縮刷版97年4月中旬号


【4月20日】 何週間ぶりかの「エコエコアザラク」は連続物の最後の回で、これまでのあらずじがよく解らないまま突入したのでよく解らないまま終わってしまった。佐伯日菜子さんの黒井ミサがイジメられるシーンがとってもキュート。ふ抜けた映像が多くなっていた「エコエコ」だったけど、たぶんこのシリーズは低コストの中を斬新な絵作りが行われていたよーで、先週見なかったことがとっても悔やまれる。でもビデオ買って見るほどのもんでもないからなー。それまでにグリグリな佐伯日菜子ファンにでもなってれば別だけど。黒魔術でもかけられて、ね。

 寝て起きて9時。様変わりしてしまった「新・天地無用!」じゃなかった「新日曜美術館」は路上観察学会の人々が東海道53次の宿場町をうろうろ歩いてあれこれ見つけて楽しむ企画が巻頭に来ていて、好きな人には楽しい番組だけど嫌いな人にはつまらない番組になってしまったなーとの感想を抱く。先週の森村泰昌さんもやっぱ同じ感じ。本編は尾形光琳の「紅梅白梅図」とか「風神雷神図」とかを持ち出して、コンピューターを使ってペンでなぞって構図を確かめたりする内容で、これも先週の森村泰昌さんの時にコンピューターを使ってダビンチの絵をあれこれいじった試みといっしょだった。

 つまりは「新日曜美術館」はコンピューターを使って美術を丸裸にしちゃいましょうって番組ってことで、それはそれで面白いんだけど毎回毎回やられると普通に絵を見られなくなっちゃうんじゃないか、そこに定着されている色や形や構図を楽しむんじゃなくって、ひっくり返したりナナメから見るようになって、肝心なものを見落とす心配があるんじゃないかって、そんな危惧を抱いてしまった。路上観察学会も、その人たちが楽しんでやっている分には楽しく見ていられたけれど、普遍化して誰もがそう考えるよーになってしまうと、妙に格式ばって定式化してしまってツマラナくなる。ゲリラ的試みや搦め手からの解釈は、メインじゃなくってサブだからこそ面白いんだがなー。

 同じことは東京都現代美術館で開催中の展覧会「東南アジア1997来るべき美術のために」でも感じたことで、暮らしの中のごちゃごちゃした部分、プリミティブな部分をコラージュにして貼り付けて見せるって手法が、そこかしこにあふれていてちょっと辟易させられた。その国だけでその人が主張している分には、メッセージとして強烈な意味あいを持っても、純粋な美術作品としてハコの中に集められ、同じよーなパワーを発揮し合っている状況では、メッセージは過剰となってかえって人を飽きさせる。横尾忠則さんが10人いたら鬱陶しいでしょ。1人だから横尾さんはトップでいられるんだよね。個々に見れば楽しい作品、重たい作品、素晴らしい作品なんだけどなー。やっぱ美術館で見るもんじゃないのかなー。

 その足で神田神保町へ。裏道を歩いていると何やら映画のロケが行われているよーで、合間を縫って前を通ると、おーあれは竹中直人さんではないですか。おそらくは荒木経惟さんと妻の陽子さんを描いた「東京日和」のロケなんだろー。「さぼうる」だったかにぞろぞろと入っていって、そこでなにやらやっている姿が窓越しに見えた。ミポリンと松たか子さんがいたかは不明。だって竹中さん、黙って立っているだけですっげー存在感なんだもんな。顔も黒いし。

 古本屋で佐藤史生さんの「ワン・ゼロ」の文庫版と坂口尚さんの「VIRSION」を購入。坂口さんは現在も発行されている新刊がほとんどないため、古本屋で見つけたら極力購入しよーと思ってあれこれ探していて、よーやっと見つけた1冊、とゆーか3冊組1500円。内容については実はまったく知らなくって、開けてみて「ワン・ゼロ」と同じSFだったのでラッキーと思う。もともと坂口さんの名前を知ったのは、「SFマガジン」に描いていた短編だったりイラストだったりするから、SFの人だとは知っていたけど、こーゆー長編も描いていたとはちょい気が付かなかった。2度と新しい作品が描かれない人だけに、これからも古本屋は要チェックの予定。

 イトーヨーカ堂でインスタントなスパゲッティナポリタンを買って作って食べる。ケチャップがどっちゃりかかったスパゲッティをどーしてナポリタンとゆーのかは知らないけれど、名古屋ではこれに赤いウインナソーセージを入れて喫茶店なんかで出していたので、よく食べた記憶がある。何故か名古屋では鉄板の上で卵を焼いて、その上にケチャップをねっちょりかけたスパゲッティを乗っけて出てくる。家には鉄板がないので卵焼きは後乗せにしたけれど、やっぱり赤いウインナを入れて食べたらお腹がいっぱい。やせなきゃいかんのになー。

 名古屋のスパゲッティといえば忘れてならないのが「ヨコイ」「そーれ」に代表される「タレかけスパゲッティー」。デミグラソースで片栗粉を解いたよーなドロンとしたタレとゆーかソースが、たっぷりの油でいためた太めのスパゲッティの上にじょろりんとかけられて出て来る(『名古屋味噌煮込みマガジン』に写真が出ているから探してみて下さい)。具が赤いウインナにタマネギにピーマンの「ミラカン」だったり、牡蛎フライに目玉焼きの「カントリー」だったり、豚肉の黄金焼きが乗った「ピカタ」だったりしても、タレやスパは全部いっしょとゆー効率的なメニューがいかにも質素(ケチ)な名古屋って風土を表している。イタリア通の人には決して食べることのできないその味覚は、けれども脂っこいもの大好きなオヤジたちには好評で、錦3丁目の「ヨコイ」もCBCウラの「そーれ」も、常に行列が出来ている。

