縮刷版99年12月上旬号


【12月10日】 「電撃アニメーションマガジン」の山が一段と低く見えるのはもしかすると挟まっている付録が少ないから、なのかもしれなと果たして気付いて良かったんだろーか「バレたか」ってな感じで「目からビーム」で焼き殺されてしまうんじゃなかろーか。明日にも万世橋の下に浮かんでるかもしれない困ったぞ恐ろしいぞ。しかし何故に「デ・ジ・キャラット」の部屋の中には巨大なソフトクリームの看板があるのだろーか、一応は「ゲマ」の寝床になっているみたいだけど寝るにはちょっと辛そうだしなー尖ってるし。をを「ジオブリーダーズ」のテレビCMを久々に見たぞ初めて見てあの耳に残るBGMを聞いてその当時は作品を全然知らなかったのに面白い、かもしれないとLDを買ったなー、えっと「トライガン」辺りのCMだったっけ、もう何年も前のよーな気がするってのは一重に時の流れの早さであろーか記憶の衰えるスピードの加速装置全開が及ぼす効果なのだろーか。

 真夜中にまどろむ頭で見た「エクセルサーガ」に「ブルージェンダー」は話が思い出せないから話すのはパス、でも「ブルージェンダー」は戦闘シーンとかハードになって来て面白味がググッと増している事だけは言えそーなんで絵がどーとか思ってパスしている人も一応は再チェックしといた方がいーかも、マリーンのお尻のプニ度も相変わず好調だし。そんなこんなで午前4時に寝て午前8時には起きて仕事へとちゃんと向かう、これぞサラリーマンとして月給を無駄にもらえる資格なのだと時間差攻撃バリバリな人たちに向かって吹聴しよー、でも本当は僕だって午後まで夜まで1日じゅう寝ていたいんだ、妙だけどオモしろい別件あN仕事とか結構あれこれありそーなんでいっそこの際スッパリ夜の部へと突入するか? いやいやまだまだ世間的には無名でマイナーで年末恒例の年間ベストのアンケートとかの類の依頼なんて一切来ないアマチュア本読み人(これとゆー特定分やがないのがマズいのかもなー)、研鑽し研磨してピッカピカになって来年こそは1Aから出来れば3Aあたりまでは上がりたいものですね。

 料金の払い遅れで通話が止められてしまっていて、機種変更を受けてもらえなかったってな辱めをDDIポケットより受けた恨み骨髄も、思い直せば単純にこっちが悪いってことが分かったから(思い直さなくたって悪いよ)、気を取り直して通話可能になった所で再挑戦して長年使った(2年?)「たまぴっち」をパナソニック製の「H”(エッジ)」へと切り替える、フリップ式のは使うのが面倒っぽかったんでプッシュダイヤルのちゃんとむき出しになっている奴。うーん前も軽いなーと思っていたけど一段の軽さが進んでいて、けれども携帯電話の軽量化も著しいんでPHSの手軽さってのがだんだんとアドバンテージになりにくくなって来ているなー、僕的には。電話帳をすべてパーにされて分からないんで数少ない(ほとんど皆無)当方のPHSつながりな人は同じ番号なんでPメールでも送ってちゃっちゃって下さいませ、番号覚えさせますによって。

 翻訳家さんいらっしゃい、と桂三枝さんは言わなかったけど(古過ぎるぅ)、翻訳家になりたい人なれそーな人をまとめて面倒みちゃいましょ、ってなプロジェクトがネット上でスタート。アルクとアイディって英語とか翻訳とかに関わってる会社が立ち上げた「TranNet」ってのは言うなれば「翻訳家オーディション」って形態のプロジェクトで、出版社がこんな本翻訳して出版したいんだけどって依頼すると会員に対して一部を訳させる試験を実施、そこから「これだ」と思った人を選んで今度は本当に翻訳してもらうってことになるから、ネットから一気にリアルワールドへのデビューを果たすことができる。下訳とかリーディングの仕事も紹介しれもらえたり紙媒体に限らずCD−ROMとかってのデジタルとかネットワーク関連コンテンツの翻訳依頼もあるとかで、もちろんタダじゃなく受験にも入会金や年会費とは別にエントリー料とか審査料みたいなお金が、応募料として1作品につき2000円必要なんだけど、どーやって翻訳家になるんだろー? って悩んでいる人に分かりやすい(審査のプロセスとは見えないけれど)システムを提供することで、市井の優れた翻訳家を拾い上げ、また翻訳家の量的向上を図ることで、質的な向上も果たされて良書の翻訳書がどんどんと出てくるよーになれば一挙両得ってことになるかな。どっちにしたって試験の問題すら読めない僕には一切の無縁でしかないんだけど、って自慢できんわなー。


【12月9日】 なおもしつっこいけれど面白いなあ「デ・ジ・キャラット」はヘンな奴等ばっかりこの店には集まるってな身も蓋もない実は事実を、おそらくは番組を見ているその店に集まってるヘンな奴等(もちろん僕もだ今朝も寄ったぞ招き猫は売り切れなのかな画集予約しなきゃ)に向かって堂々と言い切ってしまう辺りの割り切りぶりがマゾヒスティックに心地よい。ホントはそこで自虐ってたらいかんのだろーけど、冬の時代氷河期の時代絶対零度の時代を耐えて来た中年オタクはそーゆー態度が根っこの部分にどっしりとこびりついているから仕方がない。反発しつつ地位向上をって言えるのは若い人たちの特権だから無責任にも頑張ってと言っておこう嗚呼無責任。しかしゲマよく膨らむなー。万世橋から落ちたらドブ臭いだけじゃー済まないよーな気もするけれど。

 早売りで買ったアニメ雑誌ではやっぱり好きなのかにょ、なメディアワークスの「電撃アニメーションマガジン」が見開きでドン! 設定集をバン!! と派手に展開していてくれて、ちょうどアニメが始まってあのテンションの高さのヒミツはいったいどこにあるんだってな疑問に、桜井弘明監督へのインタビューなんかも掲載して全部じゃないけど答えているから為になる。ぷちこの「普通の人でいたいなら見ない方がいいにゅ」ってのはまさしくそのとーり、でも既に普通じゃないから見ても良いんだ我が輩は。アニメ雑誌だと後は「アニメージュ」が豊島ゆーさく(U作じゃないんだね)さん描く「あふれこせんにゅー記」で大特集、集まって来ているスタッフの例えばコンテの佐藤達雄さんとか声優の南央美さんとか音響監督の田中一也さんとかってな超豪華ぶりが判明し、加えて彼らの気合いの入りぶりも伝わって来て今後の展開にますますますます期待が持てる。っちゅーか期待し過ぎてし過ぎることはないね。

 女性キャラのバストショットが続いていた「電撃アニマガ」は自社物でかつ周囲の期待も高いだけあって「ブギーポップ」からブギーポップと宮下藤花の2人(ひとり?)をフィーチャー、うーんブギーポップ何か顔が目つきと口元が妖艶、ふーんこんな顔するんだ。あとチラシなんかで背後に見えたニセブギーポップが「ブギーポップ・ファントム」とゆー名前であって、かつ中身がマンティアコに食われた百合原美奈子らしーってな記事が掲載、記事では「滅ぼされたはずなのだが」ってあることはつまりアニメは「笑わない」以降の話ってことになっているのかな、それとも同じキャラでも違う物語を描くってことなのかな。記者会見で上遠野浩平さんが無茶苦茶にして欲しいってな発言をしていたことも考え合わせて、名作傑作の言葉も足りない「パーフェクトブルー」の騙し絵のよーな展開を見事に構成し切った村井さだゆきさんの腕前に期待したい。実写の方の伝わってくる評判があれやこれやだけど、アニメはさてどーなってるんでしょー。

