縮刷版98年4月下旬号


【4月30日】 いよいよもって今春スタートの新作アニメで一頭抜け出した感のある「トライガン」。絵は崩れずお話は乱れずおまけにますますもって深みを増していく世界観に、期待感がぐんぐんと膨らんでくる。原作を読んでないから分からないけど、どこかパラレルワールドの西部劇かと思っていたらさにあらず、街を砂漠化から守るプラントの存在とかロケットパンチを発射する巨大な人間とかが登場して来る描写には、どこか未来の地球あるいは別の星なんかの存在を思わせて、それから時折真剣な表情を見せるバッシュが、誰かを見つけるために旅をしていることも明かとなって、いよいよお話が大きく転がしだした感じがする。あのヘンテコリンな男がバッシュだと分かってヘナヘナになるメリル・ストライフさんがちょっと可哀想、だけど可愛い。デリンジャー買い占めてマントに縫いつけて、誰かコスプレやってくれないかな。

 セキがひどくて眠れないので夜通し「織姫大戦」をやって時間を潰す。主役に選んで良い関係になるとあの憎たらしかった高慢な織姫がとたんに頬そめてしなつくって微笑みかけて来るよーになり、とっても可愛くなっちゃってくれて男の子としては大満足な展開を楽しむことができた。激しいとゆーよりは積み重ねていく戦闘を各ステージともクリアして午前4時くらいにエンディング、水着姿の織姫を含む思い出の画像をバックに流れるエンディングテーマを白み始めた空を窓越しに見ながら堪能し、ああこれで明日(とゆーか今日も)仕事しねーぞと怠惰な気分に浸る。ちょっとだけ眠るもセキますます止まらず、うつらうつらしながら時間になったので会社に向かう。

 夜中に見ていた「ファミ通WAVE」に「ストリートファイターEX」なんかの業務用ゲーム基板を作ってる確かアリカって会社が登場して、休憩室にあるゲーム機の外側だけをポンとプレゼントすると言っては仰天させ、20万円は「EX2」のまだ発売になってない基板を視聴者プレゼントすると言っては驚愕させていたけれど、それを受けてかただの偶然か、ナムコからさらに新しいゲーム基板「システム12」を使った新しい業務用ゲーム機の開発で、アリカがナムコと業務提携したってリリースが送られて来て、これもシンクロニシティなのかなー(違う、と思うけど)と世の中の不思議に感嘆する。リリースによればアリカが作るのは3次元対戦方ゲームってことで、秋にも登場する予定とか。その前後に取材に行っても、さすがに「システム12」はくれないだろーな。もらっても使い道ないけど。

 ASAHIネットから珍しくリリース。「グーテンベルク21」ってところが主催している電子書店をホームページ上にオープンしたって話で、それだけだったら「電子書店パピレス」なんかが昔からやってるけれど、こっとはラインアップが「デカメロン」やら「千夜一夜物語」やら「白鯨」といった海外の古典にポオの「アッシャー家の悲劇」「モルグ街の殺人」ほかの傑作集、さらにはブラウン神父物にシャーロック・ホームズ物もそろっていて、値段も300円からと結構お値打ちに提供している。

 形式はエキスパンドブックで配布されるから、別にブラウザーを導入すればタテ書きでサクサク読めるけど、とっちにしたってパソコン上で本を読むのはまだまだ正直言ってキツい。それよか文庫探して寝転がって読んだ方が楽だから、こーした手に入る作品よりは、絶版が中心の「パピレス」の方が個人的には有用性が高いと見ているけど、さても「SFセミナー」で電子出版絡みの講演があるから、もしも参加したらその辺り現況と将来性を聞いてみよー。

 太ったエヴァが表紙になってる(よーに見える)(よーにしか見えない)ウィリアム・C.ディーツの「戦闘機甲兵団レギオン」(上下、早川書房)を買う。上巻は色が初号機で、下巻は4本足になった零号機ってな感じがしないでもない。とにかく皆殺しにしないと気のすまない異星人を迎えてサイボーグ戦士誰が為に闘う、じゃないサイボーグ戦士が敵フダサ軍と闘うって話らしーけど、まだ読んでないから「スターシップ・トゥルーパーズ」より面白いのかどーかは不明、ただし発売のタイミングからすると多分に意識していることは間違いないと思え、つまりはそーゆー事に気が回るくらいに早川書房もSFで商売する事を考えてるってことがうかがえる。

 それから「歴史群像大賞」って実はあんまり聞いたことのない賞を取った富樫倫太郎さんの「修羅の跫(あしおと)」(学研、980円)を買う。平安時代を舞台に源為義と愉快な仲間じゃない渡辺綱やら金太郎やらを含む四天王が甦った阿修羅と闘うって話に、陰陽師の安倍泰成やら平氏に源氏のいさかいやらが絡むってゆー、スケールだけは結構壮大で冒頭を読んだ限りではなかなかに面白そーな話になっている。あとがきによれば伝奇的な要素を絡めてさらに壮大な作品が構想されているよーで、マイナーな出自をものともせずに、ここは頑張って執筆を早めて新作にも早く取り組んで・・・おやもう書いている? 結構、あとはちゃんと出版されることを願うばかりだね。


【4月29日】 山形浩生さんのホームページにあるリンクの説明のロゴビスタった奴の続き。『 彼は同じく「人気が高い」作家の焦点のポイントの種類であって、そして社交的にすることから生活を作ることについての模型事件を供給する。 ノー、私はここで敵について話をすることでない、私は記入項目が成り立つように思われる彼の日記の63・8% はカラオケ/獲物/飲酒が作家と一緒に底抜けに浮かれ騒ぐという事実と出版社について話をしている(それ、アイ・・・・そうでないことはここでうらやましく思っているか、あるいは私はそうであるか?)、そしてそれはこの男の主要な販売であるように思われる。 翻訳者として良くなくなくて、あるいは。 すべてが下手でない。素晴らしい』。さあ誰でしょう? カラオケで作家と一緒に底抜けに浮かれ騒ぐという辺りがポイントでしょう。しかし「良くなくなくて」とはまた遠回しなホメ言葉、だなー。

 明け方の5時頃までひいこらいいながら「サクラ大戦2」の3回目。もちろん狙いは織姫ゲットと紅蘭のランクインで、途中までは織姫のポイントを「かばうモード」で必死に上げよーと試みるも、「ニッポンの男にかばわれるなんてー」とつれない態度に怒りと哀しみも湧いてくる。がしかし(多分)こーした地道な努力の積み重ねが、いったん評価が大逆転してニッポン男児の心意気を見せつけられた時に、一気な最上位への浮上へと繋がることになるんだろー。鬱陶しいアイリスがどこまでもポイントを稼ぎやがるもんで紅蘭の上位4人入りはなかなかの苦戦、どうにか赤坂での戦闘辺りまでに「かばうモード」駆使でポイントを稼ぎ、どーにか主役選びイベントに入れることができた。後はとりあえず「織姫大戦」でエンディングを迎えてそれから5月の連休に「紅蘭大戦」で一応のシメとしよー。ミニゲームはアイリスとカンナとすみれとさくらと織姫は発見、まだあるのか? マリアのとかってどんなゲームなんだ??

