縮刷版99年3月下旬号


【3月31日】 博報堂が出してる「広告」って雑誌の4・5月号(隔月刊みたいね)が会社にあったんで手にとって仰天。表紙の2体並んだ「プロジェクトKO2」ちゃんのフィギュアの下から煽ったパンツまる見えな写真の顔が「パイレーツ」になっているのにもちょっとだけ驚いたけど、それ以上に吃驚したのが中で「ガメラ3」の金子修介監督と対談しているとり・みきさんの質問のコワレ具合。だって挨拶の後の質問がいきなりこれだもん「唐突ですが、イリスの繭みたいなものに綾奈役の前田愛が取り込まれるシーンがありましたよね。その時に繭から出ている足は前田愛本人の足ですか」(76ページ)。でもって次が「本当は取り込まれるときは裸のほうがいいですよね。服着ているのはヘンじゃないですか(笑)」(同)。畳み掛ける質問はおそらく全国1000万人のファンの心の叫びを代弁してるでしょー。

 応えて金子監督、最初は裸を想定して模型まで作ってジトッと眺めた挙げ句に「これではもう見るからに僕の持っている変態性欲を刺激してマズいと思って(笑)」と話して服を着せたとその経緯を吐露。とりさんじゃないけどまさに「もったいないなあ」の言葉が読んでミシミシと喉から湧き出てくる。フツーのインタビューだと絶対に聞けない、聞きたくたって聞けないい聞いたって書けない内容を、さすがにとりさん偽らざる探求心でちゃんと聞き出し、これまた博報堂ちゃんと掲載して、ジャーナリズム本来の「欲望を満たす」作業をちゃんとやってくれていると感嘆しつつ皆済を叫ぶ。そこで提案。確かに「もったいない」がそこはデジタル技術の発達した今、後撮りでもいーからちゃんと裸の前田愛ちゃんを別撮りして合成して「完全版」として上映しちゃーくれまいか。CGで描こうなんて却下。ちゃんとナマ裸を撮ってハメるんだよ。早くやらないと育ってサイズが合わなくなるから気をつけて。生えて来ちゃったりするし(何が?)(髪がだよ)。

 しかしヘンな雑誌だね「広告」って。今回はたまたま「バッド」が特集だからななのか、村上隆さんのフィギュアを持ち出しパイレーツを取りあげ「ハレンチ学園」に言及していてさらにはさっきの「ガメラ3」インタビューも載っている、ちょっぴりコジャレたオタクが読んでそれなりに楽しめる中身に仕上がっているのは確かだけど、それとは別に冒頭から流れているのが東浩紀さんの連載らしき「存在論的、広告的」ってコラム。難しい言葉も難しい引用もなく、理念より先に来る感性よりさらに原初の欲望が突き動かす広告業界の人向けっぽい本らしく、って訳じゃないけど割と読みやすい言葉で解りやすい内容の事を書いてあって珍しく東さんの文章にしては最後まで読み通す。

 中にあった「今回の僕の本への書評は、ほとんどが柄谷行人=浅田彰的な趣味への共同体のなかで書かれたものだという解釈でした」と、先の産経新聞「斜断機」で山崎行太郎さんが指摘したまんまの評価をされてしまっていることを、ちゃんと自分でも認識していて、これに「正直いって彼らはスタイルに縛られているなあと実感しましたよ」と反論してる。半ば権威となった一種のスタイルに括って敵か味方かで判断することが、今のスタイルなき時代にどれだけ意味のないことかを説明した上でスタイルに押し込める評価を時代錯誤と断じてる。連載されているのが「広告」ってどちらかと言えばスタイルを作って人を引っ張る広告業界向けの雑誌ってことを考えると、これは業界への一種の挑戦であり新たな世代からの啓蒙だとも読んで取れる、かな。

 ただしご本人おたくな人々が閉じていることにはいささか反対みたいで、自分が「エヴァ」について話してそれからデリダや現代思想を話すとオタクな相手が引いてしまうと指摘してる。そこで外に出てこいと呼ぶか、いーじゃん内にこもってたって本人は楽しいんだからと突き放すか、判断が分かれるところで、たとえば東さんが言うよーに「論理」でオタクを振り向かせることができるとして、もっと原初の「説明されて見たけどつまらん」ってな「気分」で再び足早に去られてしまう可能性もありそーだから難しい。言われると「じゃあ、やんない」って天の邪鬼な気分になるのもオタクな心理の1つだし。まー媒体がとにかく「広告」なんで「オタク世代に向けたマーケティング手法って何?」と探し求める広告業界な人向けに、示唆を与える内容であることは仕方がない。あとは東さんの想定する「論理」がどれだけの吸引力を持ちかつ持続力を持っているのか、今後の活動をとくと眺めていきたい。

 柴田よしきさんの「遥都」(徳間書店、1200円)を読了。分厚いけれどたったの2日間で読んでしまえるのは柴田さんのこのシリーズで繰り出す文体やら比喩やらの解り易さ面白さ、加えてストーリーテリングの巧みさと設定の仰天さがページを次へと繰らして止まないからでしょー。しかし最初の京都妖怪大戦争ものがどーしてこーも宇宙生命体大戦争へと発展するのか謎、謎、謎なシリーズになってしまったものよ。せっかく封じた妖怪たちが再び跳梁しはじめ元の黙阿弥へと帰していて、加えて新しい敵が宇宙から時空をこえてどんじゃんと地球に襲来し、かつ1300枚を費やして物語はこれから始まったばかり的なエンディングを迎えても終わってない。

 のみならず読者にはいっそうの恐怖と、混乱と、そしていささかの希望を与えて終わってて、早くも次を出せ次に行け次にならないと落ちつかないってな気持ちにさせられてる。荒唐無稽でトンデモ入って宗教っぽさもあるけれど、押しつけるよーな主義主張がなくひたすらにスペクタクルな展開になっているから苛立たない。さても三つどもえとなった人間VS妖怪VS宇宙人の繰り広げる大バトルがいかな結末を迎えるのやら。その大風呂敷ぶりから読むと、あと10冊はつき合わなくっちゃいけなさそー。


【3月30日】 『SFオンライン賞』発表。結果はまーこんなもんかと言ったところで、「SFマガジン」とはランク内にノベルズ系の架空戦記やファンタジーが入ってる点で若干の差異が認められるものの一応のゾーンに収まっているよーな。「チグリスとユーフラテス」に4票ってのは単行本の奥付で2月の本でも雑誌「小説すばる」に98年時点でも連載されていたって事で投票できると気付いた人が少なかったからなのか。漫画で「ベルセルク」がトップってのが「SFオンライン」的にストライクか否か等など不思議な点も幾つかあって、編集スタッフの意は別にした読者層の広がり(あるいは偏り)が透けて見える投票結果でした。

 解らないのが漫画部門でもアニメ部門でも堂々2位入りした「ジオブリーダーズ」。リストには一応入ってはいるけどこーも上位に来るとはスタッフ一同とても思ってなかったはず。にも関わらずのこの高得票は、おそらくいずこかの熱烈なファン層によるアピールだと見て見られない事もない。漫画はともかく(でも「トライガン」より上ってのは意外)OVAしかない、それも決して初見の人には親切じゃなく決してバカ売れしたとも言えないアニメで、これほど多くの得票があるのはやっぱりホワイ? ビデオやLDがSFな人にバカ売れしたって話も聞かないし、ピンで見たってぜんぜんストーリー解らんないし。こうも上位に来る「ジオブリーダーズ ファイルX チビ猫奪還」がSF的にどんな作品かが知りたい人は、あたしん家にあるLD3枚ともあるんで(持ってるんだなぢつわ)美少女限定で見せてあげますけど、どう?

 ってな妖しい誘いをしてたら怪しい手紙がポストに。まんまパクれば「私○○○○ー○の○○と申します。実はご連絡をお取りしたいのですが、お電話番号がわからずハガキを出させて頂きました。大変お手数ですが至急下記までご連絡下さい」との文面とともに、電話番号とスタッフ名(女性名)と事務所らしき名前とその所在地が書いてある。表面はこちらの住所と名前で、これはまー何かの時に調べられた可能性があるから別にブキミでも何でもないけれど、女性名で電話下さいと誘いかけている割には文面の方が全部印刷ってところがちょっとヘン。つまりは誰彼なく同じ手紙を出してる可能性があるってことで、いったん電話をかけると向こうから甘い囁きで虜にされてフラフラと事務所に行って人間モドキにされてしまうか、不思議な水晶の玉か壺か珍味を売りつけられてしまうに違いないと、踏んでそにままごみ箱に捨てる。もしも無罪と思うのならばそーだな手紙なんぞ出すんじゃなく家の前にリボンでも体に巻いて立ってて下さい。笑ってあげますから。

 おわったー。「宇宙海賊ミトの大冒険」は文字通りの大団円ですべてがまーるくハッピーエンドに収まった、と思うんだけどどーでしょーか。確かに葵くん、じゃない葵ちゃんだけ1人、あってなかったりする身となって、自分の本意じゃない形での結末にたどり着いたみたいだけど、いーじゃんそれで睦月もミトも構わないって言ってるんだし周りのみんなも喜んでるし。父親の蔭朗さんにもっと何かすっげー秘密があるかと思っていたけど、日曜あたりに見直した昔の回で自分の両親が地球に存在していた事を示唆する発言があったから、やっぱりたたの地球人で天地とは事情が違って単にミトを迎え入れたって事でしょー。掲示板あたりの噂じゃー続編って話もあるけどこーもスッポリとハマったエンディングを迎えて一体どんな続編が作れるの? 話半分としてとりあえずはちゃんとまとまり未放映分もなく綺麗に最高のエンディングを迎えた作品と、送り出してくれたスタッフの人たちに感謝。けど何故DVDは出さんかなぁ、バンダイビジュアルは。