 本のコーナーがモノクロに移ったけれど量は同じで少なくとも来月もありそーだから探してみて下さい、その次はさてはて。「某インターネット上で『作品も発表しないのにチャリで豪遊しているアニメ監督』と揶揄されたらしー(だから僕じゃないってばぁー)北久保弘之さんの記事はちゃーんと続いているから安心あんしん、しかしやっぱり自転車乗ってるなー。残る購入したアニメ誌の「ニュータイプ」の乗ってる「MACROSS 3D」ってのはいった何だろー、バルキリーとかに関しては3Dの楽しさが見られそーだけどキャラクターが「FF」「クロノクロス」系の顔立ちだっったりして、ギクシャク動くかモーションキャプチャーによってなめまかしく動くかは現時点では不明だけど、メカメカな迫力を活かしたために人間の部分と違和感がバリバリってな映像にはあんまりなって欲しくないって気が。その辺りはCGで研鑽を積んでいるゴンゾなんで大丈夫でしょー、しかしこれで幾つ動いているんだ国産フル3DCGアニメ、でもってどれだけ完成するんだ国産3DCGアニメ。

 CM総合研究所ってところが発表した広告の芸術性でも先進性でもなく純粋に消費者にどれだけ届いて宣伝しているブツの売上にどれだけ貢献したかってな、分かりやすい基準で選ぶ今年度の広告を上から幾つか選ぶイベントの発表会をのぞく。1万4000だかの新しいCMが放映された中で上から1000を選んだ最高位に君臨した最も印象の高かったCMはサントリーの缶コーヒー「ボス」でクリントンが「ガツン」と言ったあれ。2番目もサントリーのKONISHIKIのウイスキーで3番目はリゲイン、4番目にもう1つサントリーが入ってて、佐治敬三死すとも「トリスを飲んで」以来のインパクトCMのサントリーってな美名は今も保たれ続けているみたい。出稿量でも世間へのイメージの高さでも決して低くはないと思っていた自動車業界で、1000社から選んだ40傑の中に入ったのがトヨタ自動車1社ってのは今の経済状態を反映したものか。但しトヨタのここしばらくのCMの面白さの頭抜けぶりは認めるに吝かじゃなく、さすがは天下を取った三河の会社らしい、とは絶対に思わないけどしかしトヨタの一体何がこんなに面白いCMを作らせているんだろー、謎は尽きない。

 せいぜいが30人くらいで12面以上ある編集誌面を作っている、築地にあるよーな会社からは想像も付かない環境にある新聞社から、例えば4人のベテランが辞めたとしよー。普通だったら「これは大変」と止めるなり風雲急を告げる事態と経営陣のみならず親会社をも含めて大騒ぎ、かつマスメディアにおける異常事態をかぎつけて最近はメディア叩きも辞さない別のメディアが調査に乗り出すのが普通のよーな気がしていたけれど、事態が判明して1カ月くらい経つのに浮き足立つどころか前にも指摘したよーに内には歩ばかりの将棋を辞さない構えを維持し続け、外では一切の関心も垣間見えないこの事態を、つまりは世間の関心ってのはこーゆーものなのかと自虐モードでいじける今日このごろ。皆さんお元気ですか、私は不穏気分です。

 火の粉の直接降り懸からない場所にいて、スキルアップにも繋がる仕事を楽しんでいられる今はそれでも安穏を外野席から面白がって事態の推移をながめているけど、どーせ遠からず降りからるだろー火の粉が見えて来るなり、あるいは去年から続く事業局事業部と編集局産業部の、およそ築地にあるよーな会社かでは想像も出来ない人事を拝命している状況が、膠着状態の今からいっそうの不思議な方向へと進展するよーな事態があれば、やっぱり考えさせて頂くしかないでしょー。刈り取ったあとを3年放っておいた田圃で稲が依然と同じよーに実るはずもなく、戻った時にはにっちもさっちもいかなくなっている可能性が高い以上、それでも良いと残り田圃を耕していったい何のためになるのか。子孫に美田を残すことを潔しとする人がいるのは否定しないけれど、そーゆーメンタリティーを抱けるだけの感傷を田圃から受け取っては来なかったから、滅びれば別の田圃を耕すなり、釣りにでも狩猟に出も転じて食べて行けば良いと思ってる。それぞれが、それぞれにやりたい方向に向かって出来ることをすれば良い。

 うーん意味不明な書き連ねは脇に起き、何故に僕にってなガンダム仕事の話を電話で聞きながら見た今晩の「デ・ジ・キャラット」はやっぱり最高だったよぉぉぉ。ぷちこが主演っぽく登場して目からビームの練習に励む様布団にくるまって眠る顔には長髪美形なキムタクならずとも惚れてしまいそー。出てくるのが水とか得体のしれないブヨブヨした生物でも凄いなーとは思うけど、ビームの破壊力はやっぱり凄いから同じ生物(でもでじことぷちこって同じ種族なの?)として高位を極めたいってなぷちこの真理はよっく分かる。にしてもあれを会得するためには他人を憎んで憎み切るってなおよそヒロインとはかけ離れたメンタリティーへと至る必要がある訳で、それを推奨してやまない作品が押し出すメッセージの、アニメに常態なハッピーラッキ−の気風とは何とかけ離れたことよと唸り悶える。やっぱり「普通の人でいたいなら見ない方がいいにゅ」。


【12月8日】 やっぱりおもしろいよう「デ・ジ・キャラット」を面白いと思わなければいけないってな強迫観念が既にして体内に醸成されてしまっているのからなのかもしれないけれど、ネコ耳ネコ尻尾ネコ手が特徴のキャラクターの事もあろーに尻尾がちぎれて落ちてしまうなんて、お兄さんこんなに驚いたおとは天地開闢以来初めてだよ。まさか背中のリボンの下に縫いつけてあっただけだったとは、それがうさだとの戦いでモップがかすったせいで解れてポロリと落ちてしまうとは、さらにはそれを拾って喜ぶお兄ちゃんたちがいるとは、って拾えばきっと僕だって大喜びで近所を駆け回っただろーけれど、閻魔様っぽい人に脅されたって渡さずちゃんと「でじこ」のために持って帰って返すなんて、コレクターの風上にもおけ……違ったなんて優しく健全なオタクなんだ素晴らしいです最高です(パチパチパチ)。なのに「でじこ」ったら武と喜美を2人まとめて「ブキミ」なんて呼んじゃうんだもん性格やっぱわりーよなー、いや正直なだけか。それにしても「何か屋」で買った蠢くアレっていったい何?

 正直純朴一直線なキャラクラーと言えば第6回ホワイトハート大賞で優秀賞を授賞した紗々亜瑠須さんって人の「水仙の清姫」(講談社X文庫ホワイトハート、550円)の主人公で西王母の末娘の太真ってな名前の美少女仙人。半分鳥な半分人間の妖怪にさらわれキケンな目にいっぱい一杯あったのに、言うにことかいて「誘拐犯でも盗賊でも盗っ人でもなんでもいい、とにかく好きなのよ!」と来たもんだ。さらわれる途中で滅多に見れない男性の胸が平べったいのを触りまくった変わりに「私の胸触る?」ってんだから、もう男としちゃーこれほどまでにベターな彼女はいないです、いないけど。さらわれた太真が手込めにされて子供でも作ったら「初孫ね」とか言って笑った西王母なのに、物語の後半でやっぱり西王母の娘なのに仙骨を持たず仙人になれなかった女性が子や孫に囲まれ臨終の床にあるってな描写がるのが不思議とゆーか妙とゆーか。同じく娘と人間になた女性も心配している西王母にしては「初孫」なんて仙女の娘ばかりを贔屓するよーな言葉は不用意じゃん、ねえ。意図してのことかは不明、でもキャラクターの情念あるいは無邪気さの描きっぷりは好きなんで、これからも頑張って頂きたいものです。

 心がイタイ、って言って似合う歳でもないんだろーけど純粋って意味ではクリエーターな方々の作品作りへの純粋さってのは時に世間の常識を大きく超えて爆発するものらしく、堀井雄二さんが自分のホームページにある伝言板(もしかしたら消えてるかも)に「ドラゴンクエスト7」の発売日がさらにのびそう、ってな発言をかき込んだものだからもー大変、っても自分じゃなくって別の記者がエニックスとかにガチャガチャ電話したみたいだけど、どーやら堀井さんとエニックスで話し合いが持たれてるらしく情報が全然伝わって来ず、そんな合間に別の掲示板では堀井さんを支持する人の応援メッセージや、取締役なのに会社も通さず株価に大きな影響を与えかねない情報を個人のホームページで明らかにしてしまうってのはおかしいんじゃないの、ってなシニカルだけどビジネス的には真っ当な意見とかがくんぐほぐれつ書き込まれて積み上がる。