 これをウマイと公言するのは、おそらく「手羽先」「天むす」をウマイと公言するより恥ずかしいことに違いなく、強いていえば「あんバター」のトーストをトレビアンと公言するにも似た、いとすさまじき行為に違いない。ちなみに僕は「あんバター」は食べないが「ヨコイ」も「そーれ」も、それから名古屋三菱のそばにある「サヴァラン」にもよく行って、安い給料でお腹いっぱいの「タレかけスパ」を食べていた。おしゃれな人、イタリア通な人、日清「スパ王」大好きな人にはあんまりお勧めしないけど、名古屋人を目指す人は1度は通らなければならない道なので、意を決してその門をくぐられよ。でも1半(1・5倍の大盛りって意味。「ミラカンの1半ね」って具合に通ぶって注文するとイタイ眼に会う)を食べるのはお腹の調子の良い時にしときん。


【4月19日】 新宿をぶらぶら。紀伊国屋の地下1階にあったコミックコーナーがいきなり消滅していて、どうしたんだと思って地上に上がって向かいのビルをのぞくと、大きなコミックコーナーがいきなり出来ていて驚く。新宿南口の紀伊国屋も1階のコミックコーナーだけは充実していたが、本店の方もまずまずの品揃え。開店記念なのか波津彬子さんの「雨柳堂夢噺」が4巻までまとめてサイン本として置いてあったりと、コミック好きの心をくすぐるコーナー作りが行われていた。欲しかったけど気乗りがしなかったのでその場はパス。明日行ってまとめてゲットする、かどーかは未定。だって読んだことないんだもん、波津さんって。面白いのかなあ

 そのままマイシティの上にある本屋に移動。さいとうちほさんの「少女革命ウテナ」の第1巻はやっぱり置いてなかったけど、代わりに何とかとゆー漫画家さんと小説家さんのペアのサイン会を見ることができた。たぶん少女漫画か耽美小説かファンタジーの人なんだと思うけど、これまでどこかで見たとゆー記憶がまったくなく、階段に行列が出来るほどの人気がある人を知らないとは、漫画好きとかいっても自分もまだまだ未熟だと反省することしきり。整理券方式じゃなかったら、知らない人でもその場で本を買ってそそくさと列に並ぶんだけどな。現場でサインをしてもらうのって、サイン本を買うよりトクした気分がちょっと大きいからね。でも後で古本屋に売る時は、よほど有名な人の直筆サインじゃない限りは、染みとか落書きと同列の扱いになっちゃうんだよなあ。

 「勇者王ガオガイガー」から「逮捕しちゃうぞ」「YAT安心!宇宙旅行」とアニメ3連ちゃん。でもオープニングだけはSO−FIの歌を聴きたくて「きこちゃんスマイル」を見てしまうんだよなー。で「カオガイガー」の中身の方は中だるみ阻止の「ここまでのあらすじ」っぽい作りで、メカの説明から出てくるロボットの説明、バトルの経過などとちょっとだけ進んだストーリーの中にうまく織り込んでいて、「お約束」と断って年末に「あらすじ」を流した(といっても「ゲキ・ガンガー」の側から見せるって変化は付けてたけど)「機動戦艦ナデシコ」とも違った、見ていて飽きない総集編になっていた。

 「逮捕しちゃうぞ」は前回並にまあまあの作画。ストーリーは原作の漫画に余計なエピソードを付けたって感じ退屈。見ていてついついリモコンのチャンネルに手をやって、杉山愛さんのテニスの試合を見てしまう。「YAT」はお金持ち少女のワガママに振り回されるみなさんといった「お約束」な展開。これまでゴローちゃんのことなんて何とも思ってないって感じで描かれていた桂さんが、ベッドを持ち上げて壁をぶち抜いて出ていったり、机をぎゅうぎゅうと押して潰してしまたり、物干し竿をぐにゃぐにゃにしてしまったりと、ゴローちゃんを意識して焦っているよーに描かれていて興味深い。これからの展開やいかに。

 「名古屋グランパスエイト」は3連敗。やっぱ決定力不足なんだろーね。リカルジーニョを中盤に下げてトップにすっげーフォワードを連れて来て、それからバックス陣を締めてかかんないと、このままズルズル連敗を続けて再開から2部落ちなんて憂き目を見る可能性が大。でも一昨年のベンゲルの時だって、最初にすっげー連敗したのに前半途中から盛り返して、そのまま天皇杯まで買っちゃったからまだ解らない。あとはアーセナル解任されたベンゲルが復帰、ってことになればいーんだけど、でもアーセナル調子いーからなー。ワールドカップの予選でストイコビッチも抜ける機会が増えるから、これからがちょっち心配。

 デクスター・ディアスの「夢で死んだ少女」(伏見威蕃訳、角川文庫、840円)をようやっと読了。イギリスの法廷では被告の弁護だけじゃなくって訴追する検察側も弁護士がやることになっている。でもって訴追側と弁護側の弁護士が法廷が終わった後にバーで飲んだり食事をしたりエッチしたりと、およそ日本とか米国の裁判物では考えられない展開を見せていて驚いていたら、事件の真相でもっと驚くことに出くわしてひっくり返る。ろくすっぽ説明がないままに登場人物たちが了解事項として過去の事件のことを喋ったりと、最初はとっつきにくい印象もあるけれど、じょじょに過去の事件と現在の裁判とがリンクしてきて、そのままラストの解決編へとなだれ込む手際は見事。イアン・バンクスの時も感じたけど、一筋縄ではいかないヒネクレた話を書かせたら、やっぱイギリス人は最適ってことね。


【4月18日】 会社で早朝(といっても9時半だけど)から写真の撮り方研修。ろくすっぽ写真をとれない記者の性根を叩きなおそーと先週から始まった企画で、産経新聞の写真部の人がきて人物の撮り方から記者会見場での極意なんかを1時間ほど喋って帰る。支局ならいざしらず東京に居て自分で写真を撮らなくっちゃいけないのも、自社の写真部が産経の写真部に統合されちゃっておまけに人手不足でカメラマンの手配もままならいといった事情があってのこと。たとえCONTAXのTVSなんて17万円もするコンパクトカメラを使っていても、写真部の人が5万円の一眼レフで撮った写真にはかなわないことは明々白々なんだけど仕方がない。とりあえず教わったことを参考に、次からはちゃんとした写真を撮るぞ。イベントコンパニオンなんかの、ね。

