白さが眩しく、つぶらな瞳は本物以上(失礼、じゃないよ事実、だもん)のウツクシさで見る者を魅了して病みまくり。ロケテストでも見た人が驚くほどの反応があったそーで、つまりは世間はたとえこーゆー外見であっても、その時々に話題にさえなっていれば受け入れるって事が解って哀しんで良いやら喜んでいけないやら。「ダンシングベイビー」も「キモチワルイ」と裏表なんだろー「カワイイ」キャラとして受けそーだし、日本人の審美眼はこーやって他に先んじたい見栄っ張りな心故に、だんだんとズレていくんでしょー。

 1階にあるデザイン関係のショップで不思議な写真集を購入、高橋伸幸さんて人のプロデュースしたらしい本は「3minutes at tokyo 12STORIES AND 7 FILMS」と題されているよーに影像と写真と短い小説によって東京の諸相を描き出している、らしい。付属のCD−ROMをまだ見ていない段階なんで3分の方がいったどれほどの出来なのかは解らないけど、選び出した「東京タワー」「自動改札機」「トイレ」「携帯電話」「ゲーム」といった都会の様々な物品と、密にビルが林立する都会の空撮やタクシーの車窓や首都高のトンネルの写真はこの街に暮らしている(あたしゃ千葉だけど)人の心に見える風景聞こえる声と合致する。これが860円とは安いやすい。小説はうーん、まあいいか。何か東京について書きたくなったなあ(でも千葉県民だけど)。


【6月21日】 TBSで放映された「60’sミニッツ」はゲームの暴力性についての話題、例のケンタッキーで起こった銃の乱射によって志望した女生徒の遺族がゲーム会社と映画会社を訴えたって話とそれからコロラド州での校内銃乱射事件を受けて、じゃあ本当にゲームが少年の銃乱射とどーゆー関係があるのかをアメリカの香山リカさんか小田晋さんかってな人たちに聞いている。状況を示して方向性を視聴者に考えさせるタイプの番組にしては、冒頭から最後までの20分くらいの番組の中に通して「ゲームは子供を鈍感にさせる」ってな主張のおっさんを出演させ、遺族のインタビューも長めに出して、どうもやっぱりゲームの弊害を印象づけよーとしている節が感じられる。

 槍玉に上げられていた筆頭がパソコン用の「DOOM」だったりするのは、もっとリアルなゲームに溢れてる日本に生きている人間からすれば「ニッポンのゲームたいしたコトありまセーン!」ってな感じに見下されてるよーな気もしたけれど、それはさて置き「DOOM」が軍隊とかFBIとかの訓練に使われているって話を聞くと、「なーんだ軍隊もプロもゲームで遊んでるのか」ってな楽観じゃなく、「ゲームが人殺しの訓練になるのか」ってな懸念の方が浮かんで来る。ケンタッキーでの事件でこれまで銃を1度も手にとった事のない少年が、相手1人に1発づつしか発射していなかったと聞き、また胸を頭を綺麗に打ち抜いていたと聞いた時、「弾をたくさん打つとゲームをクリアできない」「頭と胸を打てば1発で倒せる」とゆーゲームならではの制約が少年の行動を左右していたのではないかとゆー不安を抱く。

 それが事実か否かは今後の裁判の結果を待つとして、現実の社会つまりは銃で人を撃ってはいけない撃ったら相手は死んでしまい自分は一生を棒に振るってリアルな社会の掟を理解させるために必要なことをなし得ない限り、同様にゲームを悪玉とする議論は消えはしないとゆー事を、ゲーム会社は身に染みて感じなくてはいけないんだろー。世界を市場にアメリカの力を見せつけている映画にはおそらくは誰も手を付けられないまま、「バスケットボールダイヤリー」やら「ナチュラルボーンキラーズ」といった影響を指摘されたよーな作品を作り続けるだろーことは自明、代わりにゲームがスケープゴートにされる可能性が高いだけに、よほどの構えが今後ますます必要になって来るんだろー。一定の規範を理解した上で楽しむ人がいても全然問題はなく、ゲーム会社はどんどんとゾンビやら犯罪者やらテロリストをブチ殺すゲームを作ってくれて構わないと思う、決して触らぬ神に祟りなしなんて自主規制に逃げないで。