 堀井さん自身も心がくじけた理由を月曜日の「週刊少年ジャンプ」にドカンと掲載された中身の告知記事がちょっと多すぎてシナリオを明らかにし過ぎていて、そんな記事が掲載できるだけの情報を堀井さんが嫌がるだろうという事に配慮せず出してしまったエニックスにいやーんな気持ちを抱いたからって説明していて、これは本気でエニックスと1戦交えるつもりかなーと思ったら、先の伝言板の告知が夕方に切り替わってしばらく休むけどすぐに発売延期につながることはないってなメッセージに変わっていて、ひとまずは落ちつきを見せたらしーんで「延期」ってな記事にはせずに会社を後にする。もしも来年夏とかに伸びていたら「ドラクエと一緒には出したくない」って「ファイナルファンタジー9」の発売を先に延ばしたスクウェアが、どー出るかちょっと楽しみだったなー、そこで出したら冬の発売伸ばした理由は一体何だってって事になるから。

 役員として適切な行為かどうかもそーだけど、書き込み可能な伝言板の方に掲載された「ジャンプは悪くない」ってな堀井さんの意見が、果たして根っからのジャンプ好きに寄るものなのか、或いは今の編集長と仲が良いからなのからなのか分からないけど、エニックスに負けないくらいに堀井さんとの付き合いはジャンプだって長いだろーし、堀井さんがシナリオばらしを嫌がるだろーってことを予想出来てしかるべき、なのにエニックスから渡された資料をベターと載せたか或いはエニックス側に情報を他誌よりいっぱい欲しいってな要求したかは別にして、結果として堀井さんが嫌がる記事を載せたって点で、エニックスのフライングとジャンプの記事掲載は同罪なんじゃないかと思えるなー。嫌気が指した理由で別に何かのプランを進めてもらった結果が堀井さんのアイディアを無視した物になってしまったってな事を挙げていたけどこれって何? まだまだ波瀾がありそーです。

 久々な「無限のリヴァイアス」も動き出したロボット(なの?)が大活躍で飛び出た隕石ロケットまでも止めて平気な強力ボディー、一体何で出来てるんだってな疑問も浮かぶけど、集団もまとまって来て悪役ブルーのリーダーぶりも板に付き(隕石がぶつかりそーな瞬間に銃を頭に当てていたのは弱いからなのか潔いからなのか)、主人公格の少年の明晰さ勇敢さもクローズアップされて来て群像劇の中に1つ芯が通って見やすくなったってな気がちょっとした。人間の多さに設定の謎っぽさ(飛ばし飛ばしで見てるから不明な点も多い、あの敵って一体何なんだよー)も未だ解決していない問題で、今後の展開の中でさてはてどれだけ明かになっていくのか、これからは目を離さずに付いていければいーなー。ネーヤがいっぱ出て来てカッコ良いポーズも決めてくれたのがファンとして嬉しい、ってファンだったのか、胸大きっぽいしなー。


【12月7日】 嗚呼おもしろいうよう「デ・ジ・キャラット」が面白く思えて来てしまったのは自分がきっと根っからの「でじこ」ファンだからなんだろー。オタクなマーケットを相手にしたショップのアイドルキャラクターを主役に据えた作品でありながら、集まって来る太ってたり痩せてたり語尾に「にょ」とか「にゅ」とか付けて喋る人たちをヤユってたりする話を堂々をやってしまった昨晩のエピソード。なのにやっぱりハマってしまう自分の業の深さが哀しい。長髪野郎の絵がしっかりしているのとは正反対に主役キャラの絵がベタっとしているのもイジりっぽくって自虐的な楽しさを覚えてしまう。オチもしっかりしてたし一通りのキャラ紹介に状況説明が終わった第2週目は何かちょっと期待できそー、今晩もまた見るぞー、うさだ出てなかったなー。

 ようやくにして死んだ人と会話できる発明が完成して、博士はさっそく若くして死別した妻を呼び出し「天国の暮らしはどうだい」と聞いてみた。妻は熱心なクリスチャンで日曜日は欠かさず教会に通い天国に行けるからと寄進もずいぶんとした。不慮の事故で世を去ったが常日頃の信心ぶりに教会の牧師も天国行きは間違いないと確約していたから、今頃はきっと天国で静かに暮らしているんだと思いきや、「聞いてよ、私、地獄にいるのよ」と妻が言う。どうしてなんだと聞くと「事故に会ったのはお前が信号を無視して飛び出したからだって。そんな悪い事をして天国になんか行けるものかって神様に言われちゃって……あんなに一生懸命に寄進したのに、何か詐欺にあった気分だわ」。

 ってなことを思ったのは、最近話題の「法の華」の教祖に「ガンが直る」と言われて寄進をいっぱいしたのに直らず「詐欺だ」と訴えた人が出たってな話を聞いたから。なるほど確かに個別の事例としては悪っぽさも漂うけれど、一般論に敷衍して考えると宗教なんて信じる気持ちだけが大事なものであって、信じる、すなわち科学的な根拠もない「天国行き」とか「極楽往生」とかってな事柄が可能なんだと「騙されてあげた」以上は、結果に対して責任を求めるのが果たして正しいのかどうなのかってな疑問がちょっぴり浮かんで来る。ケース・バイ・ケースであって「法の華」を擁護する気持ちもなければ非難するつもりは毛頭ないと前置きした上で、宗教という概念に「詐欺」という法的な枠組みでどこまで迫れるのか、或いは迫れないのかを裁判なりの行方を見つつ考えてみたい。天国に行けなかった人が教祖様なり牧師神父を訴えるなんて事は絶対にないから、「天国に行けまーす」と言ってさえすれば詐欺には絶対にならないのかな。

 珍しく「文學界」の新年号を購入、東浩紀ウオッチャーってーか半分ストーカー気味におっかけてる身でありかつ、根っからのSF者である以上は東浩紀さんと筒井康隆さんの対談が掲載されている今号をどーして買わずにいられよー。遠くと近くがあって間がないってな東さんの以前からの主張がコンビニへと萎縮してしまった教養ってな例えとなっていて、ついに遠くすらなくなってごくごく身近な部分にしか人々の関心なり想像力が及ばなくなってしまっているのかと思わせたり、文芸誌の枠組みに従った批評が結果として文芸業界に携わる人たちだけを得させる機能しなくなっている状況を喝破したりってな、東さんのこれまた何時もどーりの主張を、エンターテインメントから入って来て文芸の業界の中央にどっかりと居座ってしまった筒井さん相手に拡げてみたりと、ファンなら分かるしそーでなくても「文學界」というメディアで繰り広げられてるって点で、なかなかに刺激的な対談になっている。

 短い文章を原稿用紙に写しながら、句読点の打ち方とか言葉の選び方なんかを目と肌で覚えて、昔から極めて意識的に書いてるなって感じていた筒井さんの文章を「言葉がすごくコントロールされている」と東さんが言っている所は同感。情念系とは対局にある筒井さんがエンターテインメントで読者を喜ばす術を心得た上で、純文学の手法をテクニックに還元させて作品を書いている一方で、昔っから純文学のフィールドで情念の文章を書いて来た人もいるってな事例を挙げたその後で、エンターテインメントに近くキャラが立ってる小説が残っている現状を打ち出すあたり、なかなかに底意地が悪いねー。つまりは情念系な人はその世界に閉じこもったまま「ムラ」の中で延命していくだけで、かつ後世には残らないって言ってるってことになりそーだからなー。

 後の方で自覚的に「純文学」とゆー言葉を自らに与えて時評をやってる石原千秋さんに喧嘩打ってる笙野頼子さんはどー思って東×筒井対談を読んだんだろー。けど石原さん、新年号でも藤野千夜さんの作品を「どことなくJ文学風」「J文学にありがち」って説明も定義もなく直感でもって「J文学」を語っているから突っ込まれても仕方ないか。自分だって「純文学」の意味も知らずに使ってるじゃないかって? うーんすいませんでも「文學界」には書いてないからいーんです(と逃げ)。あと新年号では過去100年に毎年1作を選んで年表を作っているのが圧巻で、本好きを自認する自分だったらきっと半分は軽いと勢いリストを辿ったら、「檸檬」「こころ」「トロッコ」の3作品した読んでなかった体たらくが判明して至らなさ恥ずかしさにボーゼンとする、やっぱ文学について語る資格ねーや俺。