 東映で「逮捕しちゃうぞ the MOVIE」の試写を見る。とにかく絵が綺麗でストーリーもアクションも迫力があって、美幸と夏実は美人で愛嬌があってグラマーで、ついでに葵ちゃん(そっかこっちも葵ちゃんだ)も美しくってニセモノだけどグラマーで、頼子は大活躍で他の婦警さんも頑張って蟻塚警視正は暑がりで課長はシブく、トゥデイはかカッ飛んでモトコンポは美味しくって東海林は暢気とゆー、これまでで見た「逮捕しちゃうぞ」の中でも、OVA版とテレビ版の「嗚呼! 青春のビーチバレー男」、及び「危険なデート2X3」に匹敵する喜びを味わえる。いくら東映だからって絵が止まり口パクが合わずメカはベタ塗りでアクションは中抜け動画2枚でネットにダイブすると素っ裸でエンドロールは墨ベタばかり、ってな作品ばかりを公開する筈ないからね。

 綿密なロケーションの結果だろー緻密な街並みの描写と、自動車バイク船ヘリコプター銃器その他のメカ類の手抜きのない描写が圧巻。走るトゥデイの運転席に座っている美幸の姿が右手側にある窓にさりげなくちゃんと映り込んでいたあたりなど、容赦のない作画陣のクオリティーへの追究心が伺われるよーでひたすら感嘆する。レイアウトも凝ってたし。肝心のストーリーの方もちょっぴり「パトレイバー」の1とか2とかっぽかったりして、所轄ごときが手に負える事件なのか課長にはどーして公安がビッタリとマークをしてなかったのか等など言えばいろいろ言えるけれど、一直線に突き進む事件の流れの中で適材適所にキャラクターを拝してそれぞれのアクションをちゃんと見せ、かつ物語を破綻なく大団円へと持っていくのは流石だねえ。

 アクアラングを着て出るとこ出っ張らせた美幸に夏実のコンビをもっとタップリ映せよと内心叫んで憤ってみたり、頑張る婦警さんたちがスカートをビリリ破いたシーンで葵ちゃんの番をマジと見てちょっぴりフクザツな気持ちにもなったりもしたけれど(ある、んだよねこっちの葵ちゃんには)、ホント久々にスッキリするアニメを見せてもらいました。春はシットリなら「天地無用in LOVE2 遥かなる想い」、ドッキリなら「逮捕しちゃうぞ the MOVIE」ってことで。アングリなら当然「ガンドレス」。終わっちゃうけどね。

 大日本印刷の「ギンザ・グラフィック・ギャラリー」で「堀内誠一の仕事」展を見る。堀内さんってのは絵本も書くしエッセイも得意だったけど本業はグラフィックデザインで、それもエディトリアルデザインの先駆者かつ第一人者だった人で、男だったら「POPEYE」やら「BLUTAS」のタイトルロゴをデザインして「ブルータス」では中のデザインも担当した人としてお馴染みで、女性だったらやっぱり「anan」をデザインした人として直接間接お世話になったかもしれない。展覧会にはそんな堀内さんが担当した仕事がカラーコピーでズラリと壁中に張り出されて、ああこんな記事あったっけ、こんなデザイン今見たって格好良いなーと、没後10年が経っても未だ最先端な仕事っぷりにひたすら感嘆する。

hori  マガジンハウスの雑誌と言えば名物編集者を数多く産み出したことでも有名で、堀内さんと縁の深い「トゥナイト2」のオバサンパーマですっかりお馴染みの石川次郎さんや元社長の木滑良久さんらもかけつけて、写真家の立木義浩さんも加えて堀内さんの未亡人を挟んで記念写真をとっていた。意外だったのはポップな雰囲気のエディトリアルデザインを主として知る堀内さんが、その昔あの澁澤龍彦さんが責任編集していた耽美な雑誌「血と薔薇」のデザインとか題字とかも担当していたってこと。そー言えば澁澤さんの本には良く堀内さんの名前も出てたし無くなったのも確か相前後してたんじゃなかったっけ? その仕事の全貌を没後でしかたどれない無念さはあるけれど、それでもこーしてエディトリアルデザインの仕事が総括されるとゆーのは、同じよーな雑誌が蔓延り松任谷正隆さんなんで誰が買うんだ的表紙の雑誌が平積みのまんま動かない現状を鑑み、とてつもなく有意義なことなのかも。見よそして改めよ。「サイゾー」はさてどんなデザインになるのかな?


【3月29日】 ”目ん玉”でご飯を食べさせて頂いている身としてはやっぱり少しは罪滅ぼし(ってどんな罪をしたんだよ)(このページが罪なんだよ)(やっぱり)もしなくっちゃいけないと、思い何を考えて今この時期に創刊したのか解らない、週刊総合スポーツ誌って過去にも未来にも類を見ない雑誌「Zeichen(ゼッケン)」を買う。480円もしやがるし、前から西武の松阪クンを主役で行くと聞いていたから、高校を卒業したばかりで当然の事ながらプロで1勝も上げていないド新人を主役で持ってくる、その非スポーツジャーナリズム的、かつ是スポーツ新聞的発想に反感を抱き、ろくな雑誌にならんだろーと醒めた目で見ていたけれど、当の松阪クンが創刊前日にオープン戦とはいえ11奪三振を奪う力投を見せ、少しは実力も垣間見えたこともあって、トップでフューチャーするのはやむなしと判断する。

 でもって後は中身のハシャギぶりで「ダメ雑誌」のらく印を押してやろーとページをめくると、意外や真っ当な記事真っ当なライター真っ当な写真が満載で、野村監督長嶋監督を対比させた冒頭の特集といい、巻末の細々としたコラムといい、読んでいて結構読ませる。構成やレイアウトが「ナンバー」っぽいのはアレだけど、情報のスピードの速さがそれを何とか補ってる。真ん中の速報がまんまサンスポあたりのゲラをペタペタ張り付けたっぽい雰囲気があるのはご愛敬。それでも松阪の快投や、ボクシング世界戦の結果や、大相撲やサッカーJリーグの模様がちゃんとカラーで載っているのは好きな人にとっては結構たまらないかもしれない。個人的にはどうでも良いって感じだけどね。

 しかし何より驚きかつ、来週以降も様子を見たいを思わせた記事がスポーツ界の美女を綺麗に着飾らせて山岸伸さんが写真に収めるコーナー。こればっかりは「スポーツ美少女」を時々特集する「ナンバー」でもやらなかった必殺技だけに、いったい誰がどんな格好で登場するのかと第1回目を開き、期待に違わない出来にこれは来週も楽しみとの意を固める。ちなみに今回登場は日立バレー部に所属の江藤直美26歳。当然ながら身長は186センチとモデル以上の9頭身で、そんなスラリと伸びた肢体を黒いドレスに包み、普段は見られない化粧を施された顔でカメラで見据えるその姿にもーおじさんクラクラして来ました。これで次が柔道なヤワラちゃんだったり卓球な愛ちゃんだったりしたら怒るぜ。って全くスポーツと関係ない所で雑誌の出来を評価してしまう、やっぱり自分も「スポーツ新聞的」なアタマに染められてんだなー。この際ついでだ女性読者獲得に向けた松阪クンのヌードもどうだ。

 実名化してからかれこれ8回目にしてよーやく「斜断機」に文壇論壇ネタが登場したのは良いけれど、「存在論的、郵便的」が結構売れた東浩紀さんを「文体なき批評家」として末路は哀れと非難し(つつその親分たちを非難し)ている割にはその主張がこっちにビンビン来ない。言わんとしたいい事は解る。東さんが文芸評論家たちを括って批判していたことへの反論という訳だけど、こうした東さんの主張をもっていきなり「これはつまり、『文芸評論家』というものを彼がまったく理解していないということ」と来られても、どうしてそう繋がるのかがさっぱり解らない。言うに及んでさらに「ようするに彼には『文体感覚がない』ということなのだ」と結ばれても、東さんが言ったという具体的に文体感覚のなさを露呈する文言が引き合いに出されておらず、釈然としない

 「批評の神髄は文体にある」とは言うけれど、文体だけ美麗でもそこに本来の「批評」がなければただの飾られた器に過ぎない。批評とは論証があって初めて成立するものであるとすれば、すなわち今「斜断機」は文体なき批評の空虚さを突きながら、己自身がその実スッポリと批評性を欠いた張り子の虎に過ぎないんじゃねーかと、まあ思ったりもしたけれどよーするにここで展開したかったのは浅田彰であり柄谷行人といった親分筋の人たちへの揶揄であり、その点に関しては批評かはともかく批判だけは「『文体なき批評家』の末路はダレカサンがしっかり実演しています」としっかりやっているから、下品と蔑まれようと水がかけられず枯れようと、騒動の種だけは撒き続ける「斜断機」としての面目は保たれているってことで。ちなみに筆者はちゃんと実名だぞエラいぞ 山崎 行太郎さん。三田文學に「いま、『佐藤春夫全集』 をどう読み直すか」って個人的に興味をそそる文章を載せているみたいなんで、単に分量の少なさが「斜断機」の寸足らずさにつながっただけなのかを機会があったら読んで確かめてみたい。もち文体も含めて。

 実年齢はともかく役年齢で8歳と12歳の女の子が出演しているんだから見ない訳にはいかねーよなー。ってことで銀座テアトル西友で先週から始まった「フェアリーテイル」を見る。有名な「コティングリー妖精事件」を題材にした映画で、先に買ってはあったけど現在部屋の中で行方不明な「コティングリー妖精事件」って本によればどーやら女の子たちが紙でペタペタやって作った妖精を、写真に撮っただけらしーって結論になっていたけど、映画の方はどちらかといえば「妖精はいるんだ」的ストーリーになっていて、画面の中を「ピーターパン」のウェンディよろしく羽根をパタパタとやって妖精が飛び回る、ノンフィクションよりはファンタジーにウエートのかかった作品に仕上がっている。