 9時に何とか目を覚まして電車を乗り継ぎ木場の東京都現代美術館へ。時代は今な森村泰昌さんが放つ空前絶後の大展覧会、その名も「空装美術館」が先週末から開幕していて、評判で大混雑になる前にとりあえず見ておくべーと、セキに厳しい体調を押して出向く。木場からは徒歩で10分ほど、お腰に付けた吉備団子色の「ポケット・ピカチュウ」が小気味よく数字を刻み、到着時で累計15万歩を超えた。超えたら何か良いことがあるって、「ポケピカ本」の仕事もしているみたいなさいとうよしこさんから聞いたけど、今のところとくに電気を出してシビれさせてくれるとか、怪光線を出して卒倒させてくれそーな気配はない。あるいは今晩あたり何かやらかしてくれるか。期待でちょっとわくわく。

 とりあえずガラ好きの場内を歩く。アベックとか女性2人連れとかの来場者が笑いながら歩いていく姿を見て、妙に気取った文学青年っぽい男(俺、みたいのかいな)がしかめっ面して見ている姿との対比になんだかおかしくなって来て、こっちもクスクス笑い出したい気分になる。芸術を、美術を笑うって行為が果たして正しいことなのかは知らないし、本人が笑われることを喜ぶのかも知らない。知らないけれど大真面目に芸術作品の中に入り込んでその人物だとかに扮装している(時にマッド・アマノチックなパロディも折り込みつつ)作品を見たら、ごくごく客観的な立場から考えると、やっぱり笑ってあげるのが正しい態度じゃないかって思えてくる。「こんな時どんな顔したらいいかわからない」「笑えばいいと思うよ」。プラグスーツの綾波の扮装をした、あるいは制服姿のアスカの扮装をした森村泰昌って見てみたい。やらねーかなー。

 まあやらねーだろーけど10月3日から現代美術館で始まる「マンガの時代:手塚治虫からエヴァンゲリオンまで」ってゆー展覧会には、あるいはそーいった傾向の作品がたっくさん登場するのかもしれない。中身はパンフレットをまま写すと「いくつかのテーマのもとに戦後マンガの歴史を通覧するとともに、媒体としての雑誌の正確を検討するコーナー、原画の展示はもとより、マンガやアニメーションの影響を受けた現代美術作品の展示も行います」、ってことは村上隆さんお「KO2」ちゃんなんか真っ先に展示されてしかるべき、だよな。あるいは日本中に増殖したすべての「エヴァグッズ」を一同に展示するとか(例の1分の1綾波とか、ビームが作ったクリスタルアートも含めて)。しかし「エヴァ」までってことは「ウテナ」は無視かよ、あの世界に浸っている森村泰昌ってのも見てみたい気が・・・ちょっと怖い。

 「空装美術館」の最大の目玉が(一番人がいた)「モリクラマシーン」と呼ばれる最新のメディアアート、フレームの中に自分の顔を入れたシールを作り、まるで写楽、まるでモナリザ、まるでゴッホの作品世界の住人然と振る舞えるとゆー画期的な発明は何ってこたーないただのプリクラなんだけど、フレームの部分を基本的には森村さんが描いたモナリザなり写楽なりゴッホなりからとっていて、2重の意味での空装気分を味わえる。午前中だったため比較的並んでいる人数が少なく、これはラッキーと後ろについて並んでいたらNHKのカメラがぞやぞやと入って来て、前でモリクラってるアベックやら夫婦やらに質問し始めた。

 これはもしかしてインタビューされるかもって期待してたら、僕の番になるとカメラは隣りにもう1台あるマシーンへと移り、そっちで青春してたグループの男女にインタビュアーは行ってしまった。ああ残念。せっかくコルビジェもかくやと思わせるヒゲのモナリザが出来たのに。まあ並んでる所も撮っていたから、日曜日あたりの「日曜美術館」か何かにチラっと映るかもしれません、黒い長袖Tシャツにジーンズの、帽子被った眼鏡のヒゲがあたしです。モリクラった作品はそーだな、道ばたで会ったらサインがわりに上げましょう。8枚しかないけどまあ売れ残ること請負だね。だってウツクシくないんだもん(土台がコレじゃー仕方ねーけど)。


【4月28日】 事態は深く静かに進行しているよーな山形浩生さんのホームページが誕生。といっても英語だから高校時代に10段階で2、共通一次の英語も自己採点で70点だった身には少々キツく、仕方がないので超古いロゴヴィスタを機動させて翻訳させるも、やっぱり全然解らない文章になってしまった。たとえば某夫婦へのリンクについて説明した文章はこう。

 『1人はそうである 海原で地位男女同権主義/サイボーグ男女同権主義と他に理解がある後で近代的な deconstruction の lit-crit  地位/(非常に文字をつづることを確信していない) サイボーグ男女同権主義 techno 男否 sis は性 crit である 一緒に 等しく深く洞察 post-modern-deconstruction のために』。それから『私は私がした事/物のために苦しみで私の毛を引き抜いている (10の毛がこれまでのところ外に来た。) あなた(たち)が既に知っているから、結果として これらの君たち(Y氏 が「個人」ことを、指摘したから)、政治的に正しい承認 (そして 承認 、ちょうど彼らの1人、正確であること)そうである』とかね。

 雰囲気はなんとなくただならない物を感じるけれど、やっぱり全然分からない(とりわけ「毛を引き抜いている」ってあたりなんか???)ので、もっと高性能の翻訳ソフトを導入したいなーと思う昨今。ちなみに僕のところにもリンクがあって、その紹介文をロゴヴィスタるとこうだ。『一体いかに彼はすべての1つだけの日、彼の日記を最新のものにする時間を見いだすか?  非常に面白くて、特にもしあなた(たち)がゲーム、アニメーションと、それらの産業に打ち込んでいるなら。 彼は主要な新聞のために真のリポーターである、それで彼の著作は真の重要性を持っている』。うーん分かりやすいがしかし「主要な新聞」とは大きく見積もってくれましたねえ。もしかして白髪三千丈の類でしょーか。タイトルが「Ura Nikkan」だったりするのはご愛敬(どーせどーせ誰も知らないんだ。Nikkoなんて・・・)、なんだけど。

 その山形さん、こんどはサイボーグ男女同権主義を苦しみで毛を引き抜かせたりはしない翻訳物を刊行するそーで、今日届いた日本出版販売の「週報」に一報が出ていた。タイトルは「夢の書」で筆者はW・バロウズ、そう先年死去したビート世代の代表的作家で山形さんによる翻訳多数のバロウズの、遺作となった「夢の書」がいよいよペヨトル工房じゃない河出書房新社から5月18日に刊行予定だ。値段だって1700円とお安いからバロウズファンで山形ウオッチャーなら買え、サイボーグ男女同権主義者ももちろん買え。もっともあたしゃバロウズってーとエドガーでライスな方がまず頭に来ちゃうから、とりあえず店頭に並んでペラ読みしてから買うかどーか決めます。

