縮刷版97年9月下旬号


【9月30日】 JR信越線の横川駅ではきっと大騒動が起きていたんだろーけれど、東京にいて淡々と「北陸新幹線明日開通!」の記事を書く。それまでたいして大騒ぎしなかったくせに、なくなると決まったとたんに大騒ぎするのは日本のマスコミの癖みたいなもので、今日も東京から全局が中継車を出して、朝からガンガンとやかましいくらいに中継していたみたい。普段から利用している人じゃ邪魔でじゃまでしょうがなかっただろーね。

 しかし長野まで最速で1時間19分ってのは、考えてみれば名古屋より近いし下手すれば東京の八王子の奥地より早く東京まで出られるってことで、いっそ長野か軽井沢に移住して、週末のスキーとかゴルフを楽しみにしながら、毎日東京まで通った方がいーかもしれない。通勤代がバカにならないけどね、でも会社が払えばいーんだけどね。軽井沢あたり住んでいる大作家の担当者の人は、呼びつけられて草むしりとか犬の散歩といった御用を命じられる可能性が、ぐっと高まっていやだろーな。

 ふくしま政美最大にして最高の傑作との誉れも高い「女犯坊」がクイックジャパンのマンガ選書として太田出版から発売、「消えたマンガ家」で傑作シーンが部分的に紹介されていたものの、あらためてストーリーを追いながら読んでみると、単なるエロ坊主の女犯ぶりを描いただけではない、反権力の意趣にあふれるレジスタンス漫画だったことが解って感嘆する。やることはしっかりやっているんだけどね。とりあえずは「仕事人」よろしく悪者どもをなぎたおしていくストーリーに、某所をおっ立てながらも正気を保って終わりまでたどりつくことができたけど、聞くと続編、続々編はさらに狂気の度合いが増すとかで、立ちっぱなしに頭もはじけるその時を、脅えながらも密かに楽しみに待っている。だから早く出してね。

 運輸省の地階にある本屋で「コミック・ゴン!」とゆー新雑誌を買う。サブカル系の裏情報をこれでもかってな具合に詰め込んだ妖しい雑誌「GON!」のアニメ&コミック版っていった感じの雑誌かな。中身を見れば、こんなん売ってていーのかってくらにエロあり激ありな内容だけど、表紙を見る限りでは、ロボットをバックに懐かしな「まいっちんぐマチコ先生」や「名たんていカゲマン」が配された、少年誌っぽいつくりなので、きっと書店の人もダマされて入れて並べてしまったに違いない。真面目一筋な事務次官あたりがブラリ立ち寄って手にとり読んだら、きっとひっくり返っただろーね。まあそんなところまでは降りてこないけどね。

 たとえば冒頭から、おもいっきりな「ドラえもん」パロディをフィーチャー。耽美な笠井あゆみさん描く「ドラえもん」一家のイラストは、壊れて横たわる耽美なドラえもんに、インテリ眼鏡な耽美ののび太と、ちょっぴり肉体派な耽美ジャイアン、花形風でやっぱり耽美なスネ夫と、そしてナイスバディなしずかちゃんが草のなかに埋もれている耽美な構図。そんなイラストを1枚めくると、町中で会った人に描いてもらった「ドラえもん」イラストの採点会とゆーディープな企画が掲載されていて、小学館これで怒らないんだろーか、藤子・F・不二雄先生は怒りたくても怒れないだろーなと、ちょっとだけ心配してしまう。

 懐かしネタを掘り起こして多面的にスポットを当てるとゆーのが主流の企画みたいで、例えば前出の「マチコ先生」と「カゲマン」の平成版新作の掲載に始まって、「うわさの姫子」の平成版、「ダンドリくん」の97年版と「コミック・ゴンだけでしか読めない漫画」シリーズが幾つも続く。さらに「ワイルド7」と「ダイ・ハード」の比較やら、「電人ザボーガー」の大特集(ピープロうしおそうじインタビュー付き)やら、偉大なる大河原邦男さんへのインタビューやら、まだまだ現役な江口寿史インタビューやらとにかく取りあげられているネタが濃い。

 濃いついでにモビルスーツと女子高生を比べてみたり、「少年ジャンプ」大復活のために勝手に台割りを作ってみたり(清水玲子に外園昌也が入ってるんだよ)、フリーライターの逆バイブル(まねすんなってこと)「みのり伝説」の主人公大図解を掲載してみたり(「みのり性器」年に数回使う、仕事の役には立っていない、ってな具合)とまあ、とにかく出版社の壁を超えてやりたい放題し放題。妙にアニメを評論する雑誌が増えたなかで、ここまでお笑いに徹してくれる雑誌ってのは貴重だし有り難い。次は年末の発行だそーだけど、圧力に屈することなくちゃんと無事に出してね。でも「コミケット会場爆破計画」なんて載せちゃったから、当局が黙っていないかも。もちろんケーサツじゃなくってコミケット事務局が、だけど。

 夜はトミーのパーティー。店頭公開を記念したイベントみたいで、会場の後ろには絶対ヒット確実な1分の1ピカチュウのヌイグルミと、やっぱりヒットは絶対な「ボードゲーム」が飾られていて、100メートルを11秒フラットで走る足があったなら、ひったくって逃げるんだけどと、13秒フラットがやっとな鈍足な足をさすりながら嘆息する。会場にはなぜかとゆーかやっぱりとゆーか、小学館の人たちが結構わんさと詰めかけていた。マリオみたいなトミーの社長にポケモンおめでとうの話を聞いた後、ポケモンならあの人と名指しされた小学館は「コロコロコミック」副編の久保さんのところで話を聞き、パッと咲いてはパパッと散り去るキャラクターとは違った展開を、ポケモンでは心がけていきたい旨教えられる。

 次から次へと久保さんのところに人が集まってくるのは、人気キャラの首根っこを抑えている強みだろーけれど、その後ろで同じ小学館の別の媒体の人が、「『コロコロ』と違ってウチは足で稼がないといけないからなあ」と喋っていたのが聴こえてきて、人気キャラを持つ強み、持たない悲しみを同じ社内でも味わう人々がいるってことが解り、倍はもらっている高給取りの人たちながらも、ちょっとだけ同情がわいてきた。まあ某工業新聞の場合は、社内の格差とゆーよりは、某富士山渓の中でのヒエラルキーに無くんだけどね。某子馬渓谷なレコード会社に「知らんかったそんな新聞」と言われてごらんなさい。泣くに泣けんよ。


【9月29日】 メジャーではないが、かといってカルトでもな微妙な頃合のアニメグッズを作らせたらなかなかなビームエンタテインメントが、いまとなっては貴重品な「エヴァZIPPO」や、「シンジ君リュック」に続いて送り出すレアアイティムは、なんと「サクラ大戦懐中時計」だそーな。大正浪漫の趣あふれるその外観は、表にワシの紋章を抱き、裏にはサクラの刻印を得て金色に光り輝いている。蓋をあければ文字盤には真宮寺さくら様の御姿がカメオ風に刻まれて、コチコチと時を刻む音といっしょに見る者に微笑みかけてくる。

 干支で表した時刻はまさに大正的。金色の30センチのチェーンが付き、豪華木製ケースに入ったそのお値段は1万2800円とやや高めだが、完全限定受注生産でシリアルナンバー入りで手元に届けられるとあって、この機をのがすと2度と手に入らないとゆーことなので、11月下旬の発売日に向けて、さくらファンの人は頑張って注文して下さい。僕は神崎すみれ萌えなので時計はパスして、すみれさん御愛用の胸はだけ着物1式長靴付きが出たら買います。もちろん自分で着るんだよ。

 ビームのカタログをべらべらめくっていると、テレホンカードのセットがやたらと増えているのにちょっと驚くが、その中でも「マクロス15周年」のテレカとか「FF7」テレカのパート1からパート3までとか「サクラ大戦」のパート1とか「悠久幻想曲」とかのテレカが完売になっているのには吃驚。商品としては懐中時計とかライターとかのよーには工夫されたものではない、割と正攻法に近いものだけど、人気があればなんだって売れるってことを、身をもって証明してくれている。