 エルシーとフランシスの妖精を目撃した2人の少女が謎めいた約束を交わすあたりに、もしかしたら2人で世間をハメてんじゃねーかってな匂いを醸し出してはいるけれど、進むに従ってあるいは本当に彼女たちは妖精をちゃんと撮影したんじゃないかと思わせて、けれどもやっぱり作り物だったかもと思わせて、しかしながらやっぱり妖精はいたんだ的な描写もあってと観客を真偽の狭間に追い込んで、揺すりビクつかせ安心させて恐がらせる、なかなか憎いストーリーになっている。物語に絡む稀代の魔術師フーディーニの、どうにかしてトリックを見破ろうと立ち回る姿に「子供をイジメるな」と思わせおいて、ラストにペテンは許さないが夢を与える振る舞いには理解を示すフーディーニを持って来る、その優しさにおじさんちょっぴり涙ぐむ。

 自分の事だけを思うのが子供で他人のことを思いやるのが大人と気付く少女たちの、奇跡を離れて現実へと踏み出す成長のドラマとしも見られるけれど、一方で信じれば夢はいつか叶うと奇跡への尽きない憧憬も抱かせる結末に再び妖精の、天使の、神様の存在を信じたくなるからややこしい。でも気持ち良い。フーディーニ役のハーヴェイ・カイテルは強靭な意志と優しい心を持つ役柄を演じ、アーサー・コナン・ドイル役のピーター・オトゥールも神秘に傾注する老人を当たり前だけど好演する。少女の正体を暴きコティングリーを喧噪に巻き込む鬱陶しい新聞記者(演者失念)は、サイドカーでトコトコ走る姿が滑稽ながら格好良くちょっと美味しい役所。しかし新聞屋ってなー罪な仕事だとしつっこく少女に絡む彼の姿を見て思う。

 そして何より2人少女が最高に良い。フランシス役のエリザベス・アールが、上半身裸になる場面はともかく(じゃないけど)として、妖精を信じて疑わなず思いこんだら一直線な意志の強い少女のよーに見えて、実は行方不明の父親を思い寂しい気持ちを持ってる幼い少女をしっかりと演じ、エルシー役のフロレンス・ハースもフランシスに振り回されているよーで実はちゃんと足下を見据え、浮かれず騒がず他人を思いやる気持ちの優しいエルシーを演じてる。見かけの可愛さでは小さいフランシスに軍配があがるけど、気持ちの可愛さではエルシーもなかなか。2人を見ているだけでも楽しい時間が過ごせる良い映画でありました。レイトショーの「ウィズ・ユー」といい「ロリータ」といい「キャメロット・ガーデンの女」といい美少女でいっぱいの春映画。おじさんはうれしくってしょうがないよ。


【3月28日】 引き続き「ジェフリー・ダーマー」(原書房、柳下毅一郎訳、1900円)をつらつら、なんて落ちついた気持ちでとても読めない。人間をバラバラにしてグチャグチャにしてドロドロにしていく描写のてんこ盛りに、浮かぶ映像のすさまじい事といったら見てはないけど「プライベート・ライアン」の肉弾戦をも上回りそうな予感があって、よくぞ訳したもんだと柳下さんを讃えると同時に、仮に話があっても絶対に漫画化だけは止めて頂きたいと、後書きを書きかつ18人もの人間をバラバラグチャグチャドロロロにしたジェフリー・ダマーを、貴公子然とした美形に描いた森園みるくさんに遠方から伏してお願いをする。しかしテッド・バンディといいイラストは出来すぎとは言え結構美形なダマーと言い、放っておいても女性に不自由しなさそうな顔立ち身長の奴がどーしてと、おじさんには不思議でしょーがない。まあそれが彼らをして”おいしい殺人鬼”たらしめている所以なんだろーけど。

 人には恵まれた人生のよーに見えてご当人はこれでなかなか余人には計りがたい悩みがあるんだって事が、西澤保彦さんの新刊「黄金色の祈り」(文藝春秋、1810円)から伝わって来る。小説なんだけどどこかに作者の経歴を伺わせるよーな描写があって、純然たるフィクションなんだけどノンフィクションな心情も吐露されているよーな部分があってそれが結構重たい。この小説の主人公、ブラスバンドで大成せず、米国の大学に入って詩作で大成せず、帰国して大学院入りに失敗して英語講師をしながら小説を書き、デビューしたけど後から来るひとにどんどんと追い越されていく。

 現実では西澤さんは今がノリノリな第1級の作家として高い人気を誇ってるし、中身だってデビュー作を常に上回る作品をどんどんと世に問いちゃんと支持も受けている。あるいは気持ちとしては常に創作の上で不安と抱えているのかもしれないけれど、現実には後から来る人たちが追いつけないうちに、さらなる高みへと上っている。自伝として読むと大きく間違うとは思うけど、それでも重ね合わせて見たいのは、人が他人の成功にどこか妬みを抱く心理があるからで、かくも順風満帆な作家人生をおくっている西澤さんが、それでも心のどこかに不安を持っていてくれた方が、安心できるのかもしれない。卑しいことはもちろん承知。けど哀しいかな人間ってそーゆー生き物なのよ。

 作家の自伝的な要素を物語に見るも見ないも読者の自由として、ミステリー作品として捉えた時にコアとなる事件は中学校の屋根裏でアルト・サックスを傍らにおいた白骨死体が発見されたとゆー事件。この謎にテレポーテーションや念動力や予知能力といった西澤作品に得意の超能力は一切絡まず、実に合理的に人間の心理を拠り所として解決への道が示される。大仕掛けが得意な西澤作品にしては物足りないかもしれないけれど、それを補って余りある重たい人生への問いかけに、作家の悩みを見い出して喜ぶ以上に我が身の悩みをえぐり出されて頭を抱えて立ちすくむ。そこで反省すれば良いんだろーけど、懲りないでやっぱり同じ過ちを繰り返しては10年後に、あるいは20年後に似たよーな後悔を抱いて悩むんだろーな。人間って奴ぁまったく。

 買ったソフトが見られないのは我慢ならんと秋葉原に行ってDVDプレーヤーを買ってしまう。それも故障に嘆いパイオニアの製品を買ってしまう辺りが懲りないとゆーか何とゆーか。今あるコンパチ機はとりあえず機能だけは生きているよーな気がするLDプレーヤーとして使うことにして、今度はDVDのみの機能が付いた「DV−S5」って機種を購入する。狭い我が家を勘案すれば、同じパイオニアでもCDウォークマンなみに小さいモニターの付いてない機種を買えば置き場に困らず値段だって39800円とお値打ちなところを、無駄に機能と性能を求める悪い癖がことでも頭を持ち上げて、流石にSCEの偉い人に諭されてLDコンパチとかカラオケ機能付きとかは買わなかったけど、チューナーがなく使えもしない「DTS」って機能があるいは将来役立つかもと、大枚をはたく自分をちょっぴり嫌悪する。西澤さんの本から全然勉強してないなあ。

 早速見た「青の6号」の第2巻は紀之真弓ちゃんが可愛い反面ストーリーはさっぱり解らず再見が必要。3次元CGと2次元セル風の混合んは思っている以上に慣れていたし、作り手側も慣れて来たよーに思ったけれど、凝ってる割には聞きづらい音声は相変わらずで、片やテレビに繋いで貧相なステレオで聞いている人がおり、こなた大画面を見ながら5・1チャンネルの立体音響の中で聞いてる人がいるといった具合に、ステレオ以上に貧富の差が激しい状況の双方を満足させ得るには、まだまだ時間がかかるのかも。とは言え結構音への違和感を訴える声もあるところを見ると、技巧走り過ぎてるだけなのかもしれない。どっちだろう。

 続けて見たのはアメリカ帰りの「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」のDVD。サクラさんの声はそれっぽいけどラムちゃんがどうにもオバサンっぽいのがアメリカ調。眼鏡は格好良すぎるしあたるも軽薄さが足りず、前にフロリダで買って来た「新世紀エヴァンゲリオン」の中年にしか聞こえないマヤや屈託のカケラも無いシンジには及ばないものの、同様の違和感を覚える。とは言え英語の劇場版の方を先に見た「アミテージ・ザ・サード」では、後から見た日本語版のOVAの可愛いアミテージの声に、逆に違和感を覚えたくらいだから、これもやっぱり単純に馴れの問題なのかも。画質はDVDって雰囲気じゃないけど英語字幕に英語音声を自在に楽しめる機能はそれなりに有り難い。逆に日本国内だけの版が英語字幕もないのにあれだけの値段とゆーのは、やっぱりなんだか理不尽だよなー。


【3月27日】 今世紀中どころか生きている間に読めるとは思わなかったよ火浦功さんの新刊を。手を変え体裁を変えて「ガルディーン」なんかを出版し続けては一見糊口をしのいでいたよーにも見えた火浦さんも実は、密かにちゃんと新刊の準備をしていたんだねー作家の鏡だねー。とか思って「奥様はマジ」(角川書店、540円)を読んで自分がパルスイートがスリムアップシュガー以上に大甘だったと気が付いた。収められた連載「てなもんや忍法帖」が全然完結してない。光速からようやくにして止まった長老は東京タワーの見学に言ったままで期待のくノ一夜叉丸の高校生活は始まったばかりで未だ抜け忍桃太郎とは邂逅してない。すべてが放り投げられたままでのそんな無理矢理な収録を、それでも「仕方ねえなあ」と笑って読み過ごしあまつさえ「しっかりやれや」とエールさえい贈ってしまえる自分はさて、火浦何段でしょーか?