  【12月6日】 「So−net」のCMに登場する突然オペラを唄い出す顔の巨大なおっさんがソニーの大賀会長に見えて仕方がない今日この頃、部屋中が本を脱ぎ散らかした服と紙屑とゲームソフトで埋まっているためテレビへもDVDプレーヤーにもおいそれとは近づけない状態にあって、1回入れたCDをかろうじて埋もれず手元に残っているリモコンを操作して何度も聞き返す羽目になっていて、今はもっぱら土曜日に買った小柳ゆきさんの「FREEDOM」(発売元ドリームマシーン)を日に何度も聞いていて、聞き込むにつれて噛むほどに出る出し昆布の味、みたいなものが口中に広がって来て、何曲かを「早録」を使ってMP3にしてノートパソコンに落としたりして会社でガン鳴らしていると、喧しいと鬱陶しがられる哀しいおっさんな職場です。当たり前だぁ。

 唄うとオバさん声オバさんシャウトな人だけど、日記は立派に17歳っぽい文体で、やっぱり唄うとブルースなヒッキーとも共通する雰囲気がある辺り、最近のじょしこーせー文体ってなーこーゆーあっけらかんと明るのかと、かつて高校で教育実習やった時には1通もファンレターをもらわなかったから比べようがなく、かつ自分が高校生だった頃も1通のラブレターももらわなかったから比較の根拠がないけれど、やっぱりちょっとづつ変わって来てるんだろーか、女子高の先生とか現役の女子高生とかどーでしょー。ジャン・レノの死んでしまうラストとかが好きなんだろーけれど、たとえナタリー・ポートマンのノーブラ(いらねーよな)姿に胸ピクつかせて見入っていた者として、迷惑を省みず同じ「レオン」ファンとして応援していくことを決議しましたので、賛同者はアルバム買ってあげましょー。本人も若干のポートマン胸(「レオン」版)なんでその意味でも応援できますよ。やっぱ迷惑かなー。

 「ゲーム批評」の裏表紙に「広告」が入ったのを快挙と叫ぶか愚挙と貶すかはさておいて、結局のところはメディアとして気概の持ちようだろーと言ってしまえばそれまでなんだけど、貧すれば鈍するの例えをごくごく身近に感じているだけに、最小限の矜持だけは保って頂きたいとエールを贈りつつ、何故かほとんど4年ぶりくらいに「少年ジャンプ」を買ってみたのは、勿論「ジョジョの奇妙な冒険」の第えっと何部? 第6部か「ストーン オーシャン」が掲載されていたからで、のっけからの迫力ある緻密な荒木絵にゴゴゴゴゴゴゴってな荒木オノマトペにバイーンてな感じの荒木ポーズに満ち満ちた作品に仕上がっていて、荒木ファンならとりあえずはオッケーイィィィィィィッ! と叫べるレベルを越えている。お話しがどーなるのかは未定だし、初の「女ジョジョ」がこれまでの「男ジョジョ」たちを超えられるかどーかがカギになりそーだけど、過去の例えば「エイチマン」に対するパチモン的存在でありながも肉体の魅力で男を虜にした(のかな?)「女エイチマン」の例もあることだし(例にならん!)、ひとりエッチも辞さないジョリーンちゃんが新しい女ヒーローとなる日は、それほど遠くはないだろー。しかし「ジャンプ」、変わったなあ。

 電通と博報堂の大手広告代理店がそろって2000年のトレンドを占うリポートを発表、電通はどっちかってーとマクロな視点で混迷する日本経済の打開策として個人の夢なんかを現実化させよーとする気分なり政策が必要と訴えていて、博報堂も個人個人の性向を反映させたライフスタイルなり人生設計の必要性を指摘しているってな具合に、ともに国家とか企業とかってな旧来の枠組みが外れた中で「個」がどこまで自己実現をしていけるのかってのが重要になると見ていたのが、やっぱりっとは思ったけれえど世の中いよいよ本気で変わって来たなってな気分を抱く。電通総研はマクロな上に政策提言までやっていて、国立大学の教員がベンチャー企業に参画したり教育の水準を上げたり社会人が大学院に簡単に入れるよーにしたりってな案を上げていたけど、”お受験”なんて教育のますますのブランド化が指摘され、一方では学生の学力低下が指摘される現状だけに、リポートが訴える教育水準の向上を単なる「基礎学力」なんかじゃない、知性ってーか知力ってーか知恵の部分で実現させていかなきゃね。試験バカな人材の採用、してないよね電通さん?

 博報堂はもっと生活者寄りのリポートで、ネットの波及が同時多発的・共振的なマイナー流行の世界流行化なんて事態が起こるってな指摘はなるほどで、あとは夜型の人間が増加して「5毛作」的昼と夜と朝のメニューが違っているお店が登場したり、グローバル化の進行でアメリカの時間に会わせて午前2時あたりから仕事を始めるその名も「ウシミツ・カンパニー」(務めたくねーっ!)が登場したりってな予想をしてたっけ。父親的な社会じゃなく暖かく包んでくれる母性的な社会の実現を「母引力」と読んでいて、字面はまだしも声で発音するとあからさまにアレなんで、ちょっち恥ずかしいものがあります。女子アナに読ませるってのはセクハラかい? あの沖縄だかの世界遺産に指定されたっぽい湖の名前を呼ばせるのと同様に。

 個人のエゴがいい加減な所へと行き着いて、次はもう少し精神的に包んでくれるよーなコミュニティーなり組織への帰属意識が強まるんじゃないかってな指摘もあって、だったらそれは宗教家って聞いたら笑っていたけどそうかもと言っていたのが印象に残る。偶然昨晩見ていたNHKスペシャルのアメリカでイスラム教が台頭して来ている番組で、これまで散々っぱら悪いことをして来て麻薬に溺れて人生に絶望していたハーレムの黒人女性が、イスラム教に改宗してイマームとか仲間たちが支えてくれるよーになって、戒律から酒も飲まずに良くなっていたことを本当に喜んで話していた姿があって、自由だよって大海に放り出されてしまうよーになるそー遠くない将来、大海を泳ぐだけの「夢」なりビジョンなり指針を持てず悩む人が増えて来ると、夢と指針を与える宗教が力を持つよーになるのかなってな不安な想像も浮かんで来る。が、不安な時代をポジティブにとらえろってのが両者に共通する主張だから、ここは悩みとかをはらせるよーな明るい宗教でも立ち上げて、教祖となってクンリンするニュービジネスでも立ち上げますか、NASDAQへの公開も睨んでね。


【12月5日】 海外のドキュメンタリーが再放送されてる土曜日深夜のNHK教育がなかなかに面白いのは、すでに始まってなおいっそうの激化が予想されている多チャンネル化の中でNHKが持っているとてつもない底力を感じさせて、こーいった優れた作品をかき集めてこられるネットワークが嵩に掛かって来た時に、せいぜいがスポーツの生放送くらいしかウリのない民放にどれだけ勝てる算段があるんだろーか、ってなことを考えながら見たのがドイツ第3帝国にアドルフ・ヒトラーが側近として重用した6人を順にピックアップし、かくも壮絶な事態へとナチス政権下のドイツが至ってしまった複合的な要因のうちのある部分を、ドイツを引っ張っていった人物から掘り出すことによって、全体を俯瞰してみようとする番組。栄えある1回目に選ばれたのが宣伝大臣ゲッベルスで、見かけの貧相さを補って余りある献身ぶりによってのし上がっていった様には、単なる個人の名誉欲よりは、本気でヒトラーを信奉していた節が伺えて、かくも人を惹き付けて止まなかったヒトラーという人物への興味も浮き上がる。