 レア化が予想されるのでは、今は無きグラムスの「クオヴァディス」とか、もはや伝説の「ふしぎの海のナディア」とか、さらに伝説な「トップをねらえ!」とか、不思議と人気の「トゥルー・ラブストーリー」あたりのテレカじゃないかと思うけど、しかし買って皆さん、いったいどーするんだろーねー。使うわけにはいかないし、かといって飾っておくには小さすぎる。交換もできやしないし、やっぱ持っていることそれのみに、意味を見いだすんだろーね。

 このほかニューカマーでは、「悠久幻想曲」関連でトレーディングカードが登場。でもそんなに登場するキャラクターがいたっけかこのゲーム。なんにしてもカードが出来るってことは人気になっているってことで、良かったですねえ内村さん@スターライトマリー様。さらに「極秘情報」として堂々と宣伝している(んだよね)アイティムが、その名も「3Dアートクリスタルコレクション」。高さ20センチほどのクリスタル・キューブの中に、レーザードットで描かれた3Dのキャラクターが浮き上がるものってらしーけど、いったいどんな商品なんだろー? 水族館あたりで売っているアクリルキューブの中のタツノオトシゴの干物みたいなアイティムだったら怒るよ。

 朝に再放送していた「ナースエンジェルりりかSOS」は感動のフィナーレ、って割には敵を倒すわけじゃなく、自分の中に封じ込められている「命の花」を自分の命と引き替えに開放するってストーリーで、たった11歳の少女が世界のために死を選ぶその酷なシナリオに、きっと感動したって人が大勢いたんだろーなー、初放映時は。すでにストーリーがバレてしまっている今、感動の度合いはずいぶんと下がってしまっているけれど、渾身の力が入った作画や動画や彩色とあいまって、パワフルかつリリカルなエンディングで、30過ぎのおっさんを楽し哀しませてくれた。テレビ東京は明日から「モジャ公」の再放送のみで通すみたいだけど、せっかく作った朝のアニメファンを逃さないためにも、すぐさま次の作品を放映したまい。「魔法少女プリティサミー」歓迎!

 さらば「週アス」また来る日まで、ってな感じで堂々の休刊号を迎えた「週刊アスキー」だけど、最後の最後まで爆裂することなくシンプルに、高踏にその役割を終えていった。勝谷誠彦さんこそ週刊アスキーの表紙を飾った祭壇に向かって涙を拭うパフォーマンスを見せてくれたけれど、ほかははみ出しコメントに連載引き取り先希望とか、これでおしまいとか、リニューアル後も続きますといった近況を載せるに止まっていて、イタチの最後っ屁ならぬ最後の晩餐ならぬとにかくドタバタなジタバタを、見せてくれた人がいないのが残念だった。表紙はやっぱ「創刊を喜ぶ西」と「休刊を発表する西」にして頂きたかったねえ。

 パトリック・オリアリーの「時間旅行者は緑の海に漂う」(ハヤカワSF文庫、820円)を100ページくらいまで読む。開業しているサイコセラピストのところに自分は宇宙人だとゆー女性がやってきてあれこれ。これはヤバイと思ったサイコセラピストは治療の一環として2人で映画を作るとーとゆーことになり、セントラルパークで唄って踊ってブルックリン橋の上でビデオを回し、エンパイアステートビルの前で「ニューロン、ばちばちぃ」などと叫び回っては周囲の顰蹙(ひんしゅく)を買うのであった。

 いや違う、宇宙人と名乗った女性は確かにおかしいよーではあるけれど、それが果たして病気なのか真実なのかを悩む場面までしか読んでいないから、今度どーなるかまではちょっと解らない。解らないけどもしかして、「20世紀ノスタルジア」みたいな世紀末にちょい気ブレた人との邂逅と癒しを描いた物語だったとしたら、僕は広末な「20世紀ノスタルジア」を、それ故に断然支持しちゃうんだけどね。野中昇さんの表紙はとってもディック的。ともかくも秋にセンチな僕の心に、ちょっとだけ潤いと活力を与えてくれそーな本です。ああまた頭に世紀末への不安が浮かんできた、さあ叫ぶぞ「ニューロン、ばちばちぃ」。だから違うって。


【9月28日】 悩むなあ、オタクアミーゴス合宿「魁!おたく塾」。アニメの同人サークルにもSF研究会にもいっさい属さず、SFコンベンションの類(たぐい)にもいっさいの出席経験を持たず、コミケだってワンフェスだってSFセミナーだってオタクアミーゴスだって、1人で行ってはほとんど誰とも喋らずに帰って来た孤低の(高じゃあねえよな)オタク。おまけにこれでよくブンヤなんぞやっているってな具合に、初対面の人とのコミュニケーションが不自由な引っ込み思案の臆病者が、合宿などとゆー袖触れ合うも多少の縁、ディープな会話に話もはずむってなアットホームな会合に、参加して果たして耐えられるのかとゆー心配が頭をよぎる。

 岡田斗司夫さんの「大雑談」とか「ガオガイガー」とか「ヘンな特撮」とか「シンプソンズ」とか、演目それ自体に不満はないけれど、もう1本、魂を揺さぶる決定的な演目が欲しいよーな気がする。一昨年のSFセミナーで庵野秀明監督が登場したみたいな、話題性も内容も「おたく塾」ならではのものがあれば、同じ日に三谷温泉で開かれる大学の時の主任教授の喜寿を記念するパーティーや、招待がありそーなエアバスの北京事務所開設のパーティーも差し置いてでも、六本木に駆けつけるんだけどね。まあ締め切りまであと20日もあることだし、他にどんなゲストが決まって来るのか様子をみながら、ちくちくと考えよー。

 読売新聞がインターネットに開いているページで募集していた、村山由佳さんの新刊「翼」(集英社、1900円)のサイン本プレゼントに当選、金色のサインペンで書かれたサインの入った本が届いたので早速読み始める。もっともこのネット、参加者が極めて少ない関係から、たいていは応募した全員に版元から提供された本が贈られることになっていて、前に中沢けいさんのサイン本をゲットした時も、やっぱり全員プレゼントになったんだけど。

 そんな前例を踏まえてか、今回はネット上だけじゃなく、月曜日付の本紙「マルチ読書」欄でも広く一般から希望者を公募、それでも10人のところに15人の希望者があっただけらしく、版元さんのご厚意もあって結局全員プレゼントになった。ありがとう集英社&読売新聞そして作者の村山由佳さん(7月10日生)。しかし新聞本紙の「マルチ読書」欄を読んでいる人も少ないってことなのかなあ、ねえ石田(「エヴァ」が好き)汗太記者@読売新聞。

 日本人として生まれてアメリカで育ち、父の自殺で日本に帰って馴染めず母親からは邪見にされて育った少女が主人公。「死神」と恐れられるエースパイロット、じゃないけれど身の回りになぜか不幸が相次ぎ、誰にも心を開けずにいる。そんな少女マフユが通っている大学院の教授が彼女を見初めてついには結婚に至るも不幸は長靴を履いて忍び寄る。奈落の底へと突き落とされる大不幸の後、夫がネイティブ・アメリカンつまりインディアンの前妻との間につくった息子を連れて、夫の実家があるアリゾナに行き、大自然に触れて気持ちのバランスを取り戻す。

 そんなストーリーのなかに、人種への偏見、インディアンへの差別、幼児への虐待、家族の崩壊、夫婦の破滅といった重いテーマがぎっしりと詰め込まれた500ページ以上に及ぶ大著ながら、読み始めるともう面白くってページを繰るのがやめられない。あっという間にラストまで来てしまう。重い悩みや深い偏見が、たちどころのうちに解決していくよーに見える展開は、都合が良すぎるしあっけないとの批評を浴びかねないが、それをやりはじめると500ページが5000ページあっても終わらない。

 物事が前向きに進むよう、人々に示唆を与えているのならば、非現実な絵空事でもご都合主義の空論でも、読み手は幸福な時間を送れたと喜び、その話を支持するだろう。フィクションの役割として、たぶん正しいアプローチなんではないかと、1歳違いながらおなじ誕生日で、かつサイン本を1冊は一昨年直にもらい、去年は「きみのためにできること」(集英社、1300円)を読売新聞経由でもらった村山由佳さん(おまけに同じ千葉県民だ)の新作「翼」を、僕はだんぜん応援する。まあとにかく読んでみること。悩み深い人たちほど、どこでもいいから広い大地を見にいきたくなることでしょう。