 それでも40歳を越えて(るんだなー、もう。岬兄悟さんも40超えてるし大原さんだって近いし。流れた時間をドブラコと思い出して遠い目)少しは殊勝になったか、編集長宛の手紙がその身長を超えたらラストを(たとえ「アルマゲドン」が「地球最後の日」な「隕石オチ」であっても)執筆してくれると後書きに書いているから、読みたいファンは縦、横はハガキの大きさで高さだけはそうだね1メートル80センチに切った発泡スチロールでも材木でも構わないからハガキ面には宛先を、1メートル80を隔てた反対側には「ラストを読ませろ」と書いて編集部へと送ってみちゃーいかがでしょーか。それが果たして90円切手で送れかどーかは知らないけれど、1発で身長を超える「手紙」が来たってことでこれなら来月にでも雑誌にラストを載せなかいかんよな。100人が同じ物を送ったら編集部は「手紙」の柱で埋まるかな。

 すでに「死体を愛した男」(ロバート・D・ケッペル、戸根由紀子訳、翔泳社、2400円)でも書いたよーに、大昔に読んだ「リーダーズダイジェスト」の記事以来、数ある大量殺人者でもとりわけ興味を持っていたテッド(セオドア)・バンディに関しての多分真打ちとも思える本が出た。「テッド・バンディ」(原書房、権田萬治訳、上下各1800円)を書いたアン・ルールは何でもバンディと一緒に緊急電話相談センターで電話相談員として働いた経験があったとゆー経歴の持ち主。加えて犯罪実録の書き手として鍛えられた取材網と鑑識眼によって、ボブ・ケッペルが捜査員として書いた「死体を愛した男」よりもはるかに綿密に詳しくテッドの生い立ちから時にはテッドの内面にまで想像を巡らし、おそらくは20世紀犯罪史上に残る事件をやってのけた男のすべてを炙りだそうとしている。

 長じてからの事件は振られた彼女と被害者の顔立ちが相似している事もあって俗な言葉で言うなら「振られた腹いせ」が別の形で代替されたなんて見て見られない事もないけれど、その生い立ちの過程で近隣に同様な被害者が出ていた(最初はテッドが15歳の時らしー)事を知るにつれ、もっと根深いところにテッドが殺人へと走った理由があるんじゃないかと思えて来る。じゃあそれが何なのか。同じよーな生い立ちの人はたくさんいるし、持っていた容貌知性は女性を大勢引きつけ男性も魅了し、知り合いのほとんどが一般的な常識に照らし合わせて「とても殺人なんか犯しそうにもない」人間とテッドを見ていた。

 人が人間として暮らしていく中で「人を殺せない心理」が醸成されるとして、テッドの場合はそんな心理を乗り超える何かがあったのだろうか、だととすればそうなった理由は一体何なのか、と想像を巡らしてみたところで事実か否かは本人にしか解らず、その本人であるテッドはすでに死んでいる。本書を含めた残された物語から想像するしかないけど、それでもあれだけハンサムで頭の良い、女性にも不自由しない男がかくもどんどんと女性を襲った事への知性も美貌も持たざる者としての嫉妬心があおり立てられるばかりだからなー。ちょっと悔しい。次は課題図書でこっちは17人の男性を殺した男の記録「ジェフリー・ダーマー」(原書房、柳下毅一郎訳、1900円)。両方を読み終えた朝の光が眩しくって包丁猟銃バールを振り回したくならない事を祈ろう。

 しかしここまでやるとはなー。吉野紗香さんを篠山紀信さんの撮影した写真集「少女の欲望」(新潮社、2900円)。表紙の先端こそ写ってないけどシースルーの下に膨らみも露にして、半開きの唇が猥雑さをそそる写真を見て、これはもしやと思って買って帰ってビニールをびりびりと破り捨ててのぞいた中身の濃いことよ。もちろんヘアはない。バストトップも当然ない。ないけど代わりに歳に似合わず熟れきった(ように見える)肢体を最小限の薄布で包んだようするにアンダーウエアだけを身につけた写真が1つならず幾つもあって、それは娘の着替えを覗く父親のよーな気分を、あるいは年齢不詳の小さな悪女に翻弄されるうらぶれた中年男の気分を味わわせてくれる1冊に仕上がっている。自転車のベルをチンコンやって銀河最強の怪物をやっつけた映画でも唯一の救いだったその姿を、映画よりはるかに熟成された形で楽しめるこの写真集に贈る言葉は1つ。「こんなもん、つくれっ!」。


【3月26日】 本紙は全然既報じゃないけど噂には聞いていたよーに学研のアニメ雑誌の片方な「Looker」が25日発売号をもって休刊へ。実はもう片方の「アニメディア」と終ぞ読んだことが無いんで(「OUT」も「アニメック」も「ジ・アニメ」も目だけは通した記憶がある、遠い昔)どう違うのか比較して論評が出来ないんだけど、鳴り物入って前宣伝ばかりが先走った某劇場アニメの悲惨無惨暗澹無比な状況を見るにつけ、1社で2冊もアニメ雑誌を刊行し続ける意味も資金もキツいんだろーとの無責任な想像はつく。

 適度に中身にまとまりがあって毎号の表紙も結構良くってコラムには小中千昭さんと佐伯日菜子様さま様が書いている、そんな雑誌がもうこれからは読めないってのがちょっぴり残念。最終号って訳じゃないけど佐伯さん何故か「機動警察パトレイバー」の制服姿を披露していて立ち食い蕎麦も食べていて、かくもユニークな素材を何故にテレビは映画は特撮は、もっと使わないのかと憤りも覚えてみたり。「星方天使エンジェルリンクス」の李美鳳巨乳5連発なカットの組み方も嫌らしかったり(カラーだったらなお良かったけど)。遅れたバブルも終焉気味なアニメ&オタクな世界の次の連鎖はさてどこに出る?

 どうにも双子の神秘物には眉唾つけたくなるのは自分が二卵性とは言え双子で神秘の「し」の時も感じなかったからに他ならないけど、っても時々おんなじ歌を唄いだしたりして多分たまたま偶然に同じ記憶が甦っただけ、だって一緒に暮らしてるんだから入る情報出る情報の量も速度も一緒なんだと思って納得していたけれど、松村栄子さんの「生誕」(朝日新聞社、1600円)でもやっぱり離ればなれになった双子の行動に通じる部分があったりお互いが以心伝心だったりして、我が身に照らしてあんな奴と以心伝心だー? ってな思いに背中をスチール束子でかき回したくなるくらいなジンマシン的痒さを覚えてのたうち回る。かいーの。

 がまあ所詮は双子の神秘もテレビってゆー箱の中に目を奪われていた少年が、欠けた心の補完を行い外へと向かう一種の「びるとぅんぐろまんす」だから、プロセスに過ぎない双子の神秘にそー目くじらをたてる事もないと納得してむしろ前へと背中を押される感じへの、妥当性を覚えて本を置く。テレビのニュースが伝える世界の様々な出来事が、その実我が身へと及ぼす影響の実に軽微な事を考えると、テレビで世界をその目に焼き付けその頭脳に記憶させ「お利口」になっているようで、その実現実から逃避し後退しているだけなんじゃないかといった理解も可能になる。「生誕」も多分そんな主張があるのかな。どこにも行けない世界の窓よりどこかへと繋がる家の窓を大切に。

 ちょっと凄い短編集は柴田元幸さんが編訳した「僕の恋、僕の傘」(集英社、1400円)。新書サイズで値段はちと高いよーな気がしないでもないけれど、と言っても仕事の本だから入手はタダだったけど、その薄さに負けない中身のボリューム感に濃度が読者をどろどろな世界へと引きずり込んでしばし耽溺させてくれるから、薄いと思って決して甘くかかることのなきよーに。冒頭の表題作からして男女の不思議な逢瀬と男の不用意な一言による関係の瓦解が描かれていて、その周りくどい鬱陶しさに溢れた文体雰囲気ストーリーはまるで村上春樹だと思い至る。男の不甲斐なさなんか特にね。

 「床屋の話」ってのがようするに頭を刈ってもらっている時に聞かされる床屋の自慢話なんだけど、それが自分はさっき出ていった男と女房と取り合って勝ち抜いたってな自慢話で、相手が目の前で自殺を計ったとか自分は今に至るまで彼の頭を無料で刈ってるんだってな話はなるほど痛快な部分もないでもないけれど、総じて男のプライドばかりが前面へと出た滑稽さが読んでいる最中から見えて来て、これを書ける作者の何と人間の感情のねじれ具合をよくとらえていることよと感嘆する。莫迦やる2人の医療機関の雑役夫の話は鹿島田真希の「二匹」にも通じるハチャメチャさ。しかしさすがに名翻訳者、名短編をよくもこれだけ知ってるなあ。

 赤坂某所に4月1日付で偉さが1ランクアップする人の顔を見に行く。とにかく破天荒かつ尊大な物言いは大崎にある世界に冠たるイッツ・アな会社に見た目とりこまれているよーで、そう聞く次の瞬間に「そんな質問は飽きたぞ」と言って「違うぞあれは内部に向かったショック療法でこれからはウチの方が(イッツ・アな会社の)コアになるんだ」と強く断言。なるほどそれだけの実績も上げているのを見るにつけ、5年も前に今日あるを予測し実行し成功させた手腕はやっぱり羽田にはないものなのかもと、企業規模の違いだけじゃない人的資源の違いに思い至って今後のさらなる格差拡大を目に浮かべる。