 珈琲好きには一歩店内に入った時に漂うあの香りがたまらない「スターバックス」のCEOが書いた「スターバックス成功物語」(日経BP社、1800円)を買って読む。珍しく経営書なんか読んでると熱でもあるかと思われるかもしれないけれど、これでもいちおー経済記者、なもんでウナギ上りな企業の話にはとっても興味があるんです。ってゆーよりかは単に珈琲好きで、銀座の松屋の裏に「スターバックス」が出来た時は早々にかけつけて試飲して、以来「スターバックス」のファンになったからってのが正しい理由だね。

 スタンドにしてはちょっぴり高い珈琲に、「ドトール」「プロント」の珈琲に慣れた日本人が寄りつくのか心配だったけど、以後も赤坂やら渋谷やら六本木やら八重洲やらに順調に店を広げていることろを見ると、世知辛い世の中にちょっぴりリッチな(ってもスタンドだけど)気分を味わいたいってな人たちが、結構増えてるんだろー。昨日発表になったレジャー白書でも、確か遠出したり遊園地でドバーってな遊びよりはゲームやら映画やら外食やらといった「お宅」なレジャーが幅を利かしはじめているよーだし。

 しかし最初は従業員で入った田舎の良心的な珈琲豆販売店を、いったんは飛び出してイタリアで見たエスプレッソのスタンドを真似て米国に深煎りの珈琲を飲ませるスタンドを作りそれが大当たり、最後には昔いた会社すなわち「スターバックス」を買収して、やがて全米でもトップクラスの珈琲ショップを持つに至った男の一代記は、それだけでやっぱり「アメリカーン」な「ドリーム」を感じさせてくれる。金融のような虚業でもないし、ソフト会社のように栄枯盛衰が激しくもない(かわりに急成長も難しい)飲食店の世界で、顧客の事、従業員の事を考え真っ正直にやってかつトレンドも抑えたやり方が、結果をもたらしたことは気持ちよい。それが大好きな珈琲だったってことで嬉しさも倍になる。

 さても本書を参考にしてもらいたい企業が身近なところから離れたところまで全国にゴロゴロとしてるけど、社員の幸せが自分の幸せ、なんかじゃなくって自分の幸せが社員の幸せ、なんて考えていそーな(それより自分は幸せ他は知らん、の方が確かかな)人たちばかりだもん、ニッポン経済やっぱ良くなる訳はないし、ますます世界からも取り残されていっちゃうよな。いっそ修行してノレン分けてもらって田舎で「スターバックス」のバリスターにでもなるかな。


【4月27日】 新作アニメが始まってから1カ月たって録画する奴しない奴の区別がよーやくついてきた、って言っても出来不出来からじゃなく多分に時間帯との兼ね合いってのがあって、でなきゃ月曜日深夜の「時空転抄ナスカ」を録画してまで見ようって気にはならん。いやこれはこれでどーゆー展開になるのか感心はあるし、あの珍妙なタイツチャンバラは将来において語り草になるから撮っておけば希少価値が出るかも、なんて欲もちょっとだけはあるけれど、裏にもし撮りたい番組ああったら、あるいは前後にもっと面白い番組があったらきっとパスしていただろーね。

 その良い例が水曜日深夜の「センチメンタルジャーニー」で、これがどーして外れるかとゆーと直後に「ヴァイスクロイツ」があるから、とゆーのが真っ赤な大嘘であることは、これを1度でも見たことがある人なら解るでしょう。正解は直前のに「トライガン」があるからです。スタートして放映された4話のすべてが傑作、たあ大袈裟だけどお話にも絵にもこれまで全然無理がなく、これからも安心して見ていられそーな予感がしてる。前回初公開なったメリル・ストライフさんのコートの中にミニガンの列。あれだけぶら下げてればさぞや重たいだろーにと思うけど、そこは先輩のプライドか、やっぱりガトリング銃をコートの下にぶら下げてホエホエ言わせてるミリィ・トンプソンの手前、渋い顔も苦しい顔もみせず日夜ヴァッシュ監視に取り組んでる。いやあキャリアガール(死語?)の鏡だね。

 オープニングの格好良さは評判になっているけど「トライガン」、エンディングのあのえぐい唄もなかなかじゃない? 歌っているのは記憶が正しければ昔「イカ天」で5週勝ち抜きまで演じた実力派、マルコシアス・ヴァンプのボーカルだった秋間さんだと思うけど、クレジットを見るとどーやらマルコシってバンド名じゃなかったみたいだし、もしかするととっくに解散してたのかな。あのバンドの手袋はめてベース弾く格好だけジュリーな小太りのおっさんが、気色悪かったけど結構目に残っていたりするんですね。

 火曜日は一部にイタサ炸裂の「サイレントメビウス」が録画の対象で、木曜日は「アウトロースター」で金曜日は「カウボーイビバップ」。「ロストユニバース」は結局2話まで見て半分投げちゃいましたが、その後どーなってるんでしょーか盛り返しているんでしょーか。土曜日は山とあるけどどれも録画していない、日曜日もやっぱり録画はパスで、結局このクールは月曜日から金曜日まで1本づつ、120分テープに4話づつ入れて1カ月で5本のビデオが溜まる勘定になる。見返しはしないけど取りおいておきたい意思もこれありで、狭い部屋は本だけじゃなくビデオもズンズン溜まっていき、やがて寝る場も消え去る勢い。やっぱ部屋、代わろーかな。

 真面目に仕事をしている証拠に東京証券取引所で開かれたアスキーの緊急記者会見に行く。たかだか店頭公開企業の業績下方修正になんで会見とも思ったし、それにCSKから御大大川功会長を副島社長まで同道とあっては、きっと何かあるはずだと思って行ったらやっぱりあった。そりゃもう大騒ぎさって奴で、何しろ過去20年間に亘ってアスキーを1から作って育てて来た西和彦社長が、いよいよもって平取締役に降格となって経営の第1線から退くってんだから、過去ベンチャーの旗手だとか、マルチメディアの担い手だとかいって持ち上げてきた財界官界そして言論界(つまりうちら)にとっても、時代の大きな変わり目が到来したってことになる。

 「裏の畑で西が泣く、大川爺さん掘ったなら」−ちょっとばかし固い土が出て来たけれど、そのすぎ下あたりに銀の箱に入った水をかければ育つ種が入っていることが解ったもんで、ちょっぴり設備投資してスコップを買ってエッチラオッチラ掘り出した、ってのが多分去年の12月25日に発表のあった、CSKとセガからの資本受け入れを決めた段階での構図。けれども土は思いの他固まっていて、しょうがないので上に乗ってドンドンと踏んでみたら驚いた。銀の箱のさらに下に深いふかい水たまりが出来ていて、哀れ銀の箱はその底へとズブズブ沈んでいってしまいましたとさ。