 尾崎かおりさんとゆー人のデビューコミックス「ピアノの上の天使1」(新書館、505円)を買って読む。知らない人の読んだことないコミックスだけど、表紙の絵をみて面白そーだと思ってえいやっと買ってしまった。背景があんまり描きこまれていなかったり、男の顔にあんまり特徴がなかったりはするけれど、女性はとにかく可愛くて綺麗。おまけにストーリーがしっかりしていて、読んでいてまったく退屈しない。1巻ではとにかく悲劇の引きとなっていて、2巻以降があるならきっと次なる悲劇の幕が開くことになるのだろー。そんな悲しいシチュエーションの中で、たぶん主人公の少女アザミはけなげにしっかり生きていく。感動の終幕を読めるのはいったいいつ?

 仕事で志木市まで行く。東武東上線に乗って志木の駅に付いて駅前に降り立つと、名前の通った街の割には意外と繁華街がこじんまりとしていてちょっと驚く。本屋を見つけて中に入り、コミックスのコーナーでさいとうちほさんの「少女革命ウテナ」の1巻を探すが置いていない。もう1軒別の本屋があったのでそっちものぞくがやはりない。都心ではなかったので地方ならどうかと思って探してみたけど、地方といっても池袋まで数10分の志木市ではやっぱり売れ残ってはいなかった。新刊の2巻はたいていの本屋に平積みになっているのに、アニメがスタートしてかき入れ時のこの時期に、増刷もせずに品切れのまま放っておくのは、在庫に厳しい小学館ならではの仕打ちだねー。

 デクスター・ディアスの「夢で死んだ少女」(伏見威蕃訳、角川文庫、840円)を電車の中で半分くらいまで読む。普通のリーガル・サスペンスかと思っていたら、話はどんどんと不思議遊戯な方向へと進み始め、正義感にぜんぜん燃えていない主人公の弁護士のキャラクターと相まって、曇天のイギリスの空のよーに、どんよりとした雰囲気がますます濃くなって気が重くなる。今日中にはきっと読み終えられる予定だけど、暗いので途中で気が滅入り、ページを閉じてぐうぐうと寝てしまうかもしれない。朝も早かったことだし(って9時なのに)。

 「ニューリリース」用に東宝ビデオから25日にレンタル開始となる大林宣彦監督のデビュー作「HOUSE」と尾道3部作の第3作で一番好きな「さびしんぼう」の話を書いておく。「HOUSE」は外国映画お「家」とは違うんだろーかと、昔いっぱい悩んだ記憶があるけれど、「HOUE」は今までまだ見たことがないので、どこが一緒でどこが違うのか解らない。レンタルで借りてみるか、6月1日にセルでリリースされた時に買うかして見てみよー。20年も前の映画だから、きっと池上季実子さんとか神保美喜さんは若いんだろーね。大場久美子さん今も昔とあんまし変わってないなー。

 ビデオで「スレイヤーズTRY」を見る。おおざっぱだけどちゃんと動く絵がなんだか嬉しい。大作りだけど眼がぱっちりで崩れない作画のキャラクターがとっても嬉しい。まだ3回目だからストーリーはほとんど進んでないけれど、前作「スレイヤーズNEXT」からの腐れ縁キャラがいよいよ姿を見せ始め、黄金竜のフィリアも迷バイプレーヤーぶりを発揮し始めて、くんずほぐれつの大乱戦が始まりそーな予感がしてきた。リナたちの魔法が大注目されてしまう今度の舞台で、前作のフィブリゾのよーな圧倒的かつ絶対的なキャラクターが出てくるのかは解らないけど、「ドラゴンボール」的バトルシーンの拡大再生産が続くのも使い古されたパターンだし、ちょっとはひねった展開があるのかもしれない。でも「ウテナ」ほどのヒネクレ方はしないだろーね。


【4月17日】 本屋で「小説すばる」の最新号を立ち読み。大森望さんが柴田よしきさんの「炎都」について書いていると日記の方で読んでいたので、どんなことを書いているのかなーと読んでみて納得。誉めてはいるが香山二三郎さんの誉め方とはスタンスとゆーか距離の取り方が違っていて、「インデペンデンス・デイ」あたりに準えて評価しているあたり、自分のスタンスと共通するところがって、やっぱり「炎都」はこーゆー読み方をしてもいー作品なんだなと意を強くした。

 しかし数ページめくってみて、いきなりご本人がインタビューに登場していたのに吃驚し、おまけに「炎都」はすでに続編が書かれることが決まっているとあって仰天した。こーゆーことを知っていて、あーゆー書評を書いたとしたら、なかなかに勇気のあることです。もちろん買うつもりだが、果たして今度はどんな特撮パニック妖怪ミステリーを読ませてくれるのか。怖いけどとても楽しみ。

 「小説すばる」に新井素子さんの連載が載っているのをながめつつ、文庫で出た新刊「もとちゃんの痛い話」(角川文庫、520円)を買って読む。おっぱいから膿が出て止まらない病気を患って、医者に通い手術して根治するまでの物語が、あの新井素子さんどくとくのポニャポニャした文体でまとめられている。文体はそーでも内容はとってもハードで、グリッと開いたおっぱいの穴にガーゼを詰める光景は想像するだけでイタくなるし、麻酔が効かないまま手術されてしまうのもやっぱりイタイ。イタイ話が満載の上に、新井さんがまたホント我侭に痛がるものだから、治療にあたったお医者さんがちょっと可哀想に思えて来る。

 1960年生まれの新井さんがこの病気をしたのは、たぶん一昨年の冬から去年の春にかけてのことだから、お医者さんは御歳ウン歳の新井さんのおっぱいを、ぐにゅぐにゅと触り倒したことになる。これがおよそ15年前の、デビュー後数年で人気は絶頂を極め、SF少年のアイドルとしてきら星の如く輝いていた新井さんだったら、きっと誰もが羨ましいと地団駄を踏み、オレも医者になって新井さんの以下略を、以下略するんだと近づくハレー彗星に誓ったことだろー。でも今はなあ。見てみたい気が、しない、でも、ない、のか?