 「ねらわれた学園」の最終回を見る。オープニングに登場する胎児のカットの意味があきらかとなり、事件がすでに16年前に仕組まれたものであったことが明示されるが、しかし目的を果たせず京極も高見沢みちるも、人間としての自分を崩壊させて別の次元へと旅だってしまい、学園にはまた普通の日常が戻って来た。最終回にしてはSFXとしての効果もSF的なガジェットもほとんど登場せず、ちょっと物足りなさはのこったものの、巨大な怪獣や宇宙船なんか登場させなくても、あるいは派手なアクションなんか繰り広げなくても、低い予算で立派にSFドラマを作ることができることを証明してみせたことに、番組の意味はあったんじゃなかろーか。

 未だカルトな人気を誇る「エコエコアザラク」とか、今回の「ねらわれた学園」が嚆矢となったのか、テレビ朝日では鈴木光司さんとかの原作をもとに飯田譲治さんが脚本を担当する「幻想ミッドナイト」が始まるし、テレビ東京でもなんと「うしろの百太郎」がスタート、「ねら学」の後番には「真・女神転生デビルサマナー」が始まることになっていて、深夜ドラマもますますSF&ホラー色が強くなるみたい。深夜アニメもますます快調なよーで、ファンには楽しい秋冬シーズンになりそー。

 やっぱりなサッカーワールドカップ最終予選韓国戦、最初に鮮やかな先取点を上げて期待を持たせて、最後にぽかぽか点を決められて、日本は痛いいたい一敗を喫した。ホームで負ける意味は、アウェイの引き分けが幾つあっても足りないくらいに重たいもの。韓国でアウェイで日本が勝てる気がしないだけに、日本がワールドカップに出場にできる可能性はぐっと小さくなってしまった。

 後半守りに入ったのはやっぱり「勝たなきゃいかん」とゆープレッシャーだったんだろーけど、同じよーに「勝つこと」へのプレッシャーを受けながらも、「勝てるはず」ってな自信をどこかに持っている韓国側の方が、やっぱり最後まで気持ちが前に向いていたんだろー。勝てる試合は勝っておくってのが鉄則で、かえすがえすUAE戦の引き分けが悔やまれる。あと1敗したら絶望は必至だけに、残り試合はなおさらプレッシャーがかかるだろーなー。心配だしんぱいだ。

 「ガシャポン」に「サクラ大戦」のフィギュアが登場、小銭がなく1回だけのプレイで希望の「神崎すみれ」さんをゲットでき、未だ運がおとろえていないことを認識する。「ガンダム」は未だに手に入らないんだけどね。しかしすみれさん、衣裳こそあの胸がはだけたすみれ色の着物なんだけど、塗りが甘くてところどころはみ出ていたり剥がれていたりして、ちょっちチープな印象を受ける。

 肝心な目元のほくろが塗り忘れられているのも問題。ロットリングかなんかでちょんとつついて、自分でほくろを入れる楽しみを残しておいたんですよって、そんな製造元の配慮かもしれないけれど、まあ単に面倒くさいから塗ってないだけなんでしょー。シリーズにはほかに着物のさくらと戦闘服のさくらとドレスのアイリスとそしてチャイナ服の李紅蘭があるみたいなので、小銭集めてまたいこー。


【9月27日】 「少女革命ウテナ」のLD第1巻を見る。巻末の幾原邦彦監督のインタビューは作品世界の一端を理解する上でいろいろな示唆を与えてくれるけど、真っ暗な背景の前でピンクのシャツ着て金髪頭した幾原監督がしゃべっているバックで、車がぐわーっと走っていく音が聞こえるのはなぜだろー。いったいどこで撮ってるんだか。ウテナ役の川上とも子さんのインタビューのバックでもやっぱり車が走っていて、それから渕崎ゆり子さんのインタビューでも車の走る音が聞こえて、これはあるいは意図的に、チープな感じを出しているのではないかと類推する。あるいは今のテレビのシリーズの、車のシーンを連想させるよーにとか。スタジオくらい使えばいーのにね。

 「エヴァ」のDVD第3巻を見る。内容はテレビそのまんまだからとりたててどーとゆーことはないけれど、ヘッドホンで聴いたせいかそれともDVDならではの効用か、効果音がとてもクリアに聞こえたのでちょっと驚く。キャラが演技しているバックで、ラジオから歌謡曲とか番組とかが流れてくるのが「エヴァ」の特徴ともいえるけれど、たとえばラジオの番組なんてテレビで聴いているときは「番組がやってるなあ」くらいにしか感じなかったものが、今日見たDVDだと番組で何を喋っているかまでがはっきりと聴こえる。歌も歌詞までばっちり。このクオリティで、多重録音がストーリー上にどんな効用を与えているのか耳をそばだてて聴きながらも、結局解らなかった「春エヴァ」のデス部分がDVD化されたらちょっと嬉しい。ストーリーが終わりまで開かされた今となっては、解ったところでたいした意味はないんだけどね。

 船橋ララポートにフットサルの試合をしに行く。こんなところにフットサルのコートなんてあったのかと訝るものの、案内によれば今月の頭に「そごう」にコートがオープンしたそーで、それならきっと余っていた土地を潰してコートにしたのかな、などと考えていたところ、実物とのあまりのギャップに愕然とする。なんとコートが出来たのは「そごう」の屋上。そうデパートの屋上にありがちな機関車とか消防車が線路づたいにぐるぐると走り回っていたり、脇にペットショップがあってインコがぎゃあぎゃあいっている、あの光景のすぐ脇にコートが設営されていた。それも3面も。いくら話題をとりたいといっても、お父さんお母さんお嬢ちゃんガキがちゃかちゃかと遊んでいる脇でフットサルの試合をするのってちょっとどころかすっげー恥ずかしい気持ち。これならゴルフの練習場でも作った方が、よほど客が集まると思うんだけどなー。

 試合までに時間があったので階下のゲームセンターでキーチェーン落としに挑戦。棒が開店してチェーンを落とすタイプで、1000円つかって4つ、「サクラ大戦」のキャラクターのチェーンを落とすことができた。ちょっと効率悪いけど、マジックハンド形式のマシンではこれまで一切とれなかっただけに、初心者にしてはよくやったと自分で自分を褒める。とりあえず第1目標の神崎すみれと渕崎ゆり子な李紅蘭をとれたので気分は最高。さくらとそれから光武はまた別の機会かな。マリア・タチバナが2つも引っかかったのは予想外で、怖い目つきの人形を2つ並べて、さてどーしてくれよーかと思案する今日このごろであった。

 「ららぽーと」内にある紀伊国屋書店で岡田斗司夫さんの「東大オタク学講座」(講談社、1800円)を購入、これだけの内容のものをタダで見られて東大生は幸せだったね。村上隆さんや村崎百郎さんや青木光恵さんや唐沢俊一さんや小林よしのりさんといった、ロフトプラスワンンでも森下の公民館でもそれなりに金をとれるゲストを毎回じゃないけどときどきよんでは濃い内容の対談をしているし、ゲストのいない時でもそこは持ち前のサービス精神であれやこれや資料をかきあつめてはしゃべくり倒す体裁で、聴いている方は毎回きっと圧倒されっぱなしだったことだろー。まあそれでもゼミに出たおかげで洗脳されて毎月LDに5万10万つぎこんだり、プラモデルやフィギュアにのめりこんだりしてせっかくの最高学府に入った子供への親の期待を袖にする人も続出したことだろーから、決して幸せばかりだったとはいえないのかも。ハマっているうちは当人は幸せだからいーのかもしれないけれど、ふっと我に帰った時のムナシさは壮絶だぜ。LD買いまくっている昨日から明けて今日に至った僕みたいに。