 もはやスコップだけでは如何ともし難い、かといってここで退くのは業腹だとばかりに、今度は水をかき出すポンプを買い、底に降りるためのハシゴまで買って種を取り出そうとしているってのが、新しい不良資産が見つかってその処分で大赤字の決算を余儀なくされることが解ったと、発表した今日の構図のような気がしないでもない。お爺さんを呼んだ西さんは、水たまりに手を入れさせられたお爺さんの怒りをかって大きな小屋から小さな小屋へと移されて、とりあえず悪い人がこないか、美味しそうな食べ物はないかをかぎわける仕事だけを与えられることになりましたとさ。もちろん首には太い鎖(メイド・バイ・CSK)がついてます。

 これが花咲か爺さんのポチだったら、意地悪爺さんに撃ち殺されて灰にされて枯れ木に花を咲かせる恩返しをするところだけど、とりあえず西さんは残るみたいなんで、ゆくゆくは華麗に復活をとげて、再びかつての権勢と信望を取り戻すかもしれない。何せまだ若いんだし。問題があるとすればそれはやっぱり御大大川さんの方で、なんといったって70をとうに過ぎたご老体、それが今回の再建策でアスキーが打ち出した、借金を今後7年にも及ぶ償還期限を付けられた私募CBへと振り替えてもらうってスキームの面倒をみなくちゃいかんとは、なかなかに厳しいものがある。

 もちろん大川さん個人が保証している訳じゃないから最後まで面倒を見なくたって良いんだろーけど、何ってったって大川さんあってのCSKだし、大川さんあっての西和彦そしてアスキー、仮に何かあった場合に残りの年限をアスキーが完全に立ち直るまで果たしてCSKが面倒を見てくれるのか、それがはっきりしないと銀行だって貸し金を私募債(それも格付け的には結構厳しそうな)に振り返るなんて怖くてちょっと出来やしない。来るべきその日を思いながらも老骨に鞭うって奔走する大川さんて人は、よくよく西さんを買ってるんだろーし、そんな大川さんに見込まれながらも、第1歩(つまりは最初にCSKとセガの資本を受け入れた時)から躓いていた西さんて人は、よくよく不孝な身の上、だねー。

 さても7年にわたって経営を再建して株価を倍にしなくちゃいけないアスキーが、果たして巷間言われていた「ファミ通」部門の分社化を実行できるのかってのが、西さんの代わりに誰が社長になるかって事以上に(まあ今だって社長とはいえ、ねえ)問題かもしれない。稼ぎ頭のエンタテインメント部門を分社化なんかしちゃったら、アスキーが再建で掲げた債務超過の解消と株価の倍増なんてとうてい無理。かといって分社しなかったらしなかったで、例の中立性の確保の問題が再び浮上して来る訳で、このあたりいったんは大川さんの分社化発現で解消されたかに見えた「ファミ通離れ」が、再び顕在化してくるかもしれない。行き先は「TVゲーマー」・・・あっ、もーねーや。

 不真面目に読書している証拠に司城志朗さんて人の「ゲノム・ハザード」(文藝春秋、1333円)を読む。ジェットコースターに乗っているよーに連れていかれる感覚は、流石にヴェテラン作家ならではの巧みさで、描かれている記憶の錯綜するディティールもくらくらと目眩を起こさせてくれて、心地よい気持ち悪さを味わわせてくれる。読み終えた訳じゃないから決定的なことは言えないけれど、評判になるくらいには面白いことは間違いない。しかし何で「ミステリー」なんてでっかく帯に書くのか、それも「この星でもっとも進化した」なんて付けて。大人しく「SF」と書けばいーじゃんと思うけれども、さてこの話SFサイドではいかな評価をされるんだろー。「何でも派」の大森望さんに評価を期待したいところ、です。


【4月26日】 土曜の朝からひいている風邪がいっこうに直らず今日も家でフテ寝を決め込む。途中抜け出してスーパーで生姜と黒砂糖を買って着て、煎じて溶かして飲んで汗を流すものの喉の腫れがなかなかひかず、これは持久戦になるかもと迫る(一部にはすでn始まっている)ゴールデン・ウイークの日程をながめながら、うち何日外出できるだろーかと考え、なんだ予定なんてまるで白紙じゃんと悲しい気分にさらに鬱々となる。風邪ひいててもひいてなくても毎度のこと、なんだけどね、この時期には。

 おちこんでいたけれど、わたしはげんきな訳はない。けど目と手だけは動くので溜まっていた仕事の本とそうでない本を読み込む。仕事の方は真保裕一さんの「密告」(講談社)。実はこれが初めてだったりする真保さんで、噂にたがわずしっかりした骨格の話を書く人だと感心する。舞台は神奈川県警のそれも所轄の生活安全課。おおそれなら「新宿鮫」かと思った人は大間違いで、昔の遺恨が今になって甦り、かつての同僚で今は上司を密告した角で白い目で見られていた警官が、正義感からなんかじゃない、女からだけは白い目で見られるのは嫌だという情けないけど強固な意思で、犯人探しに乗り出すって話。

 国家的な陰謀も派手なドンパチもなく、淡々と進む調査の果てに見えてきた真実がこれまた妙に情動的な理由だったりして、これをもって「警察組織内の暗闘に迫る問題作」とまで言い切ってしまって良いものかと思案する。がしかし、考えてみればわれも人なりかれも人なりで、事件なんてもんはしょせん全てが人間の起こすもの、人間の欲望と嫉妬と羨望が渦巻く果てに起こるもの。身近で情けなく卑小な人々ばかりが跳梁する話であるからこそ、今のこのせせこましい、くだらない、けど生きなくっちゃいけない現実を振り返らせてくれて、心にずどーんとぶっとい杭を打ち込まれた気分になる。それでも罠を生き抜いて、少しだけ自分を取り戻した主人公に安堵し、せせこましく、下らないけど少しは良いところもある今を喜ぶ。

 ついでだとばかりに図子慧さんの「ラザロ・ラザロ」(集英社)を読む。ちょっと前に奇想天外なヴァンパイア物の「猫曼魔」をヤングアダルトで出していた図子さんだったのに、今度は製薬会社の暗闘と政治と裏経済が複雑に絡み合う社会派ミステリーでちょっとだけSFを書いていて、前の「イノセンス」の時にも思ったけれど本当に奥が深くて間口が広い小説家さんだとあらためて感嘆する。とはいえしっかりと耽美な(いささかトウは立ってる2人だけど)描写もあるし。野村佐紀子さんの写真を使ったシックな表紙で、あまり目立たないかもしれないけれど、すでに店頭に並んでいるからファンでなくても要チェック、つまりそれだけ面白いってこと。

富士通パソコンシステムズが社運をかけて(は大袈裟だけど)制作したバレーボールの鬼コーチになってブルマー子女をいぢめようシミュレーション「プリズムコート」の評判が良いようで何より。もうずいぶんと昔に富士通で話を聞いて、実際の出来不出来なんて関係ない、とにかくコンセプトとイラスト(中島敦子さん、だったかな?)だけでオッケーだ、ってな勢いで大きな記事(100行くらい)にした記憶(もち新聞じゃー1番最初だ、って他の新聞じゃー取りあげなんわな)があって、では実際にゲームになった時に、果たして記事を書いたことを喜べるのか恥じ入る事態に陥るのか、興味津々かつ戦々恐々な気分で発売されるのを待っていた。