 連続しての2回目に取りあげられたゲーリングは、第1次世界大戦での仕事ぶりが敗戦によってすべて否定された反動ってな解りやすい動機に、個人の名誉欲も重なってそれを得るためにひたすらヒトラーに追従したって部分が見えるから、まだ”人間的”に見えないこともない、あと外交的な努力でもって戦争を回避しようとした面があるとか、その太ってニヤけた風貌に似合わず英米を相手にしつつソ連まで相手にした2正面作戦への懸念を持っていたとかってな、夢想ではなく実利面を考える英明な人物だったことも解って面白かった。それでも突撃隊を率いての破壊したり収容所を認めるなどのユダヤ人排斥の情熱は人並以上だったから、ナチスドイツにやっぱり相応する人物だったんだろー、モルヒネ中毒がなかったらさて歴史はどう転んでいたか、あんまり変わってなかっただろーな。残る4人のうち1人はルドルフ・ヘスだろけどさて残りはヒムラー、アイヒマンにリッペントロップ辺りかな。側近元隊員が続々と出てきて堂々とインタビューに答えている場面の、これはみそぎは済んだとの割り切りなのか責任は指導者にあって自分たちはそ被害者の1人と意識しての登場なのか。戦争責任について割り切れ無さを未だ抱える日本とは、この辺りがちょっと違うなー。

 旗印として出てきたナチスドイツの鈎十字を見て思い出したのが日本語版「ポケモンカード」の何とかってモンスターのカードに描かれている卍(まんじ、お寺のマークだね)の紋様がナチスの鈎十字を思わせるからってアメリカにある団体の抗議にあって、日本語版でメインは日本市場向けであるにも関わらず、米国での流通も結構あってそれを見た人に不快感を与えるからってな理由で、日本のメーカー側では卍の模様を削ることに合意したとかってニュース。だったら日本製の地図ってのはアメリカの本屋で売れないんだろーなー、京都の地図なんて卍だらけだろーからなー。そんな疑問も去ることながら、厳密には曲がっている方向の異なる別物で、かつ日本では一種畏敬の対象ともなるマークを否定されて、黙っていて良いものなのかってな憤りを引っ提げて、日本大好き産経あたりが狼煙を上げても良さそーなところだけど、それほど派手にやってないところを見ると、たかがカードと見下しているのかな。日曜日の米国で増えるイスラム教徒を取りあげた番組で、コーランの文字に似ているってだけで抗議を受けて炎のマークを消す羽目となったナイキとは事情が違うからなー、今後のよしりん辺りの戦いぶりに、ちょっち注目。

 再びの蒲田は大田区民ホール・アプリコでの「演劇実験室◎万有引力」の公演「未来のイヴ」。行くと噂に利いていたよーに茶色いメッシュまじりの髪に細くエキゾチックな顔立ちの、これがアニメ監督とは見て誰も信じないだろー幾原邦彦監督がスリムな黒いジーンズに赤のジップアップそしてPAZZOのスタジャンを羽織った姿で立っていて、招待の行列ではすぐ後ろになったんで背後霊となって誰か知り合いらしー女性(女優さんかな)の人との会話に聞き耳を立てて、次回作なんかのネタを引っ張ろうとしたものの、ぼちぼち何かやってるってな話しか聞けずちょっと残念。待っていたら巨体を揺すって「月蝕歌劇団」の高取英さんが一座の一ノ瀬めぐみさんとか不明な素顔で衣装じゃないとちゃんと可愛い女優さんたちを引き連れ登場し、千秋楽っぽい華やかな雰囲気のお裾分けを受ける。しかしホント幾原監督ってカッコ良いなー、喋ると近所の兄ちゃんっぽさが口調に出るけど。

 2回目なんで全体が見渡せる位置に座ったら横の方にも幾原監督が着席、間があったんで公演中の表情は見えなかったけどどんな感想言ってたんでしょーか。部分部分で初日からの終生があって通路に引き延ばした紅い布が歩くときに邪魔になるってなクレームでもあったか、途中でモップを持った人物だ出てきて布を改修していく演出が加わり、かつ舞台前のギリランドと掛け合いもあって変化を付けていた。エディソン役の声がしゃがれてて必死なふりしぼり方が最初は気になたけど途中からは慣れてきたんで気にはならず、アロックダンスドラマカンパニーのメンバーを中心にしたソロや群舞のダンスもスピード感、キレとも変わりなく中盤からクライマックスへと進む展開を目も気分もそらさせることなく見せてくれた。物語の方は直前に新宿の紀伊国屋書店で創元ライブラリーで発売されてるリラダン著「未来のイヴ」を買って復習の予習をしておいた関係で、原作とは異なるエンディングながら、舞台の方がより人間の本質について考えさせるエンディングになっていたことが解る。帰って原作も読み込んで今度は共通点なんかを引っ張り上げて、どう解体・再構築したのかを考えよー。どーも有り難う御座いました。


【12月4日】 お家の興隆を願って止まないミュージー・ポーが、自機の「ビランビー」でもって父親をペシャンコに踏みつぶして泣き出してしまう、まるでギャグなんじゃないかと思わせる展開をド真面目にやってしまって何だろーと悩んだ回が放映された「聖戦士ダンバイン」を見て寝て仕事。珍しくも土曜日出勤の会社で何を読んで過ごそうかと(仕事やれよ)思って本屋を散策、表紙の不思議さとタイトルのおかしさに惹かれてあとり硅子さんって人の漫画「四ッ谷渋谷入谷雑司ヶ谷 第1巻」(新書館、680円)を買う。東京都内のデートスポットを紹介したマップなんかじゃ絶対になく、って渋谷はともかく巣鴨だったらいざ知らず、入谷雑司ヶ谷でデートする人もそーはいないだろーから間違える人もいないだろーからウソだとすぐに解るから置いておき、美少年だけど得体が知れず食べ物には毒を混ぜ召喚魔術で謎めいた生物を呼び出し占い呪いのお手の物ってな四ッ谷と、そのクラスメートの雑司ヶ谷及び渋谷入谷との友情なのか打算なのか解らない奇妙な関わりが描かれた、ほのぼのと戦慄の走る作品に仕上がっている。

 初期の頃のアヤシい所は見せつつも知らず影で操ったり占ったり呪ったりしている、らしいところを類推させていた作品での四ッ谷の魅力が、後にあからさまに奇怪な生物を培養したり標本にしたり呼び出したりして、周囲でも妖怪変化の類が跳梁するよーになって来てちょっぴり当たり前っぽいヘンな奴になっている所に引っかかりはしたけれど、それでも得体の知れ無さは最初と代わらずむしろ一層のブキミさを増して雑司ヶ谷たちの学園生活に恐怖と潤いを与えているのを見るのは楽しく、自分ももっともーっとヘンな奴にならなくっちゃと強く固く心に誓う、たとえばネコ耳帽子をネコ手を身につけて50万部週刊誌に顔さらすとか、って誰だそんなことをやったのは。気になる人は年内に多分出るだろー「SPA!」に注意だ。四ッ谷の小ネコへの「誤って踏んづけたり、何日かエサや水をあげるのを忘れてしまったり、ケガでもしてコップ一杯分血が流れ出たりしただけですぐに死んでしまうスリルがたまらないっ」てな愛情にはうん、惹かれるなあ。

 本の次は音楽とゆーことで角川春樹事務所が頑張って作ってる「アレクサンダー戦記」のイメージソングだかになってた「あなたのキスを数えましょう」も入ってる小柳ゆきさんのアルバム「FREEDOM」(発売元ドリームマシーン)を買って聞く。前に事務所の3周年記念パーティーで胸はってステージまで歩いて来て堂々として朗々と歌い上げた時の印象がインパクトたっぷりで、アルバムが出たら聞こうと思ってた人だったんだけど、バラードだった「あなキス」もさることながら最近は「KISSMARK」とかってなブランドにも使われてるビートの利いたアップテンポな「fairyland」って曲とかもあって、それぞれで抜群の歌唱力を披露してくれている、これでまだ17歳ってのはちょい信じられないぜ、宇多田ヒカルといい最近の女の子ってソージュク、だねえ。

 気負いがあるのか余裕がないのか若いのか、張り上げても抜けないってイラだちがちょい感じられるのはこちらの気の持ちようだけなのかもしれないけれど、時折のぞかせる気楽に唄ってる場面での声の響きの心地よさは潜在能力の高さの現れなんだろーから、こなれて来ればもっともっと耳を惹く歌い手さんになれるでしょー。個人的には8曲目の「a gap of heart」って曲が肩の力が抜けてて耳障りが良い上にグルービーな感じがあって好き、何か自分で詞を書いた曲の方が思いを入れて歌えるのかなあ、2曲目の「Orange love」とか10曲目の「be tomorrow」とかもそー思ったし。7曲目の「I don’t wanna be crazy」は昔だったらカメリアかマキのCMになってたかも、ちょっとアン・ルイスっぽいし。もちろんCMソングになってる「fairyland」もオッケーな1曲、アルペンに使われてても不思議じゃないけど新しいボードのブランドって辺りが今っぽいねー、売れてるのかなこの曲。