 いっしょに買ったデクスター・ディアスとゆー人の「夢で死んだ少女」(伏見威蕃訳、角川文庫、840円)を帰りの地下鉄で読み始めて、止まらなくなって電車を乗り過ごして大慌てで取って返す。アメリカ的正義感燃え燃えの弁護士さんとは趣が違う、くすんだ空のよーにどんよりとした心根の弁護士さんが主人公のこの作品。ストーンサークルで殺された少女の犯人と目された、車椅子に乗った通俗作家の弁護を務めるよーになって、あれこれと面倒なことに巻き込まれて行く話、なのかな。ずーんと背中にのしかかるよーな暗さと重さが、忙しい仕事に疲れた頭にジグジグと浸み込んで行き、よけいに暗く重たくなっていって、逆の意味で心地よい。このまま沈み込んで吹き上がらずにいたら、きっと大変なことになるんだろーけど、小心者なのでぎりぎりでセーブしてしまって、結局使い走りをさせられるんだろーな。つまんない哉我が人生。

 角川文庫に挟まっていた「失楽園」のチラシを見ながら、昨日見たあの大爆笑なラストシーンを思い出してもう1度吹き出す。エルカンターレ様製作総指揮の宗教映画(なのか?)「ヘルメス 愛は風の如く」を笑うために見に行く勇気があるのなら、オタクアミーゴスな方たちには、是非とも「失楽園を笑いながら見よう」ツアーを組んで頂きたい。んでもって中年のオジサンとオバサンでぎっしりの映画館で、セリフに笑い、シチュエーションに笑い、ラストシーンで大笑いをして大顰蹙を買いまくるのだ。「人として最低」と諭されるどころか、「生きている資格がない」とフクロ叩きに合うことは必定。存在そのものをなかったことにされるかもしれない。何せ開いては日本経済を支えるオジサンたち、オバサンたちだ。返り討ちに合わないためには、最低でも50人は固める必要があるだろーね。

 ちなみに試写では1人、チーズを喰う柴俊夫のシーンで笑い、鴨とクレソンの煮込みを食べるところで大笑いし、ラストシーンで大爆笑していた評論家らしー人がひとりいた。さすがに解っている人ばかりだったので、終わった後で便所に引きずり込んでタコ殴りするよーなジュンイチニスト(ってゆーのかな)はいなかった。出来ればこの吹き出しの彼にも、街の映画館で試写室と同じ行動をとってもらいたい。生きて出られるかは保証しないけどね。


【4月16日】 早起きして銀座の東映本社へ。話題の映画「失楽園」の試写があるとゆーので、10時の上映開始時刻よりちょっと早めに会場に入る。「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」ほどではなかったけど、今日がたしか3回目の試写日であるにも関わらず、60席くらいはある座席は時間までにほぼ満杯の状態になって、周囲の期待度の高さをうかがわせた。同じ会場でたった3人で見た「ヘルメス」とは、なんとゆー違いだろー。試写室に行く廊下にペタペタ貼られた「ヘルメス」のポスターは、実際に映画を見た者の笑いを誘わずにはおかない。

 さて「失楽園」。本を読んでいないから知らないけれど、某日経新聞の読者の朝(立ち)を奪ったエロティックな展開が、たぶん映画でも存分に再現されていたんだろー。役所浩司演じる左遷された編集者と、黒木瞳演じる書道の先生との恋愛が、お互いの家庭を破壊した挙げ句に情死へと発展する展開は、見ているものの「涙」を誘わずにはいられない。もちろんおかしくっておかしくって、よじれるくらいに笑った果てに涙腺から絞り出される「笑い涙」のことだよ。

 中年男と中年女が出会って深い関係になるストーリー自体は実にありふれたもので、それだけだったら退屈の果ての「欠伸涙」を誘うだろう。それが「笑い」の方向に流れてしまったのは、本来は悲劇であるはずのエンディングが、あまりにもあまりな展開だったから。2人くっついたまんまで死ぬなんて、そんなエンディングを真面目に見られる人が、いったい世間にどれだけいるのだろーか。あるいは主人公たちと年齢が近い、30代後半から50代前半の不倫男・不倫女のカップルは、感動して真似しよーなんて考えるかもしれないが、そーしたコアな観客以外は、やっぱり笑い出さずにはおかれない。

 「新世紀エヴァンゲリオン シト新生」を、10代後半から30代前半までの「オタク」くらいしか解らない映画と大人たちは非難するけど、そーゆー彼らがイチオシの「失楽園」だって、狭い観客層にしか受けない要素を持っているとゆー点で、「エヴァ」と似たよーなもんだよね。「中年不倫オタク」のための映画。それが「失楽園」なのかもね。しかしヤングオタクに「エヴァ」を出し、アダルトオタクに「失楽園」を送る「角川書店」の角川歴彦社長こそ、オモテに出ない「オタクビジネス」闇の帝王、なのかも。

 会社のテレビで「少女革命ウテナ」を見る、とゆーか「オタクビジネス」の神髄を理解させるために無理矢理同僚とデスクに見せる。反応は極めて冷ややか。「決闘に買ったものが薔薇の花嫁である姫宮アンシーとエンゲージして、世界を革命する力を手に入れるんだ」と解説しても、まるで理解不能の言語を喋っている奴としか見られない。でも負けない。彼らを説得し洗脳して、来る誌面改革で「オタク面」の創設を成し遂げるぞ。