 ムナシさついでに「夏エヴァ」のサントラを購入。どーせ聴きたい曲なんてシングルで出たあの2曲だけなのに、「WAVE」で購入した人には「完全塗装済フィギュア」があたるとゆー特典がついていたため、なけなしの(給料日は2日前だったのに)財布をはたいて1枚所望する。当たるフィギュアは「弐号機」か「綾波レイ」のどれかで、当選者はわずかに1人。おそらくは10万人は買ってうち3万人は応募するだろーから(数字に根拠はありません)、まずおそらくは絶対に当たることはないだろー。んだったらせいめて「1分の1綾波」くらいプレゼントに出せばいーのにね。個人的には村上隆さんの「ココちゃん」がいーんだけど、「東大オタク学講座」によると、こっちは250万円もするらしーからから、プレゼントに出すなんてとても無理でしょー。綾波だったら38万円、でも今はもうちょい値上がりしているのかな。「フィギュア」っていってガシャポンの人形に色塗っただけのモン出してきたら凄いなー。ファンの恨み買って死人が出るね、絶対。


【9月26日】 月曜日から始まった日米航空交渉の第3回次官級公式協議も結局は物別れで全日程を終了。協議後アメリカ大使館でラーソン国務次官補とハニカット運輸次官補の会見があって、土砂降りの中を虎ノ門までかけつける。まあいつもどーりに高らかにアメリカ万歳な主張を繰り返してくれたけど、多少は歩み寄りがみられたよーで、次回の交渉での妥結は確実な公算となった。となればラーソン、ハニカットのコンビを間近に見るのもこれが最後かと、日本の航空業界にとっては仇敵ともいえる人々の顔を、じっくりとながめることにする。

 長身痩躯で彫り深い顔立ち、シルバーグレイの髪を7:3になでつけたラーソンは、政治家とゆーよりは大学教授といった風体で、しゃべり方も嫌になるほど冷静にして沈着、どことなくベンゲル監督の面もちがある。顔かたちは全然違うけどね。これで熱い国際間の交渉の場をどーやって乗り切っているのかと、いつも不思議で仕方がない。片やハニカットは禿頭で髭面なアップルかマイクロソフトあたりにいそーなタイプ。中肉とゆーよりは緩みがちの体型も不摂生なソフト業界に似合っているかもしれない。

 この異なるタイプの2人が、いつもセットで来日するのは職務上仕方のないことだろーけど、あるいはデキちゃっているのかもと想像すると、なるほど決して不可能な組み合わせではないだけに、日本のホテルで「ああラーソン」「おおハニカット」などとやっている場面を想像しては、こみ上げてくる笑いを抑えている。冬のコミケで誰か「ラーソン&ハニカットやおい本」出しませんか。英語版を作ればアメリカにだって輸出できますよ。日本向けには「戸矢運輸審議官&羽生航空局次長やおい本」を作れば完璧、だね。しかし誰が解るんだろーこんなネタ。

 とるものもとりあえず幕張メッセへ。「ワールドPC・エキスポ」が開催中のためか、電車は背広を着たサラリーマンでいっぱいで、駅を降りても結構な数の人間が、ぞろぞろとメッセに向かって歩いていた。会場に到着してからはホールには向かわずカンファレンスが開かれる国際展示場へ。「ハリウッドのデジタル革命」とゆー演目で、あのリチャード・エドランドが喋るとゆーことで楽しみにしていたのに、行くと講師がILMのエリック・ブレビッグにかわっていて、エドランドだけを目的にして、はるばる地の果て幕張まで駆けつけた人が怒り出すんじゃないかと心配する。僕は地の果て側に住んでいるからいーんだけど。

 もっともカンファレンスの冒頭で、係の人から説明があると皆一様に納得。エドランドの会社「ボスフィルムスタジオ」がなんでも8月末に潰れたそーで、これで日本に来て得々と「ハリウッドで成功するには」なんて喋れといわれても、やっぱり無理とゆーもんだろー。それに代役に立ったエリック・ブレビッグも、アメリカで大ヒット中の「メン・イン・ブラック」の特撮監督を務めた、スペシャルエフェクトの業界では知る人ぞ知る有名人なので、話題の映画の秘密が開かされた講演には、会場を埋め尽くした観客の誰もが大喜びしていた。

 基本は実写とCGの組み合わせで、それをテクスチャー、ライティング等々でいかに違和感なく仕上げるかってところに腐心しているみたいで、いろいろなソフトを駆使して組み合わせていく手順を、実際の映画に登場したキャラクターを引き合いに実に詳しく、そして分かりやすく話してくれた。フォードがガチャガチャっとなってドバーッといく場面(擬音でごまかしているのは映画を見て感動してほしいから。ほんと感動するからね)なんか、何重もの映像を組み合わせて作っていて、それがあの迫力とリアル感を醸し出しているとあって、映像作りは楽じゃないけど楽しいものだと思えて来た。うーんグラフィックやってみたいぞー。

 続いて登場したデジタルドメインの特撮監督、ロブ・レガート氏なんか、あの「アポロ13」の特撮の作り方から始まって、たぶん日本では始めての披露となる超話題作「タイタニック」の長めの予告映像を見せてくれて、そこで使われている恐ろしいまでのデジタル技術に、誰もが感動を通り越して戦慄を覚えていた。れりー・ビッスン「赤い惑星への航海」じゃないけれど、役者が必要でなくなる日がくる、それもごくごく近い日にくるとゆー確信が得られた。信じられますか、「タイタニック」に登場する人たちは全員CGの産物なんですよ、ってのは嘘だけど、遠景でタイタニック号を俯瞰した場面で、甲板なんかを歩いている人たちは本当に全員がモーションキャプチャーで動きを取り込んで作られたCGらしい。お正月の公開時には、ぜひその目で確かめて下さい。絶対に解らないけどね、本当に。

 印象に残ったのは、ハリウッドでスペシャルエフェクトで活躍するためには、ブレビッグ氏もレガート氏もただ技術だけを磨くのではなく、アーティストとしての感性を磨いて欲しいと強調したこと。今はどーだか知らないけれど、かつて日本でCGといえば、大学の研究室あたりでこちこちと研究して生み出されていたものが多かったりして、その技術力の高さのみが競われている面がなきにしもあらずだった。今でも「技術はすごいよね」とゆー部分で話題になることがあるけれど、ブレビッグ氏やレガート氏の目から見ると、そーいった技術よりも、監督や撮影監督の意図を映像として表現できる感性をもっていることが、仕事を得る上で重要な要素になっているらしい。

 「誰でもカメラは持っているけれど、プロが撮る絵はやっぱり違うのと同じこと」とブレビッグ氏。ツールとしてのコンピューターなりCGソフトなんか、ほんのお小遣い程度のお金を払えば誰でも持てるのが今の時代。そこで勝ち残るには、とにかくアーティストとしての感性が重要というのは実にじつによく解る。ひるがえってCGアニメを作ろーと燃えている某社と某社が、募集にあたって「技術」があるかどーかを条件にしている点はおおいに引っかかる。即戦力としてのエンジニアを集めても、感性が重要な映画の世界で、どれだけ人の感性に引っかかる作品を生み出すことができるのか。とりあえずは刮目して待っているが、さてどーなることやら。

 秋葉原へ転戦し、石丸電気で「エコエコアザラク」のLD−BOXを引き取る。佐伯日菜子さんのサイン入りブロマイドももらえて超ラッキー。週末は久々に「エコエコ」漬けだ。別のお店にはしごして、「エヴァ」DVDの第3巻と「少女革命ウテナ」のLDをっちょぴり割引価格で購入、勘違いしていたよーで初回特典のBOX付きは第2巻だったらしく、ショップにはさいとうちほさん描き下ろしのイラストがはいったBOXが山と積まれていた。第1話だけがはいっている第1巻もあわせて購入、締めてそうだな3万7000円は使ったぞ。墜ちていくなあ。


【9月25日】 「SFマガジン」11月号の編集後記に「SF大将」刊行遅延の告知を見つける。まあ来月には出るみたいなのでそんなには待ちませんが、もしかして某有名コミック出版社みたく売れ行き不振で雑誌がポシャってついでに単行本も企画がストップ、なんて事態をほんのちょっぴり想像していたから、出ることが確実とゆーだけでも安心とゆーものです。