 バレバレだから鵜飼記者と書いてしまおー読売新聞「U記者」が書いた記事を発端にして勃発した、純文学VSマスコミの論争で純文学の側から狼煙を上げて突進したものの相手が不在で「不戦勝」のまま終結した笙野頼子さんの戦いぶりが、笙野頼子さん自身による130枚もの書き下ろしロングエッセイを加えて「ドン・キホーテの『論争』」(講談社、1900円)として刊行されて面白がって読む。途端にあんまり面白がってもいられない事に気付かされて寝込む、うーむ。物語を主軸として考えジャンルにこだわらず個人の評価軸(軸なんて水平なモノサシすらも実はない、強いて言えば「気分」か)でもって面白ければ紹介してしまう身としては、なるほど売れる物ばかりが良いとは言わないもののかといって「純文学」という言葉が陰に陽に主張する高尚さ、権威っぽさも苦手で、無理にそーいった鋳型にはめ込み城を築かなくたって良いのにと思っている。もちろんそれはそうしたがっている人への否定でも作品の否定でもなく、染み着いてしまった「純文学」というレッテルへの劣等感から来る嫌悪なんだけど。

 とはいえ批評する時にはそういった曖昧な態度ではやっぱりいけないみたいで、笙野さんが「はじめに −純文学悪化はなぜ怒ったのか」の中で幾つか挙げている「それを敢えて一緒にして語る人間」(34ページ)の事例の「外部のふりをした内部が純文学(筆者注 ジャンルという意味でSF、ファンタジーと置き換えて読むことも可能かな)普及のために意図的に誌上でだけそうしている」人間だったり「『物語』を読む自分と『文章』を読む自分を区別していない」人間だったり「自分のテイストや外界とのスタンスを強く意識しているマニアックな読者つまり『ありがたい越境素人』」だったりする人間に少しづづ当たってて、なるほどそーいった連中の存在を認識した上で、けれども自分は「純文学作家」と言っている以上は、軽率にファンタジーっぽいじゃんSFっぽいじゃんと自陣に組み入れるような真似はしてはいけないんだと居住まいを糺させられる。

 新聞記者が「専門家面」するのは何も文芸に限らず、ろくに財務諸表も読めない人間が企業の経営上の問題点を得々と語り、入社数年ってな若造が40歳50歳の財務担当者なり役員なり社長をつかまえ「あんた」よばわりして居丈高に振る舞ったりする姿を間近に眺めているだけに、笙野さんが募らせる「素人が何を言う」的不満や不安は本業の方面でも身に染みる。それっぽい傾向をキャッチーな見出しで括って「流行」にしてしまう行為も、文化欄に限らず経済社会政治スポーツの新聞全般で頻繁にある事。これだって根も葉もない記事をでっち上げるよーな真似は決してしていないとは思うんだけど、千差万別な意見があるのが世の常で、1人ひとりが主張を持っている作家ならなおのこと括られ縛られ方向付けられてしまう(それも素人によって)動きが我慢ならないんだろー。うーん難しい。最近は作家や評論家に頼む金がないのかプロと自認している人が多いのか、某産経は文化部の記者による書評が目立って羨ましいけれど傍目には迷惑している人もいるんじゃないかとちょい心配。それでもキャリアの長い人が多い点では、ド素人を山を招き入れて企業経営について取材させる新聞よりははるかにマシなんけど、ってどこの話? それはヒミツです。


【12月3日】 ちょっと前にたしか「SPA!」でも連載なんか持っていたらしーけど面識も知識もなかった板越ジョージさんってアメリカで手広くビジネスを営んでいる人が日本に来てるんで定宿らしー東京プリンスホテルを訪ねる、早朝(午前10時半)だったけど珍しく深夜(午前7時)に目が覚めたんで電車にちゃんと間に合いました。聞いたのは主にアトランタと今度がトロントに遠からずニューヨークで開くとかゆーキャラクターグッズのショップの話。日本のアニメーションで流行っているキャラクターのグッズをアメリカで展開するって聞くと、なんだオタクの輸出かって思うけどそーいったマニア向けのグッズはこの店ではそれほどメインに据えず、むしろ「ポケットモンスター」に代表される王道を行く子供向けアニメのグッズとか文房具とかを中心に展開して行きたい考え。曰く「自分が子供の時に感動した作品をアメリカの子供にも知ってもらい感動してもらいたい」とか。

 とにかくアクティブに海外を動いている人らしくそれなりな注目も集めていて、全米証券業協会の主宰する「NASDAQ」に早ければ来年早々にも株式を日本人で31歳なんて若さで公開しちゃう初物づくしのイベントも控え、ますますの注目が集まりそーな人、らしーけど日経にはこれまで出てもウチみたいなマイナー新聞は初なんでちょっと警戒されたかな、ニュースらしい話はなくってもっぱら最近のキャラクター話とか昔懐かしいキャラクター自慢とかで時間を潰す。商社なんかが流行ってるぜ儲けようぜってな意気込みで「ポケモン」泥鰌の下のミミズを狙って日本のキャラクターの権利を買い占めアメリカに出ようなんて動きが起こりかねないことを心配してて、これは僕も同感だけどオッサンが算盤はじいて上手く行く世界じゃぜったいなく、感性に綿密なマーケティングが相まってこそ成功を掴めるものってな気がしてる。

 ってんでジョージさんが主張するのが玩具メーカーもキャラクター権利会社も独り占めなんかしてピンポイントで爆撃して挙げ句に全滅なんて事態にしちゃわずに、イタショーって会社を使って護送船団方式に日本のキャラクターをドカンと全米に見せつけて、それからでもピンポイントは遅く無いってこと。未だに「ジャパニメーション」って言葉を使っているのはちょっぴりハズかしいけど、ともかくも熱意はあってついでに資金面でもついてくる会社があって現実にビジネスとして展開している先行メリットもあるから、信用できるんならばのってみるのも悪くはない。まあこーゆーベンチャーにありがちな口先ばかりって懸念が、意識的か結果的かは別にしてあり得ないわけじゃないけれど、鞄から取り出した「仮面ライダーカード」を差し出して嬉しそうな顔をし今回の来日ではライディーンを買ったと話す口振りには、本当にキャラクターが好きって解ったからその意気に免じて期待を抱きつつ記事とかで紹介させて頂こー。

 およそ温厚純朴で鳴る者ですらがしのびよる危機感に立ち上がる雰囲気を漂わせ、場内は一触即発の臨界間際に来月どころか来週中にもメルトダウンの恐れあり。然れどもアフリカの奥地アマゾンの深淵に等しき未開の地なれば、何が起ころうとも世間一般の注目は低く、世に何が起こったかが知られるより先、否決して知られることなどなく、うちにひっそりと事態は進行し醸成して決着するものと思われる。哀しき哉。いったい何のこっちゃって別にとりたてて深い意味はないけれど、少なくとも飛車角金銀に桂香までもが加わっての大駒落ちで王座名人竜王に立ち向かわなければならなそーな雰囲気が強まっているってことだけは確実で、それでも興味を示さないのはもはやウオッチャーとしての怠慢だと、言っておこーぞよウワシンツクル、なんか呪文みたいだね。

 気を取り直して蒲田にある大田区民ホール・アプリコで開かれた「演劇実験室◎万有引力」の公演「未来のイヴ」を見る。タイトルで気が付いた人も多いだろうけど確か創元だった角川だったか、超絶分厚い文庫で出ていたヴィリエ・ド・リラダンの古典的名作「未来のイヴ」を題材に、「少女革命ウテナ」で広く世間一般のアニメファンにまでその名が知られたJ・A・シーザーが演出音楽を担当したロックでオペラな舞踏の演劇。噂には聞いていたけど同じシーザー音楽の「月蝕歌劇団」とはスケールも金のかけ方も全然違う迫力の舞台を、音楽でもダンスでも演出でも演技でも見せてくれてて驚きまくる。初めて見たこれが過去最高の舞台じゃなかったなら一体どれほど素晴らしい舞台が過去にあったんだと思えるくらいに圧倒的なパワーを見せつけられ、これが過去最高じゃないんだったら次回はいったいどれほどの物が見られるんだと恐れおののくくらいにとにかく凄い、凄い、凄すぎる舞台だった。