 帰ってビデオで「ウテナ」のストーリーを確認。先週までの奇妙な歌がなくなって、最後まで安心して見通すことが出来たのが大きな収穫。コミカルなシーンで登場するウテナのおどけた表情に、「新・天地無用!」のよーなオーバーさがないのがとても良い。シリアスなシーンは、1枚1枚の絵はとても綺麗なのに、それがほとんど動かないとゆーのがちょっと寂しい。オープニングとエンディングの入ったCDシングルは5月発売とか。きっとたぶんおそらく絶対、買うだろーね。もちろん仕事のためにと、しっかり自己正当化は忘れない。


【4月15日】 白金で取材。地下鉄からもJRからも外れたまるでエア・ポケットのような場所なので、普通だったら田町あたりからタクシーでも使って、さっと取材先に乗り付けるところだが、一昨日、昨日と京都の街を歩き倒したばかりとゆーこともあって、地図で調べてたいした距離(つまりは京都駅から平安神宮よりは近そーってこと)じゃないと分かった段階で、高輪台からテクテクと歩いていくことを決めてしまった。実際に歩いてみると、思ったよりも距離がなくって拍子抜け。人間は慣れる動物であるとゆーことを身をもって実感する。

 印刷会社で取材。ショールームを見せてもらうと、懐かしや「VAN」や「KENT」といったアイビーブランド、トラッドブランドのノヴェルティがケースに鎮座ましましていて、こーゆーグッズ類の企画に印刷会社が深く関わっていたとは、昨日の今日まで想像だにしなかった(ってことはないが、まさかここまでいろいろやっているとは知らなかった)ことを反省する。1時間半ほど話を聞くと、次の取材まで時間がなくなってしまったので、徒歩で田町まではあきらめて都バスに乗って田町へと赴く。そこからJRで秋葉原へ向かい、凸版印刷で都合2件のハシゴ取材をこなす。もう4時だ。秋葉原の電気街をちょっとだけブラついて会社へ向かい、一昨日、昨日と留守にしていた間にあまたリリースやら手紙やらを片づける(捨てたんじゃありませんから投函者の方はご安心を)。

 産経日曜日付けの文化面に載った「新本格」絡みの記事を確認。「ニューウエイヴ・ミステリ」という言葉が新たに提示された今この時期に、そして綾辻行人さんの登場から9月で満10年を迎えるこの年に、「『新本格』がブーム」ってタイトルもないだろーにとツッコミを入れたくなるが、一番近いところにある会社(って同じビルの中だ)なので、あまり深くは追求しない。「たまごっち」感覚で作品が愛玩されるよーになったってのは、キャラクターへの思い入れが「たまごっち」に通じるのか、それとも今一番流行っているのが「たまごっち」だからミステリーで一番流行っている京極夏彦さんと結びつけたのか、よく分からないのも不問に付そう(なんかエラそう)。しかし1年に1冊の京極さんと、1年に3冊、4冊は当たり前の森博嗣さんを同じ「量産型」ととらえる香山二三郎さんて・・・・?。

 それから、これだけミステリーの人がたくさんマーケットに出てくれば、理系の人だって何人か混じっていたって不思議じゃないと思うけどなあ。「ニューウエイヴ・ミステリ読本」をひっくり返すと、二階堂黎人さんは理工学部だし歌野晶午さんは農学部だし麻耶雄嵩さんは工学部を卒業しているよーなのに、特に理系だって意識されたことはない。それと「新本格以外」とことわりを入れてまで、森福都さんの「長安牡丹花異聞」を入れる意味がよく分からない。いっそ「最近1年の『新本格』にはクズが増えた(特に名指しは避ける)」とか、「『新本格』オーバーヒートの時代」とかいった衝撃的な見出しをつけて、世間的な注目を集めれば新聞が売れたか売れなくても注目を集められたかなあ、などと外野から無責任にも勝手なことをあれこれ考える。

 「新・天地無用!」は止まるところを知らない悲惨な展開が続いている。これはこれとして見ればそれはそれなりのギャグ・アニメとゆーことになるのだが、過去を知っているだけにどーしても比べて見てしまい、そのあまりのギャップに愕然として涙するのである。過去を吹っ切って見れば今回はキャラクターはまあまあ、ストーリーはまあこんなもの。でも音楽がストーリーにとことん合ってないよーな気がして、作品への感情移入を激しく妨げる。OVA版のサントラはすべて揃えたとゆー「天地無用音楽ファン」だけど、きっと今回の「新・天地無用!」のサントラは買わないだろーなー。すっげーオマケ(佐久耶のヌードポスター、とか)でもついてれば別だけど。


【4月14日】 起きて取材先まで移動。足の裏も癒えたみたいなので、三条河原町から京都府庁そばの中西印刷までやっぱり徒歩で移動する。これは2キロメートルくらいかな。何故か自転車で移動している人を多く見かけ、数はとても比較できるレベルじゃないけれど、なんだか北京の街を思い出した。町中に住んでいて職場まで近くって、間に山坂がなく平べったい京都では、自転車ってのは確かに便利かつ最適な移動手段かもしれない。今度取材に来るときには、鞄に自転車をくくりつけて持って来るか。

 中西印刷では専務の人にいろいろと話を聞く。いろいろと仕事の話をして、最後に専務の部屋に入り、こちらがSF者であることを明かすと、「SFもんか」とゆーて小松左京事務所の名刺とか、自分の名前が載ったとゆー、とり・みきさんの懐かしの名作「くるくるくりん」の該当ページを開けて見せてくれた。しまったこんなことなら最初からSF者であることを白状して、つかみはオッケーで話をもっともっと盛り上げるんだったと悔やむことしきり。でもそれをやるとSFの話ばっかりで、肝心の話が聞けなかった可能性が大だからしょうがない。第3期の京大SF研のエライ人とゆーことで、後輩だったとゆー大森望さんの話も出るが、時間がなくってどんな学生だったのかを聞けなかった。今度また時間を作ってそっちの話を中心に聞いてこよー。取材と言えば費用は会社持ち、はちょっとまずいか。