 記事の方は「吸血鬼ドラキュラ」刊行100周年を記念して「ヴァンパイア・ホラー特集」が組まれていて、トランシルヴァニアに行くには格好の勉強材料(あんちょこ)ではないかと、マイナーな雑誌ながらも頑張っていることを理解する。それから先月で終わった筈の「クズSF論争」(でいーのか、いーんだ)が、場所を変えて「てれぽーと」で続いていて、なかなかに根深いとゆーか執念深いとゆーか、とにかく掘り下げればマントル対流も超えて核にまで届こうかとゆーほど深い問題なんだとゆーことを改めて認識する。

 「てれぽーと」に投稿を寄せている梅原克文さんは、「二重螺旋の悪魔」「ソリトンの悪魔」の2大ベストセラーを持つれっきとしたプロの作家。「SFイデア主義」を高らかに掲げてベルヌとウェルズを始祖と仰ぎ、バラードには破防法の適用すら訴える過激な論の持ち主で、始めて聞いた昨年の「SFセミナー」以来、一貫して「打倒バラード」な激しい論陣を張り続けている。今回の投稿でも永瀬唯さん、長山靖生さんの意見に対する答えの形をとって、延々と持論と展開している。

 僕自身もっともっと「SF」が売れて欲しいと思っているため、SFを売ろうとしている梅原さんの活動にはとても感服しているけれど、ここまで自分を褒めそやす文章を読まされると、それがたとえ意図的な計算の上に書かれた文章であっても、少しばかり鼻白む想いがする。場外でごちゃごちゃやっておらずに、梅原さんには周りの反論を完膚無きまでに叩きのめすほどの「SF」を、早く世に問うて欲しい。それが実作者としての正しい行動ではないんだろーか。

 「今朝、僕はふたつに引き裂かれている。自分自身への責務と、出版社への約束と、それから僕の家の下を流れる河に引き寄せられる心とのあいだで」とゆー文章を読んでピクッときた貴方は、「ドラゴンクエスト」とか「ファイナルファンタジー」の発売直前に、山のよーな締め切りを抱えて心落ちつかない経験をした作家さん若しくは漫画家さんですね。この文章は、いったい何年振りになるのかの村上春樹全訳「レイモンド・カーヴァー全集」の最新刊「水と水が出会うところ/ウルトラマリン」(中央公論社、3100円)に収録された「議論」とゆー詩の冒頭部分で、この場合は魚釣りに行きたくて仕方のない夢枕獏な作家のいまだに迷っている場面として書かれている。

 もっとも現代では、迷うなんて悠長なことなんかしないで、例えば梶尾真治さんにのよーに、「仕事の方が大事だ。そのためには邪念を消し去っておかねばならない」(「ちほう・の・じだい」所収「ブンガク・クエスト」より)とばかりに、さっさとゲームにのめり込むのが普通みたい。かくして仕事は送れ原稿が落ち、編集者たちは深夜早朝の都会を仕事場と印刷所の間で駆け回るのである。ファクスや電話で裏技に攻略法の情報が飛び交っているのを横目でみながら。

 海岸の扶桑社に行って4階の開発企画部で新商品の話を聞く。ライセンス事業をちょっとばかり拡大するとゆー話。本業の出版に若干絡めながら展開している程度の事業だけど、「たまごっち」に「ポケモン」の例に漏れず、ツルの良いキャラクターを獲得できれば億万長者も夢ではないだけに、漫画雑誌を持たないがために(かつてなんとかゆー雑誌は出していたけれど)、キャラクターの生産能力に乏しい扶桑社でも、新しい収益減として躍起となっているんだろー。しかし4階は某「SPA!」の編集部と同じフロアなんだけど、朝まだ早かったせいか(午後1時30分)ほとんどスタッフが来ておらず、机こそ雑然としていながらも、総じて静かな雰囲気だった。これが夕方を過ぎて入稿前あたりになってくると、血の雨でも振らんかなの大修羅場になるんだろーなー。昼間の出版社の編集部って、どこもこんな感じなんだろーか。

 その足で入り船のポニーキャニオンへ。グループを回って「雇って下さいなんでもします」と移籍交渉をしているよーな印象を持たれるかもしれないから断っておくと、そんなことは一切してます、いやしてません。とゆーかどこもやっぱり厳しいみたいで、きっと金の稼げる技術を持った美形した採らないだろーから、美形はともかく稼げず技術もない僕なんかが割り込む隙なんてありません。

 ポニーキャニオンではDVDタイトルの話をあれこれ。マルチアングルとかドルビーデジタルとかいった新しいDVDならではの技術を使ったタイトル作りもいーけれど、ハードが未普及な段階ではとにかく手軽にバンバンとタイトルを出してみてもらい、やがて来るべきマーケットの爆発時に向けて、ポニーキャニオンの名前を印象づけておこーとゆー遠大な構想があるみたい。年末にはもうちょっと期待できそーな(今はアイドル物にちょい期待、かな)タイトルがぼかんぼかん出るみたいなので、今はちょっとだけ待ち遠しい。

 晩御飯を買った「ファミリーマート」の店頭に、青木光恵さんのイラストが描かれたビラビラがかかったシールプリント機、いわゆる”プリクラ”の機械を見かける。クレジットがしっかりと青木光恵さんと「うさぱら」になっていたことに強く感心したけれど、実際の機械をのぞいてみると、実は「まる子」フレームだったりするから大笑い。青木さんのイラストはいったいどうしたんだろう、ただのビラビラだけで終わっていはいなよね、などと自問自答してみるが、流石に青木さんを探してプリクラ巡礼をするのは気恥ずかしいので、とりあえずはビラビラだけに注目しながら、ゲーセンあたりを探ってみよーかと思う。「えっちもの」な巨乳に顔を挟まれているなんてフレーム、まさか無いよね。


【9月24日】 さんざんっぱら探し回ったものが、足下に落ちていたなんて経験は実はよくあるもので、少し前だと、探しても探しても見つからなかった佐藤藍子さんバージョンの「タイムリープ」の文庫が、すぐ近くのスーパーの本屋に並んでいたことがあったっけ。けれども今度の経験は、驚きの度合いでいったらその何十倍も大きいに違いない、だって新品の「たまごっち」と「新種発見たまごっち」がそれぞれ50個くらいづつ、ワゴンに乗せられて売られていたんだからね、ちゃんと定価で、それも東京駅のなかにある雑貨屋で。あまりに数が多いんで、てっきりパチもんかと思ったけれど、すべてれっきとした本物で、いよいよ生産が間にあって来たのかと一瞬思う。けど他のショップじゃーまだまだ見かけないから、たぶん運が良かっただけなんだろーね。客もまさかこんなところにあるとは思ってないし。

 もしも生産が間にあってきたのだとしたら、「遅かりしユラノスケ」(これで字はあってるのかな)なんぞと、「ちびまる子ちゃん」にでも出てきそーな古い言い回し(でもまる子は僕とおない年だからきっと使ってなかったはず。「あたりマエダのクラッカー」も同様)で、揶揄の言葉の1つも投げかけてやりたくなる。世の中はどーやら「デジタルモンスター」に興味が移っているよーだし、ゲームボーイでもキャラクターでも「ポケットモンスター」は圧倒的だから、もはや「たまごっち」など出る幕はないのだよ。刷りすぎて絶対に余ることが確実な菅野美穂の「NUDITY」ともども夢の島(なんてまだあるのか)で灰になればいーのだよ、ははははは。もちろんその前に10個くらい買い占めて、秋葉で3000円で流すんだけど。

 「チャイナの木なんだって」。この言葉にピクっときた貴方は、きっと幸せな時間を過ごすことができたひとに違いない。そして同時に哀しい時間を過ごしているひとにちがいない。内田善美さんという漫画家が、もう15年近くも前に描いた漫画「星の時計のLiddell」に出てくる少女が、庭に咲く金木犀を見ながらつぶやいた言葉。「うん?」といって振り向いた少女の大きな瞳と波打つ金色の髪に居竦まれ、漫画の虜になったひとも決して少なくないだろう。そしてこの本を最後に、もう長いこと新作を発表していないため、すべてのファンがいつまた新作が読める日がくるのだろうかと、哀しい思いで待ち続けている。