 物語、らしきものは読んでないけど多分「未来のイヴ」にあるよーな、機械とは、人間とはってな形に差異がないにも関わらず心に差異があるのかないのかパイをつつきながらの大論争、僕はと言えば彼女に別れを告げられた、んじゃないこれは違う人の歌だった、えっとともかくもアンドロイドの存在を通して人間って何? って問い直すSFとかファンタジーで繰り返し提示されたテーマに沿って進んでいたから何とはなしに解ったけれど、そーした物語を進めていくために繰り広げられる舞台は、黒い衣装に身を包んだ人たちの群舞だったりソロだったりするダンスと、手振り身ぶりを中心にしたアクションを加えながらの難解な単語続出のセリフ、そして「少女革命ウテナ」でも散々に聞かされた謎めいて思わせぶりで意味深でけれども意味不明な歌詞が連なる音楽の三つ巴になっていて、見ているうちに引き込まれ押しながされて知らず時間も過ぎ去って、悲劇の幕が下りる最後の場面へと持っていかれる。

 キャパの大きなホールに相応しい天上が高く幅も広い舞台をいっぱいに使ってかつ、客席までも使って黒い服白い顔のスリムな男優女優が歩き回る幽冥の雰囲気すら漂わせる演出は、アングラとか暗黒とかいったともすれば野卑た印象すら抱きかねない言葉とは無縁にクールで美しく、統制のとれた動きや常に緊張感でいっぱいの肉体から発散されるパワーが、観客に一瞬のダルさを抱く暇を与えない。流れる合唱は耳慣れた「天使創造すなわち光」「ワタシ空想生命体」「絶対運命黙示録」などで、それがホールいっぱいにスペクタクルな大音量で鳴り響いているのを聞いているだけでも、「ウテナ」ファンだった身として至福の時間を過ごせた。思わずいっしょに大声張り上げたくなったよ「月天水星天金星天太陽天火星天」とかって。

 「ウテナ」と同じ楽曲でも、眼前の舞台を見れば最初からこの舞台の為に作られたんじゃないかと思えるくらいにハマっていて、クライマックスに朗々と唄われる「ミッシング・リンク」の「連鎖ないわたし」という言葉がまんま、人間に近づいてけれども人間ではないと否定された哀しきアンドロイドの嘆きに通じて涙を浮かばせる。そしてダンス。アロックダンスドラマカンパニーというダンス中心のステージを普段から見せているチームが参加しているだけあって、中心となっていたハゲ頭の名前た多分須貝哲也さん? はじめ全員が本物のバレエ団と比べるのはどうかとは思うけど、普通な僕の目では完璧なプロのダンスを見せてくれていて、それこそ被った帽子の房の先から履いた靴下の親指の先まで、徹頭徹尾一切合切危なげのないクールにスタイリッシュで統制のとれた迫力たっぷりの舞台になっていた。

 こっちが元祖らしー舞台でのマッチ摺りも、明かりとして舞台の一部を見せるといった演出的な効果も表現しつつ、人数が多く舞台が広く動きが激しいなかで完璧に統率されていて圧倒される。前半部分の何やってるかセリフからでは聞き取りにくかった展開も、後半の小林桂太演じるエワルド卿の巧みな演技及びギリランド役の根本豊の不思議だけれどもよく通る声での演技が熱を帯びるに従って、「未来のイヴ」としてのテーマも浮かび上がって俄然面白味が増して来る。予定では明日も午後の7時からで、日曜日は午後の4時から公演がある予定らしく、時間がなくとも無理矢理作ってでも、再びの舞台を全編を1度見た身として俯瞰しつつ今後は細部まで堪能できれば、なんて思ってるけどしかし果たして行けるやら。「ウテナ」な人も聞いて見て絶対に損のない舞台、とりわけ迫力の尻に響くような音響での「絶対運命黙示録」「バーチャルスター発生学」は現場でないと絶対に味わえない快楽。当日3800円とちょい高いけど、さあ行き賜え。

 シンクロニシティーなのか見つけて読み始めた「傀儡覚醒」(鷹野祐希、講談社、550円)は心に蠱を押し込まれて操られる人形となり果てた弟を見て、人間だけれども心に隙間のある自分とどちらが人間でどちらが人形なのかを悩む女性が出てきて、見たばかりの舞台とも共通する「人間とは」ってなテーマをちょっぴり考えさせられる。主人公の少女が鬼たちの手に落ちないよう守り抜くことによって、例えば人類がどーなるかってな壮大なテーマがまだ見えず、傀儡師たちが戦う意味すなわち物語が持つ重みが伝わって来ないのがイタい所だけど、2巻もあることだしきっと強い目的のもと、それが傀儡師が主人公の少女に寄せる恋心であっても、筋の通ったテーマとなってバトルに彩りをそえてくれることだろー。とりあえずは期待。


【12月2日】 神保町で”事情聴取”、おお日本SF復活の日も近い、ってんでついでに本屋回りをして本などチェック、買い忘れていた荒木飛呂彦さんの「死刑執行中 脱獄進行中」(集英社、1200円)は荒木流な無駄に力の入った気連味たっぷりのポーズがふんだんに繰り出されるのみならず、理不尽に不条理な境遇へと叩き込まれた人間のあがいてももがいてもドロ沼から抜け出せない恐ろしさに各話とも溢れていてなかなかに戦慄させられる。メキメキと骨が砕けブチブチと肉のちぎれる描写が我が身に及んだ時の恐怖もあるけれど、追い込まれたシチュエーションを逆転した途端に逆転されてそれをひっくり返してってな「JOJO」でもお馴染みだった流法が展開をよりスリリングに見せている。けど第6部ってのはいったい何かなぁ。

 秋山完さんの「ペリペティアの福音」を上中下まとめ買いしつつホワイトハート大賞優秀賞を授賞したとかゆー「水仙の清姫」(紗々亜瑠須、講談社、550円)とか前巻は後で見つけるとして鷹野祐希さんの「傀儡喪失」(講談社、550円)を買ってはみたものの、きっと読むのは先になりそー何故って未読の山がここんところの寒さで布団の中にくるまって酔っぱらいながら寝ていた間に積み上がってもー大変なんすから。仕方がないんでそんな山からJ・K・ローリングの「ハリー・ポッターと賢者の石」(松岡佑子訳、静山社、1900円)を抜き出してムリムリと読み始めたらこれが止まらない。冒頭の極めて真っ当や親バカ一家の所に信じたくない魔法の世界から甥っ子が預けられて幾星霜、イジめ抜かれても素直にすくすくと成長したその甥っ子ハリー・ポッターが、死別した両親の偉大さもあって魔法学校に入り受け継いだ才能もあって悪い魔法使いを相手に大活躍するエンターテインメント性の高い物語に仕上がっている。学園生活での騒動とか仲間との友情とかってな読みどころもたくさんあって、途中に出てくる箒にまたがって空中を疾走するバスケットボールみたいな競技「クィディッチ」なんかは絵にして見てみたい気分。ををファンサイトもあるのか。

 努力とか根性とかってのと無縁に絶大な才能を持ったハリーの存在が、自分の”秘められた可能性”を信じている子供たちに受けるのはよく解る、だからこそ全世界で800万部のベストセラーにだってなり得るんだけど、かといって伯父さん一家にイジめられようと屈折せず悲惨さも見せずに成長した少年の、両親から受け継いだあり余る才能と両親への尊敬を反映させた回りのバックアップを受けての大活躍を、ストレートに讃美できるだけの素直さは、ある程度年齢を重ねた身として既に削れて失ってしまっている物なんで、方や才能への希望、こなた無才への絶望を感じつつ大人としてちょっぴり複雑な気持ちで読むことになった。とはいえ童話はやっぱり子供たちの為にあるもので、世俗の垢にまみれた頭で判断したらどんな昔話だって神話だってエロスとタナトスに満ちた気色の悪い代物になってしまうのは昨今の風潮を見れば明か。なんでここは素直に純粋にハリー・少年の活躍を楽しむのが正解でしょー。