 歩くのも疲れたのでバスで洛西へと移動。妙心寺を訪ねるまでに時間が少しあったので、御室仁和寺に行って満開の桜を見てくる。月曜日だとゆーのに凄い人出。桜の下にある縁台はどれも人で埋まっていて、麦酒を飲んだりおでんをつついたりしていた。月曜日なのにこの人出ってからには、きっと昨日の日曜日は押すな押すなの大盛況だったに違いない。観光都市は休まない。1時間弱いて今度は近いので徒歩で妙心寺へ。北口から入って看板を見ると、あるわあるわ、実に40あまりの院が同じ敷地内にひしめき合っていて、さながらお寺の迷路って様相を呈していた。

 土塀やら生け垣の間をぬって目的の臨済宗妙心寺派塔頭「大雄院」へ。インターネットの中に情報を供養する寺院「情網寺」を建立したということで、その目的とかを聞きにいったもの。400年は続くお寺とインターネットというミスマッチ的な取り合わせ、それから先だっての「ヘブンズドア」のよーなインターネットと宗教との危険な関係等など、冷やかし的、ワイドショー的な興味があったのも事実といえば事実だが、否定されるにしろ罵倒されるにしろ、とにかく会って話をしたいと思って、出張に会わせて日程を取ってもらった。

 東京生まれというご住職は、先の中西秀彦専務とは違ってバリバリの京都弁をしゃべらず、むしろ東京は下町べらんめえ調の言葉が出てきて面白かった。聞けば「情網寺」に感心を示したのは、国内の大新聞、中新聞、そしてわが社のよーな超革命的弱小新聞まで幅広く、ほかにもNHKやらKBSやらBBCやらが取材を申し込んで来たり電話で話を聞いたりと、それはもう大注目の的になっていた。危ないインターネット宗教への進化の可能性については、「妙心寺」の塔頭とゆーリアルで格式もある「大雄院」がバックにあるとゆーことで否定。むしろバーチャルな世界でバーチャルな「情網寺」に興味を示した人が、そこからリアルな「大雄院」、ひいては仏教全般へと興味を持ってくれるよーな、窓口としての機能を期待しているよーな印象を受けた。

 リアルな世界の重みを感じ、リアルな世界の価値を信じる世代がどこまでなのかは分からない。少なくとも自分の世代は、リアルな寺のリアルな雰囲気を味わうことによって、バーチャルな世界のバーチャルな宗教にのめりこまずに済んでいる。けれども家庭には宗教の臭いがまったくなく(初詣は年中行事だからちょっと色合いが違う)、宗教施設としてはもとより、美術としても文化遺産としても寺社仏閣の価値を認識しない世代が生まれて来ているのも事実で、そうした世代がリアルな仏教もバーチャルな宗教(あるいは疑似宗教)も等価なものとして認識するようになった時、心配しているよーな危険な事態が起こらないとも限らない。そうならない為にも、「情網寺」にはバーチャルからリアルへと人を引っ張る窓口になって欲しい。もちろんリアルとバーチャルとは等価と認識する世代が当たり前となった暁には、その事を永遠に理解できないまま、僕は旧世代の末裔として、ただ老い朽ち果てていくのだろー。

 竜安寺へ寄って石庭を見て、やっぱりくすんだ色をしてるなーとの感想を持って、そのまま京都駅へとバスで移動。本屋で本を買い込んで返りの新幹線の中で読む。「一角獣奇譚」と銘打たれたシリーズの第2弾にあたる秋月達郎さんの「うしろのしょうめんだあれ」(小学館キャンバス文庫、543円)は、愛知県民とくに三河人は必読の書。なぜって舞台が愛知県新城市なんだもん。「かごめかごめ」の唄にまつわる戦国時代の哀しい悲恋の物語をひもときつつ、成長していく少女たちの姿を描き出している。書かれている謂れや歴史が事実に即したものかどうかは別にして、らしい設定に惹かれた読者が、本当の民俗学なり歴史なりに興味を持って進んでいけば、一般には一過性の快楽を与えるのが信条と思われているヤングアダルトでも、次代につながる大切な役割を果たしたってことになるね。


【4月13日】 「ほたてっぷり」を食べながらバーボンを飲む。醤油味の「ほたてっぷり」とバーボンじゃー、ちょっと合わない気もするけれど、普段から「かっぱえびせんマヨネーズ味」とか「サッポロポテトバーベQ味」を食べながらバーボンを飲んでる人間だから、別になんだっておつまみになればいーみたい。本当だったら「ビーフジャーキー」か「ドライソーセージ」ってのが筋なんだろーけど、そんなん高くて買えないもんね。今度挑戦したいと思ってるのがマシュマロ。あの甘いフカフカしたマシュマロが、果たしてバーボンに合う物か。試して見た人が既にいたら、感想が聞きたいなー。

 TBSのカウントダウンTVでpuffyの新曲「渚にまつわるエトセトラ」を見る。踊りがほとんど「どんどんドリフの大爆笑」なのはちょい笑う。正拳突きってな踊りも披露しちゃってくれてるのも爆笑だね。楽曲はディスコ調ってゆーんでしょーか。何となく80年代前半に流行った歌謡曲って気がしないでもない。しかし奥行きがあるぜ奥田民夫のプロデュース能力には。リバプールサウンドもやればディスコもやるってことで、おまけにそれが古いっかってゆーと、なつかしさはあっても全然古臭さをかんじさせないからなー。えっ、26位が「残酷な天使のテーゼ」? 今頃なぜに盛り上がるんだろーか。やっぱり映画の影響なんだろーか。

 寝て起きて朝になってこれから東京駅に行って京都へ移動の予定。サンホテルとかゆーとこに多分泊まってます。予約がちゃんと取れてればってことだけど。お近くの方は見かけたら一声。でもストーキングにだけは来ないでね。