 評判になっている、と知ったのは作家の我孫子武丸さんの『ごった日記』を見て知って、そうかあのゲーム通の我孫子さんをもうならせるゲームに仕上がっていたかと安堵で胸をなで下ろす。すなわち「とんでもないゲーム」であり「驚愕すること間違いなし」のゲームだ。ただの育成&恋愛だけじゃない、どんでん返しな仕掛けがるのだろー。いったいどんなゲームなのか、何せ「PS」持ってないんで実際に触れないもんで、とりあえずは「EQ」に掲載される我孫子さんのレビューを楽しみに待とー。富士通パソコンシステムズには次回作も期待だ。今度は男子校ラグビー部を舞台にしたコーチ(男)と選手との熱すぎる関係を描くシミュレーションは如何。やりよーによっては薔薇にも熱血にもなるとゆー。


【4月25日】 静岡方面のとりわけ浜松地区では近いうちに「ジターリング」が大流行を見せることでしょう。何ったって地元で講演会もバリバリこなす新進気鋭の学者が手にし、すべてを見通す慧眼をしてもなおいったいどうやって遊ぶのかがサッパリわからないという玩具。これが玩具だということを知っていて、なおかつ回すらしいという情報だけが与えられてさああの奇妙な大輪と5つの小輪で形作られた「ジターリング」でいかな遊びを考え出すのか、行動心理学的にも文化人類学的にも興味はつきませんです。

 少なくとも僕の場合はデモンストレーションしている現場を見ていたので、どうやって遊ぶのかだけは知っていて、後はその状態までどうやってたどり着くのかだけが問題だったけど、いきなりあの形状の品物を玩具として与えられたって、わかりませんがな絶対に。昨日も某メダゲーな某広報に何の情報も与えずただ玩具であるとだけ教えて渡したところ、やっぱり首にかけた。先生もきっと首にかけた事でしょう、あるいは輪に通った5つのビーズを、「1つ積むのは母のため」じゃないけれど、1つ2つと右から左に、左から右に寄せて念仏をとなえたかもしれません。

 しばらく見ていてもラチがあきそうもないのでとりあえず華麗な基本技(しかしらないし出来ない)を見せてオッケー、そこから「ヨーヨー」で言うスリープに当たる状態まで持っていくのに幾重もの苦労を重ねていたよーだけど、1つ2つのビーズはとりあえず回せるよーになった。そう「ジターリング」はとにかくビーズをずっと回し続けることが基本なのです。週末に頑張るとの言質をとってとりあえずお貸ししてGW中にどれだけ新しい技をその英知で見つけだしてくれるのかに、今はとりあえず期待を表明しておこー。おっと先生もちゃんと技、考えて下さいね。

 数日前に朝日新聞が掲載した、幻灯舎の「ダディ」に関する朝日新聞広告局の対応にどにも釈然としないものを感じて仕方がないく、あれやこれやと考えてみる。要約すれば「ダディ」という郷ひろみの離婚を扱った本の広告を朝日が全面広告で受けていたってことだけど、何やらニュース性のある(それはワイドショー的なニュースバリューではあるけれど)事態に関係している事がわかってなお、新聞社の広告担当部門はそういったニュースがあることを、多分編集には伝えなかったらしい。

 クライアントの要請に答え守秘義務を守るのが広告局として当たり前、という理論はわかる。それを守り抜いた広告担当の人たちに、自分たちの仕事への大いなる自負があることもわかる。わかるけれども広告も編集もない総体としての新聞が、一般の「知る権利」を代弁するという美名のもとにあらゆる情報へのアクセス権を握っている状況のなかで、結果として新聞社が読者の信託ではなくクライアントの要請を第1義として優先させた、このことが果たして正しいのか間違っているのか、新聞が広告なしには成立しえない現実そのものを含めて、いろいろと考えてみたいテーマではある。結果として別の新聞がスクープして、望んでいたよーに「広告でもスクープ」にならなかったのはザマミロだけど。

 須賀敦子さんの遺著となってしまった「遠い朝の本たち」(筑摩書房、1600円)が書店に並ぶ。舟越桂さんの彫刻を使った装丁に、はじめて須賀さんの存在を知ったのが、好きだった彫刻家の舟越さんの作品が使われていて、平積みの本の山のなかで「コルシア書店の仲間たち」が、目につき手にとって読んだことがきっかけだったことを思い出し、自分にとっての須賀さんとの関わりの、最初と最後をともに舟越さんが飾ったことに、不思議な縁(えにし)を感じてしばし瞑目する。

 病床にあって、最後まで手を入れていたという本文は、最初と最後にしげちゃん、あるいはしいべとあだ名で呼ばれたかつての同級生が登場し、本を絡めた彼女との出会いと、年月を経ての再会、そして死が語られる。夫の死、父の死と、その他もろもろの死を淡々として描写にくるみ、語って来た須賀さんの著作だけに、友人の死というものを語る時も、ウエットな描写はまるでない。けれどもこれらの文章を、著者は病床にあって筆を入れていたのだということを知った今、近づく自らの死を思いながらも、表面へと出さずに淡々を友人の死を語る、その気丈な振る舞いにはとにかく胸を討たれる。

 これが最後かと思うと、読み終えるのが惜しく哀しい本だけど、本という形になったことで、永遠(すくなくとも僕が生きている間は)となって残り、再びの、三度の、数えきれないくらい数多くの感銘を、何時いかなる時も与えてくれる。そんな本の有り難さを改めて感じさせてくれた本が、本について書かれた本だった、その事にやっぱり自分の暮らしは、本とは切っても切れないものなんだなあ、と思いこちらでも不思議な縁を噛みしめる。


【4月24日】 今ひとつ乗り切れない体調の中をごそごそと起き出して仕事。途中秋葉原によって「夜を走る王子」を含む「少女革命ウテナ」のLDの第9巻を仕込み、猥雑に絡み合うジャケットの暁生とウテナの絵柄に中国旅行で本放送を見られなかった問題作の中身への期待もいや増す。全11巻だから残りは2枚ってことはつまり5月と6月に1枚づつで終わり、5月にはゲームが出るけれど7月以降はいったいどんな話題でたぶん来年? な映画までつなぐのかと考える。

 放送終了後に各方面のメディアを巻き込んで盛り上がった「エヴァ」の再来を願うほどには一部を除いて盛り上がっているよーには見えないし、かといって「ナデシコ」ほど朝1でテレカ付きチケットとりに来る青少年にウケているとも思えず、残るはコミックの展開だけどこれだけじゃーね。虚ろいやすい若者の関心をいつまでも引っ張っておくのは大変じゃないかな。脚本集が出てたけど、これももまーー余技だものな。