 続々と刊行される物語では、とりあえず復活を阻止された大悪人がきっと再びの反攻を見せようとする中で、魔法学校で学び力を友情を得たハリーが今度は死をも覚悟しなくっちゃならない状況を経つつ、大きく成長していく物語を見られるものと信じているから、「超」小出版社ながらも熱意でもって「超」大ベストセラーの翻訳権を獲得した静山社と社長で翻訳も手がけた松岡さんには是非是非頑張って頂きたいところ。あれだけ世界中で大流行していながらも、日本ではどの大手出版社でもなく実はこれまで1冊も手に取ったことのなかった出版社から刊行されるってのは、その経緯も含めてなかなかにドラマティックなニュースだし、遠からずあちこちのメディアで話も聞けるでしょー、って俺がやれ? マイナーだってヤル気と情熱があれば出来るんだってこたぁ社長さん自らが証明してるからなー、まあ気が向いたら。


【12月1日】 「ワンダフル」から2日目の「でじこ」はなんかちょっと面白い、振り向き様のビームも炸裂してたし見上げた顔やら見おろした姿のカットになかなかのトキメキも感じられたし。車に跳ねられアキバーなら誰でも知ってる万世橋の下へとドボンしてしまう展開とかって、非アキバーにさてはてどこまで嬉しがってもらえるのか。初日の「すてきなサムシング」も同様、これで例えば「いっぱいいっぱいラオックス」とか「ゴゴーロケット」とか「アキハバラバラ石丸電気」とかってな歌が流れたらどーなるか、「行こうよみんなで楽しい所」が中国語だかになってたらどこの国の話と思うのか、って思うとアキバの電気屋って皆さん立派なテーマソングを持って作って流してらっしゃる、エラいなー。肝心の「ゲーマーズ」は店で「うぇるかむとぅーまいはーと」ってあんまり流してないけど、やっぱ地方からの上京社はアレ聞いてここがアキバの「ゲーマーズ」って納得するんだろーから本店オープンを契機に連日ガン鳴らしましょー、出来れば初期バージョンの拙い声のヤツを。

 例えば将棋指しが2人いたとしよう、1人は圧倒的な強さを誇り竜王名人を保持するのみならず王座(ココ注意ね)も持っている強豪で、一方は兄貴は棋聖は持っているけど当人は将棋の素養など一切持たない、マイナーを156乗したくらいのヘボ棋士ってーか単なる素人だから、フツーに戦ったところで王座名人竜王クラスに勝てるはずもない。にも関わらず下手の横好き大家の講釈の例えもあってヘボほど自分を強く大きく見誤るものらしく、常識だったら王座で竜王名人に飛車角金銀に桂馬香車も引いてもらうところを堂々と平手で渡り合おうとするから、試合になるどころか何時だってコテンパンにやられてしまう。

 そんな棋士の駒使いが普通である筈もなく、使い様によっては屈指の力を誇る飛車角金銀がヘボ故に無駄死にばかりさせられていて呆然唖然の毎日に、嫌になってとうとうケツをまくって逃げ出してしまった。ところが流石はマイナー棋士だけあって、手前の駒がボロボロと落ちて行く理由をつまりは自分が強いからだと誤解して、後をすべて飛車角で埋めても足りないところを、場所が空いたんだからそうだな歩でも置いておこうかと考え実行に移そうとしているそうな。歩ばかり増えていく陣営でさて残された桂馬香車が果たして王座竜王名人と戦う気力が起こるかどうかと言えば、きっと飛車角金銀に連なって盤上から駒台へと引き上げたいところ、望むならば相手の駒台の上に乗ってかつては手前だった王様に、逆の立場で王手をかけたいってのが本音じゃなかろーか。さてこの将棋の話が意味する所は、ただの将棋の天才と将棋の不才との相手にならない戦いを想像した妄想に過ぎず、現実世界に於いて何ら意味を持つものではないことを、一応はここに強調しておこう。

 世界のポケモンだけに集まるメディアの数も人数もハンパじゃなかった「ポケットモンスター」の来年夏公開予定の新作発表会をのぞく。11時から受け付け開始って言うから時間どおりにいったらエレベーターホール前のロビーに人が溜まって一向に受け付けが始まる気配を見せず、その間も人が増え続けて初詣状態になってよーやくスタートしたってな段取り面へのイラ立ちはあったけど、相手は世界のポケモン様だから暴れて放り出されたらニュースにならないから我慢してヘラヘラとスチルカメラマンから始まった受付を順番に待って時間どーりに来たのにほとんど最後近くになって済ませて中へと入る。カルシウムが足りないのかツマらないことでイラ立つんですボク。ロビー横の「ヤドキング」からいろいろ山ほどのポケモン人形が居並ぶ空間はちょっとしたテーマパークで、ここまで集めたからこその準備時間の長さだったんだと、まあ納得してやれないこともないか。ををあれはトミーがこの冬イチ押しの「たれピカチュウ」(ホントは確か「くたくたピカチュウ」)ではないか、頭が三角のプラナリアっぽいのも相変わらず、だったけど。

 アメリカでの快調ぶりとかをあっちの会社の人が散々っぱら自慢しくさった後で、日本における小学館におけるポケモンビジネスの仕掛人、元「コロコロコミック」副編集長にして今は確かキャラクター室長だったかな、もっとエラくなっているかもしれない映画だとエグゼクティブプロデューサーの久保雅一さんが、2000年以降の展開とかで「POKEMON 2000」プロジェクトを発動して例えばシドニーオリンピックとか日韓ワールドカップとかってな世界中から人が集まるイベントを機会に、世界中の子供たちが同じ「ポケモン」ってものを媒介にコミュニケーションできるよーな環境を作りたいとか。世に出てわずかにせいぜいた4年の「ポケモン」が今後ますます流行るか否かってのは流行廃りの激しい世だけに不明な部分が多いけど、少なくとも小学館プロダクションとか任天堂とかはマジで「ポケモン」を30年保った「ドラえもん」並みにしたい考えだから、パワーと方法論でもって何とかしてしまうんだろー、肝心の田尻智さんがどー思ってるかは知らないけれど。

 その田尻さんも出席したらしー映画の制作発表を聞かずに抜け出して青山TEPIAで開かれた「マルチメディアグランプリ1999」の発表会へ。いきなりグランプリが「どこでもいっしょ」だったことを納得出来るけど納得出来ない複雑な思いで聞きつつ、人間に与えるMMCA会長賞が大友克洋さんだったことに最近あんまり作品作ってなくって自転車ばかりに乗ってる大友さんがこの時期に何でなの? どーせだったら作品作りまくってる森本晃司さんの方がグランプリに相応しいんじゃないの? ってな思いを抱きつつ中村雅哉会長の挨拶とか表彰式とかを見続ける。その森本さんが絡んでいる作品にしても多分おそらくはパイロット版に過ぎない「鉄コン筋クリート」がCG部門の最優秀賞をとってしまう不可思議もこれありで、目新し物に賞を与える意欲は買うけど気分とのズレは審査員のスノッブさによるものなのか何だろーかと穿ってしまう。やっぱ今年サイコーのCGは「PiNMeN」だぜ。

 長髪なナムコの業務用関連が本業なさくらちゃん好きでみやむーのコンサートを欠かさない人が立っているのを横目で見つつ退散、そのナムコからアメリカで「エアロスミス」なんかの音楽ゲームを作っていた会社を買収して、そこん家の「エアロスミス」のゲームを日本で業務用にして出すってなリリースを処理したり、ネット系を取材しているって割には当方の事は知らなかった(まあフツーの真っ当な神経を保つジャーナリストだったら読まないわな)フリーライターの人と飲んだりした後で帰宅して今日もやっぱり見たよ「でじこ」はまるで10円安な声の若者がトレカを買いに来るエピソード。ラ・ビアン・ローズの絵だけやたらと綺麗ででじこにぷちこが粗雑なのは時間がない安物アニメならではの次善の策なのかそれとも計算尽くの効果なのか。冷やかしを目からビームで爆破する凶悪さも見せて来てそれなりに見てしまう不思議なアニメとスタート3日でなりました。痘痕(あばた)も靨(えくぼ)ってホントだなー。


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