 と言ってる間に京都に着く。10数年振りの京都は駅前に壁のよーなビルが立ちはだかっていて、新幹線のホームから北の方がまるで見えなくなっていた。たぶん見えていた京都タワーも東本願寺の甍の波も、もはや新幹線のホームからは無縁の存在となったのか。ホームを降りてそのビルの地下をくぐって地下鉄に乗ろうか迷うが、とりあえずご飯でも食べよーと地上に出てファストフードの店を探すがみつからない。歩いているうちにそのうち出くわすだろーと思い、烏丸通りを北上し始めたのが運のつき。ないぞないぞないぞと歩いて歩いて歩き倒して、途中で繁華街を折れてとうとう三条河原町、本能寺のそばまで来てしまった。

 お腹も限界になったのでサブウェイによってサンドイッチだべて、再び歩き始めて平安神宮へ。京都駅から平安神宮まがどのくらいにあたるのか知らないけれど、いー加減疲れたのでバスに乗って銀閣寺に行き、国宝って割にはすすけて汚い建物との感想を抱いて銀閣寺を後にして、再び三条河原町にとって返してチェックイン。まさかあれほどの繁華街のど真ん中だったとは知らず、夜になっても人通りが途絶えないのに驚く。その波に乗って先斗町とか祇園あたりを徘徊。鴨川の河原に一定距離をあけて佇むアベックの姿に当てられて、そのまま宿に帰って麦酒飲んで寝る。1000マイルブーツのウルヴァリンは底がぜんぜん減らないのに、足の方が1000マイル足じゃなかったので底に穴が開いてしまった。京都は広い。


【4月12日】 土曜日だけど会社に行って資料整理。月曜日に取材に行く京都の中西印刷のホームページにアクセスして、小松左京さんの近況を見る、じゃなかった中西印刷の住所とか歴史とかを確認し、中西秀彦専務の文章を引っぱり出す。何年か前に「活字が消えた日」とゆー衝撃的なタイトルと衝撃的な内容を持った本を世に問うて、印刷業界で進むデジタル化の流れの一端を伝えてくれた中西さんは、近著「印刷はどこへ行くのか」(晶文社、1800円)の中で、「活字が消えたあと」の中西印刷が、デジタルの波にいかに取り組んできたか、そして印刷会社の経営者たちが何を考えていかなければを訴えている。取材ではその辺りを聞く予定。でも小松左京さんの近況とかも、ちょっと聞いてみたい気がするなー。

 サッカーJリーグ開幕。テレビでは鹿島アントラーズとヴィッセル神戸の試合を放送していたが、前半はほぼ5分だった闘いが、後半に入ると一方的になってしまい、結局5対2でアントラーズが快勝した。何が違うってやっぱり戦力が違うと思うんだけど、後半になっても前半と同じよーに、前線からチェックして容易に自陣へと攻め入らせないよーにしていたら、もうすこし締まった展開になったよーな気がする。体力とかあってそれが出来なかったから、攻撃力に優るアントラーズにやられたんだろーけどね。夕方のスポーツニュースでグランパスが3対2で負けたのを確認、1点差はちょっとくやしい。点とったのは誰だ。

 うだうだしながら「勇者王ガオガイガー」へとなだれ込む。3回くらいしか見ていないのでよくは知らないけれど、何やら敵の幹部クラスがそ揃ってお出ましとなった、大切なエピソードらしい。初めて見るロボットも出てきたし。サイボーグのガイがキラキラに輝いてバトルするシーンはなかなかにカッコ良いし、モーフィングを中心としたCG(コンピューター・ぐらふぃっくす)とセルアニメとの融合もあまり違和感がない。セルにCGが混じると、質感とゆーか肌触りの違いから違和感が生じるケースが多い(映画「フランダースの犬」のラストもそうだったね)だけに、使う場所や使う方法をちゃんと考えているのだろー。来週もたくさん華ちゃんが見られるといーな。

 それにしても驚いたぞ「ガオガイガー」のエンディングが下成佐登子さんだったとは(目の間違いかもしれない)。昔シンガーソングライターとして活躍していた時に結構聞いた記憶がある。ポプコン出身だったっけ。「悲しみのアクトレス」だったかな。ポプコン関係じゃあ相曽晴日さんて人も良かったなあ。今何やってんだろー。それから「逮捕しちゃうぞ」もオープニングとエンディングが代わって、エンディングの方はあの白井貴子さんが唄っていた。まるで白井節って感じの歌声で、デビューの頃から聞いていたファンにとっては、懐かしいやら嬉しいやらで目頭が熱くなる。「ひるどき日本列島」のリポーターじゃーやっぱ役不足だもんね。それにしても声優さんがレコードを出すってケースはよくあるけれど、アニメの本編でオープニングやエンディングを唄わせてもらえるってケースは林原めぐみさんをのぞけばあんまりない。やっぱりプロじゃないと毎回聞くのはキツイのか。

 「逮捕しちゃうぞ」は珍しく絵がグッド。キャラクターの目の大きさが藤島康介さんの原作に近くって、見ていてそれほど苦痛を感じなかった。動きは軽快、シナリオもダレ場が少なく、せめてこれくらいでいーから、毎回作ってくれないものかと赤坂に向かって念波を送る。そのまま「YAT安心!宇宙旅行」。ツナギの作業服じゃない添乗員服姿の桂さんがたくさん出てきてうれしい。ビデオに撮っておけばよかったと悔やむ。来週は久しぶりにカネア・マリーゴールドがたくさん出てきそう。でも桂さんも出してよね。ちなみにエンディングは桂さん役の椎名へきるさんだけど、彼女は武道館でコンサート開く立派なプロの歌手だから、微妙に音程が揺れてたりしててもいーんです。

 冬樹蛉さんが話題にしていた亀田製菓の「ほたてっぷり」を買って食べる。口を切るとプンとホタテの香りが部屋に漂い、1口かじると口中にホタテの味がひろがる。ってそこまで大袈裟ではないいにしても、製品1袋に冷凍帆立貝約18グラムを使用したとパッケージに書けるくらいには、ホタテのエキスがしみこんでいる。立つよーに底を工夫して、食べやすいよーに上部と中央部の2カ所にキレコミを入れたパッケージは、スナック菓子を作業中(テレビ見たり漫画読んだりも含む)に食べる人には嬉しい配慮。印刷会社を取材して、こーゆー軟包装のパッケージを印刷会社が企画提案するケースが多いって話を聞いたけど、これはどっちの企画なんだろー。亀田かな、それとも印刷会社かな。