 「美学」とするあれもこれも付けるのは大っ嫌いってなスタンスから言えばおそらくは次世代に言われているほどの派手な機能は付かずポートがあろーとスロットがあろーと用意はしているだけで自らが合体ロボットのよーなアプリケーションの世界には来ないんだろーと考えると、無駄を省いた値段はあるいは相当に安く別に相手になんかしてないよって言う羽田京都のマシンにも、軽く対抗できるだけの価格で登場する可能性もあるのかも。そんな彼の「美学」から言えばパイオニアのDVD/LDコンパチは「大嫌い」な機種だそーで、何でもありが大好きってゆーか何でもありじゃないと不安な貧乏性故にコンパチ買った我が身では、やっぱり成功はおぼつかないのかもと当てられた毒気の大きさもあってしばししょげる。専用機、買おうかな。


【3月25日】 「モデルグラフィックス」の5月号を買う。表紙のかぼちゃパンツな胸ペッタン娘フィギュアにトキメかない自分を成長した、じゃない立派に後生したものだと自賛しつつ表紙をめくってヘッドラインのコーナーに行ってボークスが出している「スーパードルフィー」の「キラ」の写真に1発でヤられてしまった自分を発見し、成長どころか深化しているって事に改めて気が付きそれはそれで素晴らしいじゃないか、と自分を無理矢理納得させつつ5万4800円をさてどーやって捻出しよーか、服とか買ったら後何万円必要になるんだろーかと考えている、自分がちょっと恥ずかしい。夏のボーナス、消えたな。

 2・5分の1サイズとはつまり、身長で58センチもある少女というより幼女に近い体躯の人形でかつ、値段が安い「ナナ」でも49800円、黒いストレートの和風で着物が似合いそーな「めぐ」は実に59800円もするこの「スーパードルフィー」をいったい誰が買い、何に使うのかは正直言って自分を棚上げにして興味のある所で、もちろん男性諸氏のアレしたりコレしたりってな使い方は当然あるとして、例えば女性のドール好きな人たちが買って本当の子供を慈しむような感性で服を着せたり触ったりして楽しむ用途もあるのかな。ボークスの資料によれば成長に合わせたパーツの提供もあるそーで、ってことは手足が伸びるだけじゃなく、膨らみ生える(何が?)のかなんてこれまたオヤジな妄想を抱いているけどどーなんでしょーか。やがて垂れるってのだけは勘弁願いたいけどね。

 生える、って訳じゃないけど「モデグラ」の「ワンダーフェスティバル」特集のカラーページのラスト、ページ数では32ページに登場するレリエル・ビーチボールとかってなコスプレのお姉さんの白いパンツの中心が黒ずんでいるよーに見えるのは印刷の都合かそれとも僕の目の錯覚か。これは是非ともナマな写真を(ナマな本人ならもっと良いけどそれは無理だし)見てみたい。生えてないのは特集のページをめくった見開きでドドーンな「セカンド・ミッション・プロジェクトKO2」で、だからくっきりと割れ目も鮮やかにさらけ出されて「おまえらこーゆーの好きなんだろーっ」ってな作者すなわち村上隆のオタクな記号への挑戦が、意図はともかく見て取れて乗りたいけど乗るのも癪だし困ったなーと揺れ動く。

 そんな葛藤を感じて吐露しているのがプロジェクトの仕掛人の1人でもあるあさのまさひこさんで、アーティストのオタクへの挑戦をガレージキットの側へと翻訳して語る一方で、ガレージキットの世界をアートの世界に理解させるために動く媒介者としての役割を表面上は演じ、様々に苦言直言を呈しつつも、実はしっかりと戦略的に、内なるオタクな部分への葛藤を、「オタク自身の快感原則のためのカリカチュア」としての「プロジェクトKO2」の上に、実体化させそれがオタクに売れていく様も含めて観察し、理解しようと務めている事が解る。なるほどねえ。

 難しいのはそれをやってしまったあさのさんが、純粋まっすぐなガレージキットのジャンルからはみ出て、高みとも斜めともつかない場所へとズレてしまってはしないかと、そう見る人がいる可能性がる点で、もちろんすべてが同一方向のベクトルを持ったガレージキットに新風が起こるのを良しとするのも可能だから、是非は今はちょっと問えない。どっちつかずはどっちでもあると、行ってアートもガレージキットも包含できる概念が出てくれば、どっちつかずな自分としては蝙蝠みたいな気分を味合わずに住んで良いかもね。「ワンフェス」では買いのがしたけど「セカンド・ミッション」、4月のパルコの村上さんの個展であさのさんの手が入ったバージョンが発売されるとか。それはそれでどんな答えが出ているのか、興味のあるところなんでちょっと欲しい。けど第1弾のコールドキャストも欲しいしなあ。「めぐ」もあるしやっぱり夏のボーナスは、無いな。

 ざけんな日経。夕刊で「ダイエー、リクルートを売却、ホテル事業も売却」なんて記事が日経の夕刊にデカデカと載って会社は上を下への大騒ぎ。本当だったら流通なんて無関係な僕が暇そうだったから(暇だったけど)と記者会見に行かされて、最前列に陣取りテレビ東京のカメラを背中に気にしつつ、のぞんだ発表では「リクルートは売りません」「ホテルも売りません」ってな見出しで言うなら3段は格が下がる他愛のないリストラ策しか好評されず、思わず心で(誤報じゃん)と叫ぶ。まあ一切を触れずにいた新聞の人間がそう叫ぶのは筋違いなんだろーし、将来がどーなるかは誰にも解らないけど少なくともその時点では結果として間違いを伝えたって事だから、1読者としてはやっぱり怒っても良いんだよね。別に自分でとってる訳じゃないけどね。

 誤報ついでに報道だと中内功社長の子息でプリンスだった潤副社長が辞めるなんて記事になっていて、会見でただすと何のことはない常務に降格となってそれでも経営企画室長は辞めずにリストラと建て直しに邁進することになるんだと。これで責任と取ったと言える会社の実にハッピーラッピーな事だよと、頭をオレンジにして浮かれてみたくなる。リクルートに関しても「売る」なんて言えば買いたたかれるのはオチだから、まだ欲しそーな顔を見せておいて高値で売るって手も考えられない訳じゃなく、また辞任といっても副社長の要職を、であって取締役からとは書いてないと言い張られればそうですかと引っ込むより他になく、このあたり新聞ってやっぱりズルいなあと、言ってるそばから似たよーな記事を書いて出さざるを得ない、そんな事大主義バリバリの新聞はやっぱりメディアとして滅びて行かざるを得ないのかなー。


【3月24日】 木城ゆきとさん待望の長編第2作「水中騎士 Volume1」(集英社、800円)を買う。登場する女騎士の乳がでかいのがちょっと嬉しい1冊は、まるで潜水服のよーな甲冑を纏って水中で戦う騎士の存在する世界を舞台に、盗まれた光の玉を取り返すべく玉を守っていた国の残された王子(ってことになるのかな)と漂着したなりたての騎士の姉ちゃんが、死神の騎士のバックアップを受けてさあこれから旅立つぞインダストリアへ、じゃないどこかの国へってな展開になっていて、作風画風だけなら童話っぽかったり少年漫画っぽかったりする健康優良児的ほのぼのとした展開の中に、ハードな剣技や生と死に関する哲学なんかを盛り込んで、ポップな味とハードな味で口中を満たしてくれる。次巻がいやはや楽しみだけど、せっかくでかいんだからもちょっとエロスも欲しいとこ。

 山本賢治さんって人が前に「COMICガム」に連載していたらしー「ラジカルフィスト」(ワニブックス、900円)を買う。登場する格闘めちゃ強い女の子の乳がどでかいのがとっても嬉しい1冊は、格闘で最強の者こそが生徒会長になれる仕組みの中であまりにも強大なパワーを発揮してあっとゆー間に生徒会長になってしまった主人公の姉ちゃんを、襲うさまざまな危機が最後には親娘との確執へと至り地球を救う話へと昇華する、いったいナニが何やらさっぱり解らないけど壮快感だけはバッチリ残る痛快無比なストーリー。無駄な大見得などなく1発のパンチと1回の蹴りで決着の付く格闘シーンは、1つのパンチに16頁も使うよーな往年の少年格闘漫画へのアンチテーゼかそうでないかはともかくとして、読者もこれから読者になる人も、大宇宙極ってな史上最強っぷりを名でも現す主人公の、迫力のパンチにキックにパンチラを心ゆくまで堪能せよ。髪留めのオヤジにジジシに星になってしまったエンディングの落ちて無さも大宇宙級。読め。

 柴田亜美さんの激烈ゲーム屋探訪漫画「ジャングル少年ジャン番外編 2」(アスペクト、950円)を買う。登場する柴田あーみんの似顔絵ってーか自画像の乳がいくらでかくっても巻末の邪悪っぷりに溢れた写真によるご尊顔を拝するとをそれほど嬉しく思えてこない、なんて心で思う。まあ接触もないから良いけど。乳は飽きたから戻して真面目に森博嗣さん初のエッセイ集は「森博嗣のミステリィ工作室」(メディアファクトリー、1300円)は、236頁に登場する萩野真さん画による森さんの奥さんのささきすばるさんのイラストの乳がでかい(飽きたんじゃないのかい)。蝶のパンツもラブリーで、こんな写真がお宝で出たら果たして幾らの値段が付くんだろーかと妄想する。それはともかく小説じゃなくても文体の切れ具合キレ具合はオリジナルな雰囲気があって、昔の文体を知っていた萩野さん山田章博さんらが小説を読んでピンと来たってのも頷ける。