 「ガンダム」じゃないけど話題を盛り上げるにはたぶん再放送が1番なんだろー。とはいえ今のテレビ東京じゃー再放送の枠なんて朝くらいしかないし、朝からアレ見せつけられるのもアレだし、ってことで今後の展開にいささかの不安を感じつつも、ともかく映画までは引っ張って引っ張り続けていただきたいところ、やっぱさ、新しい絵、みたいもん。LD屋では入り口にバンダイビジュアルの商品予告があって「ブレンパワード」も7月だったか8月だっかかにLDとそれからDVDも発売の予定。1度も見たことがない(とゆーか見られない)から知らないけれど、ちゃんとLD発売までは話題、続くのかな。

 ついでだってことでT−ZONEで「モバイルギア2」を購入、カラー版はやっぱり時間が短いってことで長時間それも乾電池だけで動くから海外旅行には最高なモノクロ版を購入する。税別で7万9800円は秋葉原の今の相場らしーけど、とにかく商品が少なくどこのショップを回っても予約受付中だったり品切れ入荷未定で、これより安い値段のお店を探す余裕も選択肢もなかった。さてもいったい幾らくらいまで下がっているんだろー。とまれ運良く見つけたお店で購入してかついで会社へと行き、中身をあれやこれやといじってみてもさっぱりわからず、これは週末仕事になるかなーと今から時間の算段に悩む。これさえなければ新製品って大好きなんだよな。「サクラ大戦2」の3回目もやりたいし、週明けはこれでまたデロデロだあ。

 明日から東京都現代美術館で大々的な個展が始まる森村泰昌さんの久々の本「芸術家Mのできるまで」(筑摩書房、2095円)を購入、これまで頑なに年齢とか出生年月日を隠していた森村さんが、後書きの年譜で1951年6月11日であることを公表していてちょっと驚く。後巻末近くに載っている、シンディ・シャーマンに関する文章が、傍目に見てもとっても似ている人のアーティストの関係が、対立では決してない良好に関係にあることがわかってちょっと気になった。

 「私たち、似ていて素敵だね」ってな幸せな気分が、決して低い価値ではないことを訴えているその文章は、ことさらにオリジナリティを主張し、似ていることを恥ずかしいことと思わせるクリエイティブな世界の風潮に、自らクリエイティブな世界に身を起きながら否定してみせていて興味深い。なにせシンディ・シャーマンのあの名作アンタイトルドなセルフポートレイトを森村さんが演じてるんだ、これはやっぱり2人は幸せ、って感じバリバリだよね。


【4月23日】 榊東行さんの「三本の矢」(早川書房)を読了、うんオッケーです、ってなことは私大文学部卒業の5流新聞記者なんかには言われたくないだろーけど、作者って言われている東大卒ハーバード留学の課長補佐サマってな作者は。だけどそんなどシロートの通俗小説好きが呼んでも面白がれるだけのエンターテインメント性を備えているんだよね、キャラクターの造形も物語としての起承転結も。これをして官僚の内幕暴露とか身内批判とかって評価を下す人もあるだろーけど、まずは小説として、それも極上に楽しめる小説として成立し得ていることをとにかく誉めたい。まああたしなんぞに誉められたって、やっぱり嬉しくもなんともないだろーけどね。

 官僚の生態を暴露するだけの話だったら「お役所の掟」じゃないけどノンフィクションにいくらもあるし、小説にだって通産省のゴタゴタを描いた堺屋太一の「官僚の夏」(だったっけ? ちょいド忘れ)なんかがあるけれど、どこか怨念というか羨望というか嫉妬というか、とにかく複雑な感情が垣間見えるそれら先例に比べると、「3本の矢」はまずこの国が官僚と政治家と財界の”3本の矢”ががっちりと組上がって出来ている様を浮き彫りにし、その上でなにをどうすればどうなるのかを説得力のある形でシミュレートして見せ、そこに小説として面白くなる道具立てを現実と違和感のない形で揃えぶち込み、1本の物語に組み上げている。

 時間にやけに正確な未来研究所の佐室って人間はなんか「ジュラシックパーク」のカオス理論の数学者っぽい役回りで一番現実味が乏しい存在だけど、とにかく頭の良すぎる人たちだから、中にはこれくらいキレた人がいても不思議じゃないのかも。国際謀略もないしアクションも奇想天外なトリックもなく、ミステリーとして読んで面白いものなのかはわからないけど、政治と経済と社会と官僚にちょっとでも興味のある人なら、挑んでみても無駄はない。良くも悪くもこの国の行く末を考えて議論ばっかりしている若手官僚を、おそらくは作者と同世代の親近感からなのかちょっとカッコ良く書きすぎてるのが癪に触るけどね。

 うーん参ったぞ「週刊文春」。あのサイババ娘な林葉直子さんが将棋を辞める1因に、かの「棋界の太陽」の執拗なまでのストーキングがあったとは、今の今までご存じ無かったこれこそ”おてんとう様しか知るめえ”だ。いや多分将棋界の人はみーんな知ってたんだろーし、当然将棋担当記者の人たちも周知でかつ棋戦を主催している新聞社の幹部の人たちも知ってたんだろーけど、報道することは出来なかったんだろーね。プライベートなことってのもあるし。ただこーまで派手に出てしまい、それをご本人も認めてしまった以上、後は先生これまで営々と築き上げて来た「自然流」なイメージを、2度と快復は出来ないだろー。いやさ本能の赴くままに突き進み、感情の赴くままに出たり入ったりする先生は、まさしく「自然流」いやさ「野生流」、なのかもしれん。ああしかしなー、やっぱダメージでかいわ。

 ニッポン放送の有楽町に残っているビルで記者発表に出席。その名も「東京キャラクターショー」ってのが8月2日と3日に東京ビッグサイトで開かれるって内容で、主催者をはじめ協賛協力企画企画協力の面々ガズラリ登壇してイベントへの抱負をブチ上げてくれた。そもそも「キャラクターショー」が何かってゆーと手っ取り早く言えばキャラクターのショー、つまり今や世の中はキャラクターブーム全盛で、キャラクターさえ付いていれば売り上げピカチュウな(意味不明)状況を鑑み、キャラクターで商売している企業を集めてせいぜいキャラクタービジネスの現状をアッピールしてもらいましょ、ってな目的で開かれるもの。当日会場に行けば、様々なブースがキャラクターグッズを売っていたり、新しいキャラクターのゲームかビデオか出版物か何かをアピールしている姿を見ることが出来るとゆー。

 注意しなくちゃいけないのはここで言う「キャラクター」のこと。「キャラクター? キティちゃんのことでしょ」ってな反応を見せる女性にオヤジな人たちもいるだろーけど、ここで注意をうながす意味で絡んでいる人たちを紹介すると、協賛が角川書店、協力がメディアワークス、企画がブロッコリー、企画協力が会社名忘れたえっと真木太郎さんがやってる会社だ。このメンバーを見て知っている人なら思うよね「なんだアニメとゲームとコミックのキャラの展示会か」。まさしくそーで、このメンバーを見た上で、それでも「キティが出る」「ミッキーに会える」なんてイベントの中身を報道しよーものなら、その記者は世代間性別間によってまるっきり違うキャラクターブームの姿を、ベースボールカードとアニメキャラのカードを同じ「トレーディングカード」の範疇に押し込んで同じ文脈で語ることと同じくらい、つかみ損ねているんじゃないかと思う。