 それでも毎年秋になると、アパートの庭にある金木犀が黄色い小さな花をつけ、その香りが小窓を通じて今も部屋の中に漂って来て、その度に「星の時計のLiddell」を貪り読んだ幸せな時間を思い出し、引っ越しの時にも田舎から持ってきた単行本を取り出しては、長くなった夜をその凛とした世界に浸ることにしている。漫画では金木犀をのぞむ窓辺に美少女が佇み、ポオの「幻の郷」を口ずさんでくれるのだが、生憎と1人身の僕には、せいぜいがビデオから流れる女優のうめき声が関の山。それでもマンションの高い階に住んで庭木とは一切無縁の暮らしを送っている「ニューファミリー」(死語)に比べれば、狭くても1人でも間近に香る金木犀のある今の暮らしは、たとえ6畳1間が数千冊の本で埋まって足下にはCD、テレビの上にはビデオが山と積まれて、ほとんど身動きが取れなくなっているとしても、決して悪いもんじゃないと思う。たぶん自己満足に過ぎないんだろうけど。

 ようやくにしてHIROMIXの写真集「光」(ロッキング・オン、3333円)を買う。ずっと「空」かと勘違いしていたが、正解は「光」でした。どーりでこないだの写真展で見た写真の多くに、「光」を感じたはずだ。改めて見返してみると、写真展ではスポットに照らされて艶のある表面がテカテカと光り、写真に写っている光もどこか華やかに輝いていたのに対し、写真集の方は、印刷の関係なのかはたまた作者が意図したことなのか、プリントされたものが全体に暗く、そのなかから光がボーッと浮かび上がってくる感じがして、華やかさとは正反対の、侘びしくやるやるせない気持ちになった。冬の季節のように、どこか冷たささえ感じる光に照らされた街や空や海の写真をながめていると、決して明るくはない未来がそこに見えて暗い気持ちになるけれど、たとえ人が死に絶えても、光だけは永遠に射し込むのだと考えれば、それはそれで凛然として美しいビジョンなのかもしれない。90年代を代表する写真集。

 もともとが「裏日本」の産業を紹介するために立ち上げたホームページ(大嘘)なので、岩波新書から出た古厩忠夫さんの「裏日本 −近代日本を問い直す−」(岩波書店、680円)はやはり読まねばならないのです。子供の頃はテレビなんかでも日本海側の地域を「裏日本」と読んでいたのに、いつのころからか「裏日本」とゆー言葉があらゆるメディアから駆逐され、今ではこのホームページくらいでしたお目にかかれなくなっていた。ちょっと「裏」の使い方が違うけど。本によればNHKでは昭和45年から使用を止めており、民放でも昭和50年頃から使用しなくなっているとあるから、これなら自分の記憶と一致する。当事者にとって「裏側」にいると名指しされるってのは、決して気持ち良いものじゃないもんね。だったら「山陰」って山の陰(かげ)にいる者呼ばわりされているのはどーなんだってことになるけれど、こればっかりはなかなか変えられないんだろーなー。山陰本線がある以上は(関係ないって)。

 真面目に読めばこの本は、日本という国が発展していく過程で置き去りにされたもの、犠牲となったものを思い出させてくれておおいに蒙を開かれる。利益誘導型の政治でのし上がった田中角栄の原動力は、いってみれば裏にあってなおざりにされた地域の人々の怒りであり、今また長野まで届こうとしている新幹線を、北陸地方の人たちが早く地元まで伸ばそうと躍起になっているのも、裏日本の執念だといえる。もっとも、これとて中央集権を確固たるものとして認識した上で、中央への時間的・距離的格差を可能な限り縮めて自らも中央の1角に食い込もうとする、脱地方の思想が背景にあるといえ、新幹線が開通すればますます資源は中央へと向かい、独立して小さいながらも気骨にあふれたコミュニティーを築いていた地方は、やがて中央の周縁(マージナル)に組み込まれ、逆に寂れていくのではなかろーか。ああたまにはタイトルに相応しい内容を書くのもいーもんだ(超嘘)。


【9月23日】 なんとかならんか文化放送「おたっきぃ佐々木」。日刊スポーツの「異才奇才はみだし人間」に登場して、セーラー服のコスプレ姿を披露している。けれどもソックスがルーズじゃなくってぴったりしたタイプの、それも大きく「NIKE」の文字とスオッシュのマークが描かれた、完全なスポーツソックスだったりして、これは意図したものなのか、それとも単にはきかえ忘れたものなのか、思案にくれる。ちょっと前にはキングの大月プロデューサーが出ていて、明日はポニーキャニオンの河井真也さんが登場するとゆー連載コラムに堂々の登場は、メジャーへの道を確実に歩んでいるとゆーことだから、それはそれで喜ばしいことかもしれないけれど、だったら立ち振る舞いには注意しないと、嫉妬にめらめら燃えて足を引っ張る奴が必ず出るから。僕みたいに。やっぱセーラー服来て運輸省に通わないと、半端じゃなくって真正のオタクと認めてもらえないのかなー。

 なんとかならんか朝日新聞「天声人語」。疋田桂一郎さんとか深代淳郎さんが書いていたころに比べると(っておそろしく昔か、辰濃和郎さんも入れてあげよう)、内容切れ味とも格段に落ちているよーな気がして仕方がない。人様の文章をとやかく言える身分ではないが、美文名文でなくてもいーから、せめて面白がらせるツボぐらいはついてくれよと、ときどき読んでは毎度のように愕然とする。たとえば今日のコラムでは、佐藤孝行の辞任を話題として取りあげているんだけど、有能な人なら罪人でも登用されるべきとの巷の意見に反論を投げかけている割には、説得力のある対案を持ち出せないまま最後は中曽根元首相の責任に少しだけ言及して、尻切れ蜻蛉のように終わっている。結びの言葉も下げの言葉もまったくなく、溜飲を下げられないまま真空の中に放り出された感じがして、これが当代1の新聞の当代1の書き手の書いたコラムかと思うと、当代1もたいしたことがねーやと苦笑が漏れる。

 「『手がきれい、政治でも有能』な人物はいないのだろうか。そんなはずはあるまい」といってじゃあ誰ならいーのか、あるいはどこにいるのかといった論を展開するのかと思いきや、いきなり「だいたい日本の社会には『仕事ができる』ことばかりを重視しすぎる傾向があるように思う。その結果例えば経済界では」と続いて、最近流行の証券トップ、銀行トップの逮捕へと話を持っていってしまう。結局流行の事象から都合の良いところだけを持ち出してつなぎ合わせているに過ぎず、政治家を糾弾してもいなければ、からかってすらいない。これが試験に出るナンバー1の新聞の試験に出るナンバー1のコラムだと思うと、そんな試験を出す学校のセンスまでは疑わしく思えて来る。本屋じゃー朝日新聞から出た試験問題を集めた問題集が並んでいるよーだけど、いったいどんな問題が並んでいるんだろー。「この文章のおかしいところを列挙せよ」。うんこれならいーか。

 池袋巨大書店戦争の実態を見に行く。まずはジュンク堂。もっと広いかと思ったけれど1つのフロアはそれほど広大とゆー感じはせず、その分を縦に延ばしてカバーしているとゆー印象を受けた。本の良はそれなりに揃っているけれど、正直こーした縦に長い本屋ってのはちょっと苦手で、見たい本見逃した本を求めて上から下へ下から上へを繰り返さなくちゃならず、それが結構しんどかったりする。その点で池袋のリブロは、一部別館の方が3階になっているけれど、大部分は地下にぎゅっと纏められていて、おまけに本の種類もしっかりとしているから、どだだだだーっとフロアを行ったりきたりしながら、本を探すことができる。でもジュンク堂の座り読みコーナーとカフェは好き。混んでさえいなければ、ゆっくりと上から、あるいは下から本を舐めなめ回りつつ、座ってじっくり読み通してみたい。本屋の儲けにはならんが。

 戦場のちょうど中央部分にある「ダンキンドーナツ」でドーナツ食いながらコーヒー飲みながらウィリアム・ギブスンの「あいどる」(角川書店)を読むが、カッコ良いはずのビジョンが全然目に浮かんでこず、登場人物に感情を投影できないまますーっと読み終えてしまった。いったい誰がなにをどーしたのか、それすらも理解できないとあって、ここのとろこの漫画漬けで活字の読解力がめっきり落ちたのだろーかと自問の1つもしてみるが、とはいえヤングアダルトあたりは快調に読み飛ばしてかつ楽しんでいるので、これは自分がギブスンを当たり前のエンターテインメントと勘違いしていたことに起因するのではとゆーことで、無理矢理自分を納得させる。そうだギブスンは現代文学なのだだからたいしたことを書いてなくても喜ばれるのだ例えば奥泉光さんの「プラトン学園」が朝日新聞で褒め称えられたように。うーん、もう1回読んで判断しよー。