 「数奇にして模型」でも登場した鶴舞公演にある名古屋市公会堂を根城に行われたとゆー「コミック・カーニバル」(コミカ)には1度だけ行ったことがあって噴水の側を巨大なチビ猫が歩いていたのを見て「これがコスプレか」とショックを受けてやっぱりはじめた花一匁に「やってるぞやってるぞ」と驚き慌てた記憶がかれこれ20年近くを経ても鮮明に残っているけど、森さんその「コミカ」を牛耳るエラい人だったんですねえ。当時に果たして森さんのMori Muku名義の漫画を読んで、単行本に掲載されている作品から類推するとそのあまりの線のたおやかさ物語の繊細さに、ラブコメ全盛に育った頭では理解及ばず好きになれなかったかもしれないけれど、持っていたなら自慢の1つも出来たかもしれないと思うと、歳こそ違え同じ地域でかすりくらいはした時期があってなお知らず通り過ぎてしまった事に、いささかの悔恨を覚える。ヌード写真があったとかゆー頃のすばるさんを見れたかもしれないし。


【3月23日】 どっかのインタビューを読んである程度の予想はしていたけれど、いざ葵クンに「あたしよりおっきい」のがついていて「アレがついていない」ってな状況が到来したのを目の当たりにすると、単なる脳天気SFコメディじゃないって監督さんとかの言っていた事もいよいよ本当に思えて来て、次週の最終回への期待もムリムリ高まって来ますねえ「宇宙海賊ミトの大冒険」。見かけのドタバタ感とは裏腹な設定の結構ハードっぽい味わいへのシンパシーが、例えばどーして学生服を着る時に本人気が付かなかったの? ってな疑問の前にちょっぴり減殺される気もしないでもないけどね。

 それでもまあお話は勢いって事で、エンターテインメントの前には少々の都合主義も構わずぶっ飛ばすのが、結果として視聴者的にも受け入れられるってもんでしょー。おそらくは蔭朗さんの正体も明らかになって睦月と葵との関係にも何らかの展開があって未だ性的に分化してない爛磐との関係にも進展が見られるであろーと勝手に想像している次週、大きいのがついててアレのついてない葵ちゃんにいかな大団円が訪れるのかが、今はとにかく徹底的に楽しみでい。1週間、早く過ぎろー。

 本紙既報どおり(ってちょっと尊大)に産経新聞は13日付から文化面の匿名コラム「斜断機」が実名コラムに変わり、東京新聞の「大波小波」と並んで文壇論壇のケチつけ足下すくって時々腹立たしい事もあったけれど大抵は大いに溜飲を下げてくれた名物コラムが、さてもどんな変貌を遂げるのかと興味を持って見ていたけれど、案の定と言うかそれ以上に個人的には酷い状態に陥っていてヘキヘキ、違った辟易。

 何せしょっぱなの13日に掲載されたのが、「自衛隊の人権は?」ってタイトルでダイオキシン汚染の恐れが言われた埼玉産の野菜を自衛隊に買わせようって言った官房副長官の言説に異論を唱えた内容。それはそれで良しとしても中に兵隊が大事にされた結果を現す意としてか、北朝鮮の兵士を「命果てるまで任務遂行に邁進する。その”忠誠心”たるやっかつての日本軍兵士をみるよう」と冗談とも前置きせずレトリックにもなってない文脈で言ってのける、その愛嬌の無さにはほとほと参る。

 こっれっだっけっならまっだいいが(トーマス兄弟風)。続いて掲載されたのが広島の高校が韓国に修学旅行に行って謝罪を行っていた事をただす「『謝罪旅行』の思い違い」、でもって先週末からの3回が「レイプ・オブ・南京」を糾弾する「誇り奪うニセモノ」に戦後処理に関する日独の違いを言い立てる人々への反論を旨とした「『ドイツに見習え』に疑問」に「日の丸君が代」に「軍国主義の復活」とケチをつける中国を叩く「日本の『軍国主義』とは?」と続く。いったいどうーなってるの!?

 もちろんそれぞれについてこれらの意見を全否定する訳じゃなく、中には頷ける主張もあるにはあるにはあるにはあるにはありそうな、気もしないでもなかったりしちゃったりするけれど、これはこの際脇においてどーして「文化面」に本籍を置く、かつては論壇文壇に果敢に切り込み権威をおちょっくて人々の溜飲を下げさせたコラムが、こーも同じ根っこを持った同じ傾向の人々による、別にここで言わなくたって良いよーな話ばかりにならなきゃいかんのか、ってな疑問がただ浮かぶ。

 もはや斜めに断じるなんてレトリカルな主旨など存在しないコラムには、例えば「小(サイズが)正論」とか「私の主張」とかってなタイトルの方が相応しい。紹介される書籍にも同根の類書が頻繁に混じるよーになった今、かつての連日書籍を紹介し続けエンターテインメントへの目配りも聞いた「面白い文化面」の存在していた産経文化は、もはや自分にとって何の魅力も持たないセクションだ。はなっからお呼びじゃないけれど、呼ばれたって今ならあんまり行きたくねー。

 新宿は「ロフト・プラスワン」で殺人についての討論会。7時に入ったらたった1人しか客がおらず、心配していたら時間になっても集まったのは30人くらいで過去に通った「ロフプラ」では最高の余裕のある観覧となったのは、ホストが「パリ人肉事件」の佐川一政さんプロデュースによるシリーズの、「殺人のヒエラルキー」ってなタイトルの出し物だったからなのかな。ちなみにメンバーは特殊翻訳家なのに映画評論家と紹介されていた柳下毅一郎さんと、劇作家の山崎哲さんと、オウム教団の荒木広報部長を追ったドキュメンタリー「A」の名前を失念監督さん。これに佐川さんの4人が並んで「殺人に優劣はあるのか」ってな感じの討論をアレコレしていた筈なのに、何故か途中から「オナニーが」「セックスが」ってな話に行ってしまったので適当に辞去し、電車も無くなりそーだったので新宿駅からさっさと引き上げる。

 もちろん最初は例の脳死患者からの臓器移植問題に始まって、山崎哲さんあたりが脳は死んでいてもまだまだ元気にピクピクと動く心臓を取り出す医師に、もしかすると「殺人」との意識はあったかもしれない、あるいは家族が患者の脳死を死として受け入れ移植にゴーサインを出すその思考に「殺人」との意識はあったんじゃないか、ってな導入を経て、死がかつての神の領域から人間の領域へと降りて来ているとの論考を展開し、かつ「和歌山毒カレー事件」やら「地下鉄サリン事件」やら「酒鬼薔薇聖斗事件」やら「M君事件」を例示しつつ「死」への畏敬なりが存在しない世代が存在し初めている、それってどういう事なんだろうってな疑問を提示して話を進める。

 柳下さんは、ここに上げた犯罪の犯人たちが人間の先天的か後天的かは別にして持ち得ている「死」への倫理的あるいは法制度的、社会的な規範を越える「訓練」を経れば殺人だって行えるんだじゃかろーか、ってな雰囲気の事を言って山崎さんあたりの「訓練」とゆー言葉に対する反感と対立していたよーな。まあ「訓練」が「洗脳」が「刷り込み」であっても後天的な要素である事に違いはなく、年齢差のある双方の議論にそれほど隔たりがあるとは思えなかったけど。途中で山崎さんがマンソン事件を説明する柳下さんに「カルトとか洗脳とかって言葉を使わずに説明してみろよ」と大きな声で言った場面は、キレまくった2人によって議論が白熱するんじゃないかと、見ていてドキドキした。殴り合って、勝てたかな。

 むしろ個人的に知りたかったのは、「どうして人を殺してはいけないのか」という「殺人」を「悪」とする感情心理知識が、一体いつ頃どうやって人間に醸成されて来たのか、その背景にあるのは法律で罰せられるから嫌だって事なのか、ヌルヌルとしたものが飛び出るからグロくて嫌だってな事なのか、殺した相手の家族が哀しむから嫌だって事なのか、それとも自分の家族が犯罪者の親戚と冷たい視線を浴びるから申し訳ない、とかいった理由なのか、ってな点。

 それらを逐一検証した上で、だとしたらこうした感情心理知識を醸成される機会を得なかった人たちは、「殺人」を容易にやってのけるのだろうか、もしかしたらあっけなく殺人をやってのける若い人たちは、洗脳なり訓練によって乗り越えた人々とは異なる背景を持った、新しいタイプの「殺人者」なんじゃなかろうか、ってな事を殺人の専門家(って言っても良いのかな、1人は実践者である事に間違いはない訳だし)に実は語って欲しかった。こればっかりは今の常識に生きている自分には、想像は出来てもその想像にリアリティー付与することが難しいから。

 けれども美大から来たって女性が「阿部定ってどー思います」と聞いて、「自分は相手を殺して食べちゃいたいと思ってるんですよ」と発言したあたりから、話こそ艶っぽくなったけどタイトルからはどんどん外れて最後は冒頭の23歳までオナニーしなかった発言とか、さっきの美大生の「私は佐川さんを殺せます」発言(佐川さんが望んだら、とかって仮定の上での発言だけど)とかが出たりして前後上下に揺れまくり、ときどき質問が挙がっても「マスコミの報道が画一的」とかいった本来の「殺人する気分」とはちょっと離れた部分に流れてしまい、緊張はほぐれたけれど同時に気も外れてしまった。

 公衆の面前で同等と佐川さんを「殺せます」と言い切った女性に、そうすると自分は死刑になるかもしれないよ、とか殺した相手の家族が哀しむじゃない、とか自分の家族が後ろ指刺されるぜ、とかいった一般的に思いつく「殺人」を制約する要因を並べて示して、「それでも殺れる?」と聞いて追いつめて欲しかったけど、服装は緑色のまるで我が家のコモドドラゴンみたいに派手でも、顔立ちスタイルは美人っぽくって場の盛り上げに役だったから、まあ良いって事なのかな。