 もちろんいずれはそーした超メジャーなキャラクターも、それこそ「ミッフィーちゃん」も「バーバパパ」も「スヌーピー」も「ハローキティ」もそしてもちろん「ミッキーマウス」も、「ナデシコ」やら「メロディ・シンクレア」やら「プリティサミー」やらと同列に「キャラクター」としてショーに並んで欲しいみたいなことを言っていたけど、たとえ許されたってコミケで「ミッキー」やるよーな人が出るとは思えないのと同じくらい、訴求する層が違い過ぎてショーのイメージがバラけてしまう可能性もあるから、仮に来年以降も開催されるとしたら、そのあたりが今後の課題になっていくんだろー。とりあえずは小学館プロダクションの動向が成否の上でも気になるところ。当日はトレーディングカードのショーが同じ会場で開かれているので、コミケ前ワンフェス前だけどソレな人は皆さんやっぱり行くんだろーね。

 えっと見ました「聖少女艦隊バージンフリート」。いきなり主題歌が島本須美さんだったりして転げましたが、絵としてはまあまとまっていたんじゃないかと。とくに女子。これが北爪宏幸かって言われると「エーベルージュ」に「Zガンダム」くらいしか知らないんで確固たることは言えなかったりするんですが、主人公の海野潮風をはじめ上級生で委員長で高ビー(おやくそくぅ)な雪見沢五月、凛としてカッコ良い広瀬光華にその母(だけど若作り)広瀬英麻呂、アブナい感じが炸裂してる看護婦さんの春惜伊勢などなど、男も女も萌えられそーな要素はそこかしこに散りばめられてあります。一方で男のキャラの造形が不細工で俗物でステレオタイプで声もヘンで、やや辟易させられるところがあり。まー女の子ばっかりのお話なんで男は刺身の発泡トレイ以下なんでしょーけど。

 15年前に日本が危機に見舞われた時に現れたのが「バーージンパワー」(処女力=しょじょちから、とでも言えば良いのかな)で武装した戦艦「バージンフリート」。怪光一閃で敵を壊滅させ戦争を終わらせたその功績を、踏まえて次なる闘いに向けてバージンパワーを持った少女を集めるべく、作られた学校があった・・・・っておいおいこりゃーまんま「トップをねらえ」じゃねーかと思う人もいるでしょーし、処女の力が世界を救うだなんて設定もたいがいにせーやと思う女性もいるでしょーが、「サクラ大戦2」で合体攻撃の赤面モノな口上を惜しげもなく(それもしつっこく)流してくれる王子様、なのでこーゆーいかにもな設定もらしいと言えば実にらしい。

 アクションも叙情もメリハリが少なくケレン味たっぷりな「ジャイアントロボ」の今川泰弘さんが原作と構成とシナリオをやっている割には地味だなあ、との印象もあったけれどきっと次巻以降はドンパチもはじまって泣かせもあっての起伏に飛んだ物語になるものと期待して、とにかくは美しい女性たちと可愛らしい少女たちの今後の活躍に、期待しつつ成りゆきを見守ろー。イチ押しキャラはやっぱ春惜さんかなー、小さいのに(148センチ)胸大っきーし(88センチ、だって)。


【4月22日】 午前4時に帰宅して適当にデッチ上げた日記をアップして寝て、起きたら朝の8時。飛び起きて支度をして総武線に飛び乗って新宿へ。なんだかとってもパワーエリートしてるみたいと悦に入るけど実は酔っぱらいの自業自得だったりするので威張らない。駅を降り南口のマクドナルドでソーセージエッグマフィンをかじり珈琲はカラッポの胃袋にやばいのでオレンジジュースを啜る。それから初台までをトコトコと歩き途中色白で足なんか棒きれみたいに細いサラサラヘアの美人が前を歩いていたので、追い越さないよーゆっくり歩いてしばらく後を付けるも、すーっと横にそれて文化学院に入っていってしまったのでそれ以上の追跡をあきらめて、そびえるNTTビルに見おろされてどこか寂しげなアスキーのビルに大人しく入って記者発表にのぞむ。

 発表はその名も「アスキー.PC(ドット・ピーシー)」ってなちょっと意味不明な名前の雑誌が24日に創刊されるってことで、編集長が登場してあれやこれや話す雑誌の中身やこれからの戦略を聞く。編集長として登場した人はおおなんと、大島一夫さんではないかその昔海岸の方にある「ゆりかもめ」に臨む出版社で会ったことがあったのに、去年だか一昨年高に裏も表もない雑誌(裏が表という雑誌?)の副編集長としてアスキーに移って共倒れ、その後復活をとげてムックを2冊ばかり作っていたあの大島さんが、「SPA!」以来の副編集長人生に別れを告げていよいよ一国一城の主として雑誌づくりに臨むという、その記念すべき場所に立ち会ったことをここに記しておめでとうと言おう。っても編集長になったってことは、あちらこちらで華々しい活躍を続けてそのあまりの活躍振りで花田UNO氏とならび称される渡辺直樹さんが辿った軌跡を、なぞる可能性が出てきたということであってこれはやっぱり立場は重大、さても手腕に期待がかかる。

 雑誌が目指しているのは、30代とか40代のビジネスマンが仕事をするときに、どーやってパソコンを活用するか紹介すること。だから本家「月刊アスキー」の技術的な話が中心の作りとも、「週刊アスキー」のリアルタイムなニュースを週刊ペースで載せていく作りともたぶん違うものになるとゆー。何よりどんな雑誌にも名前が出ているスタパ斎藤さんのコラムが載ってないからね。とはいえ創刊号を見る限りでは、記事の内容も意味もとっても分かりやすいけど、さほど心にビビッドな雰囲気がない、ってゆーか雑誌全体に華やかさがなく、もちっと創刊号なんだからドカーンと派手にやってくれちゃっても良かったんじゃない、ってな思いも抱く。

 とはいえ、前の表が裏な雑誌の時には思いっきり派手にマリックまで呼んでやっちゃったから今回は地味ーに、ってことかな。値段も例えば100円にするとか、西さんが新宿駅で手売りするとか。そーいえば会見は始め西さんが同席するはずだったんだけど、その旨後からつけ加えて来たにも関わらず、当日になって用事があるからとスッポカシやがってくれました。臆したか、それとも始めから撒き餌代わりに名前を載せたのか。理由わからないけれど、どっちにしたってこーゆー仕打ちはあんまり楽しいことじゃないね。あるいは誰か止めたのかな、前みたいに大花火打ち上げないよーに。