 休みだとゆーのに運輸省に行く。セーラー服は着ていない。昨日から始まった日米航空交渉の第3回次官級公式協議は、2日目に入って全体会議から少人数の会議へと場を移し、今回の交渉で改定される協定の性格や、後発企業への増便枠、相手国を経由して第3国へと飛ぶ以遠権の問題について話し合った。しかし、米国側が改定から4年の暫定期間を経て、新たに結ばれる協定をまったく新しい内容のものとし、そこでは航空の自由化を実現する「オープンスカイ」が前提になるとの立場を崩さず、協議は平行線をたどった。というのがまあ一般的な新聞記事の書き方でしょう。なにも決まらなかったから、きっと明日の新聞各紙はこの程度の内容がベタで載るくらいだと思うよ。休日に呼び出しておいてこれくらいしか進まないなんて、えーい腹立たしい。

 前にワシントンで公式協議が開かれた時にも、結局なにも決めることができず、約1カ月の猶予期間をはさんで再開した協議で、さらにお互いの溝が広がっているとはいったいどーゆーことなのか。双方ともに立場があるとゆーことは良く解るし、それが国益ひいては僕たちユーザーのフトコロにも響いてくる話だとゆーことは理解している。その意味でも運輸省には頑張って欲しーところだけど、それにしてもなにも進展しない会議を日本でやってアメリカに行ってまた日本でやってと、何度も繰り返すのは時間と金の無駄とゆー気がして仕方がない。

 少しづつ歩み寄っているってゆーならまだしも、交渉を開くたびに対立の度合いが深まっているってのがどーにも解せない。これは絶対に日本が舐められているか、あるいはアメリカ側に(もしかするとウラで口裏を合わせて日本も)はじめから合意なんかする気がないってことなんじゃなかろーか。そんな交渉続けても無駄と、すぱっと切り替えて歩み寄れる部分まで再度非公式の場で話し合っていけばいーものを、これもいったんは公式の場へとあげた交渉、是が非でも合意に至らなければ、誰かが責任をとらなくなるから無理なんだろー。勝ってくるぞと勇ましがってる以上、統治している国内企業にも体面が悪いしね。


【9月22日】 梶尾真治さんの「ちほう・の・じだい」(早川書房、620円)を読み終える。感想文の方でも「ヨコジュン」と「カジシン」を縮めて呼ばれるSF作家の双璧と書いたが、実の所この2人以外に、縮めて呼ばれるSF作家がどうにも思い浮かばない。「コマサキョ(小松左京)」「ヒラカズ(平井和正)」「ツツヤス(筒井康隆)」「ハンリョウ(半村良)」エトセトラ。大御所と目される人たちの、誰も名前を縮めて呼ばれていないのは、愛着とゆーよりは畏敬の念で見られているからか。

 そうかといって世代が下がっても、「ミサケイ(岬兄悟)」とも「ヒウコウ(火浦功)」とも「タナヨシ(田中芳樹)」とも呼ばれてなんかいないから、年齢が上とか下とかはあんまり関係がないみたい。「オオマリ(大原まり子)」はなんとなく解るが名は体でちょっと呼びづらい。「カンチョウ(神林長平)」うーんちょっと申し訳ない。「トリミキ」あっとこれは本名を縮めたれっきとしたペンネームだ。やっぱ呼びやすい、呼んで様になるってのが縮めて呼ばれる要因だったってことでしょう。

 ラス前な「週刊アスキー」は世界のジョディ・フォスターが表紙。右からと左から撮った写真が工夫もなく掲載されているのは大物すぎてあれこれポーズをつけられなかったってことでしょーか。できれば過去の役柄に合わせて扮装なんんぞをさせて、新旧ジョディの変わりようを見せて頂きたかったのだが。しかしラス前にあんまりにモデルに奮発しすぎたのが、休刊が早まる要因だったとはちょっと穿った見方かな。来週は新人なアイドルがモデルになる見たいだけど、折角のラストくらいは片面に創刊発表会見で微笑む西和彦、もう片面に休刊発表会見で怒る西和彦なんぞを配置して、最後っ屁なんぞをかませてやれば良かったのに、ねえ編集長。新編集長に期待しとこー無理だろーけど。

 それでも記事の方ではちょっとだけ反抗期。「インターネットパラダイス」は「くたばれビル・ゲイツ」のタイトルで、西さんの盟友を上から下からおちょくり倒している。サブタイトルからして「世界へアクセス、電脳社会のエクスプローラ」だもんね、いやあ凝ってるね。紹介されているのは海外のパロディサイトと日本のパロディサイトが半々くらいで、その数の多さ種類の多彩さにはさすが世界ナンバー1の電脳アイドルと改めてその影響力の高さに感心する。ビル・ゲイツ本人はいくらからかおうと金持ち喧嘩せずの例えどおりに一切の無視を決め込むからいーんだけど、記事で紹介されている中村正三郎さんのコーナーは、マイクロソフトKKあたりも標的にしているから、瞬間湯沸かし器に触って熱い思いをしやしないかとちょっと心配。でも今なら「解りましたごめんなさい休刊します」が使えるからいーのか。いくない。

 薄々とは気がついていたがどうやら「スリットスカート」が本格的に流行っているらしー、いや「週刊アスキー」の「最新明解流行大百科」によるとそーゆーことになている。チャイナドレスみたく両脇にスリットが入っているなら最高だけど、生憎と流行っているのは前のやや左側がぱっくりと開いたタイプのよーで、てこてこと歩くと左足のフトモモがぺろりと見える寸法、これでも普段は滅多におめにかかれないものが見える気分が味わえて、本当はミニだったらもっとあからさまに見えているのにも関わらず、ついつい嬉しくなってしまう。男って、お手軽。

 めっきりと寒くなり、胸の大きく開いたシャツが街から消えてとっくりセーターとかがまたぞろ蔓延(はびこ)り始めた昨今、ぷっくりと膨らんだ胸はそれで楽しいんだけど、くっきりと谷間が見られなくなって哀しい思いを味わっていただけに、のぞき見る快感を与えてくれるスリットスカートの流行は、やはり喜ばしいことだと言えるだろう。問題は例のぶっと系な女子高生までがスリットスカートの世界へと流れて来た時。夏場にこんがりと焼き上がった麩菓子のように黒くボンレスハムのように太いあの足が、ビラビラとスリットからのぞくそのシチュエーションが与えてくれる衝撃を、想像してズキズキと頭が痛くなる。まああんまり太いよーだと、スリットが閉じないからスリットスカートもただの半端な腰巻きになってしまうんだけどね。

 赤坂で運輸大臣との懇親会。大学を出て就職する時のウラ話なんぞをいろいろと聞くが、喋るとSPに消されかねないので喋れない。まあそれほど珍しいことじゃーないけどね、テレビ局でも広告代理店でも、そんなんが横行してるって話だし。2時間ほど中華をむさぼり食って帰途に着く。帰って「失楽園」の最終回を見て、どーしてこんなドラマが話題となって大ヒットするんだろー、大人の世界って不思議だなーと、突然子供になって頭をひねりながらラストまで見届ける。

 確かにテレビドラマでは従来だったらNGなセックス描写(シーツを被らず体位まる見え、だもんね)かもしれないけれど、映画だったら別にポルノじゃなくっても結構出てくる角度だから、それほどすごい刺激にはならない。映画はまだしっとりとしたなかに凛と張りつめた雰囲気が画面から伝わって来たけれど、テレビは薄っぺらなセックス描写に果ては青酸カリを飲んでグボッだもんね。こりゃ萎えるよね、画面を見ながら握りしめていた人なんて特にガッカリ来たんじゃない。僕は早いからそこまでもたなかったのが幸いしたけど。威張ることじゃないか。