 何やら巨大なリュックを横に置いていたみたいだし、中から「実はさっき殺して来ました」と死体の1つでも出して来てくれれば、それはもう最高なストーリーが描けたけれど、流石にやっぱり良識に生きる俗世の人々、そこまでキレてる人にはなかなかに普通ではお目にかかれません。別室で佐川さんとツーショットして喋っていたし、あるいは今晩あたり佐川さんを面前で食べて見せてたりして。先に返って損したかもなー。


【3月22日】 今や存在すらが幻と言われ、生産が軌道に乗って来る今年の夏頃までは例え予約したって絶対に手に入る事はないだろうとも噂され、本体のみならずフィルムすらも品薄が続いて700円のパックが実に3000円を越える値段で取引されているとの観測も飛び交っている富士写真フイルムのインスタントカメラ「チェキ」と、形状はおろか使い方も使うフィルムもそっくりながら色がちょっぴりブルーで可愛くシールもおまけについて表示も日本語な、タカラの「ポケピィ」(11000円)をフィルム共々日本橋は高島屋の玩具売場で見つけて狂喜乱舞し早速ゲット。持って帰って自宅に居着いているコモドドラゴンを撮影する。こいつです。でかいでしょ。

nekote  コモドドラゴンのデロンと這っている場所が枕の上で横に積まれたのが本、って事はつまり毎晩頭上にはるか2メートルもの高みへとそびえる本の山を見ながら眠っているってのは実に誇張でも何でも無くって事実だとゆー事がお解り戴けた事でしょー。ついでに本の大きさから見てコモドドラゴンの大きさも類推して戴けるって事で、30ドルとゆーお値段にしては質的にも量的にも(って言い方が正しいのかな)お得な逸品だともご理解戴けた筈。問題は買ってわずかに1週間も経たずして、この本で溢れ返った部屋のただでさえ狭いスペースを食う邪魔者へと成り下がっている点で、今はまだ寒いんで布団の上に載せて夜もぐっすりと眠る(ときどき夢も見る、竜に頭からかじられる夢を)事が出来るけど、夏になってクソが付くほど熱せられた部屋では流石に縫いぐるみを抱いて寝るのはキツいかも。とはいえそうそう邪見にしては夢じゃなくっても食われかねないんでとりあえずは狭いのを我慢して買い続ける所存。そのうち気分が向いたらイキナリどっかに送りつけちゃるねん、覚悟しいや。

 戻って説明すればタカラの「ポケピィ」は別に真似しんぼ商品じゃなくって正真正銘の「チェキ」といっしょのタカラ版インスタントカメラ。聞くところによれば「チェキ」の登場時に目をつけて子供向けの写真遊び玩具としてタカラブランドで発売したいと交渉をはじめた関係で、市場で超絶的な品薄状態が続いて富士写真フイルムが全国的にペコペコとカメラ屋さんにおじぎして回っても、最初にツバ付けたタカラさんからのニーズを断るわけにはいかず、この時期での全面的な表だった派手な宣伝もない中での玩具流通だけのコッソリ販売になったとかならなかったとか。もちろん玩具流通に「ポケピィ」が出ているからといって品薄状態が解消されてカメラ屋さんに「チェキ」がドバッと出回るなんて事はなさそーだから、探して探して死んでも欲しいとゆー人は、お近くの百貨店売場を回って「チェキ」じゃないけど「チェキ」な「ポケピィ」を買うのが手だね。

 ってもすでに発売の18日から5日は経っているから残っている所もあるいは存外少ないかも。フィルムも一緒に売られているケースが多いみたいだから同梱の1本だけでは不安って人や「チェキ」はあるのにフィルムが無い、って人もそっちを探すのが良いってことでしょー。でも個人的には「チェキ」な人がゴッソリとフィルムを買い占めちゃって「ポケピィ」組に回らない、あるいは「ポケピィ」組が「チェキ」な人なんて来ないで、ってな感じで対立するnは嫌なんで、そこは大人(「ポケピィ」は子供の玩具だけど)の気持ちで皆さんフィルムは大切に使いましょう決して無駄なコモドオオトカゲと撮って披露するなんて使い方はしないよーにしましょー。ちなみに一緒とは言っても「ポケピィ」はレンズが出る時の音だたか小さくなっていから速度だったかがアップしていか、とにかくちょっぴりな改良も施されているんで、「チェキ」を探して3万里な人でよ=やっと「ポケピィ」ゲットに成功した人は、後出しジャンケンに勝利した高笑いな気分をきっと味わえる事でしょー。ハッハッハ。

 見たぞ「ジャコビニ流星打法」、見付けたぞ「3段ドロップ」、そして遠からず見られだろう「スカイラブ投法」などと歓喜に溢れて逆立ちも持さない心の臓の高ぶりは、昭和40年代後半の「週刊少年ジャンプ」を、いやさ日本の少年漫画シーンを興奮と熱血の渦に叩き込んだ、稀代の名作野球漫画「アストロ球団」復活を知った30代から40代のかつての漫画少年の、およそすべてに共通する現象なのではなかろーか。だって太田出版からいよいよ待望の復刻が始まった「アストロ球団 第1巻 ブラック球団編」(1900円)じゃあ、あのスカしたっぽい庵野秀明監督が実際はどーだたっかはともかく文字面では熱い思いを解説として語り下ろしているんだぜ。血と汗のあふれた野球漫画が何故に人々をこうも惹きつけるのか、理由は読んでもらえば一読瞭然、何故って「アストロ球団」真面目にひたすら熱いから、なんですねえ。

 思えば「巨人の星」よりもいち早く接した感のある「アストロ球団」で繰り広げられる、人間じゃない超人たちが高く飛び早く走り盲目でも打ち守り走り投げれば3段にドロップが落ち打てばヒビだらけのバットの破片がボールと一緒に飛んでいく。超人ではない執念に萌えた男の投げたボールはバットに当たった瞬間表面を這い回ってグリップへと向かいエンドで跳ねて打者の眉間を貫くし、打ったボールが正確なスピードと岩をも砕く破壊力で投手のフトコロへと向かっていく。人だって死ぬ。1巻ではとりあえず1人だがクライマックスを飾った「ビクトリー球団」との試合ではそれはもう精神的肉体的に何人もの言ってしまえば野球な兄ちゃんたちが血を吹き血を吐き血を流してバタバタと死ぬ。死んでもバットを話しませんでした的道徳なんておちゃらけでしかない、壮絶な闘いの描写は熱血なんて嘲笑をいささか含む言葉を軽く粉砕し、読み手をその”ワールド”に取り込みそして話さない。

 すでにして莫迦莫迦しいまでに迫力と死力の溢れた試合の続いた「アストロ球団」が、毎月1冊くらいのペースで5巻まで一気に刊行されて、ラスト近くのバロンの、大門の壮絶な闘いぶりに再び見えることが出来るその嬉しさ楽しさが、世紀末も来年に控えた1999年、でもってアンゴルモワも間近なこの3の月が、滅亡へのフィナーレなんて心配を軽くそれこそ紙切れみたいにはるかアンドロメダへと吹き飛ばす。書いてないから未定なんだろーけれど3の月から順に1冊づつ5冊だったら最終巻は7の月の発売ってことで、あるいは「アストロ」こそがすなわち世界を再びの興奮の渦へと叩き込む、恐怖の超人たちだんのかも。しかし今時の若者が沢村栄治の生まれ変わりなんて言っても有り難がれるのかなあ昭和29年9月9日生まれの超人たちって今年45歳だもんなあ時代の断絶を越えて再びの超人旋風を巻き起こせるかなあ。


【3月21日】 時差ボケも重くはないけど残っているみたいだし明日は休日出勤なんで今日はグッスリと家で休もう、何て甘っちょろい事を言っていたらブンヤ稼業は勤まらないと朝も8時に起き出して幕張メッセは「東京ゲームショウ’99春」の会場へと向かう。開場までまだ1時間以上もあるのにメッセをグルリと取り囲んだ人の列列列にしばし唖然。加えて秋にはそれほどでもなかった「キッズコーナー」に並ぶ小学生の列が第8ホールから第1ホールまでギッシリと繋がり、こっちならサッサと入場できると知った子供の勉強の成果と想像する。家族連れでも楽しめるっぽいイベントにする為の「キッズコーナー」と、ちょっぴりかけ離れてしまった観も否めないけど、未来の大ユーザーに媚びておくのもゲーム業界必要ってことで、絞らず次回も続けましょ。

 適当に見知った人に挨拶してから場内を散策。印象では意外と(失礼)「ドリームキャスト」向けのタイトルがあちらこちらに出て来ていて、それなりに盛り上がっているよーに感じられた。目玉が無いのかナムコなんて予想どおりに「ソウルキャリバー」のDC版をブースで大々的に展開してたし、他にも例のオレンジ色のマークがチラチラとのぞいていたし。カプコンは「パワーストーン」「バイオハザード」以外にも「マーヴルVS.カプコン」に「ストリートファイターZERO3」に「ジョジョの奇妙な冒険」なんかがDCのラインアップに入ってて、何だアーケードの格ゲーの移植かよ、ってな点だけ除けば(除けるか?)タイトルも増えてそれなりに楽しめそー。

 マイクロネットって名前の会社のDC上でロボットのスペックとか動作を細かく設定してやって、「バーチャロン」よろしく格闘ゲームみたく戦わせるってな内容のシミュレーション&格闘ゲームがあったけど、登場するロボットの形が足の作りとかも含めてFSSのモーターヘッドにそっくりだったのが何だか。ハドソンはランラランなほっけも食べたい「北へ。」が大人気でブース前に近寄れずゲストのライブなんかは断念する。あと新作では「エレメンタルギミック」ってアクションRPGも出すみたいで、他にもボツボツと目立ちはじめた面白そうなDC向けの新作に、早CDプレーヤーと化している我が家のDCの再起動も近い事をちょっとだけ確信する。とりあえずはイクラも食べたい「北へ。」だな。