【4月11日】 凸版印刷に行ってインターネット関連の発表。凸版が運営しているサッカーのホームページの中に、Jリーグの試合の感想をファンに書いてもらって、競技場からモバイルでアップしてもらうとゆー試みを、明日の開幕戦の国立競技場の試合から始めるのだとか。会見にはスポーツ新聞の記者さんらしー人がたくさん来てたけど、考えてみれば翌日の新聞で「遅報」するしかできない新聞記者に、「どうだいこんなに速く報道できるんだよ」って凸版が自慢している会見のよーにも見える。

 Jリーグの試合の結果って夕方のニュースでもあんまりやらないし、ネットのニュースでも夜にならないと結果は入っていないから、感想の上手い下手は別にして、とりあえず結果を知るメディアとしては、それなりに有効に利用されるかもしれない。でも嫌いなチームのサポーターが書いた、嫌いなチームが勝った試合の結果を読まされるのは、ちょいたまんないところがあるから、できれば両方のファンの感想をアップしておいて欲しーなー。

 九段会館へと移動。本郷と駒場に校舎のある学校の入学式が武道館で開かれていたらしくて、それっぽい学生さんがうじゃうじゃと九段下の駅前を歩いていた。勉強一筋って感じの人もいれば、グリーンのシャツ着た長髪の兄ちゃんまでいたりして、なかなかにバラエティーに富んだ人材が集まってるじゃんとゆー印象を受けた。それにしても父ちゃん母ちゃんが入学式に同行している学生が多いってのは、やっぱりニッポンで頂点を極めた最高学府の入学式だからなんだろーか。

 九段会館では富士通の社内ベンチャー支援制度で設立されたアルファ・オメガソフトが、ゲームソフト「英雄降臨」の販売に協力してくれた人を集めて謝恩会を開いたもので、会場にはアルファ・オメガソフトの社長で、「英雄降臨」のシナリオとグラフィックを手がけた漫画家の佐々木潤子さんの弟さん、佐々木隆仁さんはじめ関係者多数が出席していた。ベンチャー制度の立ち上げに関わった富士通の小島取締役が挨拶に立って口にした言葉が、関係者にとっては脂汗と冷や汗が吹き出そーなほどの厳しい内容。お祝いのムードが一気に引き締まって、空気に緊張感が張りつめてこっちまで冷や汗と脂汗が出てきた。

 なんでもこのベンチャー制度で設立された会社は、3年以内に事業に目処が付かなければ解散って運びになることが決められていて、アルファ・オメガソフトは今年がその3年目にあたっていて、小島取締役はしきりに正念場なんだよ、しっかりやんないと大変だよって脅かしていた。派手は宣伝をしている割には、効率が悪いのかカロリーが低いのか、いまいち知名度が上がっていない「英雄降臨」、売り上げランキングなんかを見ても入っていた記憶がないほどに、実はあんまり売れていない。少女漫画家の感性で作ったゲームなんだから、もっと女性にアピールすればいーのにって思っていたら、5月に出るマック版では女性ユーザーを意識して、パッケージなんかも変えるんだとか。システムは分からないけど、グラフィックがとにかくキレイなゲームだから、もっと頑張って欲しーなー。

 来賓として挨拶にたったのはチバレイこと千葉麗子さん。ナマのチバレイを見るのはこれでいったい何回目になるのかな。例の写真集を持っていって「サインしてくれ」なんて頼んだら、気持ちよくサインしてくれるだろーかと考えながら、ヤミに紛れてチバレイの細い足と長い髪を観察する。厳しい小島取締役から一転して、こちらは同じゲームソフト会社の経営者として、いっしょに頑張りましょうってな感じの挨拶だったけど、これからプレステ用のゲームを作るのに、「プログラマーを引き抜くのが大変で」ってあっけらかんとゆーあたり、権謀術策のカタマリこそが相応しい経営者になるには、ちょい正直すぎやしないかなー。

 折角なんで佐々木潤子さんの新刊「ラフ」(集英社、490円)を読む。「英雄降臨」のグラフィックで見ていたけれど、漫画となると見るのは初めてで、そーかこーゆー漫画を描く人だったのかと感じ入る。絵は旨いし話もまずまず。確かバレーボールの漫画を描いていた記憶があったけど、「ラフ」にもテニスとかマラソンとかサッカーとかいったスポーツが、3本の短編のいずれもに登場する。今はどっかに連載を持っているのだろーか。割と気に入り系の作品だったので、できれば漫画もしっかり続けていって欲しいと思う。ゲーム製作なんて魔道に足を踏み入れてしまって、挙げ句にエネルギーを奪われて才能が消耗してしまうのって、漫画好きにとってとっても寂しいことだから。

 「スレイヤーズTRY」を見る。2回目となった今回は、リナ・インバースの謎の姉ちゃんが手紙とシルエットで登場して、ドラゴンも恐れをなして逃げ出すとゆーリナを恐怖のどん底に叩き込む。あのリナが恐れをなすってどんな姉ちゃんなんだと興味津々、だけどシルエットの姉ちゃんは顔は前髪に隠れてよく見えず、手には鳥の丸焼きの載ったトレイを持って不敵に微笑んでいるだけ。胸はおっきい。「スレイヤーズ」「スレイヤーズMEXT」なんかには出てきたのだろーか。作画もストーリーも良く言えば手堅く、悪く言えば毒がないが、それでも始まった新番組の中で、一番安心して見られるアニメってことには違いがない。ぶっとびの「少女革命ウテナ」か安全牌の「スレイヤーズNEXT」。間にあって中途半端な「新・天地無用!」が哀しいぞ。


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