 プロジェクターを操作している椅子に座ったスカートの女性を横目で正面下方からのぞき込もうとして果たせず真面目に会見を聞き、挨拶をしてから会社へと上がる。途中で裏が表だと喧嘩を売っててその後手打ちしたのか今は徳島一太郎氏に狙いを定めて前で後ろでいちびっている「WIRED」を購入、編集長がシボレー・コーヴェットに乗った話が記事になるのか楽しそーだなー双子のデュオか同じ顔だなーおやおやインコ育成シミュレーションの「ぴーちゃみん」が1行だけど記事になってるぞ山形さん相変わらずキレてるなー、などと思いながらページをめくっていると会社に着いた。仕事して仕事して仕事してるフリをして、途中でキーボードに手を起き考え事をしているよーな姿勢で1時間ばかり仮眠、キーンコーンと鳴る鐘でもあったら学生時代を思い出すところだったけど、生憎と会社なので鐘はならず適当に目覚めては仕事を続ける(フリをする)。

 たぶんムチャ売れするだろー榊東行ってどっかの役所の役人とかゆー人が書いた(と言われる)「三本の矢」(早川書房、上下各1600円)を読み継ぐ。最初は役人の暴露モンと高を括っていたら、意外といったら失礼だけどお話として段取りもディティールもしっかりていて結構サクサクとページをめくらされる。大蔵省の役人たちの「局あって省なし」な生態は結構ツボにはまっていて、かつ登場人物たちの性格も結構奥行きがあって飽きさせない。ただし相当に大蔵省あるいは霞ヶ関の事情に興味がある人でないと、延々と描かれる同じ役所の2階(主計、主税)と4階(金融)の角突き合い肘ぶつけある振る舞いの、どこが面白いのかがわからないかもしれない。

 ブンヤは経済がわかってないのに政策には反対ばかりしている、ってな指摘はますますごもっともで、果たして新聞の書評がこの辺りをどう論駁してくるのか、ちょっと興味があるね。日本不動産金融銀行が倒産の発表を日銀の記者クラブじゃなく本店でもなく東京証券取引所でやるって点は業界的には間違い。質問の時にも手はあげずに勝手に喋るのが普通で、それから東証の記者クラブには経済誌の記者は入れない。あと銀行の記者会見に大蔵の役人なんて同席しないよ。まあ物語には関係のない部分だからいーとして、さても本編は探偵物としてどんな帰結を迎えるのか、とりあえずは上巻を終わって下巻の行方に不安しつつも期待しとく。


【4月21日】 先週の「AERA」に載った自分の評伝を、「入交さんとは週3回会ってますし」の部分も含めて、あるいはそれを1番の理由に気に入ったと仰っていたとかで飯野賢治さん、ますますもっていよいよな、世界の果てへと自らを追い上げるふるまいに出て来たかなー、などと感嘆する。いやもーここまで自分を出せる人ってのはよほどの純粋さを持ち得ているか、あるいは世俗に左右されない確固とした自己を持ち得ているとしか考えられない。

 たとえ世間が批判しよーとも、もはや伝えるべき言葉がないほどに、厚いバリアーの向こう側で信念の人になっている、となれば語りかけられるのはバリアーの向こう側に常に寄り添っていられるかのお方、なのだけどさていったいどこまでその純粋さを受けとめられるフトコロを持ち合わせているのか。ともかくも5月23日の飯野賢治デーを前後して飛び出すさまざまな動きを、注目して見守るより他にない、ってなんか他人事みたく言ってるなー、担当のくせして。

 「時空転抄ナスカ」見る。林原めぐみが声をあててるお姉ちゃんのキャラがオッケー、ってまるで「カウボーイビバップ」みたいな事を言っているけど、「ビバップ」はバズーカ山寺はじめ重鎮たちが演じるキャラがすべてオッケーだったりするのに、「ナスカ」はほかに感情を移入する対象を見つけにくく、第3話にしていよいよどーしたらファンになれるものかと思案している。可能性があるとすればあのタイツな羽根ヒラヒラの衣装をデザインしてるおおのやすゆきさんに、「That’s イズミコ」以来のファンとの立場で相対して、だからオッケーと思いこむより他になかったりする。

 とはいえ、本当におおのやすゆきさんの他に萌える要素がないのでやっぱりどうしたものかと思案が続くのであった。おっとこの言葉だけはオッケーですいっそ流行らせてしまいませんか、「魂人(たましいびと)」って言葉を。「地上人」「オーラ力(ちから)」と通じるところがあって、どこか高尚で高貴で含蓄たっぷりの言葉に聞こえて来るんですよね、「魂人」って言葉が。仕事に悩んだら「魂人なので」とパラッパ、女性を口説くときも「魂人として前世での因果が」とタラッタ。さて通じる範囲はどこまでかってのが最大の悩みだったりするんだけどね。

 メディコム・トイからリリースが到着。あの「ねじ式」「ねこ神さま」に続くゼンマイ仕掛けのとことこ人形の第3弾、第4弾が発表になったぞ、その名も「ザ・ムーン」そして「オロカメン」。わかるかなあ、少なくとも我が社の同僚たちには通じなかったけど、ジョージ秋山をずっと抑え続けて来た、それこそハグレ雲が渡徹也の主演でドラマ化される以前からの秋山ファンにとって、「ザ・ムーン」の「ムーン」「ムーン」「ムーン」「ムーン」ってな繰り返しのセリフ、そして「オロカメン」の涙を流しながらも動き続ける悲愴感は、やはり魂に訴える物がある。カルトな「ネジ式」と近年流行の「ねこ神さま」よりそれは多分大きい。ってことで発売なったら直ちに買いに走る可能性大、でやっぱり動かしながら「ムーン」「ムーン」「ムーン」「ムーン」とうなり続けるんだ、それこそメディコム・トイが「ザ・ムーン」を次作に決めた時の会話みたいに。「次、何するんですかー」「むーん」「ああ、ザ・ムーンですか」。

 夕方からかのダビスタマガジンな成沢大輔様と飯田橋で午前3時まで宴会、ゲームに詳しい業界の人だとばかり思っていたら、なんと「漫画ブリッコ」「村山聖」「先崎学」「五5の龍」「井上茂徳」「神山雄一郎」「グラン・ガラン」「閃光のガラリア」「あさりよしとお」「豊島U作」「ちみもりお」「かがみあきら」「ワープin」「あびゅうきょ」「英保未来」「陋巷に在り」「みゃあ官」「ガイバー」「ふくやまジックブック」「カードキャプラーさくら」「バージンフリート」「街」「梅田地下オデッセイ」「超革中」等など、繰り出すタームのすべてに反応してかつ適切なコメントを返す、実に偉大なサブカル人であったと知って歓喜する。

 いやー会社でこれらの言葉を発しても、通じた試しがないんで、常に不満が爆発しかかってたんすよ。唯一話が出来たなーとおもうのは、おがぴーこと小形克弘さんくらいだったけど、驚いたことに成沢先生、小形さん大塚さん(英志)を含めてそのあたりのかつての活躍に同時代的、かつ同所的に絡んでいたとは。世の中は果てしなく広く人間は果てしなく奥深いことがわかってやっぱり驚嘆の夜でしたねー。またこちらの叫び出せない欲求不満が溜まったら、ぶつけさせて下さいね。お礼は「ジターリング」の実演でいーっすか?


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