 SCEが「次世代プレイステーションに関する展示はありません」と看板に書いて出していたの は期待していたファンには残念だったかも。別にまんま発表会でのデモを再現しろとは言わないけれど、デモの映像だけでも流せばたとえそれがインタラクティブに操作出来なくたって、絵だけですげえと思わせこれなら渦巻きなんて目じゃねえと確信させられたのに。まあ今やってる商売をとりあえずは大事にするって事なんでしょー。物販コーナーは長蛇の列で「デ・ジ・キャラット」関連グッズの入手は早々に断念。ブース横で荷物整理していたコスプレの「デ・ジ・キャラット」の脚部腹部容色その他の相当な無理があった事は社長さんには言わないでおこー。それともあるいは納得づく? だとしたら世界を制覇なんて(ゲマちゃんに暗殺されるから以下自粛)。

 通路も平気でコンパニオンに触れるくらいに混雑して来たんで(やらないけど)退散し今度は東京ビッグサイトで開催中の「’99東京おもちゃショー」へと向かう。降り立った国際展示場駅は「コミケ」「ワンフェス」で見慣れた長蛇の列もなく、アッサリと入場できて玩具ってもう子供たちの心に届いてないのかなー、なんて考えてフクザツな気分になる。玩具ってやっぱりゲームに食われて下降線、なのかなあ。

 がしかし。甘いも甘くしっかりと子供に玩具の声は届いていたみたいで、例えばトミーのブースの場合、ブースの入り口から出た行列がホールを出て廊下に伸びてそこからさらに通路を最奥まで迂回した後に反対側のホール際まで繋がって、たかだかブースに入るのに20分は待ちな状況が出来ていた。<まあこれとて「ポケモン」ってゲームあるいはアニメ人気の恩恵なんだろーけれど、全盛だった時期でもあんまり見られなかった行列は、「ファービー」も含めて楽しく頭も良くなる、かもしれない玩具がやっぱり子供に良いって事が広まりはじめた現れなのかも。この不景気に休日を遠くに旅行なんてもったいないと近場で抑えたお父さんお母さんが増えただけだとしても、再認識が購買へと結びつけばちょっと嬉しい。

 同じく行列の出来ていたバンダイのブースでは例の「カードキャプターさくら」の杖にショートバージョンが値段も2980円と低価格での登場で、これにはちょっぴり髭奮わせるオジサンも沢山出そう。別の会社だったけど同じ杖が空気を入れるビニールで出来ていて、ことれもなかなかの出来に夏コミあたりは長さ制限をクリアしてるか不明だけどショートバージョンを振り回すさくらちゃんが増えそうですね。個人的には魔法物でも「おジャ魔女どれみ」の「ペペルトポロン」などれみのステッキ、あいこ&はづきのバトンを振り回す女子に沢山出てきて欲しいんですが。

 「たれぱんだ」関連が食玩でも登場! 5種類のお手玉たれぱんだ(すあま付きもアリ)が用意されてる「おてだまたれぱんだ」(300円)を筆頭に、ソフビ人形付きの「たれぱんだぐみ」(150円)とかスタンプ付きの「たれぱんだちょこふれーく」(180円)とか、とにかく色々あり過ぎてこうまでのめり込んでしまって大丈夫かとの心配もちょっとだけ抱く。ほら例の図に乗って作りすぎて今じゃワゴンで300円な携帯ペットの例もあるし、流行って移り変わりが激しいからね。食玩だと3種類のフィギュアが用意されてる「さくらキュートヒロイン」が個人的には要チェック。「ゴーゴーファイブ」は現場の5人を出すよりみやむーを出せ。

 バンダイな期待すべきか不安視すべきか未だ判然としない「逆A」な奴が超合金として登場。シド・ミードのデカい頭にちっこい目、でもって丸くそったヒゲが立体のモデルだと頭ちっこく目はやや大きく、ヒゲもストレートに横とゆーより斜め後方にピンと伸びて、すでにしてカッコ良く見えてしまうのはつまりミードのデザインがそれだけアレだったって事なのか。しかしやっぱり男だったら買うのはこれだね「まろんのヘアメイクしましょ」。そうあの「神風怪盗ジャンヌ」の主役、日下部まろんの胸像で、自由な髪型を試せるって美容師さんの練習にはピッタリかもしれないかつてない玩具だ。まろんがジャンヌの金髪になるかは解らないし、大きさも実物見なかったんで不明だけど、垂れ下がった髪に隠れた胸部のあるいは膨らみは、髪よりもいろいろといじり甲斐があって楽しそう。4980円。カセット仕込んで声も出るよーにするか。アーンとか。

 おバカ玩具ではメディコム・トイに「キラーコンドーム」のトコトコ人形が色違いで2種類あってなかなか。後はキューブのブースで見かけた「明和電気キーホルダー」(兄弟がセット)にブリスターパック化された「魚コード」(3980円くらいだったかな)にそして「サバオ」ストラップだ。説明してくれたお姉さんが気怠そうに嫌そうに「ストラップに目盛りがついてて手首のサイズが計れるんだそうです」と言ったあたりが何だか明和入ってて面白かったです。ここん家はかの「ねこぢる」の縫いぐるみやら「クレクレタコラ」のグッズも並べていて、子供に夢な玩具の世界に思いっきり毒を持ち込んでいるのが印象的。「たれぱんだ」も見かけの可愛さとは裏腹にちょっぴり毒も含んだキャラだと思うんだけど。メジャー化してしまった故のサイクルの早さに呑み込まれない事を願います。

 開場を出て向かうは丸の内シャンゼリゼに「未完成品」と噂の「ガンドレス」を見に行く。入り口にはでっかい看板に「未完成品を見せるが途中で出て来たって金は返さん。ただし完成品のビデオはお詫びにくれてやる」って大意の文章が書かれていて、切符を買う時にも同じ事を言われてそれでも後でビデオをくれるんだったら1800円を払って映画館で見たってお釣りが来るよね、なんて考えて入場したらこれまたサッカリンがチクロ以上に甘かった。いやまあ別に未完成で所々色が塗られてなかったり塗ってあっても原画か動画か何かに適当な色を青いメカだったらその色でベタリと1色塗っただけだったりする絵が堪らないと言う訳じゃない。動画が足りず派手な戦闘シーンでまるでコマ送りのよーにメカが走ったりするのも適当なスピードで目をパチパチとやってやれば繋がって見えない事もないから我慢できる。

 冒頭でお好み焼きともんじゃ焼きを食べてる2人がはしやら小さいしゃもじみたいな奴をセッセと上下に動かしているのに、お好みももんじゃも全然減らないくらい、クスリと笑ってでもまあ本筋とは無関係だからそのうち直れば良いよねくらいに考えたい。敵さんの5人がこっちに向かって歩いてくるシーンのバストショットで後ろの4人は肩が上下するのに中央の男だけまるで動く歩道に載っているか車椅子で押されているかのよーに全然上下しないって事も、見苦しいけどやっぱり本筋とは無関係、無視しよう。せめて口パクと声を合わせて欲しかったけれどこれとて事情があるかもしれないんで突っ込まないし、見ている分の支障は絵よりも少ないから平気と言えば全然平気だ。顔が途中で変わる? そんなもん今のテレビシリーズじゃ常識だろ?(劇場では珍しいかも) 後で直ってれば文句はないさ。

 5人の女の子たち(うち1人は眼鏡っ娘、かつハッキングの天才)がメンバーで、社長も女性の一種の警備会社を舞台にした物語。うーん聞いた事があるが許そう女の子は生きているだけで偉いんだから。けどねえ、そのうちの1人がかつてテロリストの1員だった時に愛し合っていたリーダーが、死んだと思われていたにも関わらず再び現れて対峙するって中核をなす今さらな物語に、どうやって入り込めば良いんだか。

 彼女たちが再び現れたテロリストから守る武器商人ってのも子供を殺すような奴には武器を売らないなんておよそ非現実的なポリシーを振りかざすし、そんな武器商人を操っていた国家機密にも匹敵しそーな本当のワルの、要塞級のアジトに主人公の1人がサイバネとは言え単身乗り込んで行っては扉を開けるのに成功してしまう。戦国時代の城だって忍び込むには命がけ、なのにセンサーがバリバリな要塞に果たしてどうやって潜り込んだのかねえ。三角に尖った塔から走って飛んだとか。

 岸壁を使えないくらいに破壊してしまう船の大爆発の真横に居ながら生身の人間も含めて全員無傷だったりするのはまだ可愛い。警備会社のエンジェル・アームズ社と対立する警察の警部が同じナルトを何度も口に入れながらしつっこくラーメンをすすったりする描写は、まるで70年代80年代のアニメを見るみたい。そんな警部がいる部屋をバルカン砲みたな激しい銃器で撃って部屋は滅茶苦茶になっても警部は無傷だったり、大爆発のあった建物のマンホールに逃げ込んだ警部が服はボロボロになっても体には火傷1つ負ってなかったりするのは、もはや「絵が間に合わない」というレベルの話じゃないと思うがなあ。

 顔のアップのシーンとか、戦闘シーンとかにときどきハッとさせられる綺麗なシーンもあったんで、金にもならないビデオだけど一体どこまで補正が出来るのか、またして来るのかを今は待とう。ありきたりの物語だってレイアウトなり演出なりの見せ方1つで結構印象変わるもんだし。1800円出す価値のあるビデオに仕上がっていることをとにかく願う、期待はちょっぴり難しいけどね。


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