【9月21日】 新宿高島屋の横に入っている東急ハンズでハムスターの曲芸を見る、っても別に玉乗りもお手玉も滑車乗りしないで、ただ透明なパイプのなかを行ったり来たりしているだけなんだけど、入り組んだパイプの中を内径いっぱいに膨らんだ体でただ直進し、はるか上の方にあるちょっとだけ広くなったエサ場へと這いあがっていくそのしぐさのユーモラスなことといったら、ピカチュウもかなわないほどのナマのオーラをパイプ越しに周囲に発散して、ケージ前にたかっている老若男女を感動の渦に叩き込んでいる。絶対に振り返れない太さのパイプを、何があるか解らない前へとしか進めないハムスターの心境を思うと、心細さが移って胸が痛くなるけれど、しょせんは畜生なハムスター、なんにも考えずただエサの臭いにつられて、ヘコヘコ進んでいるに過ぎないんだろー。

 なんでも「ゴールデン・ハムスター」とゆー種類のハムスターは、小さいネズミくらいの大きさで地中にぐるぐると巣穴を掘って土竜(もぐら)みたいに生活しているとかで、そんな環境をぐにゃぐにゃ曲がったり真っ直ぐだったりする様々な形状のプラスティックのパイプを組み合わせることで再現し、プラレールみたいに部屋のなかに展開して飼うことができるのだとか。部屋の隅とかでこじんまりとパイプを延ばすくらいならまだいいけれど、度が過ぎて入れ込むとそれこそ1部屋ぶっつぶして鉄道模型の線路とか、ミニカーのサーキットとか、ミニ4駆のコース(はさすがにいないか)とかをところ狭しと張り巡らせては悦にいる熱狂的なマニアみたく、ハムスターのために部屋のなかを縦横無尽にパイプを引っ張り、その真ん中に身を置いて周囲をぐるり見渡しながら、歩いたり眠ったり喰ったりやったりしているハムスターのしぐさを、眺め続けることになるんだろー。暇と金があればやってみたい気がするなー。

 動物園にいる動物にしても飼っている熱帯魚や犬や鳥にしても、檻に入れたり縛ったりして行動を制限しているにも関わらず、それなりに順調に生きているのはとりあえず無制限に生きている人間からみると不思議とゆーより他にない。もともとそういう環境で育った動物たちだから慣れているってこともあるけれど、自由に生きていた動物が捕まって檻に入れられて動物園で見せ物にされても、やっぱりそのうち漫然と檻のなかで生きるようになるからとても不思議。あるいはすべての生き物に生きるための最低範囲(スペースのみならずケアとかも含めて)というものがあって、いちおうそれを充たしていればストレスとかにかからずに、生きていくことができるのかも。

 振り返れないパイプの中を端から見れば狭苦しそうに行き行き(戻れないんだから行き来じゃない)するハムスターが、それでも幸せそうにエサをかじったり別のハムスターとケリを入れあったりしている姿を見ながら、じゃあ自分にとっての最低範囲とはどのくらいなんだろーかと考える。痩せているからパイプは狭くてもいーけれど、そうだな本が1万冊くらい置いてあって1日3食ご飯が食べられて隅にエアロバイクが置いてある、これならばまあなんとか死ぬまで生きていられそーかな。あとはテレビとラジオとインターネットがあればじゅうぶん。ちょっと贅沢?

 日本経済新聞に載ればもう全国区に違いない「あんかけスパ」。名古屋に住んでいる人ならば知らない者はないとゆーあの名物料理が、なんのはずみか日経本紙の「偏食アカデミー」とゆーコーナーで取りあげられていた。ぶっとい麺を油でべたっと炒めたあとでソースをかけるタイプのスパゲティーだけど、このソースがなんとゆーかドミグラソースを片栗粉で溶いたよーな奇妙な代物で、ピリッと辛いその味と喉越しのぬるぬる感が相乗効果となって食する者を感動の渦へと引きずり込まずにはおかれない。大袈裟というなかれ、実に名古屋人の99%が1度はあんかけスパを食べ、その99%がリピーターとなって月に1回はショップへと通うとゆー調査結果が地元中に誌新聞の世論調査で出ることになっているのである。たぶん調べたら。調べるとはちょっと思えないけど。

 ただあんをかけるだけではなく、その上に載せる「トッピング」にも工夫があって、たとえばウインナーをタマネギと炒めて乗せる「ミラカン」とか(このへんちょっと記憶曖昧)、カキフライを乗せる「バイキング」とか、豚肉を卵で焼いた「ピカタ」とか、その他もろもろの具がメニューに掲載されていて、入る度にどれを食べよーか迷うほど。麺の量についても1から1・2、1・5といった具合に大盛り、徳盛りが用意されているから、例えばその時の嗜好とお腹の具合に会わせて「ミラカンの1半」とかいった具合に頼むのが一般的な作法となっている。

 「あんかけスパ」を出している店は、発祥の地とされる錦3丁目の「ヨコイ」から、新栄町CBC裏の「そーれ」、新栄交差点横の本屋の2階にある「サヴァラン」、名古屋駅前の「チロル」(あれ違ったかな)ほか多数あり、記事によれば大須の「バンブー」とゆー店でも、同じ「あんかけスパ」を出しているとか。来年のSF大会が名古屋で開かれることになっているので、参加した人はぜひとも1度は口にしていただきたいもの、宇宙が口内に広がりビッグバンが起こること請負です。いっそ期間中の全食を「あんかけスパ」で通すって企画もいーかもしれない。「味噌かつ」「味噌煮込み」は他の場所でも食べられるけど、「あんかけスパ」だけは残念なことに東京にも大阪にも存在しないから、せっかくの機会を利用しないって手はない。案内しまっせ。

 赤坂見附を経て渋谷へ。「HIROMIX」の展覧会をのぞくとまあなんとゆーか若いアベックで溢れかえっておもわず「不夜城」みたくショットガンを(以下略)。展示してあるのは最近出た写真集「光」とそれから「ジャパニーズビューティー」(けか?)から半々。まずもって目に入る風景を写した「光」からピックアップされた作品から放たれる光に目をうたれ、その美しさの前にしばし言葉を失う。写真はもとより光でフィルムを慣行させる芸当だけど、それだけに光を撮るのは難しいはずだろう。なのにHIROMIXは誰よりもうまく街に差し込む光を捉えて、画面の上に定着させて見せてくれる。

 空を流れるいわし雲の放つどこか懐かしい煌めきや、逆光にそびえるクレーン群を遠くに見ながら手前の海がきらきらと輝くその光は、これまで実際に目にする機会があったとしても、その時その場所でした感じることのできない、一過性な存在に過ぎなかった。印画紙に定着した光は実際の光とはたぶん微妙に異なるけれど、物体が物体としてのみ存在する普通一般の写真とは絶対に異なる、光溢れるHIROMIXの写真に深く見入るうちに、ただ人混みだけを眺め、物体のみを焼き付けようとしていた自分の視線の老いを思い知らされ、我にかえって再び街を見直してみる。秋の光がそこかしこで煌めいている。

 渋谷に行ったら「まんだらけ」、これ大人の常識。間違えたオタクの常識。地下におりる階段ではやきこえてきたへたくそなアニカラにちょっとゲンナリするものの、ロッカーに荷物を預けて店内に一歩足を踏み入れればもうそこは日本のオタクのみならず、亜細亜のオタクにとって聖地ともいえる荘厳にして華麗な空間が広がっている。ちょっち汗臭いのと騒がしいのが難点だけど。少女漫画のコーナーで東城和実さんの作品を探すと、幻とゆー大陸書房のもあるにはあったけど全9冊はそろっておらず、かわりに大陸で出た作品をまとめた新書館の作品集が全5巻揃っていたのでしめて2000円で購入する。

 ほかにも見ようと思ったけれど、ふたたび鳴り出したアニカラがまたとことんへたくそで、聞いていられなくなってレジでお金をはらって早々と退散する。おっと去る前にエレベーター前の自販機でポッカの「プリンシェイク」を飲まなきゃ。他の自販機ではとんと見かけないこの飲み物が、ここの自販機には3つだか4つだかのスペースで入っている。もしかしてこれを飲むのが作法だったりして。ってことで新しい常識。渋谷に行ったら「まんだらけ」でプリンシェイクを飲もう。ちゃんと5回振るんだよ。


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