 言葉に印象としてオタクの街ってなイメージのある吉祥寺にオタクとは縁遠い「シルバニアファミリー」の世界をモチーフに取り入れたテーマレストランが7月2日に登場とか。その名も「シルバニア 森のキッチン」には関連グッズの販売コーナーや20人くらいが入れるパーティールームもあって、日本初(だったとは知らなかった)の可愛いかわいいドーブツな世界に料理ともども浸らせてくれる。食わせる料理のすべてに「シルバニア村の」とついて「おいしい一皿」「サラダ畑」「卵料理」「コトコト煮込み」とある以上は多分おそらく絶対に、玩具の「シルバニアファミリー」サイズの小さな皿に小さな料理がちょこんと乗ってるだけと見た。それを1人で100皿食べるとちょうど満腹になるってまるで「ガリバー旅行記」のリリパットでの食事だね。

 まあそれは冗談としても果たしてどんな料理が出てくるのかは見てみたいところ。ウサギの丸焼きとか熊の手のスープとかリスの姿煮だったら「シルバニアが食べられちゃう」って子供が泣き出して楽しいかも。20人入れるパーティールームで、吉祥寺に根城を置く「オタキング」辺りが関係者をドッと集めてオタクな人ばかりのパーティーを開くって言ったら、果たしてお店は受けてくれるんだろーか、店の雰囲気ブチ壊しゃしないかって心配だろーし。けど、今はもう無くなってしまった方の「旧週刊アスキー」でシルバニアのおうちだかを買って載せてた「オタキング」が、シルバニアな世界をブチ壊すなんてイケズな真似はしませんて。むしろシルバニアへの愛を全身で示すべく、全員がシルバニアの縫いぐるみを来て集まったりして、狭い部屋にぎゅうぎゅうずめになるくらいに。夏場にはちょっと見たくない光景だなあ、やるなら忘年会にして。

 月曜日は日販週報から新刊予定をいろいろと。目立つのは平凡社の「白川静著作集」全12巻でふーんシラカワシズカってんだから美少女の耽美小説集だなんて思う奴ぁいねーわな、そう酒見賢一さんの著作なんかでもよく引用されてるよーに中国の漢字やら甲骨文字やらの研究者としてつとに知られた大学者。読んでみたい気はありありだけど1冊が7000円から9000円もするんじゃーちょっと今は手が出ない。「佐藤春夫全集」も半年分を溜めてるし、まずはそっちの回収をしなくっちゃ。をを新潮社からは「川端康成全集」が復刊だあ欲しいホシイ、来年の没後30年で「三島由紀夫全集」なんてのも復刊された日にゃあ財布は死ぬな。

 朝日新聞社からは予告どーり東浩紀さんの評論集「郵便的不安たち」が2600円ってな途方もない値段で7月15日に刊行の予定、写真写りの良さが指摘されちゃった後で見返しにどんな写真が乗るのか注目、もちろん中身にも。あと講談社から藤木稟さんが初の著作になるのかな「イツロベ」を刊行予定、コンピューターゲームを題材にしているあたりにヤバさと興味を感じるね。タイトルだけだと「段ボールハウスガール」ってのが面白そう、書いたのは萱野葵って人で新潮社から7月25日に刊行の予定。しかしあっぷる出版社の「『プレステ2』が世界を変える(仮)」ってのはいったいどーゆー本だ? おそらくはスペックも値段も発売日も発表になっていない段階での本だから内容は予想できるけど、どうでも1番に出すってところに商魂の逞しさを感じる。こっちも出すか「『ドルフィン』が宇宙を変える日(仮)」とかって。

 という訳で(?)秋葉原デパートの1階にある和菓子屋で巨大なドラ焼きを横目に「すあま」なんぞを買ってみたり。前にイトーヨーカ堂で3個入り100円ってな「すあま」を買って食べたらぐっちゃんぐっちゃんとしてて触感が妙だった印象が残ったけど、こっちは1個で130円もするだけあって触感ももっちゃんもっちゃんとしてなかなかに妙。歯に絡み付くモチモチな部分を「スター・ウォーズ」絡みで買ってるペプシで流し込むと、「たれぱんだ」のよーに世界がどーでもよく思えてくる、平和だなー。上の本屋で最近読んだ「マイペース!ゆず★らん」がちょっぴり気に入った小池田マヤさんの「零子が行く!」(芳文社)なんぞを買ってみたり。たっちにふくやまけいこっぽさを感じてしまうのは見る目がないからだろーけど、浪速なOLのど根性物語は4コマの「ゆず★らん」ともまたひと味違ってストレートに楽しめる。見かけたら読んでこ。


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